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装着するとクラス委員長に見えたり、成績優秀に見えたりするアイテム。
眼鏡。
縁無しでもなければ、お洒落なフレームでもない、ごくごく普通の眼鏡。
初めて会ったときに『生まれつき名前が無い』と自己紹介してきた彼女にとって、それは唯一のアイデンティティだった。
ところが、声と口調が変わっただけで神慈が抱いてきたイメージは崩壊した。
「さっきぶりね。三人とも」
「さっき? ってああ!! 学校出る前にお兄ちゃんっ、に話しかけてた二人組の一人!」
「……自分が情けないな。あの場で気付いていればこんな面倒なことにはならなかった」
拳を握り締めて悔しさを滲ませる衣琉。
確かに眼鏡さんは校門前で堂々と二人とすれ違っているが、ここまで別人のように変装されては気付けないのも無理はない。
「香水まで変えていたもの。そう簡単に気付かれても困るわ」
「あれ……でも、待って。お兄ちゃんっ、この子クラスメイトって言ってなかった?」
「マスターと同級生ってことですか? そんな馬鹿な」
「昇華学院なら年齢を偽って入学するのもさほど難しくない。そういうことに寛容だからな。そもそもこの子は、公式に名前が無い生徒として認められてるような子だし」
事情なんて人それぞれだ。
神慈がメディウムであることを深く追及されたくないように、彼女もまた何かを抱えているのだと思った。
だから神慈も勘繰ったりはしなかった。
「正真正銘、私は高校一年生よ。瀬名君と同じね」
「嘘だ。さっき見た資料にも、第一世代の欄にはマスターの名前しかなかった」
「……資料? 何のことだ」
「それについては後でお話しします。とにかく、メディウム研究所の資料室に置かれていた書類にそう明記されている以上、彼女は第一世代のメディウムではないはず」
「ふふ……」
突然、眼鏡さんは自嘲気味に笑い始めた。
「私も驚いたわ。まさか研究所の資料にまで載っていないなんて思わなかったから」
「本当、なのか?」
第一世代というのは、神慈が誕生してから一年以内に生まれたメディウムのことを指す。
そしてその間に生まれたメディウムは存在しないというのが、天恵当時の一般的な常識だった。
故に、第一世代は神慈のみになっている。
眼鏡さんの言っていることが本当なら、最低でも365日以内に生まれているはずだ。
「ねぇ『始祖様』。あなたの誕生日を教えて」
「四月一日だ」
「私は三月三十一日生まれよ」
「! そういうことか……」
「へ? ただ一日違いってだけじゃないの?」
「法律的にとてもややこしい問題なので詳しい説明は省きますが……結論から言って、二人はギリギリ同学年ですね。誕生日が嘘でないのならですが」
「それで勘違いされたって? 確かに間違えやすそうではあるけど」
衣琉の言っている資料とやらは、恐らく天恵当時の情報を元にしたものだ。
情報の正確性はそれなりに信頼できるはず。
「普通なら間違えないわね。でもあの頃は、全てのメディアがあなたたち親子に釘付けだった。そのせいで私は忘れられ、ママが資金援助を受けることもなかった」
「……!!」
母親が小中学生の母子家庭で、資金援助を受けられない。
これがどれほどの重荷か……考えただけでも胸が苦しくなる。
逆にどうやって今まで生きてこられたのかが不思議なくらいだ。
とても真っ当な生き方をしてきたとは思えなかった。
「? ……ああ。別に、瀬名君に心配されるような生き方はしていないわよ。私は裕福な家庭で育ったから。ママの夢を食いつぶしてね」
「夢を?」
「もう十年以上も前だから、あなたたちは知らないでしょうね。ママは人気絶頂のアイドルだったの。けど天恵によって処女懐胎したママは、アイドルを辞めざるを得なかった。本当はそれすらもネタにしてアイドルを続けようとしたんだけど……誰かさんに話題を全て持って行かれて、それもできなくなった」
「……それが俺と母さんを狙った理由か」
何故狙われるのか、その理由がようやく分かった。
誰よりも大切な母親が抱く夢。
それを壊したとなれば怨まれて当然だ。
「最初はただ怨みをぶつけるだけのつもりだった。でも私の息が掛かった二人がパペットにされたのを知って、あなたに興味が湧いたのよ。私専用のパペットにして、一生こき使ってあげるのも悪くないかなって」
「逆恨みも良いところですね。マスターとマスターのお母さんが成し遂げたことは、他の誰にもできることじゃなかった。例え『取りこぼし』があったとしても、その功績は揺るがない」
「だねー。アタシ等はそれで救われたし、他にもそんなメディウムが沢山いるはずだもん」
衣琉と子愛の言葉は純粋に嬉しかったが、神慈としては逆恨みの一言で済ませられる問題ではない。
これを知ったときの沙癒里の気持ちを考えると辛いものがある。
神慈は母親のために行動した眼鏡さんの気持ちが理解できてしまう。
掛ける言葉が見つからずに戸惑っていると、
「私の目的の『建前』は分かった?」
「「「は?」」」
真面目に聞いていた三人は、揃って呆気にとられたような顔で固まった。
眼鏡さんが話してくれたことは全て真実味があったし、神慈達を狙う動機としては十分納得できるものだった。
にも拘らず、それら全てが建前だという。
他に一体どんな深い理由があるというのだろうか。
「話の続きはあっちでしましょうか」
「……」
神慈は未だ倒れたままの月香を見た。
ここで戦闘状態に移行すれば、月香がパペットとして参戦してくることになる。
「怖い? その子と戦うのが」
「!」
「安心して良いわよ。その子をパペットにしたのは、単にあなたたちとの戦いを邪魔されたくなかったからだし。元々参戦させるつもりなんてないわ」
「だったら何で態々研究所まで逃げた? 先に月香をパペットにして、俺の家で待ち伏せしてれば良かっただろ」
「戦いが長引けば、あなたたちに無防備な姿を晒すことになる。実の母親がパペットにされているのを知って、その犯人が近くで寝ていたら瀬名君はどうするのかしら?」
執事さんにしたことを考えれば、神慈は相手が顔見知りであっても女の子であっても躊躇はしなかっただろう。
「……そこでボイスレコーダーを使わなかったのは?」
「ああ、あれ? 残念だけど、あれって声の主が離れすぎると効果を発揮しないのよ。研究所と違って、効果範囲内に安心して無防備になれる場所がなかったってわけ。ま、結果的に無駄足になったのは確かだけどね。正直、もっと苦戦すると思っていたから」
「どういう意味だ?」
「知らないの? ハーミットって、結構えぐいことも平気でやるアライアンスだってこと。そりゃ警戒するでしょ。都合良く運転手さんに昏倒させられてたし、あなたたちがいつ来るかも分からない。あそこは逃げるのが正しい判断だったと思うわ」
神慈達と月香が一緒に居る事を知った眼鏡さんは、どうにかして月香だけを分断できないかと考え、研究所に向かった。
恐らくボイスレコーダーなどの仕込みはもっと前から用意していたに違いない。
余程月香を危険視していたことが窺える。
だが、その月香とのタイマンで彼女は勝利して見せた。
それも短時間で。
メディウムとしての眼鏡さんの実力は本物だ。
「疑問は解けた? そろそろ良いかしら。こっちよ、付いてきて」
月香を巻き込みたくない三人は、彼女に言われるまま付いていくしかなかった。
坑道の方に戻るのかと思いきや、眼鏡さんは研究所の奥へ奥へと進んでいく。
数分ほど歩くと随分と開けた場所に出た。
そこはつい最近、神慈が目にしたばかりの巨大な地下空間だった。
「うわ、ひっろー……何ここ」
「俺が体力測定をした場所だな。階段以外で来られるのは初めて知った。……あんなステージは無かったけどな」
広い空間のど真ん中に、歌手がライブを行うようなセットが揃っている。
さしずめ、神慈達は駆けつけたファンと言ったところか。
「ここで何をするって言うんだ?」
「まあ見ていなさい。今日は特別よ」
そう言って眼鏡さんはステージに上がった。
コツコツと足音を立てて中央に配置してあるマイクスタンドの前に立つと、急に全ての照明が落ちる。
「ライトアーップ!!」
直後、眼鏡さんの姿をカラフルなスポットライトが照らした。
呆然とその姿を眺めている神慈達を余所に、徐々にヒートアップしていく眼鏡さん。
ついには着ていた昇華学院の制服を豪快に脱ぎ捨ててしまった。
だが露わになったのは柔肌では無く。
人気急上昇中のアイドルだった。
「あー!? ガブちゃんじゃん!!」
「神月梓!? 本物!?」
「母親の夢を……継いだのか」
その姿は神慈の知っている眼鏡さんでもなければ、衣琉達の知っているテイルブロッサムのリーダーでもない。
黒髪でもなければ、金髪でもない。
眼鏡も外しているし、尻尾のアクセサリーなど何処にもない。
イヤらしくない程度の露出で適度な色気を身に纏うステージ衣装。
黒のウィッグを脱ぎ捨てて正体を現したブラウンの髪は滝のようにストレートに流れていて、つい手を伸ばしたくなるほどに綺麗だった。
噛みつきとも神憑きとも呼ばれるアイドル、神月梓その人に間違いない。
「これが私の本当の姿! さあ、これからあなたたちにだけ私の新曲を聞かせてあげる。いくわよ!!」
急にどこからともなく曲のイントロが流れ出した。
ロック調の格好いいメロディラインが神慈達の鼓膜を激しく揺らす。
先程のスポットライトと言い音響と言い、恐らくこのためだけにパペットを使っている。
神慈達が目の前の光景に魅了されている隙に、神月梓は高らかに曲名を発表した。
「神の歌声があなたの心を支配する――『ドミネイト!!』」




