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衣琉達と別れた神慈組は、ペンライトの明かりと主従の綾糸を頼りにテイルブロッサムのリーダーを探していた。
実は、執事さんから伸びていた糸の先には既に辿り着いていたのだが、そこにいたのは衣琉に聞いていたリーダーの特徴とは似ても似つかない、虚ろな瞳をした白衣の女性だった。
十中八九、カモフラージュのために操られたパペットだ。
彼女はウンともスンともいわなかったが、幸い糸は真っ直ぐに伸びていて、見失いさえしなければなんとかなる。
そう信じて今に至る訳だが、
「またパペットかよ!」
「これで四人目……いえ、お爺さんと始祖様のお母様を合わせると六人目ですね」
こうあちこちにパペットがいるなら、そこら中に主従の綾糸が張り巡らされていても不思議はないが、何故か神慈の目でも見つけられなかった。
どうも主従の綾糸は、生え際から見ないと目視することはできないらしい。
「……本当に『彼女』の仕業なのでしょうか」
執事さんが重々しく呟く。
メディウムの力は分からずとも、人形のように動かないパペットを見続ければ尋常な事態で無いことは理解できたはず。
段々と執事さんも、『彼女』が関わっていることを考え始めたようだ。
「これでこの研究所にいなかったら最悪だな……」
「だ、大丈夫です。これだけパペットを配置しているのは、ここにいる証でもあるかと」
「だと良いんだけど」
めげずに新しく見つけた主従の綾糸を辿り、部屋を出て行く神慈。
しかし、二人が一向に出てこない。
不審に思った神慈が戻って室内の様子を窺ってみると、そこにはパペットの隣で昏倒している月香がいた。
(……どうなってる。この部屋には俺以外のメディウムがいない。つまり目を合わせて心で唱える方法じゃなく、声に出して『IA』に移行したってことになる。けど声は聞こえなかった)
まだ夜とは言い難い時間だが、地下ということもあって外からの雑音は全く聞こえない。
そんな静寂の中でドミネイトと声に出せば絶対に聞こえるはずだ。
となると、物理的な手段で昏倒させられたということになる。
(ん。そういえば執事さんは――!?)
部屋を見回そうと振り返った瞬間、後ろから襲いかかってきた執事さんに羽交い締めにされ、ペンライトを落としてしまった。
すぐに振り払おうとしたが、老体とは思えない強靱な力によって完全に神慈の行動は封じられてしまう。
どうにか首だけを動かして執事さんの顔を見る。
(目が正気じゃない……! やっぱり何かがトリガーになって命令が発動したのか。状況的に見て一番可能性が高いのは)
倒れている月香を見る。
月香は未だ意識を取り戻さないが、月香がパペットにされたわけでないのなら望みはある。
「おい、月香! 起きろ! 月香!!」
完全に気絶させられているのか、残念ながら反応は無かった。
(執事さんを突き動かしてる命令は、多分『メディウムの動きを封じろ』とかの極々単純なものだ。こうやって羽交い締めにされてる状態ならむしろ安全かもしれない。下手に抵抗して気絶させられる方がまずい。とはいえこのままじゃ……どうにかして衣琉達に連絡を取らないと)
冷静になって状況の把握に努めるも、スマートフォンはズボンのポケットの中だ。手を伸ばしてみても指先で触れるのがやっとだった。
(何とかストラップに引っ掛かれば……!)
これでもかというくらいに手を伸ばしきる。
自動販売機の下に転がってしまった五百円玉を取り戻すが如く、限界を超えて腕を伸ばす。
右半身がミシミシと嫌な音を立てたところで、ついに指先がストラップに引っ掛かった。
神慈はストラップなどに拘りはなく、装着していたのも買ったときに付いてきた落下防止用のプレーンなものだったが、このときほど着けていて良かったと思ったことはない。
早速記憶を頼りに片手で操作して鳴海衣琉を選ぶが、
「あぁ、くそ!!」
神慈の怪しい動きにめざとく反応した執事さんが込めた力を強めたせいで、せっかく手にしたスマートフォンを落としてしまった。
足下に転がったスマートフォンを恨めしそうに見下ろす神慈。
しかし幸運にもスマートフォンが表を向いていたことで活路を見いだした。
左足を上手く使い、右足の靴と靴下を剥ぎ取る。
そしてそのままスマートフォンの方に足を伸ばし、あらぬ方向を見ながら親指で操作していく。
コール音が鳴り始めた直後、すぐさま執事さんがスマートフォンを蹴飛ばしたが、もう遅い。
頃合いを見て神慈は大声で助けを呼んだ。
「衣琉! 子愛! 聞こえるか!? 予定が狂った! 大至急戻ってくれ! 場所はさっきの分かれ道をそのままこっちに来てくれれば明かりで分かるはずだ!!」
返事は聞こえない。
手の届かない所にあるスマートフォンを確認することもできない。
それでも届いたと信じてひたすらに待つこと、三分。
空腹時のカップ麺の待ち時間よりも体感時間の長い三分だったが、ようやく忙しない足音が近付いてきた。
「マスターご無事ですか!? ――!!」
「子愛ちゃんさんじょー……って、これどーゆーじょーきょー?」
二人が現れるや否や、執事さんはすぐに神慈を盾にした。
この場に居る全員を制するには最善の選択と言えるが、執事さんには足りないものがある。
「とりあえずこの爺さんを引っぺがしてくれ」
「で、ですが」
「大丈夫。この人今、丸腰だから」
「あ……は、はい! クマさん」
「よく分かんないけど、引っぺがせば良いのねー?」
執事さんの両腕はがっちりと神慈の体に固定されていて中々離れなかったが、衣琉と子愛の二人がかりで左腕に集中すると何とか外すことができた。
続けてその左腕を衣琉が固定し、自由になった神慈が左半身で右腕を引っぺがす。
「子愛。俺と衣琉のベルト、外してくれ」
「え、ここに来てご褒美タイムなの!?」
「何でやねん」
人生初の関西弁ツッコミだった。
「嘘嘘ー。ちょっと待ってねー……っと。ゴソゴソ」
「ど、何処触ってるんだよクマさん!!」
「別にナルのなんて触りたくありませーん」
「……、俺のは衣琉が外してくれ」
「えええええええええええええええええええ!!!!!!」
「うるさい!! 今更だけど、騒がないにこしたことはないんだからな!」
阿保な会話をしている間もしきりに執事さんは抵抗を試みている。
流石にここまで全力で活動していたらスタミナが切れるはずだが、パペットにそのような概念はないらしい。
執事さんの右腕を神慈が脇で固め、左腕を衣琉が脇で固める。
その間、子愛は手にしたベルトで執事さんの手首を縛りつけた。
同じ要領で両足も縛ってしまう。
「ふぃー。こんな感じかなー」
「上出来だ。とは言っても、まだ月香が目を覚まさないから油断はできないけどな」
「月香さんは執事さんに?」
「多分、としか。直接見たわけじゃないから何とも言えない。最初は『IA』に移行したのかとも思ったけど、ドミネイトの声が聞こえなかったんだよ。すぐ近くにいたのに」
「成る程ねー。確かに、こう静かだとつっきーにだけ聞こえて、お兄ちゃんっ、にだけ聞こえないのは有り得ないねー」
「だろ」
神慈は自分で導き出した回答にそれなりの自信を持っていたが、衣琉の怪訝な顔を見て考えを改めた。
「衣琉の意見を聞かせてくれ」
「……多分、月香さんはリーダーと戦闘中だと思われます。要は、月香さんにだけ聞こえるようにドミネイトと唱えれば良いんです」
「どうやって?」
「これは僕も考えたことがある方法なんですが……」
衣琉はそう言うと、何故か縛り上げたばかりの執事さんの服を調べ始めた。
「ありました。やっぱりこれですね」
執事さんの服の内ポケットから衣琉が取り出したのは、USBメモリ程度の小さな機械だった。
いまいちピンと来ない神慈はそれが何なのかを訪ねてみた。
「小型のボイスレコーダーです。恐らく、マスターと月香さんのどちらかと二人きりになったらこれを聞かせるように、とでも命令されていたんでしょう」
「おいおい……声はともかく、声に秘められた意志まで録音できるのか? 最近のボイスレコーダーは」
こうしてボイスレコーダーが見つかったのだ。
きっと衣琉の推測は当たっている。
できれば音声を確認しておきたいが、万が一月香とリーダーの戦いが終わっていたら、再生した瞬間に先手を取られる形で『IA』に移行してしまう。
「ならさっさとリーダー探そーよ! ちょーむぼーびのはずだし、捕まえるなりして」
「マスターのお母さんを解放するには、リーダーを殺すかパペットにするしかない。捕まえたところで僕達にはどうすることもできないよ。……殺すという選択肢を選ぶのであれば別ですが」
いざとなったらそれくらいはやる。
衣琉は神慈の気持ちを汲んで言ってくれている。
神慈もできればそんな解決方法は取りたくなかった。
「月香が勝ってくれれば話は早いんだけどな。今のところ執事さんの糸は消えてない。まだ戦いが続いてるのか、既に決着が付いたのか……」
「月香さんが負けた場合、月香さんはリーダーのパペットとして僕達の前に立ちはだかることになります。今の内に拘束して、遠くに運んでおいた方が良いかもしれませんね。そうすればインタラプトで乱入されることもない」
「そうだな。パペットとして戦わされるなんて月香も本意じゃないだろうし。そうと決まれば、何か縛る物を」
ベルトは使ってしまったので月香の巫女服に使えそうな物はないかと手を伸ばす。
だが、そこで神慈は見てしまった。
月香の頭頂部から、うっすらと青く光る糸が伸びていくのを。
その糸は神慈を横切り、部屋の扉の方へ続いていた。
そして。
「もう終わったわよ」
「「「!!」」」
聞いた瞬間、その場に居る全員が総毛立った。
ゴクリと唾を飲み、精一杯の虚勢を張って声がした方を振り向く。
そこに居たのは、黄金の髪をたなびかせた、衣琉の言っていた通りの美貌を持った綺麗な女の子。
ではなかった。
「……、あれ? えーっと、誰? ナル、知ってる?」
「知ってるも何も、声はそのままじゃないか。どうして変装なんてしてるのかは知らないけどね」
衣琉が覚えた違和感と、神慈の覚えた違和感は真逆だった。
目の前の人物を神慈は知っている。
しかし、その声に聞き覚えはなかった。
名前を持たない彼女は、クラスメイトの間ではこんな愛称で呼ばれている。
眼鏡さん、と。




