【 第一幕 14 】
「老人は亡くなる直前に、御自分の意思で宝石を酒の中に隠した」
「何故だ?」
「普通に考えれば宝石を護る為でしょうね。自分を害した人間に、むざむざこの美しい石を渡す訳にはいかないと」
「害した人間?」
「はい」
「親父を殺したのは兄さんだろ。曖昧な言い方をするな」
静寂が支配する空間。
淡々と語る鬼頭様の言葉に反応し、聞き捨てならない事を聞いたとばかりに掴みかかって来た男性が一人。さっきまで、あまり会話に加わってこなかった、この家の末っ子。父親とは一番ソリが合わなかったらしい、実は、警察の容疑者名簿の先頭に名前の挙がっていた人物。
「そうよ。大体宝石を隠したのはお兄様かもしれないじゃない。宝石を独り占めするために」
男の言葉に触発されたのか、次々と兄弟達は反論を口にし出した。
「それはありませんよ、絶対に」
「何故そう言い切れるのっ」
「何故、これがいつまでも見つからなかったと思います?」
「はっ?」
周囲を年長者に囲まれ、罵倒に近い言葉を受けながら、反論を理路整然と返す。傍で聞いているだけで、身が縮む思いをしている俺には出来ない芸当を、鬼頭様は易々とやってのける。
「宝石が老人の枕元にあったり、然るべき場所にきちんと保管してあったなら、とうに見つかっていた筈。貴方達の言う御次男が隠したというのなら、彼が捕まった時に警察が見つけていた筈。たとえ、警察が見つけられないほど巧妙な場所に隠されていたというのなら、僕にも見つけられる筈がない。何しろ、警察よりも僕の方が、この家で自由に動く権限はなかった。そうでしょう?」
それにしても楽しそうだ。
いつもならきつめの茶々を入れる白さんは今此処にいない。その事が鬼頭様の気分を上げているのだろうか。それとも、これは緊張からくる高揚なのだろうか。
「僕が見つけて、警察が見つけられなかった理由はね」
大切な秘密を打ち明ける子供のように、鬼頭様は嬉々として語り続ける。だが、その瞳は徐々に真剣な色を帯びていった。
「ゴミだったからですよ」
気付いているのは、この場にはきっと二人だけ。
俺と魁さんだけだろう。
それくらいには些細で、だが、彼を良く知る俺達に隠し通せなかった程には確かな変化。
「呑みかけで放って置かれたこの酒壜は、ゴミ捨て場に捨てられていたんです。自分で宝石を隠した犯人が捨てますか? 宝物を」
「後で拾おうとしたんでしょう」
吐き捨てる様な発言。
鬼頭様はこれ見よがしに宝石を掲げ、まるで愛しい者に向ける様な甘い視線を送り答えた。
「それでも、一週間も放っておく者はいない。こんなに美しいモノを」
ゆっくりと椅子に腰掛け、足を組む。そうして、最後の問いは家族全員に向けて。
「もし居るとしたら、余程の莫迦か。余程特別な理由があったか。それとも、本当に捨ててしまいたかったのか」
「それは」
「まあ、僕は何も知らない犯人が、ただのゴミとして捨てたに一票を投じますが。皆さんはどう思われますか」
問いに答えられる者は誰もいなかった。
「僕は宝石入りの壜を拾った後に、警察を通してそれを御次男に伝えました。だが、御次男は不審な動きをしなかった。少なくとも僕には焦りも失望も感じられなかった。だから、僕は御次男がお父上を殺害したとは思っていない。ですが、犯人は此処にいると思っています。ご家族の中に」
「ちょっ、鬼頭様」
解決に時間をかけるつもりは無い。この屋敷に着く前に、確かに鬼頭様はそう宣言していた。だが、いくらなんでもこれは急ぎすぎじゃないのか? こんな言い方は間違いなく、此処に集まる者たちの反感をかうだろう。
「何ですって」
「根拠の無いこんな中傷を受けるなんて。とんだ侮辱だわ」
案の定、鬼頭様の爆弾発言を合図に、兄弟達はまたしても次々と口を開いていった。
「そうよ。今の話も全て、貴方が勝手に創ったお話に過ぎないじゃない」「犯人逮捕に協力してくれた探偵だというから、この場に招待したのに。とんだ食わせ物だ」
あーもう。折角良い感じの雰囲気だったのに、どうするんですかっ。声に出すわけにはいかないから、俺は心の中で突っ込みを入れる。
「自分が何を言ったのか、分かっているのか」
お金持ちの親族は、何故だかあまり仲の良くない事が多い。この家族も例外ではなく、兄弟達は父親の死因より残された権利に執着していた。警察にも何度か呼ばれたらしい。今更死因に問題が有るなどと言われて事件を蒸し返されたくは無いのだろう。口調は半ば脅迫めいたものになっていった。
「お父様が誰かに襲われ、自分でお酒に宝石を隠したって証明出来るの?」
再び詰め寄られ、不安がつのる。
出来るんですか、鬼頭様。否、ただの人間の貴方に、そんな事出来るわけないでしょう。急ぎすぎて、手順を間違えたんじゃないですか。俺の心の声はどんどん大きくなる。今にも声が出てしまいそうだ。
「そうですね」
だが、焦っているのはどうやら俺だけだった様で。魁さんは我関せずと、柔和な笑みを浮かべながら、酒を口に運んでいるし、鬼頭様は態度にも口調にも余裕を滲ませ、話し続けた。
「そんな事、出来るわけないじゃないですか。僕には過去を見る事など出来はしない。まして、貴方達に過去を見せる事など出来ない」
「っ」
何を当たり前の事を。そう言って、鬼頭様は朗らかに笑い、無邪気にも見える仕草で首を左右に振って見せた。鋭さの消えた澄んだ瞳に真っ直ぐ見つめられ、周囲が息を飲むのが分かる。
「ならっ」
「お待ちください」
その中で、流石に女は強いと言うべきか、いち早く我を取り戻した長女が、尚も言いつのろうとするのを、今度は魁さんが制する。
「まずは彼の話を最後まで聞いて下さい。反論はその後で。皆様も無罪のご兄弟を陥れる愚は犯したくないでしょう。さぁ鬼頭、続きを」
俺の焦りを悟ったのか、今まで傍観者でいた魁さんが、始めてこの場に参戦した。少し落ち着けと言う様に、俺に視線を送りながら。
「そうですね。では今度は、加害者ではなく被害者の行動を考えましょうか。どなたか、老人が宝石の隠し場所にこの酒を選んだ理由がお分かりになりますか? いえ、そもそも。彼は隠したつもりなど無かったのかも知れませんが」
「何だと?」
魁さんの言葉を受け、鬼頭様は組んでいた足をゆっくりと下ろす。やがて周囲の視線が自分に集まるのを待ってから、少し身を乗り出すようにすると、今度は両手を目の前で組んだ。
「ごく稀にと言ったでしょう。液体がダイヤを隠してしまう確率は、実はそれほど高くない。もうひとつの理由こそが、彼の最大の目的だったのかもしれない 」
些細な仕草も、大仰な言い草も、鬼頭様にとっては全ての行動が計算済みなのだろう。
「何が言いたいんだ、貴様は」
「可哀想に。老人も薄々は気付いてたのかも知れませんね。自分が酷い悪意に晒されてた事に」
秘めやかな溜息と共に洩らされる、心からの同情と哀しみ。
微かに下げられた瞼を本物の雫が彩るのを見ても尚、鬼頭様に詰め寄れる人間は少ない。
この人は自分の見目の良さを熟知している。
「どういう意味だ?」
案の定、眉尻を下げて、苦悩の表情を見せる鬼頭様に周囲が告げる言葉は、罵倒や詰問から問い掛けに変わっていった。
これでようやく周囲に話を聞く準備が整った。
深呼吸をひとつ。心を落ち着ける。これから本当の俺の仕事が始まる。
「液体がダイヤを隠してしまう確率は、実はそれほど高くないんだ。もうひとつの理由こそが、彼の最大の目的だったのかもしれない。家宝とも言える宝石を酒に入れれば、嫌でもこの酒は注目を浴びる。そうすれば、誰かが気付いてくれるかも知れない。老人が殺された事に。その殺害方法に」
「殺害方法?」
「犯人に知られず石を隠す場所として、この赤い液体は酷く適していた。そして、偶然ですが凶器を隠す事にも」
普段なら、鬼頭様がこうして容疑者と対峙する時、その場には必ず白さんが居る。鬼頭様の手助けをするのはいつだって彼女の役目だ。
思考回路がどこか似ているのか、頭の良さが同等なのか。分かり合っている鬼頭様と白さんの間には俺は割り込めない。蚊帳の外に置かれるのは、いつもの事だ。
だが今日、此処に白さんはいない。鬼頭様の助手をするのは俺だ。
俺は、事前にこう言えと教えられた台詞を口にする。
「どういう意味ですか? 俺にも分かるように説明してください、鬼頭様。睡眠薬を入れられていたのはこのお酒なんですか? 老人は睡眠薬入りのお酒を呑まされて殺されたんですか?」
一言一句、決して間違えない様に注意しながら。




