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短編「首絞めさん」に加筆したものです。
小さな街に新しい都市伝説ができた。
首絞めさん。
人生に絶望し死にたいと思いつつもなかなか死ねない意気地なしな者、自殺志望者の前に影のように現れ、命を刈り取っていく存在らしい。
ただ刈り取るのではない。自殺志望者にとって大切な「物」と交換することで、自殺志望者の望む死を与えてくれる。自殺志望者にとって、とてもありがたい存在だ。
ここまでだと、ただの酔狂な殺人犯じゃないか、と思うだろう。しかし、そこは都市伝説になるくらいだから、オカルト的、ホラー的な要素もある。
「首絞めさん」は名前の通り、命の奪い方は「首絞め」である。
だが、その首の絞め方が普通ではないのだそうだ。普通であるならば、首を締める時は手、もしくはサスペンスドラマでよく見るロープや電気コードなどの道具を使う。しかし、首締めさんは手を使わない、他者の手を借りるわけでもない、道具も使わない。何も使うことなく首を締めるのだという。
だって、首締めさんには腕が無いのだから。
以前、某ローカル掲示板サイトに投稿されていた都市伝説の記事内容を思い出した。
記事を見た時は、「なにこれ?こんなのいるわけない、あえるもんならあってみたいね」等と強気なコメントを打ち込んだものだ。
私、青木なでしこは、数分前までその願いが叶うとは思いもしなかった。
本日は七夕。日中よりも暑いのではないだろうかというくらい蒸暑い夜。
私は、同級生からのいじめにより高校を中退。人見知りとコミュニケーション能力不足により職に就くことが出来なかった所謂ニートというものである。
顔を合わせるたびに両親から、そんな子に育てたつもりはないとヒステリックに叫ばれ、自分自身も何故こんなふうになってしまった、してしまったのだろうと、後悔と現実逃避を続けて一年半。
我慢の限界だったのだろう、父から暴力を振られ、その「痛み」から逃げ出すように私は裸足のまま家を飛び出した。
衰えた体を叱咤しながら、人通りが少ない方へと当てもなくただ走った。
思い浮かぶのは、暴力を振った父の怒りと悲しみの表情と、その後ろにいた母の苦痛に歪んでしまった顔だった。抑えられないほどに我慢をさせていたのだろう。
私も自身の行き止まりの現状に対して我慢の限界だった。私の能力不足により起きた事だと頭の隅では理解していても、そう思いたくなくて。社会から理不尽に排除されたのだと思い込んで。そうやって自分のちっぽけな尊厳を守っていた。でも、次へと進む道が断たれたと同時に、生きていく理由も失われてしまった。
もう、どうやって命を絶とうか、そればかりずっと考えてきた。その考えてきたことを実行するのが今日なのかもしれない。
あてもなく走り続けていると、天の川が見えているのに足裏が濡れていくのを感じた。多分、凸凹したアスファルトによって皮膚が傷つけられ、出血したのだろう。
家を飛び出してどのくらい経ったのだろう。いつのまにか地面は、アスファルトから土に変わっていた。アスファルトによって出来た傷口に、砂が入り込み、ズキズキと痛む。
もう走ることも歩くことも出来ない。
ハアハアと不足した酸素を一生懸命に取り込みながら、あたりを見回すと、私は、街では有名な自殺の名所である大きな橋に辿り着いていた。
「…………。」
錆びた欄干に近寄り橋の下を覗き込むと、大小バラバラなゴツゴツとした石が沢山転がっている。昔は川だったらしいが、私が生まれる二、三年程前に、その当時は過去最強と言われた大雨により土砂崩れがおきた。その土砂が水を堰き止め現在のように石だけが残る場所となったらしい。確か小学生の頃社会の授業で、自分たちの住む土地がどんな所かを知ろうという内容で教えられた気がする。
(ここから飛び降りれば、死ねる)
ニュースでよく報道されていた、この橋での自殺。多くの人がここから飛び降り、人生を終わらすことが出来た橋。ならば、きっと私も同じようにこの人生を終わらせられる。
他者の視線も、私のこのどうしようも出来ない気持ちも、何もかも全て消すことが出来る。そうしたらどんなに楽だろう。そう思い欄干に足をかけた。
あとはこの役立たずの体を上に持ち上げてしまうだけ。なのに、そんな簡単なこともできなかった。
落ちたらあのゴツゴツとした石が私の体を傷つけるのだ。足裏に入り込んだ小さな砂粒でさえこんなにも痛みを感じるのに、大きな石に打ちつけられた痛みを想像したら……。
目の前に全てからカイホウできる術があるという時に、これから起こるだろう痛みを想像して、いとも簡単に私の体は拘束されてしまった。
欄干に足をかけたまま何分、いや、もしかしたら何時間も経ってしまったかもしれない。私は進むことも戻ることもできない意気地なしの自分自身に嫌悪し、涙を流した。
枯れることのない涙が喉元を伝い、やがて服の中に入り込んだ。涙が冷たいと感じた時だ。
ふと背後から感じたことのない気配を感じ私は不安から、体はそのままの状態で首だけ動かし、後ろを振り返った。
振り返った先には、一人の男がいた。
道路の中央を表す白線の上に、まるで元からそこにいたかのように。コンクリートから青々と生えている雑草と同じように真っ直ぐ立っていた。
(いつから?足音なんて聞こえなかった。それにこんな遅い時間にこの橋に来る人なんて……。私と同じ?それとも自殺する人がいないか巡回に来た警察官か何か?)
私は、男がいったいどの立場の人間なのか、思考を巡らせながらも、その姿を恐る恐ると見つめた。
男は夏だと言うのに、全身を隠すくらいに長い真っ黒なコート姿だった。フードで顔を隠すほどに深く被っていて、男がどんな表情をしているのか見えない。
「あなたは死にたいのですか」
唐突に、男が抑揚のない声で私に問いかけてきた。どうしてだろうか、戸惑いながらも私は素直に頷いてしまっていた。
私が頷いたのを見て、男は話を続ける。
「あなたの大切な物をひとつ、私にくれるのなら、あなたの望む死を私が与えましょう」
「本当に?」
疑問を素直に声に出してしまった私に、今度は男が頷いた。
「でも、私、今何も持ってない。あげる物がないよ」
「なんでもいいのです。あなたが私にくれたという事実があれば、なんでも」
男はそう答えて、私の前に立ち続ける。
日常ではあまりしない話の内容に、私はなんと返答すればいいのか分からなくなってしまった。
今まで声を発していたのが嘘かのように男を見つめることしか出来ない。
私の返答を黙って待つ男と、男に返答できずに黙ってしまった私を、生ぬるい風が撫でるように通り過ぎて行った。
その瞬間、私は目を疑った。男が着ているコートの袖が、風に従うようにゆらゆらと靡いているところを見てしまった。
なぜ、おかしい、そんなことはありえない、だってそうだったら、まるで腕が……。
私は、ふと、まだいじめの「い」の時も知らない頃に掲示板で見た、あの都市伝説の話を思い出した。
死を与えてくれる「首絞めさん」の話を。
〈だって首締めさんには腕から下が無いのだから。〉
蒸し暑い夜だというのに、急に背筋が凍ったように感じた。それと同時に心臓がポッと温かくなったようにも。
(この男は、私がいるわけがないと否定し、でも本当は心の底でいたらいいのにと願った、あの「首絞めさん」なんだ。)
首絞めさんだと知った瞬間、私の体は正常に動くようになった。
私は欄干に掛けていた足を地面に下ろし、首絞めさんと向かいあうようにして立った。
私は、青木なでしこ。
神様、悪魔、おばけ等、目に見えない存在は信じないと言いながらも、本当はいるかもしれないと信じていて、怖いけど本当は見てみたい、会ってみたいと思っていた元女子高生。
誰にも言ったことがないけれど、都市伝説は大好き。
いつか顔のように見える模様の付いた鯉を買ってみたいと思いながら、「ペットを飼うなら何を買いたい?」と聞かれたら、綺麗な色をした熱帯魚と答えていた。
中学生の時に両親から、あの高校に入ってくれたら嬉しいなと言われ、物覚えがあまり良くなかったけど、一生懸命勉強をして、地元から少し離れた高校に入学した。
でも、いじめにあい高校を中退した。
いじめは、クラス全員からだった。いじめられるきっかけがなんだったのかは、もう思い出せない。
最初は些細な嫌がらせだった。けれど、私の反応や態度が悪かったのかもしれない。
段々とエスカレートしていき、教科書はゴミ箱に捨てられ、足を引っ掛けられ、机と椅子はミミズで覆われた。
その頃、密かに想っていた初恋の相手に「気持ち悪いお前なんか誰にも愛されないよ」と笑われた。登校拒否をしてしまった私を、両親は心配するよりも世間体を考えて怒った。
もしかしたら私の未来のことも含め怒ったのかもしれない。でも、私に向けられたのは叱咤でなく叱責だった。怒られても良いから「私の味方だ」という意味が込もった一言が欲しかったのに。
学校側は、いじめを無かったこととして、「登校拒否をするのは勉学をする意思がないということなのだろう?悪いが自主退学して欲しい」と学校の評価を貶める要因である私を排除した。
引きこもりとなってしまった私を心配して会いに来てくれる人も、私の気持ちを聞いてくれる人もいなかった。
きっと誰にも必要とされていない、きっと誰かに何かをしてあげることもしてもらうことも無い。
そう思い込んで殻に閉じこもる私の前に「首絞めさん」は現れ、私に物を要求する代わりに死を与えてくれるのだという。
私が私として認められなくなってから初めてのことだった。初めて私のことを見て、私の思いを汲み取ってくれた。
私はたぶん嬉しかったのだと思う、久しぶりに口が弛むのを感じた。男は微動だせずに私の前に立ち続けている。
私は、私の願いを叶えてくれる男に。全てが空っぽの私にこれから進む道を作ってくれたこの男に。感謝の気持ちを伝えることが出来るように。男にそれが伝わることを祈りながら。男に渡す私の大切な物を口にした。
「私の大切な腕をあげる」
「……では、あなたの腕と交換であなたが望む死を与えましょう」
男は、たんたんと言葉を吐くと、私を地面に押し倒した。
男が動いた時、ふわりとコートの袖が風に揺られた。膨らみがなくペチャンコで、やはり男には腕が無かったのだと再認識した。
アスファルトが私の背中から体温を吸収していく。地面に押し倒されたはずなのに、体は不思議と痛みを感じなかった。
私はフードを深くかぶって見えない男の顔を見つめた。男が僅かに動き、フードの隙間から男の口元が見えた瞬間、私の首がギュッと締まるのを感じた。
男は、私の首に触ってなどいない、道具も使わず、本当に何もしていない。ただ私に馬乗りになったまま。
それなのに、苦しい、とても苦しい。どんどん首が締まっていくことで感じる痛みと圧迫感で、涙が溢れて視界がぼやけた。
死を望んだはずなのに……。
私は苦しみを取り払うために、腕を首へ持って行こうとした。だが、私の腕のはずなのに腕がピクリとも動かない。
身を捩ろうにもまるで金縛りにあったかのように一ミリも動かすことができなかった。首がミシミシと悲鳴を上げる音が聞こえた。
もう何も考えることができない。
意識が途切れる瞬間、首絞めさんが何か言葉を発したような気がした。
私は、青木なでしこ。
いじめを受けて高校中退、社会から排除された所謂ニートというものである。
七夕の夜、首絞めさんという都市伝説と出会った私は、私の腕と交換で、首を締められ死んだ。
ここは小さな街。田舎ではないが都会でもない中途半端な街。
そんな街で私は今日も、あの黒いコートを着た男の後を追いかける。
男の周りには、いままで男によって首を締められて死んだ者たちが、逆恨み同然で男に憑きまとい、怨嗟の声を浴びせかける。
(そんなことをしても意味なんてないのに)
私はいつものようにその光景を見て呆れるのだ。でも怨嗟を吐く彼らは、怨嗟を吐くことしかすることがないので、それは仕方のないことなのかもしれない。
さて、男、そう、首絞めさんである。首絞めさんは、そんな怨嗟の声などお構いなしに悠々と街を歩いていく。コートのポケットに腕を突っ込んで。
……はい、そうです。私は、死にました。
死んだのです。死んだ私は幽霊になったのです。まさか死後の世界があるとは想像もしておりませんでした。……ごめんなさい、嘘です、私は嘘をつきました。本当はあったらいいなと思っていました。
死後の世界はとても暇です。生きていた頃にしていた勉強も食事も睡眠も必要ではありません。なので、するべきことが何もないのです。
ただ毎日、死んだ時間になると死んだ時の苦しみを味わうことになるので、それはとても辛いです。でも、その時間以外は、自由時間であり、とても暇なのです。
はい、私は死にました。
死んだ私は、特に何もすることがないので、あの怨嗟を吐く彼らが取る行動を真似するように。彼らから少し距離を空けて、首絞めさんの後を付いて回ります。別に私は首絞めさんに恨みはないので首絞めさんを眺めるだけなのですが。
はい、私は死にました。
「首絞めさん」という都市伝説になった人間の男に、首を締められて死んだのです。
以前、1にあげていたものは2の頭に移動しています。ご理解の程よろしくお願いいたします。