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昇華学院は、初等部から大学部の校舎が円を描くように並び建っている。
それぞれの校舎自体も相当な規模だが、授業以外で生徒が活用しているのは食堂と購買くらいだ。
美術室や図書室といった教室があるのは、四つの校舎の中央に位置する『芸術棟』と呼ばれる巨大な校舎で、そこは主に文化系の生徒のたまり場となっている。
神慈が向かっているのは、三つある図書室の内、一番需要の少ない第三図書室だった。
ちなみに第一図書室は漫画喫茶のような設備が整っていて、第二図書室が一般的な図書室、第三図書室は古書や資料などをかき集めた書庫となっている。
(この学校に俺以外のメディウムがいたなんて知らなかったな)
職員室に連行されたときは反省文でも書かされるのかと辟易していたが、教師の第一声は意外なものだった。
「芸術棟の第三図書室に、瀬名君と同じメディウムの子がいます。実は彼女もあまりクラスに馴染めていないみたいで。もし良ければ会ってみてくれないかな」
相変わらず教師は勘違いをしていたが、直接メディウムと会う機会がなかったこともあって興味を引かれ、即座に芸術棟を訪れたという訳だ。
(えーっと? 受付の人に申請しないといけないんだったか)
芸術棟の入り口をくぐり抜けると、高級ホテルのロビーのようなエントランスが広がっていた。
なるべく話しかけやすそうな人を探そうと思い、軽く周囲を見渡す。
すると一回りほど年の離れた女性と目が合った。
仕方なく彼女の下に向かう。
「第三図書室に行きたいんですけど」
「あらら。ごめんね、第三図書室は一人の生徒が占有中なの」
「占有? 学校の施設を、一般生徒が独占してるってことですか?」
いくら需要の少なそうな第三図書室とはいえ、資料などを探しに行く生徒だっている。一人の生徒が私物化するなんておかしな話である。
「彼女の場合、桁違いに第三図書室の利用回数が多いから特別なの。司書みたいなものね」
「なら第三図書室を利用したい生徒はどうすれば?」
理不尽な扱いに、少し訝しむように聞く。
「内線電話で目的を伝えれば、彼女が本を探し出して搬送用のリフトで運んでくれるよ?」
「……」
第三図書室の司書殿は余程人嫌いらしい。
だがそれもメディウムであればそれなりに納得がいく。
神慈と沙癒里が世間とマスコミの目を引きつけたとはいえ、周囲の目だけはどうしようもない。
きっと彼女も相当な扱いを受けてきたはずだ。
神慈は俄然彼女に会いたくなっていた。
「その子に会うためにはどうすれば? 一応、先生に言われて来てるんですが」
「うーん……連絡だけ入れてみようか?」
「なら、こう伝えて下さい。『メディウムが来た』と」
「! なんだ、それを早く言ってよ!」
女性は慌てて受付奥の部屋に入っていった。
自分の正体を明かせば話を通してもらえる、とふんだ神慈の読みは的中した。
やはり司書殿がメディウムであることは、教師だけでなく芸術棟に勤める人にも知れ渡っている。
しばらく待っていると、先程の女性が小走りで戻ってきた。
「どうぞ、だって。奥のエレベーターから最上階に向かってね。頑張って!」
「? 分かりました。ありがとうございます」
軽く一礼してエレベーターに乗り込み、十階のボタンを押して扉を閉める。
ゆっくりと上昇する間、神慈はエレベーター内に貼られた階層構造が書かれているプレートを凝視していた。
(第二図書室は九階、第一図書室は八階か)
これを見る限り、一つの階層全てが図書室として使われている。
こうなると、美術室や音楽室は美術館やコンサート会場のようになっていそうだ。
古書や資料が主な第三図書室は一体どんなことになっているのか。好奇心をかき立てられる。
やがてエレベーターは止まり、扉が開かれる。
そこで神慈の視界に入ってきたのは、
「本?」
右も本。左も本。正面も本。
無造作にばらまかれた本。規則正しく積み重ねられた本。
隙間を埋めるべく、縦や斜めに詰め込まれた本。
見渡す限り、全てが本の壁だった。
(これは……片付けができないってレベルじゃないな。簡単に入られないように、わざとバリケードを作ってる感じだ。さて、どうコンタクトを取ったものか)
本を一冊ずつどかしていけば入り口を作ることもできそうだが、開放的な空間を遮ってまで本の壁を作った司書殿の心情を尊重するなら、これを壊して進むことはできない。
(完全に塞がれてるし、何処か別の入り口がありそうなもんだけど)
圧迫感もあって近寄りがたかった本の壁に歩み寄り、注意深く観察する。
が、視線を前方に集中しすぎたせいで、散乱していた本に靴の先端が触れてしまった。
本の壁越しに声が聞こえてきたのはその直後だった。
「貴方がメディウム?」
どこか棒読みで、あまり感情のこもっていない喋り方。
本と本の隙間から見えるのは二の腕くらいだが、その細さからして相当華奢なのが分かる。
「ああ。ここを通してもらいたいんだけど」
「貴方は『パペッター』? それとも『パペット』?」
「ぱ、ぺ……? ごめん、意味が分からない」
「貴方の持つ『IA』の特徴は?」
「アイ、エー……???」
訳の分からない言葉を並べられ、神慈の頭上には大きな疑問符がいくつも浮かんだ。
恐らく彼女は、メディウムにしか分からないことを聞いて、神慈が本物かどうかを確かめようとしている。
しかし神慈には全く理解できなかった。
これでは到底信じて貰えそうにない。
「……アイエーっていうのは、何かの略?」
「Intracerebral areaの略」
神慈は即座に手持ちのスマートフォンで調べてみた。
(脳内、エリア? 駄目だ。全く分からない)
「分からない?」
「正直、さっぱりだ」
「無駄な話だった。帰って」
冷たく言い放ち、本の壁から離れていく司書殿。
ならばせめて名前だけでもと、神慈は声を大きくした。
「瀬名神慈! この名前に聞き覚えはないか!?」
その名前は関係者なら誰もが知っている。
逆に知らないのであれば、その者は偽物と断定しても良いくらいに効果のある名前だ。
メディウムが増えた要因は、間違いなく神慈が無事に生まれてきたことにある。
他のメディウムと違い、個人情報が垂れ流しになっていた神慈のことを知らないなどまず有り得ない。
「……」
何かを考えているのか、司書殿はしばらくの間一言も口を開かなかった。
これ以上粘っても無駄か、と神慈が踵を返そうとしたところ、ようやく声が掛かった。
「近い未来、貴方に災難が降りかかるかもしれない」
「と、唐突だな。占いか? それとも予言?」
「目覚めるかどうかは貴方次第。だから、私から言えることは一つだけ」
「?」
「覚悟を。何が起きても動じない心構えを、常に持って」
先程までの感情のない声とは違い、少し心配そうに司書殿は言った。
「そうすれば、災難とやらを乗り越えられると?」
「目覚めることができたら、またここで。今度は面と向かって話しましょう」