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「ひっ――」
「こ、これは……何十、いや何百万の……動物? なんて数だ」
「最終戦というより、総力戦だな」
突如訪れたサバンナの夜に、三人は呆然とするしかなかった。
梓が演出するサプライズを悉くスルーしてきた神慈も、今回ばかりは素直に驚くしかない。
脱帽。
正にそんな言葉がしっくり来る気分だった。
獣の声に混じって、一際透き通った声が聞こえてくる。
「知ってた? サバンナにいる動物って、九割が草食獣なのよ。瀬名君が言っていたようなテレビ番組で扱われるのは、大抵がライオンやハイエナといった肉食獣だけどね」
神慈達の反応に満足しているのか、梓はやたらと誇らしげに語った。
ここからでは確認できないが、犬達と共に安全地帯に待避しているのだろう。
粘っこい視線に恐れを抱きつつも、遠くから全体を見渡すことで夜のサバンナの全容が少しだけ確認できる。
暗闇に包まれているせいでいまいち距離感が掴めないが、目に見えるほど近くにいないことは不幸中の幸いだった。
「うっすらと見えるフォルムからして……あれはトムソンガゼルですかね。後はシマウマやヌー、インパラなんかもいるかもしれません」
「今の俺の視力でも後ろの方にいる奴は見えない……けど、目の位置でも結構判別できるな。やたらと高い位置にあるのはキリンだ。真ん中辺りにあるのはアフリカ象か?」
「草食動物オールスターって感じだねー。インテリってのは知らないけど」
「インパラだよ。……マスター、どうしますか」
「頼ってばかりであれだけど、また衣琉の意見を聞きたいな」
神慈は、自分よりも余程頭の回る衣琉であればこの状況を打開できるのではないかと期待して聞いてみた。
だが、そのときだった。
異常な程に『IA』全体を揺るがす地響きと共に、動物達の大行進が始まったのは。
話し合う時間すら与えない。
そんな気迫が伝わってくる。
「っ。……恐らく彼女は、大量の草食動物で僕達の『IA』を埋め尽くそうとしています。何百万という大群……それも雪崩とは違って生きた動物です。自ら大穴に落ちるようなことはまずないと思って良いでしょう」
「だろうな」
「ライオンと戦ったときに改めて感じましたが、クマさんのテラーは一体に集中攻撃することで大きな効果を発揮する。あの大群相手ではどうにもならない」
「くやしーけど、そーだろーね」
「となると、残るはマスターのケルベロスと、僕の『IA』、雪山による雪崩くらいしか手はないですが……上手くやれば何とかできるかもしれません」
一筋の光明。
その具体的な方法を衣琉は教えてくれた。
「まず、なるべく多くの動物達をこちらの『IA』に迎え入れ、雪山と奈落の大穴との間に誘導します」
「雪崩で動物達を呑み込んで、そのまま大穴に落とす訳か」
「はい。雪山の規模は小さくなりましたが、その分高く降り積もりましたし、積雪量も充分です。ただビッグフットがいないので、雪崩を引き起こすためにはケルベロスを使わざるを得ない」
つまり、何百万という草食動物達を誘導する役目は、人力で行う必要がある。
体力的に劣る子愛では、動物達に追いつかれてしまうかもしれない。
衣琉はこの作戦の要である雪崩を引き起こす役目がある。
「しかも問題はそれだけじゃ――ってマスター!?」
神慈は衣琉の話を最後まで聞くことなく、土煙を上げて迫る動物達に向かって走り出していた。
竜巻に巻き込まれた傷が全く癒えていない状態で、二人の手を借りることなく立ち上がれたのは奇跡に等しい。
なら走ることができたのはそれ以上の奇跡だ。
子愛のときも、衣琉のときもそうだった。
どんな結末になろうと、やれることをやらないまま終わることだけは絶対にしない。
「ケルベロス! 俺が命令するまでは衣琉に従え!!」
「!? どういうことですか!」
「雪崩を引き起こすタイミングも、進行方向の調整も! 俺にはできない! そっちはお前に任せる! だからこっちは任せろ!!」
追ってくる衣琉を静止するべく、神慈は大声で叫んだ。
「……はい!!」
「わ、私はどーすればー!?」
ギョッとして後ろを振り向くと、なんと子愛が神慈の後を付いてきていた。
子愛には隠れていて貰うつもりだったが、既に草食動物の群れは目前まで迫っている。
このまま二人でやるしかない。
「競走馬の前にぶら下げる人参の気持ちになれ!」
「えーっと……。って、よーするにそれ餌じゃんかー!!」
ヤケクソ気味に神慈と子愛は草食動物の群れに突っ込んでいく。
すると奈落を蹂躙していた動物達は、神慈達の姿を見た途端に体勢を崩してまで方向転換してきた。
(やっぱり狙いは俺か!)
衣琉が提案してきた作戦には、『動物達が素直に神慈達に向かってくるか分からない』という致命的な欠陥があった。
だが神慈は確信していた。
あれほどの動物達を一匹ずつ操るのはまず不可能。
恐らく動物達は、パペッターである神月梓の勝利への最短距離を自律的に測って行動している、と。
なら話は簡単だ。
動物達に、『IA』を埋め尽くすよりも簡単な勝利方法を提示してやれば良い。
「ひぃぃぃぃ――――――!! 真っ直ぐこっちに向かってくるよぉ~~~~~」
「安心しろ! 踏みつぶされても後でスタッフが美味しくいただいてくれるさ!!」
「それは乙女として!? それとも人参として!?」
「アホなこと言ってないで……ん? お前、どうして飛ばないんだよ!」
雪山の方にUターンして走る神慈の隣を、何故かわざわざ併走している子愛。
動物達が追っているのは、殺せば片が付く神慈の方だ。
一緒になって走る必要はない。
「飛べるなら飛んでるってー! 腕動かないから上手く飛べないの! お兄ちゃんっ、のせいで傷物になっちゃったの!!」
「そう言われると全く謝る気にならない!」
走る動物達と、神慈達。
その距離は確実に縮まっていくが、雪山の頂上付近で待機している衣琉の準備も着々と整いつつあった。
合図を送るようなことはしなかった。
雪山と奈落の大穴の間を、神慈達が全力疾走して通り抜ける直前。
タイミングはそこしかない。
動物達の大行進に混じって、確かに聞こえてくるケルベロスの地団駄。
雪崩のカウントダウンは既に始まっている。
「ちょ、ちょっと、タイミング、早くないー!? こっちのペース、落とした方が、良いんじゃ、ないかなー!」
「走り疲れたからって阿保言うな! 俺達がペース落としても、動物達のスピードは変わらないだろ!? 衣琉を信じろ!!」
かくいう神慈も無理矢理体を動かしているため、限界が近付いている。
子愛の提案は論外だが、ここで工夫を凝らすようなことは不可能だった。
そして。
「きたあああああああああああ――――――――――!!」
子愛が危惧していたよりも遙かに早く、雪崩は発生した。
神慈達の背中スレスレを通過した雪崩は、後を追っていた動物達を次々に呑み込んで奈落の大穴へと落としていく。
前に衣琉と戦ったときに見た雪崩と明らかに違うのは、その発生回数だった。
負けじと突っ込んでくる動物達を、第二第三の雪崩が次々に襲っている。
幾重にも降り積もった雪山の雪がそれを可能にしたのだ。
その光景を見ていた神慈は更なる衝撃を受けた。
突如として真夜中のサバンナに火の手が上がったのだ。
ケルベロスの使役を全て任された衣琉は、雪崩を引き起こさせるだけにとどまらず、地団駄を踏みながら火球を飛ばすなんて命令まで下していた。
「はは……凄いな。これなら本当に何とか」
ところが、神慈が頬を緩めたのは一瞬だけだった。
サバンナに上がる火の手に気を取られている間に、雪崩が止まっていた。
正確には雪崩はまだケルベロスによって発生し続けているのだが、その猛威を振るうことはもはやないだろう。
何せ、そこには人柱ならぬ動物柱とも言うべき『道』が出来てしまったから。
雪崩で埋まった動物達を柱にして高く積み上がった新たな道と、大分削れてしまった雪山の標高との高低差では、雪崩の効果はあってないようなものだった。
仲間の屍を踏み越えて尚、動物達の大行進は止まらない。
「もー駄目だー……お終いだー……」
「諦めるな! 走れ! 【衣琉もケルベロスを連れて戻って来てくれ!】」
今度は作戦も何もなく、ただ動物達にひき殺されないように全速力で逃げる。
途中、ケルベロスに乗った衣琉が追いついてきたため、三人はケルベロスの背の上で合流することとなった。
ケルベロスに乗ったまま後退する中、衣琉が力無く呟いた。
「すみません……力不足でした」
「何言ってるんだ。予想以上の成果じゃないか」
「……ほえ? よそーいじょー? 最初からあれで勝てるとは思ってなかったの?」
「少なくとも俺はな。衣琉もそうなんだろ?」
「はい。あれしか思いつかなかったので……」
衣琉を慰めることもできず、神慈は後ろを振り向いた。
肉食獣こそいないが、これほどの動物達の包囲網を目の前にすると、ミツバチの巣に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
『IA』、サバンナのエリア特性が浸食だとしたらとっくに勝負は付いていた。
それくらいに奈落は動物達で埋め尽くされている。
神慈は大きく深呼吸して、かねてより考えていたことを話し始めた。
「俺達ってさ。もう、それなりに絆があるよな」
「……マスター、まさか」
「ああ。三人でユニオンをしてみよう」
「おおー」
「で、でも待って下さい。闇と樹海で奈落が生まれたのとは違って、僕の雪山と融合して成立するとは……」
衣琉の心配は分かる。
『IA』の相性的に、闇と樹海でユニオンが成立するのは分かるが、そこに雪山が加わっては下手したら奈落すらも解除されてしまうかもしれない。自分が足を引っ張ってしまう可能性を恐れているのだ。
しかし、そんな心配をする時間はとっくに過ぎている。
今は前だけを見ていれば良い。
後ろに道はないのだから。
「一つだけ……俺の中でイメージできるものがある。それができたら必ず勝てるって確信できるやつが」
「ほ、本当ですか?」
「というかさ。結局『IA』ってのは脳の中で構成されるものなんだろ? 三人が同じイメージを抱いてれば成立しそうじゃないか」
「そんな安易な……」
「いーじゃん。ナルのときだってこれで乗り切ったし。ようは試して負けるか、試さずに負けるか……試して『勝つ』か、でしょ?」
「目立ちたがり屋のアイドルを驚かせて勝つ。最高の勝ち方だろ? 衣琉っぽく言うなら最高のフィナーレってやつだ」
衣琉の肩に手を置いて、口角を釣り上げる神慈。
誰よりも満身創痍な神慈の言葉は、パペットにされたときと同様に衣琉の不安を取り除いていった。
「……そうですね。そんな風に勝てたら最高だ」
衣琉は後ろ向きだった気持ちを前に向け、顔を上げた。
「僕を……勝たせてもらえますか」
「プフー! ナル、何かどっかのヒロインみたいだね」
「なっ」
「任せろ。で、そのイメージだけど……」
子愛と衣琉の二人に神慈の抱いているイメージを伝えると、タイミング良く梓が姿を現した。
相変わらず傍には犬が三匹控えていて、その周りを夥しいほどの草食獣が守っている。
雪崩によってそれなりに数は減っているはずなのだが、やはり根本的な数が桁違いだ。
「往生際が悪いわよ。この状況でそのケルベロスもどきが暴れたって、付け焼き刃にしかならないことくらい分かるでしょう」
「そうだな。当然そんなことはしないさ」
そう言うと、神慈は小声でケルベロスに向かって「目一杯飛び上がれ」と命令した。
命令通り、天高く跳躍するケルベロス。
瞬く間にケルベロスがいた場所は草食獣で埋め尽くされ、神慈達の『IA』は着地点すら見えなくなってしまった。
「……ふふ、そういうことね。あなたたち、三人でユニオンをするつもりでしょう。でも残念だったわね。ユニオンの種類にポーカーの役の名前が付けられているのは、そのまま力関係を現している。私達のユニオンはフラッシュ。あなた達ではどう足掻いても」
「お前のはフラッシュじゃない。『フォー・フラッシュ』だ」
「!? 四人だからってこと? でもフラッシュには違いないわ!」
「それが大違いなんだよ。今回に限ってはな!」
カナディアン・スタッドというポーカーがある。
そのポーカーでは、フォー・ストレート、フォー・フラッシュ、フォー・ストレートフラッシュという役が認められている。
ここで大事なのは役の力関係だ。
フラッシュには適わない。
しかし、相手がフォー・フラッシュなら。
神慈達のユニオンは、梓達のユニオンを超えられる。
「「「スリー・オブ・ア・カインド!!」」」
そのとき、神月梓は見た。
つい最近まで敵同士、今はパペッターとパペットの関係にある三人が、互いの手を取り合って力強く声を揃えたのを。
そして、次の瞬間。
神慈達の『IA』に足を踏み入れていた神月梓と、そのパペットである犬三匹と大量の動物達は……一瞬にして命の灯火を消した。
永久凍土の下敷きとなって。




