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【 第一幕  】

  

「良い天気だな。眠くなる」

 大きな革張りのソファーに腰掛けた鬼頭様が、大きな欠伸と共に発した、酷く場違いな台詞に頭痛を覚えた。詳しい話は聞かされていない。だが、俺達は此処には仕事で来ているはずだ。それなのに鬼頭様には緊張感の欠片も見えない。

「お前は眠くないか。参尾(さんび)

 だから、部屋中に響く無駄に良い声でそんな事を言わないで欲しい。誰かに聞かれたら、この人はどうするつもりなのだろう。

「参尾?」

「……」

 確かに部屋に設えた大きな硝子窓からは眩しいくらいの日光が注ぎ、上等なソファーの座り心地の良さも手伝って俺でも多少の眠気は誘われる。だが、今は眠気に負けては駄目だろう。鬼頭様、貴方は何の為に此処にいるのか分かっているんですか?。

 鬼頭様。

 鬼頭絢(きとうあや)様は華族の家系で生まれ育った富豪のお坊ちゃまだ。五人兄弟の末っ子。兄弟の中でも飛びぬけて優秀な成績で、学校を卒業したと聞いている。だが、そのまま上の学校に進学し、優秀な軍人になる事を望んだ両親の意に反して、鬼頭様は卒業と同時に家を飛び出した。そして両親の保護から離れ、生活していくために、数ある仕事の中から鬼頭様が選んだのは【探偵】と言う職業だった。

 何故鬼頭様が探偵業を選んだのか俺は知らない。鬼頭様にこの仕事が合っているのかも、好きなのかも、本当にこの仕事で食べていけているのかも分からない。

「それにしても、すっごい部屋だな」

 じっとりと睨みつけても、俺の悩みなど素知らぬ顔で、鬼頭様は呑気な表情を崩さない。飽きもせず、物珍しげに洋風に整えられた部屋を見回している。俺が何の説明もされずに、早朝から連れてこられたのは大きな屋敷。

で今、俺と鬼頭様はその屋敷のただっ広い子供部屋に案内され、見るからに上等の茶を振舞われていた。

「ずいぶん裕福な家庭なんですね」

「ああ」

 板張りの床に、寝具は布団ではなく寝台。壁には西洋風の掛け時計と美しい絵画。机の上には豪奢な硝子の洋灯と地球儀。この部屋の主は乳母日傘で大切に育てられたお嬢様なのだろう。

 大きな寝台で温かそうなふかふかの布団に包まって、気持ち良さげに眠りについているのは幼い少女。とても可愛らしいそのお嬢様の姿に、俺は微笑ましさと共に痛ましさを感じた。

「可哀想ですね」

 鬼頭様には鼻で笑われるかもしれないが、そんな言葉が自然と口から出た。

「何でだ」

「可愛がってくれたお祖父さんを亡くしたんですよ。可哀想じゃないですか」

「馬鹿だな。この家の全財産を自分ひとりに残してくれたんだぜ。ここは、むしろ幸運だったと喜ぶべきだろう」

 案の定、鬼頭様は面白くもなさそうに呟く。その非情とも思える言葉は、きっと本心だろう。

「鬼頭様それは余りにも……」

 幼子を見下ろす鬼頭様は楽しげにうっすらと微笑んでさえいる。

「何だ。何か問題あるか?」

 何か間違った事言ったか?。そんな表情で見下ろす鬼頭様から、俺は思わず顔を背けた。この人はお金が大好きで他人の儲け話が大嫌いだ。だからこの台詞は予定調和だ。分かっていて、会話を振ってしまった俺が悪い。

「いいえ」

 不機嫌になってはいけない。

「何でもありません」

 怒ってはいけない。

「問題大有りよ!。間違いだらけよ!!」

 必死でざわついた心を落ち着けようとしていた俺の耳に、突然聞こえた声。葛藤しすぎて心の声が音になってしまったのだろうか。そう思えるほどに今の俺の想いに同調した言葉。

「あーあぁ、嫌だ嫌だ。これだから人間は……」

 だが、俺にそんな能力は無い。

「否、貴方だからかしら?」

 声を発しているは、扉から堂々と入ってきた白猫。不機嫌さを表すように長く優美な尾が左右に激しく揺れている。

「ご挨拶だな。その姿で此処まで来たのか」

「この家の門はちゃんと人の姿でくぐったわよ。この姿を取ったのは坊やの声が聞こえたからよ、何かあったら噛み付こうと思って」

「ひでぇ。そんなに信用ないのか、僕は」

「まさか、有ると思ってたの?」

 上質な白絹のような毛で包まれた小さな頭。それを撫でようと近づく鬼頭様を一括し、白い猫は一瞬でその姿を変えた。

「相変わらずの守銭奴ぶりね、坊や。久しぶり、参尾」

 鬼頭様に冷たい視線を、俺には親愛の視線を向けて微笑んだのは、一見して目を引く美人。

 漆黒で豊かな巻き毛が背で揺れていた。そんな必要もないのに、わざわざ某女学校の制服に似せ特注した紅色の矢絣の着物と海老茶の袴に身を包んだ少女。

「でっ」

 少女は心の底から嫌だ。そんな表情を隠しもせずに、鬼頭様に指を突きつけた。

「性悪守銭奴さん、こんな所で今度は何を企んでいるの?」

 正直真剣に怖い。

 普段優しいものほど怒ると怖いのだ。まして美人が凄むと無駄に迫力が増す。

「企むなんて人聞きの悪いな。白ちゃん」

 不機嫌な声と表情の白さんの視線の先には、軽薄な台詞を余裕の笑みで投げかける鬼頭様が居る。こういう時だけは鬼頭様の能天気さが羨ましい。いつもは大人と子供並みに身長差がある二人だが、今は再び鬼頭様がソファーに座っている為に、目線はほぼ同じだった。

「止めてよ。気持ち悪い」

「つれないね。折角、久方ぶりの出会いなのに」

「出会いってこんな場所で? 悪趣味ね」

「場所を気にするなんて、にゃんこちゃんらしくない」

 丁重に幼げな少女に対する鬼頭様の姿は、一見人が良さそうに微笑ましげに見えるだろうか。だが、その顔に浮かぶのは、人を見下す薄笑いだと俺は知っている。

「誰がにゃんこよ」

「君が。違うかい」

「齢数百年を経た猫又を愚弄する気? 噛み付くわよ」

「まさか。僕はそんな命知らずじゃない」

「どうだか」

 絡み合う二人の視線の先に火花の閃光が見える様で、俺の背筋に冷たい汗が流れる。この二人は本気でいがみ合っているわけではない。だが、お互い喧嘩っ早くて腕っ節も確かなだけに、じゃれ合うだけでも厄介なのだ。

「あーあのー、鬼頭様……白さん……」

「何だっ」

「なにっ」

「いえ、何でもないです」

 どちらかを止めようとして、早々に諦める。触らぬ神に祟りなし、俺は鬼頭様と白さんに気付かれないように、そっと部屋の隅に避難した。


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