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章間・終



 彼と最初会ったのは、中学二年の春休みだった。

「何してるんだよっ、危ないじゃないか!」

 最初の言葉はこうだった。僕は彼の腕の中で、虚ろな目をしていたと思う。正直その時は、全てがどうでもいいと思ってたから。

「信号が赤なのに何でふらふらっと出ちゃうんだよ!」

 僕は信号が赤をだというのに、車道に出ていったらしい。それを彼が僕の腕をとって歩道に引き戻したという。それは感謝すべきことだけど、僕はそうは思わなかった。

 ……煩わしい、離して。

 恐らく口にもしていたんだろう、彼は僕を掴む腕の力を弱めた。そりゃそうだろう、初対面の、危ないところを助けた相手、それも外見は女――その頃僕は髪が背にまで伸びていたし、髪は白かった――に煩わしいと言われたんだ。純粋そうな彼は怯んでもおかしくない。

 僕は彼の手を振りほどいて、自分の病室に戻るべく踵を返した。



 当時僕がそんな調子だった理由。それは、一つの事件とも言えない私情が原因だった。

 簡単で、単純な話。僕と東京に住んでいる姉には元々父親がおらず、母さんの手一つで育てられた。ある日その母さんに連れられて出かけたある屋敷で、自分が魔術師であることを告げられた。その話をしたのは母さんの弟、つまり僕にとって叔父にあたる人で、とても真面目そうな人だった。

 けど、叔父と母さんが次に放った言葉は唐突かつ残酷なものだった。

『――では継承を行う。汝を産みし、敬愛する母をその手にかけよ』

 叔父はそう言って、僕に西洋風の両刃ナイフ――叔父の言によれば代々伝わる特殊な儀礼剣であるらしい――を渡した。

 拒絶した。誰だって、いきなり自分の母親を殺せと言われてはい分かりましたと実行出来るはずがない。ここまで育ててくれた母さんを僕に殺せというのか、という叫びを何度も上げた。

 しかし、拒絶は許されなかった。掟なのだと、避けられぬことなのだと。母さんを見ると、諭すように微笑んで首を横に振った。この為に、私は来たのよ、と。

 継承なんてしない、殺せというなら僕が死ぬ――逃げ場を失った僕はそう叫んで、自身の胸目掛けて儀礼剣を突き立てようとした。この儀礼剣は、勢い良く突いて心臓に触れさえすれば、その瞬間に苦も無く死に至れるという。だからこそ、胸を狙った。

 けどそこにいた人達は黙って見ている訳はなく、僕の自傷を力尽くで阻止した。なんども胸に儀礼剣を刺そうとしたけど、全て彼らの手によって逸らされ、僕の体は傷だらけになっていた。

 深い傷も増え、血を流した僕は、やがて無理矢理にでも母さんを殺させようとするようになった彼らに抵抗する力を失っていた。

 服の胸元をはだけ、目を閉じている母さん。死を享受する、悟ったような表情。しかしその頬には一筋の涙が溢れ、口はある言葉を紡いだ。

 ――『ごめんなさい、優璃』――。

 叔父は僕の手をとって、儀礼剣を母さんの胸に突き刺した。この僕の手で、母殺しを遂行したのだ。

 それが、その日の一週間前の話だ。

 あの後、危なっかしいからという理由で彼は僕の病室にまでついてきた。煩わしい、早く僕から離れて欲しいという理由から、僕はそれを彼に話した。だから、僕はもう死にたいんだ、と。

 彼はそれを聞いて、黙った。目論見通りだった。どうしようもないでしょ、と言って、僕は着ていた白いパジャマのボタンを外す。僕のことを女の子だと思っている彼は慌てて病室を出てドアを閉める。そのまま入ってこれないように、鍵をかけた。

 やっと終わった。そう思って、僕は安堵した。

 でも、次の日も彼は病院にやってきた。

 その日僕は、前日と同じように死のうとして屋上のフェンスを登っていた。でも、駄目だっ、と大きな声を上げて彼は僕をフェンスから引きずり下ろした。走り去って屋上のドアを閉め、鍵をかけて閉じ込めておいた。数時間後干していたシーツを取り込みに来た看護師に救出されたらしい。これで懲りただろうと思った。

 その次の日。僕の病室は個室で何をしようとある程度は見られない。だから、僕は点滴の針を抜いて、何度も何度も左手首に突き刺しては抉るということを繰り返した。リストカットというものだ。

 ――でも、彼はまた僕を止めた。

 鍵を閉め忘れていたのが最大の失策だったと思う。ようやく血が止まらなくなって、白いシーツが赤く染まって来という時に、彼は病室の扉を開けて、僕の右手を取って慌てて止めた。ナースコールのボタンを連打して、看護師さんを呼ぶ。

 僕の心の堤防が、ついに決壊した。

「……どうして……どうして、止めるんだよッ! 死なせてよ、僕はもう、生きていられない! この手で母さんを殺したんだ、なのにどうして、生きていられるんだよッ!」

 ありったけを、彼にぶつける。

「母さんは最後、泣いてたんだ! 辛かったんだ! 分かっていても、本当は死にたくなかったんだ! なのに、僕が、殺したんだよ! 僕がいなかったら、母さんは死ななくてよかったんだ! だから僕に、死なせ――」

「ふざけるなッ!」

 それまで黙っていた彼が、声を荒らげて僕の頬を強く叩いた。

 突然打たれた理由が分からなくて、僕は言葉を失って呆然とした。

「君の話じゃ、君の母さんは最後の瞬間に謝ってるんだ! それはきっと、自分を殺させてしまうこと、君を置いて死んでしまうことに対してだよッ!」

 はっとした。

 僕はその時、自分が母さんを殺した、ということだけに飲み込まれて打ちひしがれて、何も考えず、罪の意識だけで、命を絶とうとしていたから。

 そんな、当たり前のことさえも考えが至らなかった。

「それなのに、君がそうして自分で命を絶ったら――君の母さんは悲しむだろッ!」

 顔を上げて、彼を見る。僕は彼の顔を見て、また涙が溢れそうになった。

「……っ」

「だから、君は生きなきゃ駄目だ……!」

 ――泣いていた。まだお互い名乗ってもいない、他人に毛が生えた程度の関係でしかない僕のことで。

「どうして……そんなに、僕に構うの……?」

 溢れそうになる涙を(こら)えて、再び僕は彼に問う。

 彼の答えは、単純だった。

「僕と似てる気がして、放っておけなかったんだよ――」



 それから、彼はもう駄目だからね、と釘を差して病室を後にした。入れ替わるように入ってきた看護師に彼の名前を聞くと、『阪樫響』という地元の中学に通っている同級生だということが分かった。

 僕は手首の処置をしてもらっている途中に、退院したいと申し出た。元々僕は精神が不安定だということで入院していた身だったから担当医を説得するのにかなり時間がかかったけど、翌日には定期検診に来るということで納得させて退院させてもらった。

 そしてすぐに、彼のいる中学に転校する手続きを行った。少し無理を言ったかと思ったけど、学校側はなんとか割り込んでくれた。

 これから、彼の――響ちゃんのいるところに通うんだ。そう思うと、嬉しかった。

 響ちゃんの傍にいよう。響ちゃんが辛い時は、今度は僕が力になろう――そう決めた。

 髪を切って、染めて、別人みたいにしてみよう。響ちゃんが気付いたら、全部話そう。

 あ、姉さんが昔使ってた制服借りていこうかな。皆驚くだろうなぁ、男だって言ったら――。



 ――僕は響ちゃんに出会って、救われた。強く生きようと、思えた。

 だから、

「……響ちゃん……?」

 目の前で腹に大きな穴を開けて目を閉じている響ちゃんを見て、嘘だと思いたかった。

「…………間に、合わなかっ、た?」

 血が広がって真っ赤に染まっているセーターの上から、胸に手を当てる。弱くゆっくりだけど、心臓は鼓動を刻んでいた。

「……いや、まだ……ぎりぎりだ、良かった……!」

 一縷の望みに、涙が溢れた。まだ死んでいないんだったら、まだなんとか出来る。

「それなら、僕は……ごめんね、響ちゃん」

 ――『生命転換(サブスティチューション)』、発動。

 響ちゃんを抱き上げて、僕はアルカナに与えられた力『生命転換』を発動すると、僕と響ちゃんが白く淡い光に包まれた。

 ……〝刑死者〟アルカナの力は、文字通り身代わりだ。参加者はアルカナによって力を与えられるということは初めから知ってたけど、今までは使わなかった。それに、この『生命転換』は自分の命を削るものだ、無闇には使えない。

 この力にはリスクがある。使う時は『アルカナを消耗』するけど、使い過ぎればアルカナそのもの――つまり参加資格そのものが消滅して、自動的に死に至る。

 出来ればこの力についてはまだ響ちゃんに知らないで欲しい。でもあの二人なら、いざというとき以外はこの力のことを話さないだろうな、と思う。だから、安心出来た。でも、

「ごめんね……もう、一緒に、いられないん、だ」

「どういうこと……?」

 掠れた、本当に小さな声が響ちゃんの口から漏れる。

「僕を、響ちゃんにあげるんだ」

「優璃を、僕に……?」

「そう。だから――ごめんね、響ちゃん。響ちゃんに貰った命は、返すよ」

 塞がる、響ちゃんの穴。比例するように、薄くなって消えていく僕の体。命を全部分けるということは、こういう事なんだなと思う。もしかしたら、母さんも似た気持ちだったのかもしれない。

 ――さよなら、響ちゃん。今まで、ありがとう――。

 それが、僕の最後の想いだった。


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