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世界にたった一つの

 目が覚める。部屋はまだ薄暗く、半径一メートル先の物すらぼんやりとしか認識出来ない。

 彼女はまだ眠りたりないといった様子で目を擦り据え置き型の時計に目をやる。

 時刻は午前6時ジャスト。彼女は部屋中に明るい光を届き渡らせベッドから出てると、各個体に割当てられているロッカーの中にある制服に着替え始めた。

 ――そこで彼女は一つの違和感を覚える。

 着慣れているはずの制服が今日はいつもに増して重く感じるのだ。

「………?」

 いつもとは違う調子に戸惑う試験体908。

 しかしその数秒後、彼女は制服自体が重い訳ではなく、からだが重く感じていることを悟った。

 昨日の夜更しのせいだろうか、と彼女は思う。

 だが、クローンは少しの夜更しで体調を崩す程やわに作られてはいない。ましてや風邪などありえないのだ。

「疑問――……」

「試験体908」

 刹那、ドアが開けられるとともに無機質な声が聞こえてきた。

 その声は彼女が聞き慣れている、というより同じ部屋に割り当て当てられている同期のクローンの声だった。

「908号、先程から再三呼びかけているのですが、いつになったら準備は終わるのですか?」

「解答。準備なら今終わった所です」

 彼女は足元にあるスカートを一気に腰までもっていくとドアの方へと向かう。そして試験体908と同期の個体はすれ違いざまに言い捨てた。

「今日実験の担当となっている個体はあなた以外全員出発しました」

「了解。急いで出発します」

 彼女はロッカーから軍用の武器をそのままスケールダウンしたようなアサルトライフルを取り出す。その重さは本物の三分の一、少女の未発達な身体でも十分に扱える重量になっていた。

 それを特注の鞄の中にしまい肩に掛けると。

「それでは出発します」

 試験体908は生涯最後の研究所を後にする。次にここに帰ってくるとしたら、実験の後、すなわち試験体000に殺され、死体となってだろう。



  ◇ ◇ ◇


 数時間後、試験体908は準備を終え都市のある一画に来ていた。そこには主に大学や短大が多く建ち並び、他の区と比べると平均年齢が若干高い地域でもある。

 試験体908の担当する実験は今日の一番最後に行われる実験で、開始時刻は午後七時半。ちなみに今は午前十時なので実験開始まで相当に時間があるのだ。


「さて、これからどうしたものでしょうか」

 彼女はそう呟いてとりあえず町並みを見渡す。実際のところ特に行くあてもないのだが、さすがに同じ場所にじっとしているよりかはどこかでぶらついて残された時間を過ごしたほうがいささか有意義だろう。

 擦れ違う大人は誰もがちらちらと彼女に視線をやる。まだ年端もいかない少女が、こんな時間から学校も行かずうろちょろしてるのだから奇妙に思うのは当然だ。

 だが、そんな視線を気にも止めず試験体908は昨日のことを思い返していた。


『お前になんかあったら悲しむ人だっているだろ』


「何なんでしょうか……このもやもやした感覚は」

 昨日見ず知らずの男に言われたことがこうも頭から離れないと不思議に思う。

 しかしそんな感情も今日まで、試験体000との実験が終わったら全て綺麗になくなる。


 ある程度歩いた所で、試験体908は足を止めた。というのもすぐ目の前に年端もいかない少女が泣いていたからだ。

「失笑。おやおや、これはまたベタな展開ですね」

 泣き喚いてる少女の隣りには一本の街路樹。そこには真っ赤な赤い風船が引っかかっていた。

 おそらくは手に持っていた風船を放してしまい、そのまま木に引っかかってしまったといったところであろう。

 やれやれと言葉を吐き、試験体908は軽く手を延ばし風船の紐を掴む。そしてそのまま少女の近くに引き寄せた。

「うぅ……ヒグッ……グス……え…?」

 少女はいきなり目の前に風船を突きつけられキョトンとする。さっきまで手の届かない遠い場所にあった風船が、今はこんなにも近くにあるのが驚きなのだろう。

「確認。これはあなたのですか?」

「え、う、うん」

 試験体908は風船の紐を少女に手渡し、その場を去ろうとした所で、

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 さっきまで泣いてたのが嘘のように少女は屈託のない笑みを見せてきた。

 そんな少女の様子を見て試験体908には尋ねずにはいられない一つの疑問が生まれる。

「質問。一つ尋ねますが、何故あなたはその様な替えの利く風船などに泣き、笑うのですか? もし風船が引っかかってしまったのなら新しい風船を用意すればよいのでは?」

 少女は突拍子もない試験体908の質問に「えっとぉ……」と言葉を濁して。

「この風船はここにしかない、世界に一つしかない風船なんだよ? いくら替えを用意した所でその風船はこの風船じゃない、これにはなれないの」

 キッパリとそう言い切ってみせた。

「……、」

 少女は風船の事を話しているというのに、試験体908はまるで自分の事を語られているかの様に思えた。

 試験体908も風船と同じなのだ。いくらでも変えが利き、いくらなくなろうと誰も悲しまない。だというのに少女は風船は一つも同じ物がない、変えが利いたとしても、もうそれは同じものではない、そのような旨を言ってみせたのであった。

(そういう考えもあるんですね……)

 試験体908にとって、その考えは理解は出来ても納得はできない。例え一つ一つが違ったとしても、そこに個性を見出せない以上、所詮は見分けもつかない、同一視されても仕方がない存在だ。もちろんそれは自分たちにも言えることだ。


 少女に別れを告げると試験体908は更に歩を進め途中で、第427回目の実験が終了した事を知る。自分の番が迫ってるのを改めて認識すると、試験体908は更にもやもやとした気持ちが強まるのを感じた。

 昨日、初めて『嬉しい』という感情を知ったばかりの試験体908にはこのもやもやとした気持ちを上手く言葉に表せない。

 答えのでないまま更に歩き続けること30分。気がつけば短大や大学ばかりの区には珍しい中高一貫校のすぐを歩いていた。

 校門越しにその学校を眺めてみると、教室にいる生徒は授業を受けているらしく、皆が皆机に向かっていた。

 見た目は中高生と何ら変わりはない試験体908だが所詮は形だけ、生徒でもなければ学校に通っている訳でもない。そんな圧倒的違いをズンと思い知らされたような気がした。

「疑問。学校とはどのようなものなのでしょうか」

 もちろん学校についての知識は基本知識として頭の中には入っている。しかし、知識だけではわからない、実際に体験してみないとわからない事だってある。

 もし自分がクローンとしてではなく一人の人間として生まれていたとしたら、どうなっていたのだろうかと試験体908は考える。

 自分もあそこにいる生徒達の様に、普通に生まれて、普通に毎日を過ごして、普通に死んでいくのだろうか。

 異常に生まれて、異常に毎日を過ごして、異常に死んでいく試験体908にしてみたら自分があの中にいる姿など想像できなかった。

「……」

 だからといってなんなのだ、今の自分の境遇に毒づいていたら『神様』が出てきて『転生』でもさせてくれるというのか。…………残念ながら現実はそんな小説や漫画のような御都合主義には出来ていない。

 現実はただありのままを伝え、そこに君臨する。それを簡単に捩じ曲げることは出来ないのだ。

 試験体908は軽くため息をついてその場を後にした。それが伝えるのは一種の悲しみというものだというのには気が付かないまま。

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