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【 第一幕 13 】

「どうぞ、こちらへ。皆様、お待ちかねです」

「すみません。遅れてしまいましたか」

「いいえ」

 初めて足を踏み入れる、だだっ広い広間。その中央に置かれた、これまた大きなテーブルには、十人分の食事が用意されている。目の前に並ぶのは、洋食のみで整えられた、俺には食べた事はおろか、見たことも無い料理の数々。だが、この先に待ち受ける試練を思えば、申し訳ないがとても食欲はわかない。

「礼儀だ。残すなよ、参尾」

「分かってます」

 ああ、分かっている。どんなに食欲が無くとも、全く手をつけないなんて無礼はしない。おそらくは、たった一人でこの食卓を用意したのであろう香枝さんの為に、俺は慣れないナイフとフォークを手に取った。


「そうか、君が鬼頭家の。噂は聞いているよ」

「どんな噂か気になりますね。きっと碌なものではないでしょう」

 藤堂家の長男だという男性の言葉に、鬼頭様は困った様に笑う。

「いやいや。大変将来有望な若者だと聞いているよ。これを機会にこの先も、お付き合いさせていただきたいものだ」

「光栄です」

 その態度は何処から見ても、礼儀正しい良家の息子そのもの。

「白さんもお久しぶりね。貴女ちっとも私のお茶会に来てくれないんですもの」

「申し訳ありません。魁様と絢様のお守りが忙しくてなかなか。最近はもう一人面倒をみなきゃならない子が増えましたし」

 藤堂家の長女だという女性の言葉には、白さんがにっこりと微笑みながら返す。

「まあっ」

 言葉は辛辣だが、口調と表情は柔らかく優しさに満ちている。その姿は何処からどう見ても、育ちの良い祈祷家縁の少女のもの。

「貴女は本当に、この方達がお好きなのね」

 白さんの発言を受けて、女性も微笑ましげに俺達四人に視線を向けた。


 老人の家族が勢揃いしている広間での夕食会。否、ひとりだけ。櫻ちゃん達の母親だけは部屋から出てはかなかったが。その中で、鬼頭様たちは呆れるほど巧みに藤堂の家族にとけこんでいった。心配していた軋轢もなく、友好的に夕食会は過ぎて行く。

 俺の気持ちだけを置き去りにして。

「俺は……」

 俺は此処に集まった人達が好きになれない。はっきり言うと嫌いだ。

 だって、この人達は嬉しそうなのだ。

 俺だって、いつまでも亡くなった人を偲んで、泣き暮らす事が良い事だとは思わない。残された人間は故人を忘れずいても、前を向いて生きていかなければいけない。その考えに異論はない。「泣いてばかりじゃ駄目だ。笑って。俺も手を貸すから」櫻ちゃんや香枝さん相手になら、俺も心からそう言えただろう。

 だが。

 この人達は本当に嬉しそうなのだ。自分の父親が亡くなった事が。自分の家族が警察に捕まった事が。この屋敷から香枝さんとその母親を追い出す事が。藤堂家の全てを手中に収める事が。

 心底嬉しそうに笑うその表情を見ているだけで、無理して食べた夕食が逆流しそうな程の気持ち悪さを覚える。背筋が寒くなる。

「ところで、白」

「ん?」

 白さんだって、魁さんだって、多分鬼頭様だって。思いは同じ筈なのに。

「さっき言ってた、座敷童子の話」

「ああ、何? やっぱり呼んで欲しいの?」

「まさか。絢ちゃんがそんな事考えるわけない」

 三人は和やかに笑い合い、食事と会話を楽しんでいる。

「ああ、違う。あやかしってのは寂しがりやで嫉妬深い。忘れられる事に耐えられるのはいないって本当か?」

「全部がじゃない。滅多にいない、よ」

 その姿に、俺はこの事件に巻き込まれてから何度も感じた、胸を突き刺すような酷い疎外感を感じていた。

「お前も?」

「ええ。何で私が貴方達の一族と暮らしてると思ってるの。独りが嫌だからに決まってるじゃない」

「へえ?」

「それは俺も初耳だ」

 意外すぎる白さんの返答に、魁さんと鬼頭様は驚いているが、俺にはそんな余裕は無い。正直どうでもいいと思ってしまう。

「んじゃ、葛って奴も?」

「知らない。そんなの参尾に聞いて」

「そうか」

 突然振られる会話。

 聞かれたら何と答えよう。

 何と答えるのが正解なんだろう。

 ぐるぐると疑問が頭を巡る。冷静になろうと目の前のグラスに手を伸ばし、冷たい水を一口含む。

「……」

 だが、そんな俺の動揺は不毛なものだった。

「よし、分かった。そろそろ始めるぞ。準備は良いか?」

 鬼頭様は、ほんの少しだけ俺に視線を向けると、疑問を投げかける事無く、小さくそう宣言した。

「待ちくたびれたわ。いつまで間抜けな芝居をさせるのかと思ってた」

「いつでもどうぞ」

 食事も、もう終盤だ。仕掛けるには頃合いだろう。

「ごめんなさい。私、少し気分が」

 手始めに白さんが、この場から去る準備にかかる。

「まあ、それはいけませんわ。どうぞ別室でお休みください」

「ええ、そうさせていただきます。ありがとう。一緒に行く、参尾」

 白さんは、これから葛さまに会いに行くのだ。だが、俺は黙って首を横に振り誘いを断った。鬼頭様を、櫻ちゃんをこの場に残して行くのは心配だ。そう自分に言い訳をして。

「そう。なら、私一人で」

 本当は、白さんが俺に誘いを掛けた時点で、この場に不安材料などない事は、分かりきっていたのに。寧ろ、危険なのは白さんの方だと、分かっていたのに。


「さて、一杯いかがですか、皆さん」

 白さんを見送って、その背が扉の奥へ消えたのを見届けて。

 今度は鬼頭様が動いた。最後の晩餐を気取ったわけではないだろうが、鬼頭様は一本の酒瓶を皆の前に掲げて見せた。おもてなしの礼だと言って。

「綺麗ね。とても」

「そうでしょう。赤い装いの貴女にとても良くお似合いだ」

 その酒が何なのか、俺は知らない。

 赤く澄んだ酒は一見、葡萄酒のようにも見えるが違うらしい。

 鬼頭様からの頼みで、魁さんが事前に用意した酒。俺にはよく分からないが、少々度は強いが甘めの酒で、食後に楽しむのに適していると言っていた。説明の最後を「参尾くんは好きだと思うよ。まあ、白や絢ちゃんの好みではないけどね」と余計な一言で締めくくるあたり、魁さんらしいと思ってしまったのを覚えている。

「この酒は?」

「これは、故人が好きだったお酒」

「えっ?」

 初耳だった。この期に及んでまだ、俺に秘密な事実があったのか。

「何だって?」

 だが、驚いたのは俺だけではない。

「海外の酒だと聞きましたが、とても美しい。これは日本には無い色彩感覚ですね」

 ざわつく周囲を尻目に、鬼頭様は皆の顔を見回し言葉を続けた。

「鬼頭様はいったい何を……」

「大丈夫。ま、見てろよ。この舞台は絢ちゃんの独断場だ」

 動揺を隠せない俺に、魁さんが目配せをする。

「あの役、白もやりたがってたんだぜ。いっつも良いトコだけ取るんだから、坊やはってぼやいてた」

 そう陽気に告げる。俺に気を使う様に。

「さあ、どうぞ」

 鬼頭様は自ら動き、テーブルに着く皆に酒を分配する。

 芝居がかった所作で、「おいおい、いくらなんでもそれじゃ零れるぞ」と魁さんが思わずそう口に出して心配してしまう位に高い位置から、慣れた手つきで鬼頭様は皆のグラスに赤い酒を注ぐ。

「あれって、本来は酒を空気に触れさせて、香りをたたせる為の所作らしい。でも今は、単に見た目がかっこいいから、絢ちゃんの見栄でしているだけなんだ」

 魁さんが笑う。

 独特の注ぎ方にはある程度の熟練さが必要で、白さんの指導の下、鬼頭さんが何度もこれを失敗していたのを魁さんは傍で見ていたそうだ。

「しっかし、綺麗なもんだ。あの手先の器用さだけは尊敬する」

 今、鬼頭様は持ち前の器用さと本番に強い運の良さで、危なげなく酒を注ぎながら会話まで余裕でこなしている。何度も失敗していたという姿はとても想像出来ない。

「では、これは君に」

 そして最後、一杯分には少し多い酒が残った壜を、鬼頭様は櫻ちゃんの目の前に置いた。

「さあ、ごらん。これが、君のお祖父さんの残した最高の一杯だ」

「鬼頭様、子供に何をっ」

「黙ってろ、参尾。お前の出番はまだ先だ。皆様もどうぞ」

 鬼頭様の言葉を合図に、人々は次々グラスに手を伸ばす。始めは恐る恐る、だが、一口飲んで酒の味を知ると皆は一気に呑み干した。無論、その中には鬼頭様と魁さんも含まれる。

「如何でしたか?」

「とても美味しかったよ。ありがとう」

「それは良かった」

 飲み干されたグラスを見て、満足気に微笑む鬼頭様。

「そういえば、消えてしまったお祖父さんの宝石は見つかったんですか、香枝さん」

 やがて、周囲はまた騒然とした空気に包まれる。そんな中、不躾とも取れる問いを突然、鬼頭様は口にした。

「いいえ」

「そう。それは残念」

 案の定、部屋には困惑の空気が流れる。

「あの、それが何か?」

「いいえ」

 彼女の目の前にもグラスは置いてある。だが、その中は未だ赤い液体で満たされていた。

 そう、彼女はグラスに手をつけていなかった。

「ただ、この酒、本当に綺麗だと思いませんか? 海外の酒は葡萄酒が有名だけど、これは葡萄の紫に近い深紅とはまた違う赤。この酒の色は血液に例えられる事もあるけれど、限りない透明度を誇る鮮やかな赤は寧ろ、この世に稀な珠玉が溶けてその形を変えたかの様。いいえ、違う。まるで、君の好きな赤い飴玉が溶けて、その形を変えたかの様でしょう?」

 周囲の困惑を鬼頭様は無視した。

 呑気に酒の解説を始めると、櫻ちゃんのグラスを手に取り、目の前に掲げてさえみせる。丁重に、美術品でも扱うように。

「鬼頭様、こんな時に何を」

 もう酒の話はいいだろう。本題に戻ってくれ。こんな時に何の悪ふざけなんだと、少々頭に血をのぼらせた俺は気付かなかった。

「俺もそう思う。老人は芸術家だな」

「気付いた黒もたいしたもんだ。尤もそれすらも、爺さんの執念みたいなものかもしれんが」

「大切な人への愛情かもしれない」

「かもな。おかげで俺も次の一手が打てる」

 鬼頭様の表情が、その瞳が、最高の証拠を見つけた時の探偵の様に満足気に、だが、鋭く光っていた事に。

「ダイヤモンドの屈折率は2・42と非常に高い。だから、ごく稀に光の屈折率と補完しあって、液体が個体であるダイヤを完全に消してしまう事がある。しかもダイヤモンドは安定性もあり、長時間液体、この場合はアルコールですが、それに浸けられていても決して劣化したりはしない」

 まさかと思った。

 だって誰が見ていなくても、隣にいる俺は見ていた。鬼頭様がこの場で酒壜の蓋を開けたのを。

「ちょっと失礼」

 だが、鬼頭様が最後に残った酒をグラスに注ぐと、櫻ちゃんのグラスには透明な赤い酒と共に同じ位の透明度と紅を誇る小さな石がころりと転がり出た。

「ほら、このように」

 鬼頭様のしなやかな指先に掲げられた石。

 小さな石は、見る見るうちに身を覆う液体を全て弾き飛ばし、宝石本来の輝きを取り戻した。豪奢なシャンデリアがつくる光にも負けない強い光、本来は夜空に在る星が、地上で、鬼頭様の指先で生まれたかのような錯覚を起こす。


 それはまさに奇跡の光景だった。


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