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【 第一幕 11 】

「葛嬢はあの幼子を依り代にするつもりなんでしょうね。人の世で生きていくために」

「そんな。葛様がそんな事をするはず無いです。だって、お嬢様は……」

「お嬢様か」

 黒さんに反発しながらも、俺は言葉を続けられない。黙ってしまった俺の頭に、またしても柔らかい布の感触が降りそそいだ。

「葛嬢は、あのお嬢様は筋金入りの箱入りだ。一生変化を続けれる程の能力は持ってないし、あやかしのまま人に紛れて暮らせる程に器用でもない。だが、これはお嬢様と呼ばれる者にありがちだが、相応に我が儘だ。願いは何としても叶えたがる。そんな子が人の世で行きたければ、方法は限られるよな」

「そんなの、鬼頭様と白さんの想像でしかないっ。俺の知ってるお嬢様はそんなんじゃないっ」

「参尾くん……」

 ほとんど懇願するような叫び。だが、それを許容してくれるほど、白さんは甘くなかった。俺の困惑を受けて、宥めようと尚口を開き掛けた黒さんを白さんが制する。

「そうね」

 微笑と共にその口から吐き出されるのは、非情な問い。

「そんなんじゃないと言うのなら、参尾の想像も教えて。葛はお爺様の姿で騙してまで櫻ちゃんに自分の血肉入りの飴を与えて、何をしようとしていたのかしら」

 問いは突然なものではない、寧ろ当然なもの。だが、俺は答えられなかった。否、答えたくなかった。

 その問いの答えは、葛様の罪を認めるものでしかなかったから。

「こんな……」

 こんな事なら、里になど来なければ良かった。

 今思えば珍しく、里への道案内は鬼頭様からの命令ではなく、お願いだった。そして、頼むと言った鬼頭様の声の中には、これまた珍しく戸惑いの響きがあって。だからこそ、俺は彼の願いを断れなかった。

 それが、計算だったのか、罪悪感だったのか、俺には分からない。鬼頭様も今更、本心は言わないだろう。だが、たとえ鬼頭様が俺に対して罪悪感を持ったとしても、騙されたという思いは消せない。肝心な事は隠し通し「お前が動いてくれれば助かる」などど、俺を煽てた。

 酷い話だ。

 初めから全てを知っていたなら、俺には此処へ来ないという選択も選べたのに。

「例の赤い石も」

 現実逃避のような、ぐるぐると答えの無い思いに心を縛られ、きつく唇を噛んで黙り込む俺に対して、白さんは容赦しなかった。

「見つけたんですか?」

「見つけたと言うか、なんと言うか。初めから無くなってなかったよ。ちゃんとあの家にあった。葛が隠し持ってた」

「葛様が?」

「ガラクタと紛れさせて、廃棄物として隠されてた。お金を盗むよりは誤魔化し易いと思ったのか、宝石の美しさに惹かれたのか。全く、つくづく人間臭い事してくれるお嬢様だこと。無論、取り戻したがね」

 証拠を摑む為に無駄な墓暴きまでしたのよ。心底嫌そうな顔で白さんがそう吐き捨てた。

「念の為、今の櫻ちゃんの傍には(あや)(かい)が付いてるし、私の影も付いてる。滅多なことは無いと思うけど」

「ああ。だから鬼頭様と繋がったんですか」

 そうか。実は今でもそれが疑問だったのだ。

 何故、白さんが鬼頭様と繋がって彼をこちらに連れて来たのか。鬼頭様をむざむざ危険に晒したのか。鬼頭様の危険を顧みない行動はいつもの事だが、白さんがそれを許すのは珍しい。だが何の事は無い。これは鬼頭様がこちらの事情を見聞きする為じゃない、白さんがあちらの事情を把握する為の処置だったとすれば納得出来る。

「鬼頭様は、この件をどうするつもりなんでしょうか」

 俺の気持ちなんか関係なく、鬼頭様の中ではこの事件の結末は決まっているんでしょう? 半ば投げ遣りにそう鎌を掛けると、白さんはまた俺の頭をぽんと軽く叩いた。

「葛に変化を解かせる隙を与えず、人の姿の葛を殺す。そして亡骸を殺人犯として警察に渡す。探偵である絢の考えた謎解きと一緒にね」

「そんな事っ」

「出来るわけ無いと思う? いいえ、鬼頭絢と私になら出来る」

「そんな、でも」

 出来の悪い物語を聞いているようだった。そんな筋書きを作った鬼頭様に、淡々と話す白さんに、殺意が沸いてきそうだ。

「そんな事、駄目ですっ」

「仕方ないでしょうっ」

 思わず叫んだ俺に、白さんも叫び返す。此処に来て初めて聞く、彼女にしては珍しく感情のこもった声で。

「葛は人として罪を犯した。人として裁かれなきゃいけない。葛があやかしとして人に呪を与えたなら、もっと他に解決方法はあったのに」

 今まで冷静さを保っていた白さんの声が乱れ、空間が歪む。地震のように足元が大きく揺れて、思わず肩の白さんを落としそうになる。俺は慌ててぬいぐるみに手を添えた。

「こうなったらもう、私にだって、どうしたら良いのかわかんないのよ。本当に、何でわざわざこんな手段を取ったのよ、あの子はっ」

 事を起こした葛様に対して、無力な自分に対して、怒りとも失望ともつかない感情を滲ませる白さん。そんな彼女の態度に晒されながら、俺は逆に冷静さを取り戻していった。そういえば、この件はあくまでも鬼頭様の事件なのだ。巻き込まれただけなのに、いつの間にか中心で動かざるをえなくなった白さんに、少しだけ同情もした。

「……」

 世の中には罪悪感もなく、まるで呼吸をするかのような気安さで他人を騙そうとする人間もいるし、生命を脅かそうとする人間もいる。この事件の犯人もそんな人間だったら良かった。この件が、ただの良くある相続争いの果てに怒った事件なら良かった。

 そうしたら、鬼頭様は、白さんは、俺は、櫻ちゃんにとっての正義の味方になれたのに。

「で、それが嫌なら貴方が考えて。他の方法を」

 やがて、多少息を弾ませながらも平静を取り戻した白さんが、深い溜息と共に俺に言った。

「この件に関しては、私は参尾の意思を尊重する。望むなら、貴方に力を貸す」

「鬼頭様ではなく、俺に?」

「ええ」

「どうして。白さんには何の得もないですよ」

 鬼頭様を裏切るんですか。

「参尾が、この件に関わった者の中で、被害者と加害者に情を寄せている唯一の生き物だからよ」

 白さんは「別に私は鬼頭の下僕じゃないから、どんな行動をしても裏切りにはならないわ」そう言って、俺を見下ろす。

「それに、私は参尾と葛の様子を見てる。貴女があの子に惹かれていたのも知ってる。狐は情の深い生き物。一度好きになった相手を、害する者を許すとは思えない」

 そんな過去なんて、忘れてくださいとは言えなかった。

「そして私は櫻と参尾の様子も見ている。あんたは演技や打算でなく、本気で櫻の行く末を心配し、心を寄せてた。櫻の不幸を黙って見ていられるとも思わない」

 ぬいぐるみの丸い手が、ぽすぽすと少し強めに俺の頭を叩く。

「でも、このままじゃ。どちらかの結末しか望めない。否、後者の選択しかない。そうしたら参尾は鬼頭絢を恨む。表面的には見せなくても絶対に恨む。妖狐が誰かを本気で恨んだらどうなるか。私は誰より知ってる。もし、この件が切っ掛けで貴方にまで変わられたんじゃ、本当にやりきれない」

 ぽすぽすぽすぽす。

 連続で叩かれ、髪がぱらぱらと乱れる。痛くは無い、くすぐったい位の絶妙な匙加減で、白さんは俺の頭を叩き続けた。

 「俺の願いが、櫻ちゃんと葛様の両者を助けてくれって事でも、叶えてくれるんですか?」

 そんな優しさに甘え、やがて、俺が白さんに提案したのは無謀な願い。幼子が夜空の星を強請るような実現不可能な、厳しい現状から逃避する為の懇願。ただの子供の甘え。

「櫻ちゃんと葛様に物語のようなハッピーエンドを。そう言っても叶えてくれるんですか」

 哂われると思った。もしくは怒られるか。最悪、軽蔑されるかも知れない。だが、願いを口にした俺を、白さんは笑う事も咎める事もしなかった。

「勿論、叶えるわ」

 一言きっぱりと宣言して、俺の髪に顔を埋める。

 そのまま白さんは暫く短い四肢をいっぱいに使って、俺を抱き締めていたが、やがて、決意の篭もった、凛とした声で俺に最後の問い掛けをした。

「ただ、良く考えて。二人を同時に助けるって事は、真実を捻じ曲げるって事。鬼頭絢の大嫌いな耳障りの良い綺麗な嘘に、醜い真実を隠すって事。混じり気のない真実のみを欲する探偵さんを裏切る行為よ。それだけは覚悟してね」

 最終結論を促がす問いに、簡単に返事は返せない。

 頷いてしまえば、その瞬間、俺は鬼頭様を裏切ることになる。

 首を横に振れば、その瞬間、俺は葛様を見捨てる事になる。

 そして、どちらの選択をしても、きっと白さんを傷つける。俺も傷つく。


「葛様は俺を恨んでるでしょうね」

「何故?」

「あんなに里を出たがった葛様を差し置いて、俺だけが里を出た」

「あの時、里を出たのが葛嬢ならこんな事件は起きなかったとか。馬鹿なこと考えてないだろうな。参尾くん。今起きている全ての責任を独りで背負うだなんて、そんな傲慢な考えは君には荷が重いだろう」

「でも、俺は、里を出たくなかった。離れたくなんて無かった。人になんて興味無かった。俺は……」

「こら、泣くなー。泣くなー」

「……」

 結論を出せず、泣き言を言う。

 情けない俺にしがみ付いた不恰好なぬいぐるみが、ぽんぽんと頭を叩きながら抑揚のない声で歌う。それだけで、慰められている気になるのは何故だろう。

「泣く子は何処だー。泣く子は齧るぞー」

 全く、何処のなまはげだ。

「泣くなー。泣くなー」

 泣きたくなんてない。実際、泣くなと再三言われている。

 それなのに。

「泣いてませんよ。優秀な子守り人形さん」

 なんだか、泣いて良いよと促がされているような気分になるのは、何故だろう。

「此処から出て、目が腫れてたら笑ってやるから」

 白さんが今日の依り代に、このぬいぐるみを選んだ理由が分かったような気がした。

「俺は」

 葛様の大きな瞳を思い出す。好奇心に輝く翠の瞳を、俺はいつも羨望を込めて見つめていた。

 鬼頭様の鋭い瞳を思い出す。何事からも逃げたりしない強い瞳はいつだって俺の道標だ。

 葛様の笑顔を思い出す。大きく口を開いて、いつだって声を上げて笑う。

 鬼頭様の笑顔を思い出す。人を見下すように、少しだけ口角を上げる薄い笑み。

 葛様の声を思い出す。甘く涼やかに、俺を好きだと告げた声。

 鬼頭様の声……今も長と言い争うのが微かに聞こえる。今の俺には誰の物よりも馴染んだ声。

「俺は……」

 葛様の全てを思い出す。あの頃の俺にとって、何よりも大切だった存在。

 最後に一度だけ、櫻ちゃんの姿を想い、笑顔を想う。

 そして、俺は覚悟を決めた。

「……俺は、鬼頭様に従います」

「いいの?」

 恐々と、俺に声を掛ける白さんに哂いたくなった。彼女にそんな態度は似合わない。

 だが、そういえば今更気付いた。結界を張ってまで話してくれた、ここまでの会話が全て白さんの好意だった事に。

 何も言わずに傍にいてくれる態度が黒さんの好意だった事に。

 鬼頭様が恐らくは周囲の反対を押し切って、直接長と対峙してくれた事が、彼の精一杯の好意だった事に。

「はい」

 三人の思いを受けての決断。

 俺は不安そうな白さんと黒さんに笑い掛ける。

「決めました」

 大丈夫。何も知らされずに利用されれば、確かに俺は鬼頭様を恨んだかもしれない。だが、この結論は全てを知った上で、自分の意思で出した結論だ。結果がどうなろうと、誰も恨みはしない。

「構いません」

「そう、分かった。なら、私は貴方に従うわ」

 伏せた瞳に、水の膜が張るのが分かる。

 この先の自分の行動、葛様の運命。櫻ちゃんの行く末。

 全てを受け入れる覚悟を決めた俺を、白さんが抱き締めてくれる。その優しい感触に甘えるように、俺は一粒だけ涙を流した。


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