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瀬名家を車が発進してから、十五分程。
周囲の景色とは不釣り合いな黒塗りの車は、研究所へと続く蛇行に次ぐ蛇行の山道へと入った。
真っ白なキャンバスを黒で塗り潰していくような目立ちっぷりだが、今はそんなことを気にしている余裕はないし、スピード違反も関係ない。
心の中でどれだけ焦りを見せても状況は変わらない。
神慈は気分転換も兼ねて、不完全だった情報を完成させようと皆に質問してみた。
「主従の綾糸って、制限はないのか? 距離とか、パペットにできる人数の限界とか」
「メディウムを従える上限は指の数、パペットとして参戦させられる上限は四人までと言われています。ただ、一般人については何人でもパペットにできてしまうようです。主従の綾糸も、メディウムと一般人では種類が違うのでハッキリとは言えませんが」
「種類が違う? ……そういえば、子愛と衣琉からはそれぞれ一本ずつ糸が伸びて俺の指に繫がってるのに、執事さんと母さんは一本の糸で繫がってたな」
「一般人をパペットにすると、一本の糸がネットワークのように繫がるんです。言わばパペットの数珠つなぎですね。その場合、間のパペットが死ぬとその先にいるパペット達は解放されます」
メディウムのパペットが人形使いが操るマリオネットなら、一般人のパペットは雑兵みたいなイメージだろうか。
それでも、個別に命令を与えられるならメディウムでなくとも相当厄介だ。
「んん? ってことはさ、つっきー。この場でおじーさんを殺しちゃえば、その後にパペットにされたお兄ちゃんっ、のおかーさんも解放されるってこと?」
「順番的にそうなります。私はてっきり、始祖様はそのつもりで殴りかかったのだと思っていました」
「そこまで冷静じゃなかったよ。母さんと執事さんが糸で繫がっていて、しかも俺にしか見えないんだからな。俺がやるしかないと思ったんだ」
無論、今となっては執事さんをどうこうしようなどという考えはない。
それをすれば神慈と沙癒里の関係は取り返しの付かないことになってしまう。
本当の本当に追い詰められ、沙癒里を助けるための手段がそれしかない状況に陥れば話は別だが、今はリーダーをパペットにするという一番の解決方法が残されている。
「マスター、研究所まではどれくらいかかるんですか?」
「このスピードなら後十分もかからないよ。もっとも、月香が言っていた『裏口』の場所次第だけどな」
「研究所が遠目に見えたら車を停めて下さい。そこからは徒歩で近付きましょう。私が案内します」
「徒歩ですか……仕方ないですね」
「別に急いで行く必要はないと思うけどねー」
「やれやれ。これだからハチミツにしか目がないクマさんは」
「なにー!?」
助手席からでも分かるくらいに憤る子愛。
衣琉は窘めるように「いいかい?」と続ける。
「時間が経てば経つほど、パペットにされた人達は危険なのさ」
「何でさ。傍にいなければ直接命令は下せないんじゃないの?」
子愛のもっともな疑問には、月香が答えてくれた。
「確かに子愛殿の言う通りです。でも時間経過で発動するような命令を与えられている場合は……。言いづらいですが、『三時間経ったら自殺しろ』なんて命令の可能性も」
「うえー……マジ?」
「それは考えたくないな」
育った環境が違えど、同じメディウム。
ならば神慈の、母親に対する愛情の深さとて分かるはずだ。
少なくとも、マザコンと一蹴してくるような一般人よりは。
どんな経緯で神慈達を狙っているのかは謎だが、手荒な真似をするとは考えたくなかった。
車内に悪い空気が流れ、誰もが沈黙したまま数分が経った頃、執事さんは車を停めた。
山道のど真ん中で、おまけにリムジンともなるととんでもなく邪魔だが、元々車の往来などないに等しい場所だ。車一台が通るくらいの道幅はあるので気にしないことにした。
「一応、前方に見えましたが……どうしますか」
「降りましょう。一つ先の道の下に、研究所への裏口があります」
皆が車から降り、最後に執事さんが出てくる。
しかし彼はその場から動こうとせずに神慈を見つめた。
車で送り届けるという役目を果たした彼は、神慈に訴えかけているのだ。
自分はどうすれば良いのかと。
(糸は研究所の地下の方に伸びてる。今のところ、母さんと執事さん以外にパペットにされた一般人はいないってことだ。執事さんは道標として連れて行きたいけど、その場合敵に回る可能性があるんだよな。そうなると、パペットの執事さんを制するには力尽くしかない)
執事さんは老体とはいえ、元軍人のようなことを言っていた。
対して神慈達はメディウムではあっても、高一、中二、中一のお子様軍団だ。
とてもではないが安心できる編成ではない。
(でも研究所内でまた糸を発見できる保証はない、か。一応、保険も掛けておこう)
主従の綾糸は、現状、リーダーに繫がる唯一の手掛かりだ。
一度見失ったら再び見つけるのは難しい。
危険を覚悟してでも道標はあった方が良い。
「執事さんも付いてきて下さい。……護身用の武器とかあったら、全てここに置いて」
「……仰せの通りに」
紳士らしく丁寧なお辞儀をする執事さん。
すると執事服の襟元に手を突っ込み、物騒な日本刀を取り出した。
何かしらの武器は常用していると予想していたが、まさかここまで本格的な日本刀を忍ばせているとは。
月香を先頭にして、駆け足で曲がりくねった道を進む。
舗装されているとは言え、車も通らなければ人通りもない山道は、密林に迷い込んだかのような不安を感じさせる。
神慈達はそんな山道ですらない崖下に下りようとしているのだ。
月香が足を止めた場所でガードレール越しに見下ろすと、思っていた以上の急斜面で目眩を起こしそうになった。
「足踏み外したら延々転がり落ちそーなんだけどー……つっきー、ほんとーにこんなところにあるの?」
「私達が始祖様の情報を入手したときも、この下から潜入したんです。入り口は小さな洞窟ですが、内部は坑道のようになっていて直接研究所の地下に繫がっています」
そう言うと、月香は率先してガードレールを乗り越え、草が生い茂る急斜面を器用に下りていった。
所々に露出している木の根っこを上手い具合に足場にしている。
「行こう。転げ落ちても自己責任で」
「……気を付けます」
「おじーさん、オンブしてくんない?」
「ほっほっほ。ご冗談を」
月香に遅れないよう後を付いていくと、氷河に空いたクレバスのような穴に辿り着いた。どうやらここから下りて先に進むようだ。岩と根っこが天然の階段になっている。
下りようとした矢先、穴の手前で倒れた立て札を見つけた。
裏返してみるが、文字がすすけていてほとんど読むことができない。
「弁……? 消えちゃってるな。なんて書いてあったんだろ」
「昔ここでお弁当売ってたんじゃないかなー」
「子愛殿、流石にそれはないかと……」
「坑道になっているのなら、鉱脈の名前ではないですか?」
「かもな。今は先に進むことを優先しよう」
ここからは一本道らしいので、神慈が先頭を歩くことになった。
しんがりで下りてきた執事さんの頭上を見ると、先程よりも主従の綾糸がなだらかになっていた。高低差は確実に縮まっている。
坑道内部は真っ暗で、外の明かりも穴の入り口近くで遮断されてしまっているため、安全に進むには明かりが必要だった。
「懐中電灯……なんて都合良く持ってないよな」
「あ、ペンライトなら」
月香が巫女服の隙間から取り出したのは、ペンライトではあるがその発光量は通常の物とは桁違いで、洞窟全体を照らすのにも充分な性能だった。
「つっきーナイス!」
「ど、どうも」
「これなら安全に進めそうだ。もし電池が切れるようなら携帯で照らそう」
月香に渡されたペンライトで前方を照らしながら歩き進む内に、レールのようなものを発見した。
恐らく採掘した鉱石を運ぶためのトロッコ用のレールだろう。
所々破綻していて機能はしていない。
「ゲームのダンジョンみたいだねー」
「エンカウントは勘弁だぞ」
レールに沿って坑道内を進んでいく。
途中、コウモリや鼠の襲撃に遭ったが、それ以外のアクシデントは特になく、終点と思われる場所まではさほど苦労せずに辿り着くことができた。
「……月香。この如何にも暗証番号が必要そうな扉はどうすれば?」
土だらけの周囲の景色とは正反対の、重厚な鋼鉄の扉。
その隣には小型の端末が設置されていて、パスワードを入力して下さいと言わんばかりである。
前方の景色と後方の景色の差は過去と未来を表すかの如く明確で、ここはその丁度境目といったところか。
この扉は研究所へと繫がっている。
足踏みしてはいられないが、
「あ、これ引き戸ですよ」
「「「「……、は?」」」」
執事さんまでもがポカンとしたが、何の取っかかりもない扉の端っこを月香が掴んで引っ張った途端、キィ、と扉が開いた。
影になっていて気付かなかったが、よくよく観察してみると蝶番がいくつか付いている。
「何だこれ。ケチったのか」
「拍子抜けにも程がありますね……カモフラージュのつもりなんでしょうが」
「ハーミットで潜入したときも、この扉で小一時間悩まされました」
「成る程。それなりに効果はあったというわけですな」
「なんだかなー。こういうとき、ゲームでは宝箱からパスワードの手掛かりを見つけていくものなのになー」
「そこまで侵入者に親切なセキュリティが現実にあるわけないだろ……」
全員が扉の先に足を踏み入れる。
そこは坑道と全く違い、完全に人が住む施設の中の一部となっていた。
正面はT字に道が分かれていて、その先の道程が全く窺えない。
内部の壁の材質は、神慈が測定を行った地下の巨大空間のものとそっくりだった。位置的にも近いのかもしれない。
「あ、スイッチある。ポチッとな」
すると照明が点いた。
「く、クマさん!」
「阿保!! 電気点ける奴があるか!?」
「いたーい!」
つい引っぱたいてしまったが、誰も神慈を責める者はいなかった。
こうなった以上はもう、潜入などと言っていられない。
こちらには主従の綾糸という道しるべがあるので、それを頼りに強行突破する。
誰もが戦いを覚悟して進もうとしたが、何故か月香が水を差してきた。
「あの……恐らく、平気だと思われます」
「いや、これで平気だと逆に心配なんだけど」
神慈と沙癒里はメディウムの研究に協力している。
ここには長年の情報が溜まりに溜まっているはずだ。
肝心のセキュリティがこんなザルでは、神慈達のことも筒抜けではないか。
「以前ハーミットで来たときも、一人が電気を点けてしまったのですが」
「ほらー! やっぱ点けるよねー」
「ハーミットってアライアンスは阿保の集まりなのか?」
「そ、そんなことはありません! その証拠に、研究所の地下区画はたった一人の女性が管理していることを突き止めましたしっ」
「たった一人の……女性?」
神慈には心当たりが一人居るが、この研究所全てを管理しているほどの役職か、と考えるといまいち信じられなかった。
「更に、地下区画はここよりも遙か地下まで続いているらしく……私達が調べた限りでは、東京タワーを逆さまにしたくらいはあるとか」
東京タワーは役目を終えたとはいえ、高さ三百三十三メートルを誇っていた。
それがそのまま地下に続いているのだとすれば、地底世界が広がっているようなものである。
不覚にも、少しだけワクワクしてしまった。
「にしてもつっきー達、よくそんなに調べられたねー。監視カメラとかあるでしょー?」
「今考えると謎ですね。いくら管理しているのが一人でも、あれから全く音沙汰ないというのは不気味です。エレベーターを壊したりもしちゃいましたし」
「こ、痕跡残しまくりじゃないですか。潜入とは言いがたいですよ」
「エレベーター……ね。まあ、月香の珍プレーはさておき。どれだけ地下空間が広がっていても、今回の目的地はそこまで地下深くじゃない。糸はほとんど真っ直ぐ伸びてるからな」
リーダーが遙か彼方にいる場合はその限りではないが、瀬名家を襲撃したおおよその時間から計算すると、そう遠くまでは逃げられないはず。
気を取り直して進み、T字路を前にして全員が立ち止まる。
「マスター、糸は?」
「残念ながらど真ん中に伸びてるな。壁を破壊して進もうか?」
「お兄ちゃんっ、過激ねー」
「そ、そこまでしたら後々大変では……」
「今のは神慈殿の冗談ですぞ」
「……」
羞恥心に耐えきれず縮こまってしまった月香の頭にポンと手を置き、神慈はこの場に居る全員を見比べて思考を巡らせた。
「普通に考えたら二手に分かれる方が良いだろうな」
「どう振り分けますか?」
「俺と月香と執事さん。子愛と衣琉の二人だ」
「えええええええー!? ヤダヤダヤダヤダー!!」
余程不本意だったのか、子愛は子供のように駄々をこね始めた。
「僕も同意だけど、マスターはちゃんと考えてるんだ。お互い我慢しよう」
「パペットを一人も連れていかないのが考えなの?」
ギロリと睨まれて思わず怯んでしまったが、衣琉の言う通り考えなしに選んだわけでも、好みで選んだわけでもない。
「執事さんの糸は俺にしか見えないから、当然一緒にいるべきだ。お前等二人は俺のパペットだから、リーダーと遭遇しても戦いになることはない。比較的安全に行動できる」
「……つっきーがそっちパーティなのは?」
「こっちが遭遇したら、まず間違いなく戦うことになる。その場合、狙われるのは当然俺だ。そうなったら月香が二人を呼んでくれ」
「成る程。分かりました」
「むー……仕方ないなー」
子愛は口を尖らせて不満げだが、どうにか納得だけはしてくれたようだ。
(後は……)
神慈は執事さんの方を見た。
テイルブロッサムのリーダーと神慈が『IA』に移行してしまえば、執事さんがどれだけ近くにいようと命令を下すことはできない。
だから敵が近付いていると気付いたら、声が届かない距離まで待避して貰うよう言うつもりだった。
しかし神慈は、ここに来てもっと単純な命令を与えられている可能性に気付いたのだ。
(予め……例えば『パペッターが倒れた瞬間に行動を開始する』ような命令が執事さんに与えられていたら、残された月香が危ないんじゃないか? ひいては、子愛と衣琉の助けも期待できないってことになる)
「……月香と番号交換してたっけ?」
「まだです」
「アタシはゲット済みー」
「俺達は必要無いけど、一応しておくか?」
「は、はい。よろしくお願いします」
手早く月香の連絡先を手に入れた神慈は、早速メールを打った。
『俺が「IA」に移行したら執事さんは敵になるかもしれない。用心してくれ』
それを読んだ月香はメールを打とうとはせず、神慈の方を見つめて力強く頷いた。
これでできうる限りの対策は練った。
後は互いの健闘を祈るのみだ。
「ペンライト渡しておこうか? こっちは三人分の携帯の明かりがあるし」
「いえ。糸を遠くまで見通すためにも、ペンライトはあった方が良いでしょう」
「そうか……じゃあ、また後で」
「マスター達も、お気を付けて」




