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第58話:観音寺城、空き家の棚卸しと弟の復活


 箕作城が落ちた翌朝、観音寺城の攻略も呆気なく終わった。

 六角義賢・義治の父子は、夜のうちに兵を置いて逃げていた。残された兵たちは信長様の本隊が接収し、城の仕置が始まった。


 藤吉郎は信長様のお供で次の拠点へ。俺は城内の一区画、武具蔵の中身等の確認を任された。

 任されたと言えば聞こえはいいが、要するに「お前はここで休んでろ」ということだろう。うん、そうに違いない。


「行ってくるぞ、茂助。武具蔵とかこの区画の中身を改めて、全部書き出しておけ。終わったら、追いかけてこい」

 藤吉郎はそれだけ言うと、颯爽と馬に跨って行ってしまった。

 俺はその背中を見送りながら、ため息をついた。


 一昨日は甲賀忍者に襲われ、昨夜は山を登り、一晩中松明を持ち続け、夜明けに城が落ちた。そのまま一睡もしていない。体の節々が悲鳴を上げている。

 なのに、また仕事だ。


 *** 


 武具蔵の扉を開けた瞬間、俺は言葉を失った。

 槍。槍。槍。弓。矢。また槍。鎧。兜。また槍。

 どこまで続いているのか分からない。松明を持って中を照らしても、壁が見えない。


「……勘兵衛」

「はい」

「これ、全部数えんのか」

 勘兵衛が帳面を持ったまま、蔵の奥を覗き込んだ。長い沈黙が流れた。


「……とりあえず、手前から数えましょう」

 俺たちは黙々と数え始めた。

 槍を数えて束ねる。弓を並べて数える。鎧を一列に並べて数える。

 一刻(約二時間)が過ぎた。


「……若、まだ全然終わらいですぜぇ」

 三太夫が槍を抱えながら呻いた。

「分かってる」

「このままだと明日になりますよ」

「分かってる」


「茂助様」と勘兵衛が深刻な顔で言った。 「こちらの武具蔵だけで三棟あります。それとは別に、兵糧蔵と馬具蔵もあるようです」

 俺は天を仰いだ。

 観音寺城、こんなでかい城の備品を数えきれるわけがない。


「……『多数につき全容確認不可』でいいかな」

「駄目です。報告書になりません」

「じゃあ概算で」

「……」

 俺はため息をついた。

 仕方なく、また数え始めた。だが、部下たちはみんな昨夜から寝ていない。俺も限界だ。


「……三太夫」

「はい」

「半分に分けろ。半分は蔵の中。半分は交代で仮眠を取る。一刻ごとに入れ替え」

「え、いいんすか」

「倒れられたら困る。仕事にならん」

 三太夫が「若、さすがっす」と言った。俺は「うるさい」と答えた。ただ自分が休みたかっただけだ。


 ***


 蔵の入り口付近。

 俺は、床に座り込んで力なく槍を磨いている弟・氏光のそばに腰を下ろした。

 弟は、暗殺者を斬って以来、すっかり口数が減り、どこか上の空だった。今日も黙々と作業をしているが、手つきがおぼつかない。


「……氏光」

 俺が声をかけると、弟はビクッと肩を震わせた。

「あ、兄上。申し訳ありませぬ、手が止まっておりました」

「いいよ、無理するな。……まだ、手が震えるか?」

 俺が直球で聞くと、氏光は自分の右手をギュッと握りしめ、俯いた。  


「……はい。目を閉じると、あの時の感触が……血の熱さが、蘇ってきます。私は、人をあやめたんです」

 少年の弱音。本来なら武士として叱責されるべき言葉だろう。

 だが、俺は、人を殺して平気な方が異常だと思っている。


「当たり前だ」

 俺は、弟の肩をポンと叩いた。

「お前は真っ当な人間だ。人を斬って、飯が美味いなんて奴はサイコパスだ。震えて当然なんだよ」

「……兄上」

「俺だって怖いさ。戦場なんて、いつ死ぬか分からないクソみたいな場所だ。だけどな……」

 俺は言葉を探した。武士の誉れとか、主君への忠義とか、そんな言葉は俺の口からは出てこない。俺にあるのは、ただ一つの切実な本音だけだ。 


「俺は、お前が生きててくれてよかった。お前が俺を助けてくれたから、俺も生きてる。……お前は人殺しじゃない。俺を助けたんだ」

 氏光が、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、ずっと我慢していた涙が浮かんでいた。


「ただ、それだけだ。難しいことは考えるな。お前は俺を守った。だから俺も、お前を守る。それでいいんだ」

 氏光は、ポロポロと涙を流しながら、深く、深く頷いた。


「……はい。はい……っ! 私、兄上をお守りできて……本当によかった……!」

 彼は右手の震えを抑え込むように、俺の腕にすがりついて泣いた。

 少しだけ、彼の心に刺さっていた氷が溶けた気がした。完全にトラウマが消えたわけじゃないだろうが、これで前は向けるはずだ。


 *** 


 昼過ぎ。

 俺は現実逃避を兼ねて、城内を少し歩くことにした。


「勘兵衛、ちょっと城内を見て回ってくるな」

「サボらないでください」

「サボりじゃない。他の蔵を把握しておかないと全体が見えてこないから」

「……早く戻ってきてください」

 俺は返事をせずに歩き出した。

 廊下を抜け、石段を上ると、城の高い場所に出た。眼下に、琵琶湖が広がっていた。


「……でかいな」

 思わず声が出た。秋の陽光を受けて、水面がきらきらと光っている。対岸まで見えない。海みたいだ。

 静かだった。鳥の声がする。風が木々を揺らす。藤吉郎もいない。信長様もいない。誰も怒鳴らない。


「……最高じゃないか」

 こんなに静かな時間は久しぶりだ。

「茂助殿!」

 背後から声がした。

 振り返ると、廊下の向こうから、背筋のピンと伸びた若い武士が近づいてくる。

 誰だ。顔に見覚えがあるような、ないような。 


「……どちら様でしたっけ」

 俺が正直に言うと、相手は少し傷ついた顔をした。

「……山内一豊やまうち かつとよにございます。以前、清洲の馬場で……」

「馬場……」

 記憶の底を漁る。馬場。清洲。貧乏そうだったやつ。継ぎ接ぎの着物。真面目くさった顔。


「……お茶のイエモンか!!」

「は?」

「いや、こっちの話だ。伊右衛門いえもんだろ。覚えてるぞ」

「覚えていてくださいましたか!」

「今思い出した」

 一豊がまた少し傷ついた顔をした。


 確か軽トラを買った日だ。「自分の力で道を切り開く」とか言って去っていったやつだ。今は多少マシな格好をしている。

「なんでお前がここにいるんだ」

「実は、木下様の御家来衆に加えていただきまして」

「…………え?」

 俺は固まった。


「藤吉郎の、家来?」

「はい。以前、茂助殿に『自分の力で道を切り開け』とご教示いただいたことを胸に、諸方を経て、此度ご縁をいただきました」

 俺はそんなこと言ったっけ、と思ったが黙っておいた。こんな近くに居たのにで、ずっとこいつの存在を知らなかったということか。


「茂助殿のおかげです。あの日、馬場で教えていただいたことが、某の人生を変えました」

「あ、ああ……そうだね」

「それで、茂助殿はこちらで何を?」

「武具蔵の棚卸し」

「なるほど! さすがでございます」

「……何がさすがなんだ」

「派手な手柄を求めず、地道な実務を黙々とこなす。それが真の武将の姿かと。某、茂助殿を見習わねばと常々思っております」

 ただ地味な仕事を押し付けられただけだが、一豊はすでに勝手に解釈していた。相変わらずだな、こいつ。


「伊右衛門はここで何をしてるんだ?」

「某は周辺の見回りと六角の残党を含めた治安維持を命じられております」

 一豊は答えながら、俺の隣に並んで琵琶湖を眺めた。


「茂助殿」

「なんだ」

「木下様のもとに仕えて、某はまだ何も手柄を立てられておりません。……情けない話ですが」

 一豊が静かな声で言った。

 俺は答えに詰まった。慰めようにも、俺自身も手柄を立てたくて立てているわけじゃない。


「……まあ、死ななきゃなんとかなるだろ」

 さっき氏光に言ったのと同じように、俺は適当に言った。

「死ななければ、ですか」

 一豊が真剣な顔で繰り返した。

「……そうですな。生きていれば、また機会が来る。急ぐことはない、ということですか」

「まあ、そんな感じで」

 一豊は深く頷いた。また勝手に解釈している。


「茂助様ーッ!!」

 勘兵衛の怒声が、石段の下から飛んできた。

「矢、まだ数え終わっていません! 兵糧蔵もまだです! 氏光様もすっかり元気を取り戻して槍を数えておりますぞ! 早く戻ってきてください!」

 氏光、あれだけで立ち直るのが早すぎる。若いってすごいな。

 俺は立ち上がり、一豊に向かって言った。  


「見回り、頑張れよ」

「はい。茂助殿も、棚卸しを」

 一豊が、嬉しそうに笑いながら頭を下げた。

 その後、武具蔵の棚卸しが終わったのは、夕暮れをとうに過ぎた頃だった。

 勘兵衛の帳面には、びっしりと数字が並んでいる。


「お疲れ様でした、茂助様」

「……風呂に入りたい」

 俺の切実な願いは、琵琶湖から吹く夜風に虚しく消えたのだった。

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