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03 Trap

          3


 チャージは、ヒューマンの男とリザードマンの男が立ち去ってすぐに行動を開始した。彼らが出て行ってから、家の前の通りで鉢合わせしない程度の、最低限度の時間だけを空けて、書斎のデスクを立った。


「メアリー、情報屋のところへ行って来る。留守を頼む」


「畏まりました」


 テーブルの上のコーヒーカップを片付け、台拭きでテーブルを拭きながら、メアリーはチャージの方を向かずに聞いた。


「チャージさんが言ってた、幾つかの特定物資の輸入が増えてるって言うお話、この事だったんですね」


 閉めかけのドアの向こうから顔を出しつつ、チャージはメアリーに、悩む生徒を見て微笑む教師がヒントを出すように、おどけて言った。


「あまりにも品目が特徴的でありながら、それを必要としそうな者・団体は見事にばらけている。どれか一つを除いて、それらの品目は全てダミーだ。自分が特定品目を集めていることを悟られたくない何者かが、裏で手を回したんだろう。所詮、三流のやることだ。そう複雑な話じゃない」


 どれが正解か、考えてみるといい。そういい残して、ドアは閉められた。



          ・



 おそらくこの時点で行動を開始しているのは、チャージを含めて数人くらいなものであろう。リザードマンは、シティに流入し始めた行商人のうちでも、最速グループの一人のはずだ。しかしチャージはこの情報を、数日前には行商ギルドから引き出している。チャージに匹敵する情報網と人脈を持っているような商人の数は、そう多くは無い。


 だからこそチャージは、その僅かなアドバンテージを最大限に生かすため、数日もしないうちにシティ全体に拡散するであろう情報を、リザードマンに法外な金額を払ってでも足止めしたのだ。


 そうして稼げた時間も、半日あるかどうか。しかしそれこそが、値千金の価値を持つのだ。時は金なり。この格言は、シティにも存在する。むしろこの言葉を最も尊重しているのがシティであろう。


 企業はチャージと同等の情報を、同じかそれよりも早く入手しているはずだ。じきに、企業の尖兵が放たれる。企業はその組織規模に対して、異常なまでに行動が早い。そうしなければこの街の市場には対応できないからだ。


 半日、あるいは数時間。それだけしかないが、それだけで十分だった。彼にはその自信があった。


 チャージは、この情報がシティ全体に波及するまでに、全てを片付けるつもりだ。



          ・



 春夏秋冬、朝も夜も。チャージは、相も変わらず止まない大通りの人ごみの中を、黙々と進んでいた。


 ぼんやりと前方を眺めているように見えて、視界に入った情報を取捨選択して、記憶の片隅へと放り込んでいった。情報収集はするが、辺りを見回しながら歩くような真似はしない。


 今回も初めて会う情報屋だった。チャージは得意先の情報屋を持たず、利用する情報屋は毎回変えるようにしていた。情報屋は強力な支援になるが、情報屋こそが最大の敵でもあるからだ。


 今回の案件では、企業クラスの情報網を持った情報屋しか、チャージ以上の情報は持ち得ない。未だ関わりを持たないフリーランスの情報屋の中で、それだけの情報網を持つ人間はおそらく今から会う男一人くらいなものであろう。


 彼は主要幹線道路から支線へと入り、そこからさらに折れて小道へと進んでいく。さらに奥まったところにある、石造りの街から妙に浮いた小さな木造の店が、彼の目的地だ。


 建物の至る所にあしらわれた意匠がどことなくエキゾチックな雰囲気を感じさせる、まさに『知る人ぞ知る』という店だった。店内も概観を裏切るようなことは無く、木製のドアを開けて店内に入ったチャージを、乱雑に積み重ねられた雑貨の山が出迎えた。


 どう奥に進もうか、後ろでにドアを閉め一瞬躊躇した彼の鼻に、強いアルコールの臭いが突き刺さる。彼は思わず顔をしかめつつも、雑貨の迷路のような店内を縫うように通り抜け、奥のカウンターへと向かう。


 小さなカウンターに頬杖を着いて佇む初対面の男に、チャージはためらいも無く話しかけた。店内にはその男一人しかいない。おそらく、目的の人物はその男で間違いないだろうと判断してのことだった。


「商人のチャージだ。情報屋のチャーリーで間違いないか?」


 手短に自己紹介と取引相手の確認を行う。商人はそのほとんどが無駄な会話を好まない。なにより、チャージ自身が回りくどい会話は嫌いだった。腹の探り合いや交渉、という意味での回りくどい会話はまた別だが。例えば、余裕を持ってゆったりと話す事は、自分を話し合いにおける上位者と位置づけると共に、会話の主導権を握ることが出来る。


「ああ、そうだ。お前さんの事は知ってるよ、名前も、腕前も」


「そいつは有り難い」


 酒瓶を煽りながら陽気にそう言うチャーリーの態度は、明らかにチャージを舐めていた。彼はカウンターの前に立つチャージを、下から舐めるように見回す。


 ぼさぼさの髪と無精髭、酒気を帯び赤らんだ頬とだらしなく開かれたままの口。着崩したランニングシャツは片方の肩紐が二の腕までずり下がっていた。丸椅子の上に膝をたてて座る姿は裏通りの不浪人と大差ない。年齢は、チャージと同じか、それより下だ。


 一目でいい加減な人間という印象を抱かせるが、あるいは、そう思わせること自体がチャーリーの目的なのかもしれない。またはそういう風に計算高い人物と思わせて、実際は単にだらしないだけなのか。


 しかし、この手の事は考えるだけ無駄なのを、チャージは経験から思い知っている。


「何を売ってるんだ?」


「見ての通り、お宝の山さ」


 チャーリーはおどけた様に両腕を大きく広げ、店内の雑貨の山を見遣る。


 骨董品や、どこの国のものかもわからない食器、タペストリー。チャージはその手の鑑定眼は殆ど無かったが、なるほど、この中には人によっては千金に値する品もあるのかもしれない、そう思った。


「そうか。お宝か」


 呟きながら、チャージはジャケットの胸ポケットからタバコの箱を取り出してみせる。軽く掲げて見せ、喫煙の可否を動作だけで聞く。それに「気ぃ使うな、見ての通りだ」と手をひらひらさせながら言いチャーリーが了承の意を示す。


「目に見えないものも取り扱ってると聞いて、来たんだが」


 傷だらけのオイルライターを取り出し、タバコに火をつける。アルコールに満ちた店内に、新たにチャージの口から吐かれた煙が加わった。


「うんにゃ、むしろ逆さぁ。目に見えないものが本業。お宝は趣味の品だ」


 お求めの情報は? あえてそう続けはせず、チャーリーは下品な笑みを浮かべながらチャージの言葉を待った。


 単に情報網を持ってるだけではないな。煙を吐きつつ、チャージはチャーリーに対する評価をわずかに上方修正した。単に情報屋というわけではなく、目の前の男はやり手の『商人』でもあるのかも知れない。


 他国における『商人』とキャピタル・シティにおける『商人』は意味合いが異なる。行商人や商売人を表す他国の『商人』とは違い、シティの『商人』はどちらかというと、『金を操る者』を表す。


 全ては金のために。


 金こそが全てにおける正義。


 他国の人間にとって、企業という得体の知れない巨大組織が支配する街で、株式トレーディングや高度な経済戦略を運用するシティの商人は、魔法使いのようにすら見えるのだという。


 金を操る。その表現は他国の人間からの畏怖の証であり、シティの商人たちの当たり前の日常を端的に表現した言葉だ。


「じゃあ、目に見えないものを売ってもらおうか」


 ほれ来た。我が意を得たりという顔のチャーリーは、カウンターの椅子に座ったまま、大きく後ろに反って伸びをすると、猛禽類じみた笑みを浮かべた。常に笑っているが、その笑いに含まれた意味や裏は千変万化する。チャーリーはそういう奇妙な人間のようだ。


「最近、幾つかの特定物資の輸入が増えてるだろう?」


 チャージは何の気なしに、まるで世間話かのように切り出した。簡単に手の内を明かしたのは、その程度には気づいていないと、話にすらならないからだ。もし知らなかったとしても、いかにも知っていた風な顔でそれを隠そうとするのが商人だし、そこからチャーリーの腹芸の能力を見ることも出来るだろう。


 それに、短時間で情報を広める事は難しい。この男が自身で動くわけではないのだから、情報の入手から行動開始までは小さくないタイムラグが発生するはずだ。


「ふぅん。いい嗅覚をお持ちのようで」


「あまりにも品目が特徴的でありながら、それを必要としそうな者・団体は見事にばらけている。どれか一つを除いて、それらの品目は全てダミーだろう」


「ほぉう。お前さんはこの時点でその動きに気づいた人間か。一つならまあそんなもんかと思う程度だったが、複数あることに気づいてんなら話は違う。この時点でお前さんはシティの商人のうちでも飛び切りなのが確定だ。今の時点でそれだけの情報を集めることが出来るってぇのは、お前さんが持ってる情報網も半端じゃねえって事だ」


 チャーリーは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、犯人と正解の物資はどれだと思う?」


「自分が特定品目を集めていることを悟られたくない何者か。そして、本命の物資は――」


 チャージは一瞬の内に、ここに来るまでに何度も反芻した自分の読みを、もう一度確かめなおした。そして、その読みに、少なくとも今の自分の手持ちの情報で推測できる範囲では、間違いがないことを確信して、続けた。


「火薬だろうな」


 チャージの推察に、笑みを浮かべたままではあるが、チャーリーの表情が確かに切り替わった。


「ご明察」


「そこから、真犯人……最終的な物資受け取り人は、幾つかのルートを経由して――鉱山採掘ギルド」


「もちろん、犯人がそれだけじゃないのにも気づいているんだろう?」


「ああ。幾つかのルートを経由する上で、隠蔽工作に関して明らかにランカスター社の支援を受けている。ランカスター社はグルだろう」


 チャーリーが椅子の上で胡坐を書いた膝を叩きながら、十年来の親友にあったかのような笑みを浮かべ、チャージを正面から見つめた。


「いいね、いい嗅覚だ。前に、お前を紹介してきた人間は間違って無かったね、本物だよ。お前はちゃんと臭いが解る商人だ」


「見えるだけだ、臭いなんて俺にはわからん」


 株価や物価、金や物の流れ。その全てを飲み込み噛み砕き抽象化し、そこからシティ全体の、ひいては企業たちの狙いと行動目的をひとつのイメージとして把握する。商人たちが血液として街を流れ駆け巡り、酸素たる金を取引する――キャピタル・シティとはそうやって一瞬たりとも同じ姿をとらない、生き物のような存在だ。


 それを、感じ取る。


 チャージはそれを『見える』と表現した。


 チャーリーはそれを『嗅覚』と表現した。


 一部の商人だけが持ち得る金への本能、天性の才能。他国では金の亡者とすら言われかねないその才能は、しかし、キャピタル・シティにおいてはほかの何よりも羨まれる物だ。そして、彼らが今の地位までのし上がる事が出来た要因だ。


「じゃあ俺から、お近づきのしるしに一つ情報をやろう。抽象的な物言いになるが、企業連は力を温存しようとしている。市場への介入が、僅かではあるが弱まっている……注意しないと気づかないレベルではあるがね。シティ全体への波及にはまだ数日かかるだろうが、ごく一部、上位層の商人たちにも同じような傾向が見える――何か、裏に大きなものがあるね。それもかつて無い規模で」


 そこでチャージは一瞬、黙り込んだ。それは今回行動を起こすに当たって、ただ一つ彼の心に引っかかっていた事だった。


「やはり、お前もそう思うのか」


「その言い分だと気づいてたみたいだな」


 チャーリーの口の端が釣りあがる


「情報自体に、隠蔽工作がされてはいるが、どこか意図的に、外部から感づかれるようにボロを出しているしている節がある。むしろ、隠蔽工作も、これに気づいた人間に『隠蔽していた』という既成事実を作るためだけであるような気さえする。手順自体は、三流のやった仕事だ。出来栄えも。ただ、単純にそうであるとは思えない。……嫌な予感がする。シティ全体が、何かに向けて動いている。俺よりも早く行動を起こせたであろう商人たちが、沈黙している」


 つまり? と、チャーリーが眼だけで聞き返した。もちろん彼はその先の言葉を知っている。


「気づかせること自体が目的――これは、罠だ。この裏には企業連の存在がある」


「それに気づいてて、それでも飛び込むってのかい」


「ああ。ただ、そうであるならば、その真意が分からない。極秘事項であるという属性をつけた情報を、意図的に漏らす。それ自体が目的なのか……。いや、一つ言えるのは、その先にあるものが、極秘情報と言う事にしたがっている、なんでもない情報と言うことだ」


 単純な勘。しかし、それが重要だった。


「今度の波は飛び切りでっけぇ奴だな。今見えてるのは、おそらく表面の部分だけだ。いずれ表に出てくるこの事件の本命からは、シティの誰一人逃れられず、翻弄されることになるだろうよ――お前さん、サーフィンは好きかい?」


「それが金の波ならば。あいにく、俺は生まれも育ちもこの街でね、海なんてものは見たことが無いんだ」


「お前、最高だよ。いいよ、教えてやるよ。何が知りたいんだ?」


「鉱山採掘ギルド幹部の個人情報と最近の動向を」


 真顔で即答して見せたチャージに、チャーリーは小さな丸椅子の上で、腹を押さえて揺れ動きながら笑った。


「よう、サーファーさんよ、あんたは企業とやり合う気か? 上位層の商人が日和見を決め込んでいるのは、企業とやりあうよりは企業が起こす波に相乗りした方がリターンがでかいと踏んだからだ。もし本気でやろうってんなら、こいつは飛び切りの情報だからさ、それなりの額をいただく事になるぜ。俺の期待を裏切ってくれるなよ?」


 チャージは間を空けず、ポケットから取り出した小さな皮袋をカウンターへ放る。見た目に反して、小さな皮袋は予想外に大きな音を立てた。それを卑猥な手つきで掴み取り、軽く中をのぞいて確認したチャーリーは満面の笑みを浮かべた。


「合格だ、大事な事が見えてなきゃこんな額は出せねえよ。最高だ、愛してるぜハニー。返り討ちにされるんじゃねえぞ」


「情報と信頼だけ寄越せ。金以外からの愛は受け付けてないんだ」


 ヒッと甲高い音で、チャーリーが満足げに笑った。


「はっは、こりゃ大仕事になるね」

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