章間・一
「……――ぁ」
赤黒く靄のかかる、妙に暗い視界。
――にだい、さかさのくるま。あかくてあかるくて、すこしあついくうきがながれてきた。
体が動かない。痛みに似た苦痛が全身を襲っている。怪我は酷くないが、混乱していた。
――しげみになげだされたのはぼくだけ。おちるまぎわ、かあさんがどあからなげてくれた。
声も出ない。耳はこんなにも、鮮明に音を拾っているのに。
「きょ、う……、だいじょう、ぶ……?」
遠くから、掠れた母の声。
――かあさんのうでとあし、とうさんのむねからうえが、まるでとまとのだんめん。
額から流れる生温いものが、少年の片目の視界を覆う。
――いやなにおい。いやなこえ。
片目だけで見たその光景。その手で殺し、もう動かない父から離れる長身の男。
――あたまがまわらない。かんかくがまいごになっている。
「あの 、だ っ……、 ょうだ 、殺さ で……!」
母が、手に何かを持っている男に懇願しているように見える。
――よくみえない。いたい。くらい。いたい。
「こ 少年 ば のだ。うち 面 い。 の演 に相 い役 だ」
男が、手に持っている物を振るう。何かが落ちて、男は母に背を向ける。
――まぶたがおもい。せなかがちりちりしていたい。
やがて、長身の男は少年の前で立ち止まる。炎による逆光で顔は見えない。
「楽しみにしているぞ、少年」
はっきりと聞こえた、その声。
――ああ、ころされたくない。
「ぁ、ぁ――」
声にならない声を、少年は上げる。悲鳴を上げているつもりだった。
――たすけて。
「安心しろ。私は玩具を、遊ぶ前から壊す人間ではない」
そう言って、男は立ち去る。茂みの闇へと消えていく。
緊張状態が解け、鮮明になる思考。
そして二つの――父と母の、凄惨に断たれた命の抜け殻を見てようやく……少年の喉は正常に働き、慟哭を響かせた。
目覚めの訪れは、そこだった。全ての記憶は、ない。