【 第一幕 15 】
「いいや、違うだろう。それならば、これは重大な証拠として、真っ先に犯人に始末されてる筈だ。宝石とは関係なく」
「なら……。そういえば、櫻ちゃんが言っていました『お祖父さまとよく一緒に飴を食べた。お祖父さまは甘いものがすき』と。まさかっ」
台本を読むように言葉を紡いでいた俺の脳裏に、忘れられない櫻ちゃんとの楽しかった会話が甦る。お祖父さまが大好きだと言った時の笑顔が甦る。
意識しなくとも今、俺は泣き出しそうな、苦痛に満ちた表情をしているだろう。言いたくない言葉を平然と言えるほど、俺は大人ではないから。尤も、それがかえって真実味を出すからと、今回は鬼頭様からも白さんからも黙認されていたが。
「ああ、そのまさか。甘い物もアルコールも高ぶった神経を落ち着かせるにはもってこいだし、甘いチョコなんかをつまみに酒を呑む人は珍しくないよ。まあ、飴をつまみにってのは珍しいかもしれないけど」
そんな俺とは裏腹に、流石に鬼頭様は冷静そのもの。的確に簡潔に言葉を重ねる。
「でもなぁ、それじゃ殺人の立証は難しい、と言うか不可能なんだよ。酒に睡眠薬が混ぜられていたのなら、殺意は立証できる。でも毒物が使われたなら兎も角、凶器は別々に摂取された睡眠薬と酒。しかも医師の処方箋は完璧。注意はしたが老人が忠告を受け入れず飲み続けた。そう言われたら終わりだしな」
だが、それは鬼頭様が冷たいからじゃない。
「そんなっ。それじゃ、これは完全犯罪ですか……」
諦めたからでも決してない。
「いいや、たとえ今、犯人が確定していなくても、犯罪が露見した時点で、それは完全犯罪じゃなくなる。それに、こんなに計算高く冷徹に人を死に至らしめる者を、人を陥れる者を僕は許さない」
鬼頭様は怒っている。演技で計算で、感情を縛っておかなくては爆発してしまいそうな程に。
「つまり、何とかなるんですよね」
「勿論だ。なる」
さっきまで騒がしかった部屋は今は静まり返っている。言葉を発しているのは鬼頭様と俺だけだ。老人の親族たちは、純粋に俺達二人の話に聞き入っている。周囲の関心と視線を一心に集め、食卓に両肘をついて手を組む。その上に顎を乗せてニヤリと笑う鬼頭様は不敵そのもの。
「犯人にとっては不幸で老人にとっては幸運な事に、石の隠された酒の中からはセロファン紙に包まれたイチゴ飴と睡眠薬の成分が検出された。不完全な形ではあったが、包み紙からは『誰か』の指紋も見つけだした。警察がな。老人は宝石と共に、確かな証拠を残していたんだ」
俺に説明する風を装いながら、鬼頭様は犯人へと語る。「お前の悪事は全て白日の下に晒された」と。「これから、お前を追い詰める。覚悟しろ」と。
理路整然と語る姿は、紛れも無い探偵のもの。
「流石に魁と白が認めるだけある。只者じゃないな、あんたたちの父親は。飴だけを入れたなら、誰の目にも留められず、捨てられていたかもしれない。宝石を入れていたからこそ、酒は見つけ出され、僕の手に渡った。これが酒に宝石を隠した老人の最大の功績だ」
一息に言い切ったその言葉を聞いて、俺は安堵の息を吐いた。
慣れない演技も、今の鬼頭様の台詞で全て終わりを告げた。俺の仕事は此処までだ。後は己のした事に覚えのあるだろう犯人を、今はまだ、自分のした事に気付いていないであろう犯人を、鬼頭様が言葉と態度で追い詰め、炙り出していくだけ。
「その犯人、君は分かっているのかね」
「ええ。勿論」
人の世での事件の解決は目前だ。
「聞かせてくれるんだろうね。犯人の名を」
「皆様、僕の言葉を信じて下さるんですか?」
この事件は犯人の自白と、多分涙で幕を閉じる。
「聞かせてくれ。犯人の名をっ」
「それは……」
では、もうひとつの事件は。白さんは無事に葛様に会えたんだろうか。話が出来ているだろうか。戦っているんだろうか。
「参尾くん」
ひとつの大きな山を越えた事で、もうひとつの山に思いを馳せる。そんな俺を見透かしたように、今まで、無言で全てを見守っていた魁さんが声を掛けてきた。
「こっちはもう終わる。行きたいなら行っても良いよ」
指差す先は廊下へと続く扉。
白さんが出て行った先。
葛様へと繋がる道。
「でも、俺は……。櫻ちゃんは……」
この場にいて最後まで見守りたい。この先、彼女を襲うであろう衝撃を少しでも和らげたい。俺に、それが出来るかは分からないが。
これは決して逃げではない、嘘偽り無い俺の本心だ。
「大丈夫。ほら、見てご覧」
促がされるままに向けた魁さんの視線の先。大人たちが何を話しているのか理解できないでいるのだろう。ただ、真剣な雰囲気に呑まれ、呆然として、身に似合わぬ大きな椅子に座る櫻ちゃんがいる。
その腕の中にあるのは、ここ数日で不本意ながら見慣れた、奇妙な物体。
「あれって」
状況も忘れ、呆れて絶句してしまった俺を、責める者は居ないだろう。
大きなお饅頭を潰したように歪んでいるつぎはぎだらけの顔、大きな三白眼に左右で大きさの違う耳。身体は寸胴で手足は短く丸い。長く立派な尻尾が二本。
「あれ、白さん?」
「ああ、白の分身。優秀な子守人形。だから大丈夫。櫻ちゃんは白が護る。彼女の身体も心も、決して壊させはしない」
道具、特に呪や守に関わる道具は使う者の力量に左右される。型は人の作った、ただの人形でも、経験と相応な力を持つ者が扱えば、それは熟練の業師の作る札にも勝るだろう。その点で言えば、白さんの子守人形は護符として、間違いなく上級品の部類に入った。
「あとね。見てもらいたいのは、もうひとつ」
目に見えてほっとした俺の目の前で、魁さんはそっと片手を広げる。その掌に乗っていたのは小さな小さな白い塊。
「これは」
「これは俺のお守り」
魁さんが俺に見せたのは白い猫の根付だった。
ご丁寧に首には小さな鈴まで付いている。こちらは、あの不細工なぬいぐるみと違い、一目で白さんの分身と分かる細工物。なぜならその真白な芙蓉を思わせる優美な姿は、猫姿の白さんによく似ていたから。
だが。
「これは」
恐る恐る手を伸ばした。無作法だが、魁さんも咎めようとはしない。
そっと指先で触れると、伝わるのはざらりとした厭な感触。硬い木製の根付はよく見ると、あちこちに細かいひびが入っている。初めからこんな状態だった筈はない。依り代の異常は繋がっている白さんの異常を意味する。しかも、こんなにも己の姿に似せている依り代だ。同調具合は、似ても似つかないぬいぐるみの比ではないだろう。
「実はさ、これが壊れたら、問答無用でこの屋敷から逃げるように言われてるんだ。理由は君なら分かるよね。だから、今、ちょっとやばいのかもしれない」
魁さんの言葉が俺の不安を煽る。
震える指が根付を倒す。ころりと転がっただけで、鈴特有の澄んだ音が周囲に響いた。尤もそれが聞こえたのは俺と魁さんだけのようだったが。
「いつもの白なら心配はしない。アレは感情を抑える事に長けているから、勝ちのない戦いで、退く事を無様とは思わないだろう。だが、今日は違う。きっとギリギリまで、否、何があっても自ら退く事を良しとしない……と思う」
倒れた像をそっと立たせ、魁さんは俺に話しかけるのではなく、独り言のように呟いた。小さく舌打ちしながら。冷静を装いつつも掠れる声に、白さんはそんなに弱くも無いし、優しくも無い。だから彼女なら大丈夫、そうは言えなかった。無言で首を振る事も出来なかった。
「無理矢理にでも、誰かに連れて帰ってきて欲しい。それが出来るのはここじゃ、君だけだ」
「……」
今度は明らかに俺に向かっての懇願。顔を上げない魁さんの様子が、彼の本気の不安を表している。それが分かっても、俺は結局何も言えない。ただ、ひびだらけの根付を撫で続ける事しか出来ずにいた。もしかしたらそうする事で、今、白さんが負っているだろう傷を癒す事が出来るのではないか。そんな、あり得ない、愚かな事を考えながら。
「行ってくれないか、俺の為にも。それに君、今行かなきゃ、白にも絢ちゃんにも会わせる顔が無くなるよ」
「白さんと鬼頭様は許してくれました」
俺の逃げを。俺が傍観者でいることを。
魁さんには珍しい、責めるような言動に現状を忘れ、つい声を荒げてしまう。魁さんに非は無いのに。
「君、あの二人が君の感情に気付いていないって、本当に思ってるの?」
「俺の感情? 俺が臆病者だって事なら」
「違う。君、やっぱり恨んでるでしょう。この事件の犯人でも黒幕でもなく、あの二人を」
逃がさないと言う様に、魁さんは俺に言葉を投げかける。俺には理解出来ない言葉達を。
「俺は別にそんな事」
「残念だけど、彼らは全部気付いているよ」
ちりちりと聞こえる筈の無い、鈴の音が聞こえる。
見えるわけの無い、傷つき震える白い姿が見える。
「俺は……」
未熟な自分を恥じるのはこんな時だ。俺は何時も誰かに言われなければ、大切な事に気付けない。
始めはただ、何も知らないまま櫻ちゃんに同情した。次に、葛様の関与を知り、彼女の身を案じた。最後に、俺は、俺を哀れだと思った。何も知らぬまま、傍観者でいれなかった自分を哀れだと思った。
ああ、逃げるよりも、傍観者でいるよりもなお悪い。いつの間にか、俺は自分を被害者だと勘違いしていたのだ。
確かに俺は、俺をこの事件に巻き込んだ鬼頭様と白さんを恨んでいた。しかもその事を、他者に言われるまで気付かないなんて。本当に最悪だ。
「……」
自分の心と向かい合った時間は、悩んだ時間に比べれば一瞬だ。
「俺、行きます」
深呼吸をひとつ。心を落ち着かせて決めた。
「ありがとうございました」
様々な感謝を込めて一礼する。それだけで、魁さんは全て分かっていると言いたげに、優しく微笑んでくれた。
「ああ。忘れてた、行く前にそれ、呑んでって。黒くん特製の薬酒。少しは守護になるそうだから」
魁さんの指差したのは例の赤い酒。
ああ、なるほど。そういうことか。
本当に心配は無いのだ。白さんも黒さんも、考えられる限り最良の手を尽くしてくれている。
この屋敷の住人は今、幾重もの防壁に護られている。
「じゃあ、頑張って」
ひらひらと、小さく手を振る魁さん。
「はい」
俺は魁さんを見て、鬼頭様を見て、そして櫻ちゃんを見て力強く頷いた。
「必ず」
必ず帰ってきます。
白さんと二人で。




