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【 第一幕 3 】

「どうぞ。ゆっくりしていって下さいね」

「ありがとうございます」

「ところで、白様はどちらに?」

 年配のお手伝いさんが、(かい)さんと共にこの家に来た筈の白さんを探す。そこに居ますよ、猫の姿で。なんて本当の事は絶対に言えない。さて、何と答えよう。

「ああ、あいつはお手洗いです。無作法者で申し訳ない」

 咄嗟に何も言えない俺と、何も言わない魁さんを良い事に鬼頭様が好き勝手に答える。何言ってんのよとばかりに白さんの鋭い視線が向けられるのも気にしていない。

「直ぐに戻ってきますよ」

「そうですか。では白様の分も一緒に、お茶の支度をさせていただきますね」

 子供部屋から応接室に移った俺達に差し出されたのは、香り高い日本茶と季節の和菓子。

 櫻ちゃんが目覚めた後、改めて運ばれたお茶とお茶菓子は、さっき俺と鬼頭様だけの時に出されたものよりも、数段上質なものだった。

「全く、これだから金持ちは」

 香枝(かえ)さんの紹介とは言っても、初対面の人間に対する不信感と余所余所しさを隠そうとしなかった家人達も、鬼頭様が魁さんの友人だと知ると、途端にその態度を変えた。その変化はあまりにも白地(あからさま)で、いっそ清々しいほど。

「おおっ」

 だが、俺はそんな事全く気にもせずに、思わず歓声を上げてしまう。

「美味そう」

 皿の上に乗っているのは、柿や栗や名前は知らぬが秋の草花を模した上生菓子。

 渋い日本茶は苦手だが、俺は茶席などで使われるというこの練り切りという菓子が好きだった。味は勿論、見た目の美しさも俺を楽しませてくれる。

「皿は舐めるなよ」

「良いじゃない。子供は綺麗で美味しいものが好きなものよ」

 鬼頭様に苦笑され、白さんには微笑ましげに笑われる。丸っきりの子供扱いに多少にきまり悪さを覚えるものの、好物の誘惑には勝てない。

「いただきます」

 俺は態とらしく声を上げると、開き直って暫し飲食に集中する事に決めた。

「お兄ちゃん、甘いもの好きなの?」

「大好きだよ」

 にこにこと、三人分の和菓子(魁さんと白さんが自分の物をくれた。鬼頭様は甘いものが嫌いなくせに、こういう時、絶対に自分の取り分はくれない)を頬張る俺を、櫻ちゃんが不思議な者を見るよう小首を傾げ見る。

「この人達は俺の友達なんだよ。仲良くしてね」

「うん」

 魁さんは元々櫻ちゃんにもその家族にも、ただの親戚以上に信頼されているらしい。彼のそんな一言で、櫻ちゃんはあっさり俺に笑いかけるようになっていた。

「お兄ちゃん、これあげるわ。どれがいい?」

 甘いものが好きなら、きっと気に入る。そう言って、櫻ちゃんがにこにこと笑いながら、宝物を分け与えるかの様に誇らしげに俺に手を差し出す。その中にあるのは、子供の手には少し余るくらいの大きな硝子の壜。

「綺麗だね。これは飴?」

「うん」

 俺には見たこともない、まるで芸術品のような豪奢な装飾の施された壜の中には、これまた色とりどりの宝石のようなキャンディがいっぱいに詰められていた。

「どれがいいかな。黄色いのは檸檬、赤いのは苺?」

「うん。水色がサイダーで橙色は蜜柑よ」

 目の前の男がどの飴を選ぶのか。

 よほど気になるのか、わくわくと好奇心を隠さずに表情に表す櫻ちゃんを、俺は出来る限りの優しい瞳で見つめる。

「なら、赤いのを貰ってもいいかな?」

「うん。良いよ」

 そして、暫し悩んだ後、目の前に差し出された壜の中から、俺は真っ赤な飴を選び出した。その理由は傍で見ていた鬼頭様達にもすぐに分かったはず。壜の中の飴は、明らかに赤色が一番多かったのだ。

「おいしい?」

「うん。美味しい」

 差し出された飴を目の前で頬張れば、櫻ちゃんが嬉しそうに、にっこりと笑う。

 本当は飴自体は人工的な甘味と、ほんの少しの苦味が口に残り、あまり美味しいとは思えない味だった。だが、少女の笑みは、そんな事を帳消しにしてしまえるほどに可愛かった。

「お兄ちゃん、苺好き?」

「ああ」

「私も苺が一番好き。一緒ね。嬉しいな」

 一緒が嬉しいという事は、どうやら櫻ちゃんは俺を気に入ってくれたらしい。それ位の事は、人間の心理に疎くても理解可能だ。

「俺も嬉しいよ」

「本当っ」

「ああ」

「んにゃ」

 白さんが櫻ちゃんに寄り添う。

 彼女は年長者に相応しい、微笑ましげな瞳で俺達を見ていた。

「これはお母さんから貰ったの。それともお姉さん?」

「ううん、おじいさまよ。おじいさまはアメが好きでいっぱい持ってるの。よく一緒に食べるの」

「そう。優しいお祖父さんだね。でも、なら……」

 亡くなったお祖父さんに貰ったものなら、この飴は想像以上に大切な物だったんじゃないか。簡単に手を伸ばしてしまった事を俺が内心悔いていた時、優しい少女がまるでそれを察したかのように言った。

「あのね。このビンはおじいさまの特別製で、いくら食べてもアメは減らないの。魔法のビンよ」

「魔法?」

「うん。これは秘密よ」

 櫻ちゃんは声を潜め、俺の耳元に囁きかける。そうすれば、この会話は俺と、聴力の発達した白さんにしか聞こえなくなる。鬼頭様に目配せされて、俺は少女の声を拾う事に精神を集中した。鬼頭様が聞き取れない関係者の声を聞き、彼に報告する事は俺の大事な仕事のひとつだ。

「大事な秘密よ」

 秘密。

 その言葉に俺は、櫻ちゃんが『魔法の壜の事は他の人には秘密だ』と言い出すものだと思っていた。そして、そんな少女の言葉を、俺は否定せずに受け入れようと。だが、少女の口から告げられたのは、俺の想像の斜め上をいく、予想外の言葉だった。

「きっと、おじいさまの幽霊がこっそりアメを入れてくれてるんだと思うの」

「幽霊が飴? そういえば、そんな昔話あったよね」

「おはなし?」

「馬鹿狐、黙れ」

 櫻ちゃんの事情は鬼頭様から簡単に聞いている。『おじいさまは殺された』『おじいさまの幽霊が出る』そう言われた時の対応は一応考えていた。だが、幽霊が飴をくれる? 何処の子育て幽霊の話だ? そんな馬鹿な。思わず素で疑問の声を出してしまい、俺は鬼頭様に頭を叩かれる。

「アメが減ればおじいさまは会いに来てくれるの。だから、いっぱい食べるの。お母様も、このアメならいっぱい食べても怒らないの」

「……そう、大事なんだね」

 笑顔の櫻ちゃんに俺は、当たり障りの無い答えを返すことしか出来なかった。

「うん。でもこの間は、おじいさまに怒られちゃった」

「お祖父さんに? この間?」

「うん。あんまり食べちゃダメだって」

「どうしてだろう。虫歯になるからかな」

「うん。あ、おじさんも食べる? 魁ちゃんも」

 大きめの飴玉を頬張りながら、頬を寄せ合って話し込んでいると、櫻ちゃんが今初めて存在に気付いたかのように鬼頭様に声を掛けた。魁さんにも。

「おじさんって……。あー、僕は。甘くないのあるか? 薄荷(はっか)とか」

 暫く俺と櫻ちゃんを放置して、少女の観察に集中していた鬼頭様が、呼び掛けられた『おじさん』と言う単語にめいっぱい顔を顰めつつ答える。《櫻から見たら確かに坊やはおじさんだよね》猫の姿のままの白さんが、俺にしか聞こえない声で呟くのを、俺は聞こえない振りで聞き流した。

「ごめんなさい、ないの。私からいの嫌いだから」

「んじゃ、檸檬かな」

 食べ物を共有する。

 それはあらゆる生き物にとって、もっとも分かり易い親愛の表現だ。今後の為にも櫻の信頼を勝ち得ておきたい鬼頭様は、結構真剣に自分にも食べられそうな味を考えている。暫しの躊躇(ちゅうちょ)の後、硝子壜に伸ばされた手を、何故かじゃれ付くように白さんが軽く引っかいた。

「あー、俺も薄荷(はっか)は嫌い、一緒だね。あのね、このおじさんは甘いお菓子苦手なんだ。だから飴はいらないよ。その代わり、俺にくれる?」

「うん、いいわ。いっぱいあげる」

 そして、魁さんが珍しく正面から少女の好意を撥ね除ける。

「おい、魁」

「ん、何だい。おじさん?」

「お前が言うな。同い年だろ」

「そうだっけ」

 咎めるような鬼頭様の物言いにも、魁さんは有無を言わせない瞳を返す。

「あのな。もういい、こっち来い。参尾も」

「了解。またね櫻」

「またね。櫻ちゃん」

「うん。私これからお昼寝の時間なの。起きたらまた遊ぼうね」

 今起きたばかりなのに櫻ちゃんは又寝るのかとか。いつに無く強引な魁さんの態度だとか。それらを奇妙だとは思った。

 だが、櫻ちゃんは体が弱いと聞いていたし、鬼頭様が甘味を、特に子供の好きな甘ったるい菓子を苦手としているのは本当だ、この飴は鬼頭様の口には合わないだろう。

 櫻ちゃんは出来るだけ身体を休めた方が良いのだろうし、魁さんの態度を助け船と素直に受け取って、俺は少女を見送った。

「すっかり、懐かれたな」

「鬼頭様の計算通りでしょう」

「まあな。ところで、白は居るよな」

「にゃんっ」

「頼みたい事がもうひとつある」

「あやかし使いが荒い探偵さんね。大体、香枝さんに頼まれたって言ったけど、櫻ちゃんに必要なのは探偵じゃなくて家族の愛情とか、友達との友情とか。こういう言っちゃ何だけど、お医者様とかなんじゃないの?」

「さあな。そんな事、僕には関係ない」

 肩を竦めながらの皮肉気な白さんの声。尤もな意見だが鬼頭様は完全に無視を決め込んだ。だが、そんな態度はいつもの事なので、白さんも特に気にはしていない。

「なあ白、お前なら大事な物を何処に隠す?」

「は?」

「突然だね。此処で何か無くなったものがあるの?」

「質問に答えろよ」

「先に質問したのはこっちなんだけどね。まぁ、いいか」

 鬼頭様の真剣な表情に、白さんが折れる。だが、んーと長い尻尾を揺らしながら暫く悩んでいた白さんが返した答えは、彼女ならばと頼ったのだろう鬼頭様の期待に応える様なものではなかった。

「大きさにもよるけど、私ならポケットに入れて、上から手で押さえるわね。そして、絶対に離さない」

「真面目に答えろよ」

「あら心外。大真面目よ。と、ちょっ、待った、坊や」

 本気で蹴りを入れてくる、予想外に乱暴な鬼頭様を宥めながら、白さんは無難な答えを返していく。

「まぁモノにもよるけど、素人なら自宅の金庫や貸し金庫。後はやっぱり何かに入れて肌身離さずって感じなんじゃない?」

「だよな」

 今度の答えはお気に召したのか、大人しくなった鬼頭様に改めて白さんは問う。

「何が無くなったの。お祖父さんの持ち物?」

「爺さんが大事にしていたダイヤだ」

「大きいの?」

「いや、そんなには。大人の小指の先位のだ」

 白さんは女性の習性か猫の習性か、光物が結構好きだ。ダイヤと聞いて、途端に目を輝かせた白さんに鬼頭様は呆れたような声を掛ける。

「ありゃま。この屋敷の主のにしては、随分ささやかね。何か思い出の品なのかしら。結婚の記念とか」

 小指の先でも普通に考えれば、宝石として充分な大きさだろう。だが瞬時に興味を無くしたように呟く白さんに、しょーがない子だなとでも言うように答えたのは鬼頭様ではなく魁さんだった。

「赤いんだよ」

「え?」

「混じりっけのない、傷一つない、見事な赤い金剛石らしい。俺も見たことは無いがな」

「なっ。薄い桃色とかなら兎も角、赤? 本当に?」

何でもない様に告げる魁さんの言葉に、今度こそ白さんは息を呑んだ。

「血液を思わせる赤、って言ってたな。女が言うにはちょっと禍々しい表現だが分かりやすい。で今、此処には無い。これは香枝さんが確認済みだ」

「なるほど、絢ちゃんが気にしてるのは、実はそっちだったんだね。入院もしていない老人が、突然心疾患で亡くなり、ほぼ同時に高価な宝石が消えた」

「あぁ」

「それは、確かに探偵じゃなくても不自然だと思うだろうな」

「坊やの事件にしては現実的じゃない」

 確かに。

 消えた至宝。持ち主の老人の死。ついでに幽霊の存在。

 これはどこのミステリ小説の題材だろう。

「で、そのダイヤを私に探せって?」

「お前にじゃない」

「ああ、黒に頼めって?」

「話が早くて助かる」

「何かの事情で、本人がこっそり売ってたりした可能性は?」

 白さんの問いは、俺でさえ、まぁそれは無いだろうなと思う類のもの。

「その可能性があるかどうかは、黒の方が知ってるんじゃないか?」

「それも聞いて来いって?」

「ああ。そうだ」

 案の定、鬼頭様の答えは素っ気ない。

「宝石の行方は分からない。だが、俺はコレが爺さんの死に絡んでると思ってる」

「根拠と証拠は?」

「今はまだ無い。これはただの勘だ、探偵のな。だが、もし宝石の行方が納得のいくものだったら。魁と白が爺さんの死に不審な点を見つけられなかったら、僕もこの件に事件性は無いものと判断する」

「げげっ。私、責任重大?」

「俺もな」

「ああ。二人共、自分の判断には責任持てよ」

「情報皆無なんだよね」

「随分自信なさげだな。らしくない」

「でもさ、私にも見つけられない秘密の何かが」

「何かってなんだよ」

「秘密の毒薬とか、毒薬とか……毒薬とか?」

 くどい。

 だが、まあ。つまり白さんは、老人の死に不審があれば、それは毒薬に因る何かだと思っているわけか。

「お前な。そんなんじゃ、齢数百年の知識が泣くぞ」

 情報の無さに焦っているのか、煮え切らない白さんの態度に単純にいらいらしているのか、鬼頭様の態度がいつの間にか、お願いから挑発に変わってきている。

「大丈夫。人が知りえる毒なら、お前には分かる」

 にっこりと本心から笑いかける鬼頭様に、白さんが動揺する。

 本当に鬼頭様は他人の心に入り込むのが馬鹿みたいに巧い。青年と呼ばれる歳になっても、こんな風に本当の子供のような、邪気のない笑顔を持てるのは一種の才能だと思う。俺だって鬼頭様の笑顔に騙されたものの一人だからよく分かる。

「お前に分からなければ、誰にも分からないかもしれないがな」

「あー、はいはい。分かりましたよ、名探偵」

 簡単に白さんへの信頼を口に乗せる鬼頭様。それに応えて白さんも小さな白猫の身にあやかしの気配を纏い、差し出された鬼頭様の手をぺろりと舐める。

「任せたぜ」

「了解。任されました」

 鬼頭様に答える白さんの声に、もう迷いは無かった。

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