成長過程最適化計画
一人の少女が大通りを歩く。
しかし周りには誰もいなく舗道に等間隔に設置されている街灯がうっすらと光っているだけである。
現在の時刻は11時53分。この時間帯なら人が少ないのもそうおかしいことでもない。
少女の名前……否、形式番号は908。先程行われた実験の個体と同様に、使い捨てられるだけの試験体の一人である。
少女は今、研究所から半径一キロメートル圏内の範囲でパトロールをしていた。もっとも警官のように正義の名のもとに動くパトロールではなく、研究所が行なっている計画を暴こうとする者がいないかどうかの不穏分子の排除が目的だが。
“成長過程最適化計画”。
これが彼女の所属する研究所が極秘で行なっているプラン。
その計画の発端は先人の言葉、“善く生きる”に由来するものであり、はじめはただ“人間がどのようにすれば幸せに生きていくことができるだろうか”、という哲学的な思考を主眼においたものだった。
だが、その計画の目的は途中で大きくネジ曲がり、どのようにすれば“人間は絶対の存在になれるかという”科学的な研究へと移り変わっていったのであった。
モルモットをしいた薬品実験に始まり、どんな環境にでも、どんな天敵にも負けない強靭な人間を作るため実験台として秘密裏にクローンの製造が始まった。クローンの下となるDNAはとある病院と手を結び、作為的に持ちだしたらしい。
それからの実験は研究者一人ひとりが一体のクローンを持ち、自分が思うもっとも最適な薬品の投下、ないしは徹底した調教をし、互いに競わせる。ここまでが第一段階。
そして最後に生き残ったクローンをもっとも優秀な個体とみなし、社会に解き放つ。本当にそのクローンが人間社会に馴染めるかどうかを判断するらしい。これまでが第二段階である
そうしてそのクローンが無事人間社会に馴染むことが出来ればこの研究所は計画の過程をふせ、結果だけを民衆に伝える。そうすることにより最強のクローンに施した過程が全人類に普及し、数百年後には超人のみが存在する地球になるという、そんな筋書きである。
そんな経緯で今まで実験が行われ、お互いのクローンを競わせる実験は今日で第425回までが終了した。明日の実験は第430回まで行う予定である。
「はぁ……」
そして彼女に割り当てられた実験もその範疇にはいっていた。正確には428回目。そしてその対戦するであろうクローンは、試験体000。一番最初の試験体であるにもかからわず、その実力派折り紙つきで今までの対戦でかすり傷を追ったことすらない。今の中でもっとも第二段階に進める個体であると噂されている最悪最凶のクローンだ。
おそらく明日の実験で彼女は試験体000に殺されるだろう。だが彼女はそんなことには動じず、明日の実験のため、身体調整をしに研究所へ戻るだけであった。
もしここで彼女が逃げ出せば明日の死の運命から容易く回避できるだろう。しかし彼女はそんなことはしない、できないのだ。
首にかかった小さな首輪。それは研究所からある一定の範囲まで離れた瞬間起爆し、首どころか全身を粉々に吹き飛ばす。それこそ彼女の身元がわからなくなるくらいに。これがある限り少女は逃げ出すことは出来ない。しかし仮にその首輪がなかったたとしても、少女は逃げることは出来ない。
それは“生きたい”という人間らしい感情は持ち合わせていなかったからだ。 だから彼女の心には死への恐怖もなければ生への欲求もない、ただ明日試験体000に殺されることを使命として動く人形としての存在でしかなかった。
研究所へ戻る途中の彼女ではあったが、まだまだ着きそうになく、いつまでたっても周りの景色はそこまで変化はなかった。
歩きはキツイな、なんてぼやいてる所で
「よう、お嬢ちゃん こんな夜中に一人でこんなとこをふらつくのは危険だぜぇ?」
一人の男の声が少女に向かって投げかけられた。それが合図だったのか、更に複数の男達が彼女の周りを取り囲んでいく。
「君、こんな時間にふらつくってことは家出っ子でしょっ? ほら、俺達金持ちだからさー、今日はホテルに泊まってかない?」
「お礼は体で返してくれればいいからさ。グヒヒ」
スタンガン、あるいは使い古してあちこちが凹んでいる金属バットを持って男達はじりじりと彼女に迫っていく。
けれども彼女は顔色一つ変えずに一言。
「弁明。私は家出っ子ではありませんのでお金には困っていません」
その飄々とした態度が気に触ったのか男達はみるみる顔を赤くして少女に罵声を浴びせる。
「あぁん!? この糞アマ、嘘をつくならもっとマシな嘘つけや!」
「舐めてるとどうなるか、たっぷりと教えてやらねぇとな― キヒャヒャ」
はぁ……と、溜め息をついて彼女は面倒臭そうに口を開いた。
「判断。実験の関係者以外の者との接触は基本的に控えるように言われているのですが、この状況では仕方ありません」
少女は右手を軽く差し出し男の一人を指さす。これが彼女の戦闘態勢――正確にはその身体に埋め込まれた“異能”を発動するための動作だ。
少女たちクローンはただ強くなることを求められて製造されたわけではない。同時に人間の範疇を超えた力を使いこなすための、0の可能性を1に変える遺伝子を埋め込まれたのである。そうして出現したのが彼女の異能。名付けて――状態変化である。
平均的に見て異能を発現させたクローンは数えるほどしかない。さらに発現したとしてもほんの些細な変化しか起こせない個体が殆どである。なので少女はクローンの中ではかなり上位の方にいると言えた。――もちろんあの試験体000には遠く及ばないが。
しかしそれでもただの人間の一人や二人、片手間に相手取ることはできる。少女の異能はそれだけ人間に対しては絶対的なものなのだから。
「なにぶつぶつ言ってやがんだ!」
「なんだ? やろうってか? 上等じゃねぇか、一緒に踊ろうぜぇ!!」
「くっー!可愛いねぇー!そんなんで俺達を追い払えると思ってんの!?」
男達はそれぞれ汚い言葉を吐きすてると、地面を蹴り彼女に飛びかかってくる。少女はピストルを真似した指先にグッと力を込めると――――
「やめろよ」
そんな時に聞こえてきたのは一人の少年の声。少女は異能の引き金を引こうとした瞬間、その一言に遮られたのだ。
その声の主は彼女を取り囲む不良のすぐ後ろに立っていた。少年の風貌はツンツンした髪型とそれを彩る金と黒のツートンのヘアカラー。それ以外はごく平凡な高校生といった感じで、この状況を乗り越えられるほど喧嘩慣れしてるとは思えない。
不良の一人がその少年の前にズカズカと歩みよると、その少年の胸ぐらを掴みながらガンを飛ばす。
「あぁ? なんだお前? 不良に絡まれてる女の子助けて英雄気取りか、あぁん!?」
そこそこの気迫。それこそ並の一般人だったら尻尾を巻いて逃げ出してしまいかねないような。
しかし少年は怖じ気づきもせず平然として口を開いた。
「おっと、俺に手を出してる暇があんのかよ? もうテメーらなんぞとっくに警察に通報してんだ、さっさと逃げ出すのが身の為だぜ?」
「なっ……!」
サーッ、という効果音が聞こえてきそうなくらいに、それ聞いた男の顔はみるみる青くなっていった。こんなことを何度も繰り返してる連中だ。警察に捕まったことぐらいあるだろうし、そこでの嫌な思いもたっぷりあるだろう。
だから男達にとってみれば警察は二度と関わりたくない相手に違いない。
「ちっ、お前達…さっさと帰るぞ」
「あっ!待ってください兄貴!」
そう言って彼女を取り囲んでいた不良達はあっという間に散っていった。それこそさっきまでの威勢の良さは何だったのかというくらいに。
男達が逃げた所を何度も確認して、少年は急に高笑いを始めた。
「ふー、騙されやすい奴等でよかった。こんな時間に警察がすぐ来るわけもないのになハハハ」
「困惑。貴方は嘘を言ったのですか?」
「当たり前だろ。つかなんだ? そのへんな口癖」
どうやらこの少年が言ったことは全部ハッタリだったらしい。少女はなんとも言えない微妙な表情をしてこの場を立ち去ろうとする。
が、少年は呼び止めるように声を掛けてきた。
「そういえば、あいつらに何かされなかったか? 怪我とかしてないか?」
「…………」
彼女はこれ以上部外者との接触を控えたいのか返事はない。
「あちゃー……無視ですか、ちょっと凹んだ。……まぁ、その様子なら大したことなさそうだな?」
「…………」
彼女は依然として黙ったままだが少年はなおも喋り続ける。
「俺の名前は黒羽極夜。お嬢さん、君の名は?」
「……」
「うむ。なかなかガードが硬いな。貞操観念が気薄な現代社会に飲まれない、良い心構えをしている」
沈黙を守り続ける少女に諦めが着いたのか、黒羽と呼ばれる少年は最後に一言だけ。
「俺が言えた義理じゃないんだが、お嬢さんもさっさと家に帰れよ、お前になんかあったら悲しむ人だっているだろ」
「――ッ!!」
それまで少年の言葉を聞き流していた彼女だったが今の言葉がズキンと彼女の胸に突き刺ささった。
何故かはわからない。ただその一言が酷く彼女の心を揺さぶったのだ。
「ま、そんなことで、じゃあな」
黒羽は最後にそう一言言い残して彼女が来た道の正反対の方へと歩いてく。その姿はあっという間に夜の闇に消えていった。
少女は帰途を邪魔する存在がいなくなったにもかかわらず、一人ポツンと佇む。
『お前になんかあったら悲しむ人だっているだろ』
さっきの黒羽の言葉が頭の中で繰り返される。何度も何度もループ再生されるかのようにその言葉は途切れることはなかった。
「疑問。私には……そのように思ってくれる人はいるのでしょうか……」
少女は一人ごとのように呟く。しかし少しの間考えても答えは出なかったらしく、星一つない夜空を見上げるとまた研究所へと歩き始めた。