【 第一幕 4 】
「ところで絢ちゃん。この件ってさ、どれくらいの確率で事件だって思ってるんだ?」
櫻ちゃんが寝室へ向かった後『また後でね』そう直接彼女に言われた事が幸いし、俺達三人と一匹は客間に留まる事を許され、お茶のおかわりを振舞われていた。さっき白さんの所在を問うたお手伝いさんが、まだ戻らない彼女を心配するような仕草を見せたが、鬼頭様も今度はそれを無視した。このままだと白さんには、腹痛で途中退場という不本意な噂が立ちそうだ。
少女のお昼寝時間は一時間弱、その間に各自の役割を決めておく。そう言った鬼頭様に、魁さんが少しだけ皮肉気な視線を向ける。
「さあな。半分よりは少し多いくらいかな」
幼い少女との対話に、鬼頭様は若干の堅苦しさを感じていたのだろう。魁さんの問いに鬼頭様が疲れた様に大きな伸びをしながら答えた。
「あれ、意外と少ないんだな」
「何だよ、それ」
「絢ちゃんの事だから、九割九分九厘くらい言うかと思ったのさ」
二度目のお茶は香り高い紅茶。茶菓子はないが、その代わりのように、色鮮やかな角砂糖が多めに添えられていた。砂糖を入れた甘い紅茶は渇いた喉を潤し、心を癒す。
だが、今の俺達の話題は芳しい香りに似合わない血生臭い事件の話。
「それにして絢ちゃん、今回は甘いな」
「何の事だ」
「んー、気付いてないのか? まさかな」
何が言いたいんだよ、お前。と不審気な表情を見せる鬼頭様に、魁さんが少し言いよどむ。ちょいちょいと傍らの白さんに手招きし、彼女の小さな身体を膝に抱き上げた。白さんも輝く瞳で魁さんを見ている。
「君の意見は?」
「言いたい事は自分の言葉で言ったら、魁」
「君だって言いたい事があるだろう?」
「さあ、どうかしら」
何だかよく分からない事を二人は言い合っている。
「なら、じゃんけんかな」
「仕方ないわね」
暫し見詰め合って、何故か二人は突然じゃんけんを始めた。
魁さんは兎も角、未だ猫姿の白さんにそんな真似ができるのかと、知らない人は思うだろうが、白さんは前足で器用にぐー、ちょき、ぱーを繰り出している。
俺と鬼頭様は置いてきぼりだ。だがこの二人が、彼らにしか分からない行動をするのは実はそんなに珍しくない。そしてそれは大抵、もの凄く大事な行動の前兆だったりするので、俺も、鬼頭様でさえも二人の行動を咎めたりは出来ない。
「よしっ、勝ち」
「ちっ」
何回目かのあいこの後、勝ったのは白さんだった。白さんは妙に人間臭い仕草で嬉しそうに手を振り上げ、魁さんは嫌そうに眉を顰めた。そうして仕方がないなと小さく呟き、業とらしく溜息までついて白さんを床に下ろすと、鬼頭様との会話を再開した。
「これが事件じゃなければまだいいけど、でも、お前が気にした時点で事件の可能性は高いよな」
「どーいう意味だよ」
「そーいう意味だよ」
「そ-いう意味よ。自分でも少しは分かってるんでしょう」
「悪かったな」
多少なりと、自分が奇妙な事件を引き寄せる傾向があると自覚する鬼頭様が、きまり悪そうに呟き魁さんから視線を背ける。だが別に責めるつもりではないらしく魁さんは鬼頭様の頭を軽く小突き苦笑した。
「謝る事はないさ。自覚があって何よりだ。で、話を戻すけど、もし事件なら」
「事件なら何だってんだよ」
「ん。あのさ」
白地に慰められたのが不服なのか、弾かれたように顔を上げた鬼頭様は、そのまま魁さんに視線を合わせ睨みつけた。だが、その頬はほんのりと染まっている。自尊心の強い鬼頭様が魁さんだけに見せる可愛らしいとも取れる態度に、思わず俺の口角も上げる。
それを見られれば、ますます鬼頭様がへそを曲げると分かっていても止められない。他者が本当に見られたくないだろう事はあえて見ない、それが出来る白さんほど、俺は年を重ねてはいないのだ。
「この手の事件の犯人は、身内にいる確率が高い。老人を病死に見せかけて、彼が大切にしていた宝石の隠し場所を特定できる人物と考えるなら尚更だ。絢ちゃんがそれを考えなかった訳ないよな? これが事件なら、下手すりゃあの子の両親も容疑者だ」
「分かってるさ。と言うか、下手しなくても容疑者だな。しかも筆頭の」
魁さんの態度から、どんな皮肉やからかいを言われるかと身構えていたらしい鬼頭様は、意外なくらい真剣な魁さんの言葉に表情を改めていた。
「お前なら、それが真実なら隠蔽はしないだろ。たとえあの子に恨まれる事になっても」
「当然だ」
今まで鬼頭様が関わってきた様々な過去の事件を思い出し、魁さんは眉を顰める。そんな魁さんを尻目に鬼頭様は毅然とそう言い切った。
「当然か」
「馬鹿ね」
それを聞き、ああやっぱりと思いながらも魁さんと、傍らで黙って会話の行方を見守っていた白さんが小さく溜息を吐く。
「相変わらず、貧乏くじを引くのが好きだな」
「本当ね。自分から好き好んで、人間の悪意に晒される事ないのに」
此処までの会話を聞いて、鈍い俺にも魁さん達の心配の種が理解出来た。二人は上流階級のお家騒動に巻き込まれるかもしれない鬼頭様を心配していたのだ。
縄張りの見回りと言うほどではない、散歩の様な気楽さで白さんは一日一回は自分の住む街を一周する。人だけでなく、あやかしの中にもおしゃべり好きな情報通は居るもので、そんな輩とよく話をしている白さんは雑多な情報を良く知っている。この件についても白さんは既に、鬼頭様の知らない何かに気付いているのかもしれない。
「そうか?。魁や白程じゃないと思うぞ」
だが、そんな二人の気遣いに気が付いているのか、いないのか。鬼頭様は全く逆の事を言い出した。今度は魁さんと白さんが驚く番だ。
「俺?」
「あら、私も?」
「ああ」
二人は怪訝そうな顔をしてやはり顔を見合わせているが、この鬼頭様の言葉も俺には理解できる。
鬼頭様は自分の意思で全て覚悟の上で此処に来た。俺は鬼頭様の部下だから、鬼頭様がやるというなら拒否権はない。だが、魁さんと白さんは鬼頭様から詳しい話を聞いた時点で、お願いを断る権利はあった。まして二人は、受ける負担を考えずに簡単に話に乗る人間でもない。
人が良くて、貧乏籤を引くのが好きなのは、果たしてどちらなのか。俺に言わせれば、どっちもどっち。良い勝負だ。
「ありがとな。二人共」
「礼は早いよ、証拠を掴めるとは言ってない。この行動の心配も無駄骨になるかもしれない。老人の死は病死。宝石は家族の誰かが大事に保管してる」
「それならそれで良いさ。怖いのは、耳障りの良い綺麗な嘘に醜い真実が隠される事だ。僕は事件を餌に生きる探偵だが、望んでいるのは事件そのものじゃない。欲しいのは混じり気のない真実だけだ。お前らだってそうなんだろう?」
「はい」
迷いの無い鬼頭様の言葉に、俺は思い切り頷いた。
「違いない」
「まあね」
魁さんも白さんも小さく頷き、苦笑している。
「んじゃ、何かあったら連絡くれよ」
やる事が決まったなら、行動するのみとばかりに、鬼頭様と俺に手を振って、魁さんはあっという間に帰って行った。
「魁ってば、張り切っちゃって。私も負けてられないわね」
魁さんが部屋を出るのとほぼ同時に、それまで床で寝そべっていた白さんが、ぽんと勢いをつけてテーブルに飛び乗った。
「聞きたいんだけど、私はここで、櫻ちゃんの傍についていた方が良いのよね」
「そうだな」
「じゃあ、黒には此処に来てもらった方が良いのよね」
「そうだな」
「ところで坊や。黒は無報酬じゃ動かないけど、その辺は考えてるの?」
「勿論、考えているさ。金で」
「馬鹿ね。黒はお金には興味無いわよ」
鬼頭様のお決まりの台詞を白さんが馬鹿馬鹿しいと切り捨てる。さて、どうしようかな、とばかりに尻尾を揺らす白さん。
「俺が呼んで来ましょうか?」
「黒が参尾のお使いで動くと思うか?」
助け舟のつもりで告げた言葉は鬼頭様に瞬殺される。そして俺は二の句が告げなくなった。鬼頭様の言葉は真実を示していたから。
「大丈夫」
気まずげに俯いた俺の頭に、白さんは慰めるように小さな手(足?)を置いた。
「私に任せて」
白さんが自分の真っ白な毛を一本抜き取り、低い声で念を送る。低く響く心地良い声にあわせ、白い毛が徐々に発光していくのが、真昼の明るい陽光の中でもはっきりと分かった。声は途切れる事無く続いている。
そうして、どれ程の時間がたっただろう。声が止まった時、俺の目の前をふわりと白いモノが漂っていた。
「蝶?」
白い蝶といえばもんしろ蝶が有名だが、これはそれよりも二周りは大きい。それに良く見ないと分からないが、羽には細かい模様が刻まれている。喩えるなら真っ白なあげは蝶といったところか。
「綺麗だ」
「ありがとう」
思わず呟くと、満足そうな白さんの声が返る。
「久しぶりだったけど、成功ね」
蝶は俺と鬼頭様の周りを一周して、俺の肩先に止まった。
そうか。
初めて見た。これは白さんの術なのだ。改めて蝶に視線をやれば、その身体は上質の絹のようにも、和紙のようにも見えた。
「文使いの式よ。私が許した者以外は触れることも出来ないし、届け先の者の手によってのみ手紙に変わる。これで黒に全て伝わるわ。それと、一応言っとくけど、私達を巻き込んだんだからには、一人で勝手な真似はしないでね。坊や」
「分かってるよ」
「ならいい」
一仕事終えたとばかりに白さんは、飛び乗ったテーブルにぺたりと寝そべった。そういえば、彼女は猫の姿を取ると、何故か睡眠欲にかられて困ると言っていた事がある。これも逃れられない猫の本能なのだと笑っていた。
「じゃ、後は頼んだ」
「はい」
眠りの体制に入った白さんを起こす事無く、鬼頭様は屋敷を後にした。俺は櫻ちゃんとの約束どおり、彼女が目覚めるまでこの家に残る。鬼頭様も魁さんも、そう家人に告げてくれている。
俺の仕事は彼女の言葉と行動を鬼頭様に伝える事。俺も俺の仕事をまっとうしよう。
「参尾」
眠っていた筈の白さんが俺に声を掛けたのは、鬼頭様が帰ってから暫くたった頃だった。いつから起きていたのか、それとも初めから眠ってなどいなかったのか、俺にはそれすらも分からなかった。
「参尾。絢と魁の違いが分かる?」
「違いですか?」
答えを望まない問いかけ。白さんはずっと瞳を閉じて何かを考えているようだった。
「鬼頭絢は事件にはっきりと決着を付けたがる。正義感が強いんだろうけど、誰も望んでいない事でも、それが真実なら探り出しちゃう。絶対に退かない。魁は違う。退べき時にはちゃんと退くわ。それが他者の目にどんなに無様にうつっても、逃げる事を厭わない。鬼頭絢にはそれが出来ない。さっきは詐欺師なんていったけど、私は彼に似合うのは探偵じゃなくて刑事や軍人だと思ってる」
「俺は鬼頭様には、刑事や軍人は似合わないと思います」
何を思い出しているのだろうか。語る言葉はいつもの軽口の様相を持っているし、声音も明るい。
「馬鹿ね。権力の後押しでもなきゃ、本当に危なっかしくてしょうがないのよ。あの子供はね」
だが白さんの表情には、遺憾の色がありありと浮かび、それを目の当たりにした俺は、返す言葉を見つけられずにいた。