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04 Wealth

胸糞注意

          4


 日が落ち、雨が降り始めた。


 キャピタル・シティの町の外れ、かつてシティが王国だった頃には町のほぼ中央に位置していた教会の鐘が、夜時間への移行を告げる。その鐘の音を遠くに聞きながら、チャージはふらりと家を出た。


 石畳で完全に道が舗装されているキャピタル・シティでは、雨だからといってぬかるみなどによる交通の滞りもなく、外套を羽織ったり傘を持った人が目立つ以外は、特に普段の街とこれといった違いはない。


 むしろ雨の日のシティは、行商の停泊所としての役割を持っている。綺麗に町が整備され、物資も豊富なこの街をで雨を凌ぎたい行商人は多い。雨季は特にそれが顕著だ。これもまた、商人の一団体が始め、成功したビジネスだった。


「チャージさん、どちらまで?」


 閉じようとしていたドアを手で押しのけ、家の中から顔を出したメアリーが、チャージの後姿に声をかけた。通りのガス灯の明かりに、彼女の顔が明るく照らされている。


「ああ、ちょっとな」


 それは質問に全く答えていない回答だったが、メアリーはそれ以上の追求をせず、無言で頭を下げた。それが特に決めているわけではないが、二人の間での暗黙の了解だった。


「行って来るよ」


「お気をつけて」


 その『お気をつけて』は、決して単純な意味で発されたものではないのだろう。



          ・



 雨の夜は流石に蒸し暑いからか、こういう夜は流石の中央通りを行き交う人も、互いに距離をとって歩く。ただそれもこの街の人間にとっての『離れて歩く』であり、街の外の人間からすれば、依然として驚異的な人口密度であることに変わりはない。


 家を出たチャージは、幹線道路から横道に逸れ、そのまま裏道を進んだ。


 言うまでも無く、幹線道路を行きかう人ごみは、シティがどういう都市かを観光客たちに向けて理解させるのに最も適した光景だろう。しかしそれはあくまで観光客向けでしかない、シティの美味しい所だけを掬い取った光景でしかないのだ。


 それは、幹線道路から外れた裏通りを通ってみれば一目瞭然だ。比喩や皮肉などではなく、本当の意味でキャピタル・シティという街は「金が全て」なのだ。


「……なぁ、あんた腕の良い商人なんだなぁ。見れば分かるよ」


 早足で歩くチャージの足にすがり付いて来た、白髪だらけの痩せこけた男を、しかし彼は無理矢理引き剥がそうとはしなかった。自分も一歩間違えれば――本当にたった一歩だ。そして間違いなく、その踏み間違いかねない一歩は近いうちに来る――自分もその浮浪者と同じ身に落ちてしまうかもしれないのだ。


「ちっとばかりでいいんだ、銅貨でいい、恵んじゃあ貰えないか」


 チャージよりも随分年上の、五十ほどに見える男は、媚びへつらう様な笑みで彼を見上げた。それでも男を引き剥がさない。しかし同時に、彼はそれを見ても眉一つ動かさず、無表情のままだった。


 たった一夜にして奴隷が大富豪に成ってしまう事があれば、逆に大富豪が奴隷階級まで落ちぶれてしまうこともある。それは何か大きな取引の成功が切っ掛けであるかも知れないし、あるいはただ単に、金持ちが落としたはちきれんばかりの財布を拾っただけなのかもしれない。あるいは殺人も。


 ただ一つ言えるのは、この街は、その金を手に入れるにあたっての手段はなんら気にしないという事だ。過程はどうであれ、金を持っている人間が上位。それは揺ぎ無いこの街のルールだ。


 商人たちにとって、リスクとリターンが釣り合わないからこそ、人殺しなどによる略奪が表立って行われないだけで、人殺しをすることにリスクが無いのならば、彼らは金の為に人を殺すことに何の抵抗も感じない。


 もちろん、商人たち自身がそうなってしまうであろう事を冷静に自己分析出来るからこそ、それを阻止するために企業連による大規模な警察組織が存在し、キャピタル・シティは『人殺しすら厭わない金の亡者の街』では無く、『数学と経済の街』という姿でいられるのだ。


「もう、貧民街にすら居られない。金が無いんだ、金さえあれば俺は――」


 徐々に嗚咽が混じり始めた男の言葉を聞いても、チャージの表情は変わらなかった。


 金があればそれこそ住む世界が変わる。


 それを最も分かりやすく示しているのは、キャピタル・シティ内の居住区は個人の所有財産を基準にして分けられているという事実だろう。貧乏人や敗者は有無を言わさず貧民街に追いやられることになる。


 唯一、職人街という例外が存在するが、そこはキャピタル・シティが職人の持つ技術を特殊な財産と見做しているからこそ、所有財産に無関係なのであって、もし才能が無いのなら、その職人志望者は貧乏人と同義だ。


 残酷なまでに実力主義。宗教や慈悲には一切目を向けず、弱肉強食という大自然の基本原則だけにしたがっているからこそ、キャピタル・シティは強大なのだ。外の人間はそれを人として間違っていると言うが、シティの人間には理解できない。正しいと、誰もが理性的に判断を下している。それは感情を伴わない、理性のみによる判断だ。


 幼いころからキャピタル・シティという街で育ち、商人たちを見つめ続けてきたチャージにとっては、むしろ、他国の人が生きる上で他人に優しさや思いやりをかけるという行動の方が理解できなかった。身内や家族への愛情が無いわけではない。ただ、親切や情けというものを持っていないのだ。そうあらなければ、生きていけない街なのだ。


 キャピタル・シティを生きる人間は、生きるために日々の中で一瞬たりとも気を抜くことが出来ない。夜の街を照らす、豊かな経済力によって大量に輸入された油が、商人たちから眠りを遠ざけ、休まず金を操り続けることを要求するのだ。


「いや違うか、なぁ、おかしくないか。俺は金が欲しいわけじゃ無いんだ、ただ、人並みの暮らしが欲しいだけなんだ。俺が失くしたのは、奪われちまったのは金で……そういうものじゃないんだ」


 チャージの周囲の大人たち――商人は何であろうと全てを金へと変換してみせた。それこそ、信用すらも。


 数字こそが世界の価値を図る唯一無二の物差しであり、そして彼らはそれでしか物事を見ようとしなかった。画一化された価値観の中で、商人たちの間で連綿と受け継がれてきた理論と人脈を最大限に活用し、金を使い、金を得る。


 価値の無限大の増幅。それだけが目的だった。


 ついに泣き出した男から目を逸らし、薄暗い裏通りを見れば、他にも男と同じように咽び泣く人間が居た。


 逆転を狙って捨てられた数日前の新聞を拾い、食い入るように株式情報を見る人間も居た。靴磨きの看板を掲げる子供が居れば、僅かばかりの金でポーカーに興じる老人も居るし、街の経済推移を語り合う十歳にも満たない子供同士や、かつての仲間内での集まりもあった。


 雨の裏通りは、その鬱々とした雰囲気に湿り気を加えて、想像を絶する暗澹とした空間になっていた。シティのあちこちで生まれた澱みが、雨水と共に流れ込んで、腐っていく場所がここなのだ。


 ため息をついて、チャージは静かに言い放った。


「金が正義だ。お前が金に見放されたんじゃない、金を失った訳でもない。ただ、お前は金を操る人間じゃないって事だ。数字が見えない、金しか見えない人間にこの街で生きていく力は無い。資格も無い。嫌ならこの街から出て行け、そしてどこかで野垂れ死ね」


 子供から老人までが、高度な数学知識を駆使し膨大な情報群をごく自然に処理し、複雑な経済概念を理解出来ているこの街は、やはりどこかおかしかった。


 しかしこれこそが、キャピタル・シティの日常だった。


「ただ――」


 そして、人としての最低限度の暮らしすら許されないこの裏通りでも、そこに利用価値があるなら、徹底的に利益を搾り取るのが、商人だ。


「だが、最後に一つチャンスをやろう。その服を買い取ってやろうじゃないか。それも破格の値段で、だ。お前が高級料亭に入ることさえしなければ、一月程度は上手い食事をたらふく食えるだろうさ」


 足元に縋り付く男に向かって叩き下ろす様に発されたチャージの言葉に、男は無形の衝撃を浴びたように体をぴくりと震わせ、固まった。やがて男はチャージを見上げて、おずおずと切り出した。


「お前に服を売って、俺は何を着ればいいんだ。あんたがその服と交換してくれるのか」


 男の質問に、チャージは目を丸くした。交渉をする以上、ありとあらゆる会話の可能性を想定してはいるが、こういった返しが来るとは思っていなかった。


「そんな事をいちいち聞くのか。お前もかつては商人だったのだろう? だったら分かるはずだ。俺がここでお前に服を用意してやることで、何か利益が発生するとでも言うのか? ありえんな。お前がここから大成するかもしれないというのは、あまりにも分が悪い投資だろう」


 チャージの言葉に男は再び固まり黙り込んだかのように見えたが、やがてにわかに震え始め、顔を赤らめた。そしてチャージの顎へ頭突きをするかのような勢いで立ち上がり、激昂して叫んだ。


「俺にここで裸になれというのか! こんなになった俺を、そうまでして辱めようって言うのか!」


 対するチャージは、目の前で怒鳴られても飄々としていた。自分の品位を落としたりはするものの、交渉慣れしていない人間に対しては、勢いで怒鳴り散らすのは効果的だったりする。自分も駆け出しの頃は、大人によくやられた手だと、懐かしむ気持ちさえある。


「そんなにまでなって、まだ誇りだの何だの言っているのか。周りを見てみろ、考えるまでもなく、答えはすぐに見つかるはずだ。お前は金が欲しい、そうだろ?」


 お前は金が欲しい、その言葉を実感したのと同時だったのだろう。ではこの目の前のやり手の商人は何が欲しいのか。かつて商人だった頃の名残か、男の『商人』としての思考が、少しづつ戻ってき始めていた。


 男の語気が、次第に強くなっていく。


「……いや、違うぞ。俺だって商人だ! 商人だったんじゃない、商人だ、今でも、俺は! お前は、今俺が来ているこのボロボロの服に、何らかの価値を見出したんだ、そうだろう! だったらこの交渉の主導権は俺にある。なあ、あんた。どうだ、得意の口先で、俺にこの服を売る気にさせてみろよ!」


 その言葉を聞いて、チャージは無言で金貨を、その男の足元に放った。


 重みのある金の輝きが、硬質の音を立てて雨の石畳に転がった。激昂して、チャージに食いかかっていた男の目線が、チャージが金貨を投げると同時に、それに吸い寄せられていった。転がる金貨が、男の擦り切れて履いていても殆ど裸足と変わらないような靴に当たって、倒れた。シティが今の姿になる前から使われている金貨には、かつてのこの国の国王の横顔が描かれている。


 惚けたようにそれを眺める男に、チャージが静かに語りかける。


「どちらが上だろうがね、そんな事は大して問題にならないんだ。お前が今しているその表情、それが全ての答えだと、私は思うがね」


 男が下唇を噛み、うつむいた。その唇には、血が滲んでいる。


「すまない。売らせてくれ……いや、買い取ってくれ」


「買い取ってください、じゃないのか?」


 男の握り締めた手が震えている。


「――買い取って下さい」


「じゃあ、渡してもらおうか」


 裏通りの住人達は、一連の流れを呆然と眺めている。彼らはそれに対して、何かしようとも思わなければ、出来るとも思わなかったのだ。


 やがて、地を這うような肌寒さが漂う裏通りで、男は下着すら残さず服を脱いだ。そして男はそれをチャージへ、無言で差し出した。


「ああ、それで良い」


 そういってボロボロの服を受け取ったチャージは、満足げな笑みを浮かべると、そのまま何も言わず、男に背を向けた。


「――おい! 話が違うだろ!」


 一瞬、男は何が起こったのか分からず唖然としかけたが、すぐに立ち上がり、チャージへ後ろから掴みかかろうとした。が、チャージは滑らかな動きで体を半身に反らして男を避ける。勢い余ってチャージの前へと倒れこんだ男は、またすぐに立ち上がろうとして、這いつくばった姿勢のまま、チャージの顔を仰ぎ見た。


 そして、その顔を凍りつかせた。


「そうだ、俺はその表情が見たかったんだ」


 金が貰えると知ったときの安堵に緩んだ表情。それが嘘だと知ったときの激昂、絶望。


 しかし、男がチャージから皮袋を受け取ったその瞬間、その顔が一瞬、安堵に緩んだのをチャージは見逃さなかった。


 人がその精神を捨ててでも、金をその手に取る。極限状態の人間のそんな表情が、チャージの一番好きな表情だった。

4/19 改稿

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