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私に何かあったら悲しんでくれますか?

 とある一画に軍事格納庫のような巨大な建物が三つも並んでいる広大な敷地がある。その横にちょこんとある二階建ての四角い鉄筋コンクリートの建物がクローンの調整と、内部での『実験』が行われている研究所である。

 そこの研究者達は泊まり込みで働く者もいれば定時で帰る者もいるが、この研究所で行われる『実験』のせいか気味悪がって定時で帰る者のほうが多いのは建物に灯る明かりの数から歴然だ。

 時刻は午前一時を回ろうとしていた。

 泊まり込みで働いている職員の大半は床に就いたようで研究所はしんと静まりかえっており、普段は聞こえてない鈴虫の鳴き声なんかも外からは聞こえてくる。

 そんな中ある一室では鈴虫の鳴き声以外にもカタカタとキーボードを打つ音が鳴り響いていた。その音を奏でるのは二〇代後半の女性、佐伯瑠璃子さえきるりこである。彼女はこの研究所でクローンの製造に携わる人物の一人であり、所有しているクローンは試験体908。

「ふぅ……やっぱりあの子が勝つのはほぼ無理のようね」

 佐伯はただひたすらパソコンの画面とにらめっこをしていた。明日の実験をシュミレートし、どの方法ならばあの最悪に勝てるかと、こう何時間も模索していたのだ。

 しかしどんな戦場で、どんな装備で、どんなコンディションで臨もうとも得られる結果は一つ。試験体000による試験体908の破壊。――要するにどうあがこうが自分が育ててきたクローンは勝てないということだ。

 じわじわと侵食してくる絶望を実感していると、不意にギィと鈍い音をたてながらドアが開いた。

「報告。ただいま戻りました」

 入ってきたのは中学生くらいの少女。未発達な体躯を隠すかのようにウインドブレイカーを羽織り、一点の光も宿らない紅の双眸が特徴的な、ちっぽけな一人の少女である。

 彼女こそが佐伯が所有するクローン試験体908。

 そして、明日の実験を最後に二度と会えなくなる儚い存在である。

「お疲れ様。明日は実験の日だったのにパトロールなんてさせちゃってごめんなさいね? 寒かったでしょ」

 佐伯は口ではねぎらいの言葉を吐くものの、彼女の方へとは振り替えらない。佐伯にとってはクローンという道具への配慮なんて仕事以上の価値を持つに値しないものなのだ。ただ使い潰されて消えていく道具。壊れたらまた用意すればいい、ただそれだけの消耗品のために気を配る事自体がおかしいというのが佐伯の持論だ。

「でも、帰ってくるのが予定よりも一〇二分三七秒も遅いわよ。何してたの?」

「謝罪。まだ外には慣れなくてここまで帰ってくるのに予想外に時間が掛かってしまいました。それに――」

「それに?」

 続きを促すが、もちろん佐伯は大して気にも止めない。ただ形だけの会話をしながらキーボードを打つだけだ。そして試験体908に向けられた佐伯の背中は“邪魔をしないで欲しい”と訴えているようにも見えた。

「今日で外に出れるのも最後ですから少しでも長くいたかったのです」

 佐伯のキーボードを叩く指がピタリと止まる。

 ――――今、この人形はなんて言った? たしか、“少しでも長くいたい”なんていう旨の言葉を発さなかったか?

「――ッ……!」

 佐伯は緊迫の表情で息を飲む。

 そんなことはありえない。なにがありえないのかというと、この人形が『~をしたい』なんていう欲求を口に出したことがだ。

 何かを欲求するということは、つまり人間らしい感情が芽生え始めてる兆候を意味する。

 製作者の自分が言うんだから間違いない。このクローンは受精卵の状態から今までずっと一緒だったが、自我を抑える薬品を与えることはしても、決して自我が芽生える要因となることは何一つしていない。

 ……ということは、だ。

 この人形は自分の力で自我の抑制にすら抵抗し、開花し始めようとしているということになる。そんな例は今まで一度も報告されたことはない。似た件として、試験体000は自我の抑制なんて元から無かったかのように、人間とほぼ同じように自我を覚醒させたという件はあるが、それとは根本的に異なる。試験体908は自我の抑制において抵抗を持ち始めてきたのである。

 と、そんな時。

「疑問。佐伯は何をしているのですか?」

 考えごとをする佐伯のパソコンを覗き込むといった形で試験体908が割り込んできた。急に思考が中断され、一時ぎょっとするも、佐伯は気を取り直してうっとうしそうに答えた。

「これはね、明日のの実験場の選択をしてるのよ」

「確認。実験場の選択……ですか?」

「そうよ。……少し休憩にしてお話しましょうか。今何か飲み物を持ってくるわね」

 佐伯は作業を止め、部屋の奥へ飲み物を取りに行く。

「ふふ……」

 興味深かった。明日の実験よりも自分の想定外の道を行くあの人形の存在が。だからここは少し手を止めて、話してみるだけの価値がある――そう佐伯は判断した。



  ◇ ◇ ◇


 部屋に一人取り残された試験体908は、ただぼうっとして佐伯が戻ってくるのを待っていた。

 人を待つというのは命令されればいくらでも出来る。しかしその間好きにしてていいと言われても何をしていいのかわからず、何も出来ないのが通常のクローンである。

 けれども彼女は違う。

 試験体908はこの空き時間の中で何回も、何回もあの少年が最後に放った言葉を再生していたのだ.


『お前になんかあったら悲しむ人だっているだろ』


「困惑。何故あの人の言葉が頭から離れないのでしょうか」

「お待たせ」

 呟いた所で、タイミングよく佐伯が帰ってきた。ビクッと試験体908は反射的に振り向くと。

「あら驚かせちゃったかしら? ごめんなさいね」

 佐伯は二人分のコップを両手に持ち、既に元の椅子に着いていた。飲み物というのが缶ジュースでない辺りからすると研究所内に設置されている自販機から買ってきたわけではなく、わざわざ自分で淹れたのだろう。

「あなたにコーヒーは少し早いかと思ってココアにしたわ さ、冷めない内に飲んじゃいなさい」

 佐伯は右手に持ったコップをぶっきらぼうに差し出す。コップから覗いている茶色い液体はユラユラと容器の中で揺れてほのかに甘い香りを漂わせた。

「感謝。ありがとうございます」

「お味は如何かしら もしかして口に合わなかった?」

「否定。そんな事はありません。とても美味しいです」

「そう、それはよかったわ」

 しばしの休息を味わい一息ついた所で、試験体908はコップを机に置いて口を開く。

「提案。そんなことより本題に移りましょう」

「ええ、そうね。確か、どうしてこの施設の実験場の選択をしているかって話?」

 試験体908がコクンと頷くと佐伯は何やらニヤニヤしながら言った。

「簡単に言ってしまえばね。昨日の実験で施設内の実験場が半壊状態に陥ってしまったのよ。だからその修理が終了するまでは。協力機関の有する敷地内で行うことになったの」

「……そうだったんですか」

 試験体908は最後にココアを一口飲んで立ち上がると佐伯に向かって軽く頭を下げた。

「では聞きたいことも聞けたので私はこれで失礼します」

「ふふ、そうね。夜更しのせいで明日の実験に影響がでるといけないから早く寝なさい」

「あ……聞きたいことならもう一つありました」

「何かしら? なるべく手短にね」

 試験体908は真っ直ぐに佐伯の顔を見て一呼吸置いてから尋ねる。


「貴女は私になにかあったら悲しんでくれますか?」


 佐伯はあまりにも予想外な質問に呆然とした。数多くのクローンを扱ってきたがこんなことを言う個体は初めてだったのだ。

 やはりこの個体は他のとは何かが違う、そう確信した所で。

「あなた……面白いことを言うわね」

 コーヒーを片手に試験体908の方をまじまじと見つめる。

「そうでしょうか……それよりも先程の質問の答えがまだなのですが」

 佐伯はどう答えるべきか迷い、しばらく時間を持て余した。そして数分考えぬいた末に出した答えはこうだった。

「そう、ね 私は貴方達を作った研究者の一人なのよ? つまり貴方達の母親と言っても過言じゃないの だから貴方達に何かあったら悲しむのは当然よ」

「そう……ですか。なら良かったです」

「ま、これで気がすんだでしょ、さっさと寝なさい」

 佐伯は再び作業に戻り始めた。そこからはさっさと去れという意思表示が窺える。

「そうですね、ではおやすみなさい」

「おやすみ、試験体908」

 試験体908は部屋の出口に向かい、ドアに手を掛けようとしたところで、

「さっきから質問ばかりだったんですが、私にも今わかったことがあります」

 そう独り言の様に呟いた。

 佐伯は聞こえてないのか聞き流しているのか反応がない。しかし試験体908は構わず話続ける。

「貴女に大事だと言われた時、私は一つの温かさを感じました」

 それは、と続けて。

「それは『嬉しい』といった私の感情から来たものなのですね」

 その言葉の後に聞こえた音はパタンというドアが締まる音。

 再び沈黙が訪れた。

 しばらく黙ったまま、思い出したように佐伯はフッと笑みを浮かべ一人呟く。

「私も……なかなかに悪党ね」

 ただ一人だけの室内で佐伯の声がいつもより大きく、そしてどこか悲しく響きわたる。


「彼女達のことを思えば、自分達が実験動物と自覚させることが一番の優しさだというのに……死ぬ運命にある子に希望を持たせるなんてこれ以上に酷いことはないわよね」



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