章間・二
「……よし、逃がせたね」
鈍色の商店街に響く柔らかな声。
少年は、手に持った網袋から取り出した青いゴムボールを次々と空中に投げつつ呟いた。
その少年は、言ってしまえば少女にも見える。顔立ちは中性的というよりも若い少女のそれで、浮かべる笑みも優しさを秘めていて、纏うものが男子生徒用の制服でなければ誰もがその少年を少女と勘違いしただろう。
目の前の道はおろか雨除の天蓋を埋め尽くす程に群がるのは、妖しく輝く赤と深い漆黒を併せ持つ異形。大小や形状は完全にバラバラだったが、その全てが普通ありえないような行動を取っていた。
群れて、それも連携するように行動する冠数異形なんて存在するはずがないもの。【剣の騎士】出現告知も一日遅れてるし……今回は本当にどうなってるんだろうね。
一つ、二つ、三つとジャグリングのようにゴムボールを投げる。その投げられた卵は全て空中で静止し、
「〝大地埋め尽くす赤き豪雨〟――まだ行くよ。異形にはここでお帰り願おう」
総数二十をゆうに超えるそれら――ゴムボール、という彼の顕現媒体である――全てが、眩い赤の弾となる。
攻撃再開の意志と取ったのか、異形らがグオオ、と野獣の咆哮を放ち少年に突撃を仕掛けた。
ある異形はその鋭き嘴を以て少年を貫かんとし。
ある異形はその剛悍な対の牙を以て少年を穿たんとし。
ある異形はその岩盤の如き全身を以て少年を砕かんとする。
だが少年は異形らを見て口端をつり上げると、行け、と囁いた。刹那、輝く赤が一斉に放たれる。
「冠数異形、その核となる命の珠は」
――冠する数字によるけど、その位置は決まっている――。
少年が放った赤の魔弾は異形の額を(〝Ⅰ〟)、胸を(〝Ⅱ〟)、腹を(〝Ⅲ〟)、肩を(〝Ⅳ〟)、手の甲を(〝Ⅴ〟)、眼球を(〝Ⅵ〟)、首を(〝Ⅶ〟)、舌を(〝Ⅷ〟)、翼を(〝Ⅸ〟)、それ自体を(〝Ⅹ〟)――穿つ。少年に接近を試みた異形の悉くが、その瞬間に動きを止めた。
異形らはある統率の元、津波のように押し寄せ少年を襲う算段だった。しかし、先陣をきって飛び出したはずの同族に阻まれ、思うように進めない。翼を持つものや浮遊が可能な異形は地上にごった返す黒の群れを上から突っ切り行こうとするが、
「騎士の意志の下に目標の統率は取れていても、所詮は異形、個々は頭が悪い……かな」
魔弾に核を穿たれた異形が爆発的な勢いで膨張し爆散、紅蓮の飛沫を空へと上げた。
大気に触れた瞬間より異常に硬化した飛沫は直径約二センチメートルの高熱の針となり、舞い上がるそれに触れた空の異形は全身を貫かれ墜ちる。尚も勢いを失わない針は天蓋を砕き上空で拡散し、操り手である少年の意志により角度を変え、勢い良く地に降り注いだ。
――異形の熾烈な断末魔が幾重にも湧き、その殲滅の証を奏でる。
心擁武装、〝大地埋め尽くす赤き豪雨〟。
それは使役者の意志で軌道を操作することの出来る、真紅の魔弾。
しかしその真髄は魔弾が命中した存在を取り込み糧とし、それを転化して元々のエネルギーに加え、幾百もの針の構築とそれを天へ衝き上げる力とすることにある。
爆発による上向きの運動エネルギーを利用し無数の弾丸となって飛来するものを迎撃し、更に魔弾と同じく自身で角度や速度を操ることが可能となる。数が大幅に増えているためその動きは直線的なものになってしまうが、この降り注ぐ圧倒的な瀑布の前で回避を考える者はまずいない。
それこそが、少年の心擁武装の『赤い雨』たる所以だった。
まるで世界が焼かれていく光景のように次々と蒸発して行く異形の群と、灰色の割れた天蓋の欠片であるガラスが降る中で、少年は思う。
……異形を統率する能力のある【剣の騎士】、か……。厄介だ。
少年は、先刻その群れに襲われつつも懸命にその数を減らしている、見知った参加者を陰から助ける形で参戦した。己の心擁武装を振るうその参加者(彼女)が、遠目から見ただけで疲弊しきっていたことが明らかだったからだ。
でも、いくら痛手を負ったとしてもあそこまで深刻な事態になるか……?
本来心擁武装は本人にとって異常なほど使い易いようになっている。少年が見た身の丈近くもある大剣であったとしても、それは例外ではない。
なら何故なのか。それだけが分からない、と少年は呟く。それを見た目通りの鉄の塊のように重く扱い、仲間がいるところまで後退をするだけのはずだったのに――と。
やがて一つの答えにやがて辿り着くが、そうだとしたら尚更逃がせてよかったか、と少年は微笑む。
「……でも」
失意の底にいた僕を――そのせいで三度も死にかけた僕を助けて、目を覚まさせてくれた君への恩返しには、程遠いよね。
少年は器用に欄干や壁を蹴って割れた天蓋の縁に乗ると、そこで見えたものに呟く。
「は、一部ってレベルじゃないね。実は召喚能力もあったりするんじゃない? けど……」
網袋からゴムボールを大量に放り、武装の名を呼び、
「これが君の手助けになるのなら、僕はこの異形を斃し続ける――」
――眼前に広がる異形の山に、紅蓮の魔弾を打ち込んだ。