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アボーテッド・チルドレン  作者: 襟端俊一
第一章 始祖
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 空は見渡す限りの曇天だった。

 と言っても、二十メートルはあろうかという杉や松の木で視界が遮られているので、遙か遠くの空模様までは窺えない。

 地面は枯れ葉と枯れ枝で埋め尽くされていて、土が剥き出しになっている場所がほどんどない。歩く度に枝葉の折れる音が聞こえてくる。

 それにも増して神慈が目を奪われたのは、そこら中の枝から垂れ下がっているロープだ。

 先端が輪っかになっていて、その目的は言わずもがな。

 更にその真下には、あつらえたかのように古びたリュックサックや靴、帽子などが置かれている。

 お化けや幽霊と言ったものには比較的耐性のある神慈でも、流石にこの光景を見て良い気分はしなかった。


「あれれ。もしかして、始祖様ってまだ目覚めてないの? 始祖様なのにー?」

 目の前に立つ子愛が首を傾げて聞いてくる。


「シソ様?」

「おにーさん、アタシ達メディウムの始祖なんでしょ? だから始祖様。アタシのお仲間もそう呼んでるよー」


 お喋りな子で助かった、と神慈は半ば強引に自分を落ち着かせた。

 子愛には仲間がいる。

 その仲間は神慈のことを始祖様と呼んでいる。

 要するに、子愛の仲間とはメディウムの集まりなのだ。

 そして、目覚めていないという一言。


(司書殿の言ってた災難ってのはこれのことか?)


 少なくとも、熊音子愛という少女が神慈の知らない情報を大量に持っていることは間違いない。

 彼女の狙いが沙癒里でなさそうなことも、神慈がギリギリの所で平常心を保っていられる要因の一つになっていた。


「うー、困った。目覚めてない始祖様を『パペット』にしても意味ないんだよねー……。むしろ怒られるかもしんない……」

「俺が目覚めないと困るなら、目覚める方法を教えてくれよ」

「アタシも、リーダーにメディウムの力を説明して貰ってようやくだったんだよねー。同じようにできるかな? アタシ馬鹿だからなー」

「……頑張って理解するよ」

 子愛の間延びした声に調子を狂わされかけたが、今一度表情を引き締める。


「んーとね。メディウム同士の戦いは『IA』で行われるの。今いるこの場所ねー」

 聞き覚えのある言葉を耳にし、神慈は一層意識を集中させた。


「『IA』はメディウムが生まれつき持ってるもので、二人で戦う場合『IA』は綺麗に二等分されてそれぞれの陣地になる。攻撃を加えると、ダメージに応じて自分の陣地が広がっていく。逆に攻撃を受けると相手の陣地が広がる。最終的に『IA』内で相手を殺すことができれば、相手の『IA』を支配したことになり、戦いは終わる」

 リーダーとやらの受け売りなのか、子愛は随分と説明口調だ。


「つまり陣取り合戦か? 劣勢でも、一方的に攻撃できれば状況をひっくり返せる訳だ」

「そーそー。ま、普通は難しーけどねー。自分の『IA』が広ければ広いほどホームで戦えるわけだからさー」


 子愛は説明するのに疲れたのか、枯れ葉の地面の上に寝転がってしまった。

 ホームというのは、サッカーや野球で言うところのホームゲームに例えたのだろう。

 自分の知っている領域で戦える方が有利なのはどんな競技でも同じだ。

 勿論、確固たる実力の差があればあまり関係のない話ではあるが。


「そんで、敗者は『パペット』、勝者は『パペッター』になるの」

「『パペット』に……『パペッター』ね」


 いよいよもって司書殿が言っていた話と繫がってきた。

 司書殿は、メディウムとして神慈がどのような状態にあるかを聞いていたのだ。


「アタシはまだ『パペット』持ちじゃないから見えないんだけど、『パペッター』には見えるらしいよー? 敗者と勝者を繋ぐ糸が。敗者は勝者の操り人形ってことだね。何でも好きに命令できる上、大きなメリットもある」

「メリット?」

「戦いに『パペット』を参戦させることができる。二人で戦う場合、開始直後の『IA』は二等分されるってさっき言ったでしょ? それが二対一だと、片方が更に半分に分かれるの。『IA』は小さくなるけど、その分戦術の幅が広がるから単純に味方が多い方が有利。ま、『パペット』をどう操るかは『パペッター』次第らしーけどねー」

「文字通り、敗者は人形として勝者の手となり足となり働かされる訳か……」


 それが本当なら、子愛は神慈のことを『パペット』にするために勝負を挑んできたことになる。

 しかし子愛の予想に反して、神慈はメディウムの持つ力に目覚めていなかった。


「お前の説明通りなら、俺はもう『パペット』ってのになっちゃってるんじゃないか? これ、見渡す限り全部お前の『IA』だろ」

「ここで始祖様を殺せば確かにそうなんだけどねー。それじゃ意味が無いんだよねー」

「?」

「メディウム以外の人間を『パペット』にすることもできるんだけど。その場合、ただの操り人形なの。目覚めてない始祖様はこれと同じ状態なんだよねー」

「……成る程。このまま俺を『パペット』にしても、俺の『IA』は使えない。だから目覚めてくれないと困る訳か」

「そーゆーことー」


 足をパタパタと動かして、全く落ち着かない様子の子愛。

 慣れないことをさせてしまったからかとても不満そうにしている。

 子愛の説明は思っていた以上に親切だったし、司書殿が言っていた話とも符合する。

 だが、残念ながら神慈の体には何の変化も起こっていない。


「それで始祖様、目覚めたー?」

「全然だな」

 そもそもどうなったら目覚めたと言えるのだろうか。

 神慈は自分の『IA』がどんなものなのかを知らない。

 心霊写真が大量に撮れそうなこの景色の中に、突然緑豊かな野原が現れたりすれば分かり易いが、どんな『IA』なのかは人それぞれとなるとそれも期待できない。

 神慈が周囲を見渡していると、ゆっくりと立ち上がった子愛が意地悪そうな笑みを浮かべて不穏なことを言い出した。


「このまま何もせずに帰るよりは、役立たずでも『パペット』にして連れてく方が良いかなー?」

「――っ」


 慌てて身構えるも、今の神慈にできることなどない。

 それを知ってか、子愛もジリジリと距離を詰めてくるだけで何もしてこなかった。


「さーて、と。どうしよっかにゃー」

「……一つ聞くけど。途中で『IA』から離脱する方法はあるのか?」

「あるけど、教えてあげなーい!」


 子愛が神慈に向けて右手をかざす。

 危険を感じた神慈は無我夢中でその場から逃走した。

 離脱する方法がある。

 それだけ聞ければ充分だ。


(ここが脳内なら、現実の俺は眠ってるか気を失っているかだ。意識を取り戻すにはどうすればいい? 考えろ)


 凹凸の激しい地面に足を取られないよう、慎重且つ全速力で薄暗い森の中を走り抜ける。

 けれども、走っても走っても景色が変わることはなかった。

 数㎞は走っただろうか。

 形振り構わず走り続けたせいで、流石の神慈も息が上がり始めた。


「――いづっ!?」


 見えない障害物に激突してしまったのは、そんなときだった。

 ぶつけた額を押さえながら目の前の空間に触れてみると、そこには壁があった。神慈の視界に映る景色はまだまだ森が続いているというのに。


「横にも……続いてるな」


 恐らくこの壁は、『IA』と現実の境界線だ。

 即ち、これ以上先に進めないのではなく、これ以上先が存在しない。

 脳内エリアというからには、先に見える景色も単なるイメージでしかないのかもしれない。


(まずい……このままだと俺、あの子の操り人形にされてしまうぞ)


 具体的にそれがどんな状態なのかはともかく、年下に好き放題されるのはごめんだ。

 何よりも、沙癒里を一人にはさせられない。


(逃げられないなら……素手でも何でも戦うしかない)


 決意を新たに振り向くと、子愛はすぐ傍まで来ていた。

 驚くべきことに、子愛は地に足を付けていない。


「驚いた? アタシの『IA』、こんなこともできるんだよん」


 全速力で走ったことで神慈のスタミナはかなり消費されてしまったが、子愛にその辺の心配は無用なようだ。まるで魚のように空中を泳いでいる。


「アタシの『IA』は樹海。死者の魂の力、見せてあげる!!」


 子愛はクルリと回転し、上空に向かって急上昇した。

 これでは攻撃に転じようとしても、神慈が猿並みに木登りが上手くないと手が届かない。

 咄嗟に足下にあった小石を投げてみたが、メディウムの身体能力を持ってしても届く高さではなかった。


「さーさー、この世に未練タラタラの亡霊さん達。その怨みを全てぶつけちゃって!」


 子愛が空中で手招きをした途端、煙が形をなしたような異形の存在が無数に現れた。叫んでいるような形相の顔まで付いていて、とても偽物には見えない。


「なんだ……あれ。本当に幽霊を操ってるっていうのか?」


 初めて見るものに当惑していると、金切り声を上げた亡霊達は群れをなして神慈に襲いかかってきた。


「う、うわっ! 来るな!」


 神慈はあっという間に纏わり付かれてしまった。

 手で振り払おうとするも当然触れることなどできず、またしても後退を余儀なくされる。

 子愛の姿が見えなくなるくらいに距離を取って、一端呼吸を整える。

 走っている間に亡霊達は消えてくれたが、どうも腑に落ちない。


(俺を攻撃するのが目的じゃないのか? あの幽霊は何だったんだ。何の意味がある)


『パペット』にするには、『IA』で相手を殺す必要がある。

 あんな得体の知れないものに取り憑かれるのは確かに気持ち悪いし、精神的ダメージはあった。

 しかしあくまでお化け屋敷でびっくりする程度のものだ。

 相手を死に至らしめる攻撃とは思えない。


(それとも、俺の『IA』が目覚めるのを待ってくれてるのか)


 神慈がそんな希望的観測をしている内に、再び子愛に追いつかれてしまった。

 先程の幽霊とは違い、両手に青い炎の塊を握っている。


「えーっと……人魂? それとも鬼火ってやつか」

「正解ー!」


 言うよりも早く、子愛は手に持った鬼火を神慈に向けて投げつけてきた。

 メディウムとはいえ所詮は女の子だ。

 目を懲らせば躱せる。

 そう高を括ったのが間違いだった。

 投球速度こそ遅いが、その軌道はスポ根漫画の魔球のように揺らめいていて、とても躱せるものではなかったのだ。


「……、?」


 何の感触もないことに違和感を抱き、すぐさま防御を解く。

 咄嗟に腕で防御したが、炎を防げるわけもない。

 そもそも防御したのもただの条件反射で、火傷を負う覚悟はしていた。

 ところが神慈の体には何も起きていない。


「何処も痛くない、何処も熱くない。不思議だねー」

「……やっぱり、手加減してくれてるわけじゃないんだな」

「んふふー。でも始祖様は頑張ってるよー。メディウム以外との戦いは大抵一瞬で終わるってリーダー言ってたし。メディウムだと目覚めてなくてもそれなりなのかな? それとも始祖様が特別だったり?」


 子愛は一気に距離を縮めて、マジマジと神慈の顔を凝視してきた。

 彼女の中ではとっくに神慈が倒されていないとおかしいらしい。


(一瞬で終わる? 俺の体に、何かが起きてるのか)


 知らぬ間に進行している病魔のような、不吉な予感。

 ある意味、目に見える大げさな傷よりも恐ろしかった。


「俺に何をしたんだ」

「そーだなー……これって、アタシの『IA』的に絶対教えちゃいけないことなんだけどなー。ま、始祖様が目覚めるかもしれないし、いっか」

 神慈から目を離すと、子愛は尻尾を前に持ってきて弄くり回しながら続けた。


「アタシの攻撃はねー。命を削るの」

「命を、削る?」

「どんなに攻撃を受けても、痛くも痒くも何ともない。死ぬ瞬間まで気付けない。それがアタシの『IA』が生み出す力の性質。テラー」

「……、」

「でも欠点もあってさー。普通に物理的なダメージを与えるのと違って、いくらテラーでダメージを与えても『IA』は広がらないし、弱ったりもしてくれないの。あくまで油断させて、いつの間にかぽっくりっていうのが必勝パターンなんだよねー。実戦経験はないけど」


 子愛は口を尖らせて言う。

 得体の知れない攻撃。

 それこそが子愛の『IA』の本質だった。

 自分の身に何が起こっているのか分からない。

 それを気にしていては相手も下手に攻撃できず、様子を見ようとする。

 しかしその正体が確かな『攻撃』であることが分かれば、相手は気にせず向かってくる。

 知られてはいけないとは、つまりそういうことだ。


「勿論知られてからの戦い方も心得てるし、それでお終いって訳じゃないけどねー。知られちゃったら、口を封じないとね?」


 子愛はまたしても浮かび上がり、亡霊達を身に纏って邪悪な笑みを浮かべる。

 死刑宣告にも等しいその表情は、神慈が警鐘を鳴らすのに充分な凶兆だった。

 どれほどのダメージが蓄積しているか分からないが、今度あの亡霊達に纏わり付かれたらやられる。

 そんな恐怖が神慈の胸をざわめかせる。


(何か……何かないか。どうにかしてこの状況を打開しないと)

 神慈が歯を食いしばって思考を巡らせていると、



「あ。そういえばー。始祖様のおかーさんも連れてこいって言われてたんだったなー」



 そんなことを、子愛が言った。

 そこで。

 神慈の思考は闇に染まった。


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