【 第一幕 12 】
「寒ーい。寒ーい。寒ーい」
どんよりと曇り、星ひとつ見えない空を見上げて白さんが叫ぶ。
ここ数日で俺は悟った。この方が態とらしい子供口調で、ぶつぶつ不平不満を言う時は、何か良からぬ事を考えている時だ。
「寒いの嫌ーいっ」
ぎゃーぎゃー喚くその姿に、俺は里へ向かった時の白さんの様子を思い出していた。
「黙れ、莫迦猫。僕も寒いんだ」
「音も無く降る粉雪は花に喩えられるくらいに綺麗だろう。桜のように風流だと愛でてみれば良いのに。勿体無い」
「雪が桜? 魁、貴方本当に人間? 雪女の仲間なんじゃないの?」
鬼頭様と魁さんの両者に同時に突っ込まれて「綺麗でも寒いものは寒い。て言うか、猫の私にとって雪は凶器よ、凶器っ」そう反論しながらも、白さんは足を止めない。勿論、鬼頭様も魁さんも。
「暖かい場所が欲しいなら、黒を連れてくりゃ良かっただろ。この間みたいに抱かれてりゃ良かったんだ。あいつなら良い戦力になったのに、何で置いてきたんだよ」
あの日、白さんを胸で温めていてくれた黒さんは今日は居ない。居るのは白さんよりも余程、不機嫌に文句を言い続けている鬼頭様と、言葉通りに雪を愛で、散歩気分でのんびりと歩いている魁さん。そして、皆のどんな発言にもろくな反応を返せない俺だ。
「黒まで連れてきたら、葛を集団で嬲るみたいになるでしょう。私は弱い者苛めは嫌いなの。あーでも、こんなに寒いなら屋敷の前まで付いて来てもらうんだった」
物騒な事を大声で喚かないで欲しい。ただでさえ、白さんの声はしんと静まり返った夜の空気に良く通るというのに。
「もう無理、絶対無理っ。今すぐ暖かい所に行かないと冬眠する」
「してろよ。捨ててくから」
亀かお前は。吐き捨てる鬼頭様に、白さんが頬を膨らませる。
「坊や、雪みたい」
「雪みたいに綺麗だってか」
この二人の言い合いはいつもの事だが、いつもよりも口数が多くその上殺伐としているのは、寒さの所為か、緊張の所為か。
「雪みたいに冷たいって言ってるのよ。莫迦」
昼過ぎから降り始めた雪が、地を全てを覆い尽くしている。魁さんは兎も角、寒がりの鬼頭様と白さんが、こんな夜に自主的に外出するなんて奇跡に近い。
「こんな夜に外出なんて、新しい服でも着てないとやってられない」
「それは同感だ」
「お前らな」
変なところで同意を見せた鬼頭様達に、魁さんが苦笑いしたのが分かる。
今日の目的に合わせて、俺を含む四人の服装は正装だ。俺と魁さんは普通のスーツ姿だが「気が重い仕事をしに行くんだから、せめて着るもので気分を上げなくちゃやってやれないわよ」そう言って、鬼頭様と白さんは気合充分、必要以上に着飾った格好をしている。
何処の舞踏会に行くのかというような黒い燕尾服と濃紺のドレス姿の二人は、交し合う不穏な会話の所為もあって、無駄に道行く人の視線を集めている。
「ほら、白、絢ちゃん。寒いなら遊んでないで急ごう。参尾くんも」
「はい」
振り向いた魁さんに促がされ、俺も足を進めて行く。意識して力を込めていないと、直ぐに止まってしまいそうな身体を叱咤しながら。
「上手くいくと良いな」
「莫迦ね、何時もの強気はどうしたのよ、坊や。絶対に上手くやるのよ」
「そうだな。関係者を白や絢ちゃんの領域に呼び出せなかったのは痛いけど。ここまで来たらやるしかない」
三人の会話を俺は黙って聞いていた。
今日の外出の理由はただひとつ。
櫻ちゃんを助ける事。
「心配御無用。何処だろうと僕がいればそこは僕の領域だ。参尾も期待してるぞ」
一瞬前の弱気が嘘のように、鬼頭様は自信満々に言い切る。白さんと魁さんはそれを満足そうに見つめていた。でも、俺は。
「……はい」
即答出来ず、しかも溜息のような頼りない声しか出せなかった俺を責める者は居なかった。俺の態度を気に留めていないわけではない。俺の葛藤など、この三人にとっては周知の事実なのだろう。
今回はひとつの命を救う代わりに、ひとつの命が喪われる。俺にはそれが辛い。行動する事が、真実を知ってしまった者の使命だと理解はしていても、俺はまだ全てを割り切れてはいなかった。
今日の空と同じ様に、否、それ以上に俺の心は靄が掛かり、薄闇に沈んでいる。先を歩く三人と会話をすることはおろか、目も合わせられないほどに。
「静かだな」
「それに暗い。寂しいくらいね」
本日の目的地《藤堂邸》
櫻ちゃんと初めて会ったあの日、沢山の人間でごった返していた館は、今日は見る影もなくひっそりとしていた。人の気配のない大きなお屋敷はどこか禍々しい。俺達でさえ、足を踏み入れるのを躊躇するほどに。
「いつまでもこうしてるわけにはいかないな。行くか」
「はいはーい。では参りましょうか」
最初の一歩を踏み出したのは鬼頭様。それに白さんが続く。
勝手知ったる他人の屋敷。
腕利きの庭師の手により整えられた藤堂邸の庭、そこに舞い降る細かな雪。その光景はいつもなら一枚の絵画のように美しいのだろう。だが、今の俺達には風景を楽しむ余裕は無い。魁さんの口からも、流石に今度は風流の言葉は出なかった。
「どうせ人がいないなら、幽霊でも良いからじいさん出てきてくれないかね。彼女を救う為に」
「どうした。らしくない事言うんだな。絢ちゃん」
「良いだろ。ちょっと先走り気味の贈り物で」
「贈り物が幽霊って何の怪談だ?」
「もう十二月だ。上手い具合に雪も振っている。聖誕祭なら、そんな奇跡が起きても可笑しくないだろ? なんだっけ? さんたくろーす?」
どれくらい歩いただろう。鬼頭様はぐるりとゆっくり周囲を見渡すと、突然、日常に幻想を持ち込んできた。馬鹿馬鹿しいと、白さんの眉が顰められるのも気にしない。
「坊や、サンタクロースが何か分かってないでしょ。それに聖誕祭にはまだ大分早いわ」
「まあな。正直に言うと、何でもいいから護ってほしいだけなのかもね。あの子が泣かずに済むように」
軽く首を振り呟く鬼頭様は、サンタクロースも幽霊も本気で信じているのではない。彼には似合わない悲壮感を滲ませ発せられた言葉。その真意を理解して、白さんは真摯な表情で同意した。
「ああ、そういう事。なら、知り合いに野良座敷童子がいるけど、この件が終わったら此処に呼ぶ?」
「何だ、その胡散臭いのは」
「家に憑かずに人に憑く座敷童子。好き嫌いはかなり激しいけど、気に入られれば一生ものよ」
「初耳だな。櫻に憑かせられるのか?」
人に憑く野良座敷童子なんて、俺も初耳だ。
好奇心がそそられたのか、その気になったのか、鬼頭様が話に食いつくのを白さんが受ける。
「まさか。あの子は子供には憑かないわ。憑かせるなら香枝さんね」
「何で? 座敷童子ってくらいだから、そいつ子供なんだろ? なら、子供の方が相性は良いんじゃないのか?」
「子供は直ぐに大人になって、性格も考え方もついでに見た目も変わってく。変わらない座敷童子を置き去りにね。だから駄目。あの子が憑くのは、もう性格も考え方も固まっていて、変わりようのない大人だけよ。自分が愛せる、相性の良いね。あやかしってのは結構寂しがりやで、おまけに嫉妬深いの。置き去りにされる事に耐えられる子は滅多にいない」
足は止めず、語り合う二人の会話を聞くとも無しに聞く。
「ふーん。で、そいつは香枝さんを気に入りそうか?」
「五分五分かな。寧ろ葛を気に入るかも」
「駄目だろ、それじゃ」
「そうか、駄目ね」
話に勝手に落ちをつけて、これでお仕舞いとばかりに目の前で両手を広げる。そんな白さんに、なんだそりゃと鬼頭様が呆れ顔を見せた。俺も少々拍子抜けした。幸せを運ぶというあやかしに、少し、否、大いに期待したのに。
「なら、絢ちゃんがサンタクロースになったらいい」
だが、魁さんは俺達とは別の事を考えていたらしい。会話が途切れた絶妙の瞬間に、爆弾発言をしてくれた。
「はあ? 僕が」
「言いだしっぺだろ。責任取れよ」
「良いわね。そうしなさいよ。似合わないけど、似合うかもよ」
「……どっちだよ」
「どっちだろうな」
「どっちかしらね」
にっこりと微笑んで魁さんと白さんは、まるで全て計算されていたんじゃないかと思うような会話を交わす。いや、確かに計算されていたのだろう。だって、苦笑を洩らす鬼頭様の顔からは、さっきまで色濃くあった悲壮感が消えていたのだから。
「莫迦言ってないで、急ぐぞ」
鬼頭様と魁さんは、じゃれ合いながら広い庭を進む。
「サンタクロースでも座敷童子でも好きなものになれば良い……死神には私がなってあげるからさ」
二人を見つめながら、こっそりと呟いた白さんの言葉は、俺にしか聞こえない声で発せられた。いざと言う時は鬼頭様の手も、俺の手も、勿論魁さんの手も汚させはしない。だから大丈夫。そう言われた気がした。
猫らしい、しなやかな動きで、墨色の空に視線を向ける。何を考えているのか、憂いを帯び震える瞳が今にも涙を流しそうに見えて、俺は白さんを見続けることが出来なかった。
「……」
ここまで来ても会話に参加できない自分。それを咎める事も無く、佇む白さんに言葉を掛ける事も無く、鬼頭様は庭を真っ直ぐに突っ切る。俺もこれ幸いにと鬼頭様に続いた。
俺達は誰に案内される事なく、立派な門構えを抜け、綺麗に剪定された緑溢れる庭を突っ切り、やがて屋敷の玄関まで辿り着いた。残念ながら。俺達が好きに動けるのはここまでだ。流石にこの先は、勝手に入って行くわけにはいかない。
「ごめんください」
聞こえるわけはないと分かっていたが、鬼頭様が景気付けのように一言叫ぶ。魁さんが玄関先のブザーを鳴らす。ここは鬼頭様と魁さんに任せるのが得策と見たのか、白さんが一歩引いて俺に並んだ。
「まだ迷ってる顔ね。いいわ。いざとなったら目を瞑って、耳を塞いで、顔を背けていなさいな。案外、その方が葛の為かも知れないし」
白さんの言葉にも、まだ俺は返答出来ない。
無言で傘を閉じ、簡単に身支度を整えていると、然程待たされる事無く、廊下を玄関に向かって小走りに走ってくる音が聞こえてくる。音は二つ。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください」
「いらっしゃい。お兄ちゃん」
香枝さんと櫻ちゃんだ。
「すみません。無理なお願いをしてしまって」
「いいえ。声を掛けていただけて良かった。何も知らずにいたら後悔していたところです」
本当は事件の謎解きは鬼頭探偵事務所で行う筈だった。白さんと黒さんが張った結界の中に、関係者と警察を呼び、その場で何が起こっても対応出来るように万全を尽くす筈だった。だが、事態は俺達の想像よりほんの少しだけ早く進んでいた。
あの日、「今は君が思う以上に危険な状態だ。鬼頭絢は参尾くんが思うほど有能じゃないし、人間の警察は参尾くんが思うほど無能じゃない。彼が考える事は警察も容易に考え付く。このままでは、人間の常識でしか物事を見られない警察は遠からず少女の父親と姉を引っ張る」そう言った黒さんは正しかった。櫻ちゃんの父親は、俺達が里から戻った時にはもう警察の手に落ちていた。流石にまだ香枝さんまで囚われる事はなかったが、鬼頭様の調べでは、それも時間の問題だという。
そんな状況ではどんなに好条件を出しても、使用人を繋ぎとめておくのは難しい。この屋敷が寂しいのも、お客様を迎えるのにお嬢様である香枝さんと櫻ちゃんが自ら出向いたのもその為だ。
今この屋敷に居るのは、櫻ちゃん、香枝さん姉妹。その母親。そして、遺産相続に直接関係のある近しい親族だけなのだ。
「私達がどれだけ力になれるかは分かりませんが、傍に居てお話を聞かせて下さい」
「ありがとうございます。どうぞ。お入りください」
「はい」
今夜は香枝さんと桜ちゃんにとって運命の夜だ。
この日、親族間の話の内容如何によっては、香枝さんは人殺しの家族だという汚名をきせられ、この屋敷から追い出される。後継者に名指しされた幼い櫻ちゃんを残して。
「さ、始めるか。鬼が島に向かう桃太朗の気分だな」
「鬼が出るか蛇が出るか? さっきのサンタクロースといい今日はいちいち喩えが可愛いわね、坊や」
とてもじゃないが万全とはいかない状況だったが、ぐずぐずしている時間は無い。俺様は短い期間で出来るだけの準備を整えて、今日の日を迎えた。
今夜は俺達にとっても運命の舞台だ。
この日、俺達は関係者全員の目の前で、真犯人を告発し、誰の目にも納得できる証拠を示し、犯人の自白を取る。
そして、事件を解決する。
敵の本拠地ともいえる、この場所で。




