【 第一幕 2 】
「おいおい、いつまで二人だけの世界創ってんだ」
そんな一戦触発の空気を救ったのは年若い少年の声。
「何だやきもちか」
「まあな。で、何でお前が此処にいる。絢ちゃん」
「絢ちゃん言うなっ」
鬼頭様のからかいを軽く流し、絢ちゃん呼ばわりしたのは、彼と同年代の濃紺の袴姿の少年。反射的に怒鳴り返されても気にせずに、呆れ顔で言い争う二人に近づいていく。
「僕が此処にいちゃ悪いのか? 魁」
鬼頭様も魁さんを迎えるようにソファーから立ち上がった。鬼頭様を諌められる唯一の存在。その登場に俺はほっと胸をなでおろした。
「まさか、その子に甘い言葉を囁いてこの家の跡取りにでもなるつもりか」
「ありえるわね」
「おいっ、こいつはまだ八歳のガキだぞ!!」
「とんでもなく資産家のね」
「金持ちの女は、それだけでお前の好みだろ」
白さんと魁さんは短い言葉でお互いの同意を取る。その阿吽の呼吸と、心外すぎる言葉を言われた瞬間の鬼頭様の憮然とした表情が可笑しくて、俺は笑いを堪えるのに苦労した。
「で、お前は此処で何の遊びをしてる」
白さんと魁さんの疑問は俺の疑問でもある。こうなったら全てを二人にお任せしよう。俺は高みの見物を決め込むことにして、緊張に固まっていた身体から力を抜いた。
「酷い事言うな。僕はちゃーんと、この家の人間に、頼まれて、仕事しに、来たんだぜ」
わざわざ文章を細かく区切って、単語を強調しながらの鬼頭様の言葉。
「何しろ僕は、名探偵だからな」
言い切って、どうだとばかりに胸を張る鬼頭様に、間髪入れず白さんと魁さんの容赦の無い台詞が掛けられる。
「あらっ鬼頭の坊やったら、まだ探偵なんて続けていたのね。全然、全く、これっぽっちも向いていないのに」
鬼頭様を真似て単語を強調する白さん。
「全くだ。お前、何でその性質で探偵やろうなんて思ったんだ?」
根本的な問題点を冷静に指摘する魁さん。
「うんうん。探偵って職業は人が好きじゃないと出来ないってあんたの父親が言ってた。あんた、人嫌いじゃん」
「絢ちゃんが嫌いなのは人だけじゃない。生き物全てが嫌いだよな。自分も含めて」
「なっ、お前らなっ」
二人のあまりの言い草に、鬼頭様が今度こそ反論を口にしようとする。だが、二人は鬼頭様の反論を完全に押さえ込んでしまっていた。
「お金儲けがしたいなら、もう少し他人の迷惑にならない仕事しなさいよ。坊や」
「頭だけは良いんだからな。むしろ詐欺師の方が向いてるぜ、絢ちゃん」
「顔も良いから結婚詐欺師に向いてるわね。尤も、善良な女性を傷つけるようなら容赦はしないけど?」
畳み込むように告げられる言葉の数々。流石の鬼頭様ももう何も言い返せなかった。何故なら、言われた言葉は全て事実だったから。
幼少時から、なまじ他人より高い英知と優れた身体能力を持ち、他人より整った容姿をしていた所為で、他人を全く尊重出来ない。それがこの方、鬼頭|絢の性質だ。二人はそれを良く知っている。
何しろ二人は鬼頭様が常に下に見ている『ただの人』ではない。
魁さんは鬼頭様の幼馴染み。彼の過去も弱みも何もかもを知っているただ一人の人。あや
白さんは自称猫又。知性も体力もそして容姿も人間風情に劣りはしない。その上、まだ若かった鬼頭様の父親と知り合い、その後、鬼頭様の幼少どころか誕生まで立ち会った過去もある。見た目は若くとも本当の年齢は誰も知らない、謎に満ちた『あやかし』だ。
ついでに言えば俺も『あやかし』の一人。参尾の名の通り、三尾の狐の端くれなのだが、鬼頭様にはあまり敬われてはいない。
まあ兎に角、二人はことある事に鬼頭様に意見をして、彼を真人間にしようと努力をしてくれている。ただ残念ながら、その努力は今のところ、全く全然報われてはいないのだが。
「で、仕事って」
「言わなきゃ駄目かよ。お前らに関係ないだろ」
「駄目、この家と魁はちょっとした繋がりがあるのよ」
「繋がり?」
「知らなかった? この家『藤堂家』と魁の家は親戚筋よ」
「初耳だ」
「そう? それは兎も角、言ったでしょう、善良な女性を傷つけるようなら容赦はしないって。ただし、坊やのお遊びにいつまでも付き合うほど私は暇じゃないし。話を聞いて何の問題ないようだったら、自分の用件を済ませて帰るから安心してよ」
「自分の用事?」
そういえば、白さん達は此処に何をしに来たのだろう。ついポロリと出てしまった俺の疑問に白さんが微笑む。
「うん。お見舞いにね」
魁さんの関係者だからなのか。ベットに横たわる幼子を見つめる白さんの瞳は慈愛に満ちている。
「この子とは何度か遊んだ事もある。人の姿でも猫の姿でも」
大きな窓から注がれる明るい光に包まれた白さんは、まるでこの部屋にある絵画に描かれた天使のようだ。その姿に、さっきまで鬼頭様と対峙していた時の剣呑さは見られない。
「……親戚なら知ってるよな。ここの当主が死んだ事」
魁の親戚なら白は引かないだろう、仕方ないなと呟きながら、鬼頭様はしぶしぶ口を開いた。
「で、優しい探偵さんは心配して、その子の見舞いに来たってのか? らしく無いぞ、絢ちゃん」
「魁、お前な。幼馴染みに少しは優しくしろって」
「優しくされたかったら嘘はつくなよ」
「分かってる」
魁さんと白さんは、好きにさせると何を仕出かすか分からない鬼頭様に対して、いつもいつも手厳しい。自然と言葉も詰問調になるのだが、それも愛情と心配の裏返しだと俺はもう知っている。俺だけでなく多分、いや、間違いなく鬼頭様も。
「分かってるから、そう怒るなよ。魁」
「怒られたくないなら話せ。知ってる事を、全て、今、すぐに」
わざわざ単語を強調して凄むのは、この方達の癖なのだろうか。だが、魁さんがまだ本気で怒っていないのがわかったのか、鬼頭様はようやく余裕の表情を見せた。それは唇の端に浮かぶ薄い笑み。人を小馬鹿にしたような鬼頭様お得意な、そして俺の大嫌いな顔だ。
「そう怒るな。勿論見舞いじゃない。純粋に見舞いなら参尾は連れて来ない。もうちょっと可愛げのあるあやかしを連れて来る。九十九らへんを」
一応、初めての訪問を気遣ってか、今日の鬼頭様は三つ巴のスーツを着ている。だが、魁さん達の登場に気が緩んだのか、その首にきっちりと結ばれたネクタイを煩わし気に緩め、そのままベストの鋲を全て外してしまった。
「賢明ね」
「あの子まで巻き込む気だったのかよ」
さらりと俺に対して暴言を吐く鬼頭様。そんな態度を白さんは簡単に流し、魁さんは九十九を思いやってか、嫌そうに眉を顰めた。
「でも? ならどうして此処に」
「ここん家の当主。八十過ぎの爺さんだけど、一週間前に死んだんだ」
からりと晴れた空に飛ぶ鳥が、鬼頭様の顔に影を落とす。
「だから、そんな事は知ってる。まさか殺されたのか?」
表向きの発表は病死だった筈だが、訳ありの死因が隠されるのは上流階級では良くある事。今回もそうなのかと魁さんが聞く。その声はほんの少し真剣さを帯びていた。
「否、病死。心疾患だ」
「あらっ」
「へー」
鬼頭様の答えに白さんと魁さんは、ちょっとだけ目を見開く。素直に驚きの表情を見せる二人に鬼頭様が少し意外そうに言葉を返した。
「意外そうだな、何故だ?。いい年した老人の死因としては珍しくないだろ?」
成人を過ぎた日本人の死因の中でも、心疾患は特に珍しくない。と言うか、人間は心臓が止まれば確実に死ぬのだから、人の死因は全て心疾患だとも言える。それを医者志望の魁さんや、長い長い生の中、暇に任せて医学をかじった白さんが知らぬ筈はない。
俺にも二人の驚きは意外なものに思えた。
「だって、坊やが此処に来てるから。何かみょうちくりんな事件なのかと思ったのよ」
「みょうちくりんて……」
「違うの?」
「ま、あながち間違ってないけどな」
身も蓋もない白さんの言い草に鬼頭様は思わず苦笑した。俺は白さんに賛成だったが、わざわざ口に出して鬼頭様に叱られるような愚は冒さない。
「そのガキ、じいさんの死を受け入れられないみたいで。じいさんの幽霊を見るって騒いでるんだと」
「それは無理ないだろ。大切な人間に会えなくなる事に、すぐに慣れる人なんていない。ましてや、こんな子供なら、動揺からで夢や幻を見てもおかしくは無い」
魁さんの声には、いつもの軽快さも切れ味も無い。それは同じ思いをした事がある者だけが出せる、同情というよりは同調の声なのだろう。だが、そんな魁さんの想いに気付いているのかいないのか、鬼頭様は構わずに話を続けていく。
「まぁ、それだけならガキの戯言で良いんだが。そのガキ、知り合いに会う度に、おじいさまは殺されたんだって言いふらしてるらしいんだ。相手を選ばず誰にでもな」
「それはまた、物騒だな」
「だろ。で、僕の仕事はガキに現実を教える事だ」
「何だそりゃ」
「それって名探偵さんの仕事なの。まあ、坊やの仕事はいつも探偵ってよりは何でも屋に近いけど」
実は俺も二人と同様の疑問を持ったが口には出さなかった。
「黙って最後まで聞け。子供かお前ら」
「何それっ。心外ね」
「お前、自分を棚に上げてそれ言うかっ」
鬼頭様の問題発言に、聞き手二人は不満の声を上げる。鬼頭様はそれを綺麗に無視して、更に言葉を重ねた。
「両親は子供の戯れ言だって、聞き耳持たなかった。俺を雇ったのはこの子の姉だ。勿論、姉さんだって殺されたって言葉を信じてる訳じゃない。ただ、大好きなおじいさんを亡くした妹の事は本気で心配してる。だから、言ったんだ。傷ついた妹を癒す為に手を貸すって」
「ああ、香枝さんが。なるほど」
「美人だもんね。彼女」
ああ、魁さんたちの発言で疑問が解けた。乗り気でない依頼でも、美人に頼られて断れなかったのか。その時の、必要以上に有能さと真摯さを装う鬼頭様が目に浮かぶようだ。そしてそれは魁さん達も同じだった様で、俺達は皆一様に、苦笑を噛み殺す変な表情をしていた。
もっとも白さんだけは、噛み殺しているのは爆笑だったかもしれないが。
「もし良かったら、お別れの集まりにも出てくれって言われたぜ」
「香枝さんらしいわ。彼女は妹を本当に愛してる。時に少し甘いんじゃないかと思うほどに。この姉妹の関係は、傍で見守る人達までも笑顔にしてしまうほどに、いつだってどこか微笑ましいの」
在りし日の姉妹の姿を思い出しているのか、白さんが笑みを浮べる。
「でも、貴方はこの子を癒す為だけに来たわけじゃないんでしょう?」
「やっぱり分かるか」
「わからいでか」
白さんの言葉に俺も頷く。本当に見舞いだけが目的なのだとしたら、この人(妖)選は不自然だ。相手が心に傷を負った幼い女の子なら、此処にいるべきなのは、鬼頭様も言っていたように見た目も性格も可愛らしい九十九だろう。
「俺に何か手伝える事はあるか。探偵さん」
「おっ、良いのか」
「まあ、お前の言動も気にはなるし。この子とは知らない仲じゃないし」
お前が此処に来た目的がそういう事情なら、手を貸すのも吝かじゃない。表情を改めてそう言った魁さんに、鬼頭様は少しだけ声を落として質問を投げた。
「爺さんの死因の特定なんて出来ないか?」
「はっ? そこから疑ってるのか?」
「念の為だ」
「そうだな。それは情報次第だろうが、難しいな。大体、今此処にご老体の遺体があるなら兎も角、もう火葬も済んでいるから」
「一応、医者の診療記録ならある」
「それだけじゃな。偽装なんていくらでも出来るし。でもまあ、一応見てみるか」
「頼む」
「ところで、分かってると思うが、医者の診療記録を、医療従事者でもない人間が無断で見せてもらうのは違法だぞ」
「分かってる。でもお前は医療従事者の端くれだろ」
「端くれは余計だっ」
だが、文句は無いだろう。そう言う鬼頭様に魁さんが頷く。
「へいへい了解。ところで、参尾くんには何をさせるんだ? まさか本気で子守りに連れてきた訳じゃないんだろう。まあ、参尾くんには似合わない事も無いが」
「勿論だ。アイツにはアイツにしか出来ない事をしてもらうつもりだった」
「過去形か」
「もっと適任者が現れてくれたからな」
「それって白?」
「ああ良いだろ。魁のついでに白ちゃんも手を貸してくれ」
「ん。私?」
途中から会話に加わらず、傍観者に徹していた白さんが呼ばれた名に反応を返す。
「ああ、どうだ」
「坊やに手を貸すのは気が進まないけど。でも、この子、櫻の為なら喜んで」
返された答えは、予想通りのものだった。
鬼頭様が探偵事務所を開いた時、まだ宣伝はおろか看板さえも出していないうちから、事務所に現れ、世間知らずな鬼頭様の面倒を何かと見てくれたのは、この二人だった。
心配だったから。そう理由付けしてはいるが、二人はそれ以来、公言できない不可思議な事件を共に解決してきている。
基本的にあいつらは世話好きな善人なんだ。困ってる奴を放っては置けない。二人をそう評したのは鬼頭様で、俺もその意見には賛成だ。もしかしたら白さんと魁さんは今日、此処に鬼頭様が来る事を知っていて、わざわざ足を運んだのかもしれない。
「で、私は何をすればいいの?」
「そうだな。面識があるなら好都合だ。猫ちゃんの姿でこのガキにひっついいててくれ」
「護ればいいの? 監視すればいいの?」
「両方だ」
「鬼頭様、俺は?」
「お前はガキのお守りをしてろ。遊び相手だ」
「遊び相手……ですか」
適材適所だろう。その言葉に俺は苦笑しながらも、納得するしかない。
「全く、確かに適材適所ね。なら、私は私にしか出来ない事をするとしますか」
珍しく鬼頭様の采配に敬意を表しながら、白さんがあっという間に白猫の姿に変化した。
「にゃーーん」
その姿でも言葉を発する事はできるのだが、白さんはワザとらしく鳴き声を上げ、ぺろりと舌を出す。そうして可愛らしい仔猫の仕草のままベットに飛び上がると、少女の頬に寄り添うように丸まった。
「さて、じゃあ話の続きをしようか」
白さんの態度に満足気に頷いて、鬼頭様が告げる。
いつもよりも少しだけ低い、真剣な声音は和やかな空気を破り、緩み掛けた俺の意識に喝を入れてくれた。
意識を整え、深呼吸をひとつ。
これから仕事が始まるのだ。
無論、白さんからも魁さんからも、反対意見は起こらなかった。