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序章

 カラコロカラコロカラコロカラ。

 人気の無い森に響くのは、軽やかな下駄の音。

「せめて月明かりが欲しいな」

 月の光りも星の煌めきも遮ってしまう深い森。昼間の陽気が嘘のように、今は肌寒ささえ感じる。

 その中を白髪の男性が、ただひたすらに走っていた。周囲に光は無く並みの人間ならば足元すらも覚束無いだろう。

 その事自体は大歓迎だ。そう普段ならば。

 男は夜目が利くし、月も星もあまり好きではない。むしろ男は、影さえも覆い尽くす真の暗闇を愛していた。

 闇は己の醜い姿を隠してくれる。

 闇は心に安らぎをくれる。

「だけど今は」

 身に馴染んでいる筈の深い闇夜が、酷く余所余所しく感じる。先の見えない深い闇夜は、背中の子供には似合わない。

「にいさま」

 耳元で夢現のように儚く澄んだ声がする。

「さむい」

 白く細い、この世のものとも思えない美しい腕が男の背にすがり付く。

「……」

 男は子供を胸にし、抱き返したい衝動を必死で押さえた。ただの一瞬も立ち止まる事無く、ひたすらに掛ける。それが今の男の使命だ。少しでも早くこの穢れた地から離れる為に。

「どこへ逃げよう」

 今はまだ誰かに追われている訳ではない。だが、この逃亡劇は必ず、そして遠からず周囲に露見するだろう。その前に少しで遠くへ。

「人が隠れるなら……」

 木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中。逃亡者が身を隠すなら、田舎より人が溢れる都会の方が都合が良い。特にお前のような特殊な奴は。昔、笑いながらそう教えてくれた人がいた事を思い出す。

「やはり都会か」

 遠く離れた場所。地の利が全く無いのは痛いが、それは追っ手も同じ事。

「そして、そうだな」

 そして、そう。どうせなら逃げるなら逃亡者の心得を男に説いた人の街に。男を唆しこの逃亡劇を勧めた人の街に行こう。

 そう考えた途端、男の胸に湧き上がった思い。それはこの夜、初めて感じた希望だった。

「こうなったら幾ばくかの責任は取っていただきますよ。きとうさま」

 行き先は決まった。

「よしっ」

 一度だけ立ち止まり、深呼吸をひとつ。男は背にまわした腕に力を込め、子供をしっかりと支え直す。

「えっ」

 そうして走り出した次の瞬間、驚きで男はまた足を止めていた。

「森を抜けた?」

 考えが纏まった途端、今までどんなに走っても抜けられなかった深い深い森が終わりをつげた。

「道がある?」

 文字通り目の前に道が開けたのだ。

「どうして……」

 胸に広がるのは驚きと、何かに化かされているかのような不信感。

「まあ、でも今は」

 化かされていようが、裏があろうが何でも良い。今、ここから逃げ切る事が出来るなら。

「行くぞ」

「はい」

 愛し子を背に力の限り走る。

 二人の行き先をガス灯よりも明るく照らし出すのは、漆黒の夜空に浮かぶ満月。

 男は生まれて初めて、輝く月を綺麗だと思った。


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