第53話 戦国ジャージと天ぷら、猛将も油で揚がる
岐阜の屋敷に、春の穏やかな午後の日差しが差し込んでいた。
今日は非番だ。妻の桔梗は、弟の氏光を連れて城下の市へ買い物に出かけている。つまり、完全なる自由時間だ。
俺は、縁側に七輪を持ち出し、鍋に油を熱していた。
俺の格好は、武士にあるまじきものだった。
小袖でも袴でもない。高級品である木綿を使用した、ゆったりとした筒状に縫い直した上着と、組紐を通したズボン。
名付けて「戦国ジャージ」だ。そのまんまだが。
締め付けがない。正座しなくていい。この開放感こそが、休日の醍醐味だ。
「……そろそろ、いい温度か」
俺は菜箸を油に入れた。
今日のメニューは「かき揚げ」だ。小麦粉を水で溶き、刻んだネギ、牛蒡、人参と、川で獲れた小エビを混ぜる。
現代では当たり前の揚げ物だが、油が貴重なこの時代では贅沢品だ。だが、俺は台所奉行補佐だったコネで、質は悪いが油を安く手に入れていた。
ジュワアアアア……。
タネを油に落とすと、食欲をそそる音が庭に響いた。香ばしい匂いが立ち上る。
「……ここか。噂の『隠れ家』は」
不意に、庭の垣根越しに野太い声がした。
驚いて顔を上げると、勝手口から二人の男が入ってくるところだった。
一人は、いつもの派手な着流し男、前田犬千代。
そしてもう一人は、岩のような威圧感を放つ、髭面の巨漢。
「……げっ」
俺は菜箸を取り落としそうになった。
その巨漢は、織田家の重臣にして、「攻めの三左」の異名を持つ猛将、森可成だったからだ。
槍を持たせれば鬼神のごとき強さを誇り、お館様の覚えめでたい織田軍団の切り込み隊長だ。なんでそんなVIPがうちに?
「よう茂助! 休みだって聞いたからな、美味いもん食わせろ!」
犬千代がニカっと笑う。
可成は、俺の奇妙なジャージ姿をジロリと見て、低く唸った。
「……貴殿が堀尾茂助か。犬千代から聞いていた『剛の者』とは、随分と趣が違うな」
「あ、いえ、その……これは休日の正装でして……」
俺は縮み上がった。怒られるか? 「武士たるもの、だらしない!」と斬られるか?
だが、可成は意外なことを言った。
「……楽そうだな」
「へ?」
「その着物だ。……帯もなく、足捌きも軽そうだ。体を休めるには良さそうであり、戦場でも使えるかもしれんな」
可成は、ドカッと縁側に腰を下ろした。
その顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
常に最前線で戦い続ける猛将。そのプレッシャーは計り知れないのだろう。
「……揚げたてです。食いますか?」
俺は恐る恐る、揚がったばかりのかき揚げを皿に乗せて差し出した。
可成は「もらう」と短く言い、手づかみで口に放り込んだ。
サクッ。
「……!」
可成の目がカッと開いた。
油のコク、野菜の甘み、エビの香ばしさ。そして何より、熱々の温度。
それは衝撃的な美味さだったはずだ。
「……美味い」
可成が唸った。
「サクサクしてて、中が熱い。……油の匂いが、疲れた体に染み渡るようだ」
「塩を振ると、酒に合いますよ」
俺は井戸水で冷やしておいた濁り酒を出した。
犬千代も「待ってました!」とかき揚げに食らいつく。
「くぅ~ッ! たまんねぇな!」
犬千代が声を上げる。
可成も、無言で酒をあおり、二つ目のかき揚げに手を伸ばした。
食べているうちに、可成の張り詰めていた肩から、力が抜けていくのが分かった。
「……茂助殿」
「はい」
「その妙な服、予備はあるか?」
まさかのリクエストだった。
俺は慌てて、試作品として作っていたものを持ってきた。
「試作品なので、少し縫い付けが甘いですが」
可成は、躊躇なく立派な羽織袴を脱ぎ捨て、ジャージに着替えた。
チラッと見えた肉体は、息を呑むものだった。、
「……おお」
可成が、縁側で手足をぶらぶらさせた。
「なんと……。締め付けがない。血が巡るようだ」
「でしょう? ここの紐で調整できるんで、食後でも苦しくないですよ」
「うむ。……これはいい」
天下の猛将・森可成が、ジャージ姿でかき揚げを食いながら、縁側で足を投げ出している。
シュールすぎる光景だが、本人は極楽のような顔をしていた。
「……ふぅ。生き返ったわ」
可成が空を見上げて呟いた。
「城では常に気を張り、家では子供の教育に悩み……。息をつく暇もなかった」
「お子さん、いらっしゃるんですか?」
「うむ。勝蔵というのだが……これがまた、手のつけられない暴れん坊でな」
可成は、こめかみを押さえた。
「まだ十歳だというのに、近所のガキ大将を全員泣かしてきよる。先日など、稽古で指南役の腕をへし折りおった。……末恐ろしいわ」
十歳で指南役の腕をへし折る。
俺は引きつった笑みを浮かべた。
(……うわぁ。とんでもないヤンキー予備軍だな)
俺の歴史知識はほぼゼロだ。森カツゾウなんて名前は聞いたこともない。
だが、親父のこの筋肉ダルマぶりを見るに、その遺伝子を継いだ息子がヤバい奴だということは容易に想像できた。
将来、ろくな大人にならないんじゃないか? 関わりたくないタイプだ。
「わしは厳しく育てすぎたのかもしれん。……あやつには、もう少し『落ち着き』が必要なのだが」
「あー……。まあ、元気があるのはいいことじゃないですか?」
俺は適当に慰めた。
「それに、親父さんがこうやって息抜きしてる背中を見せれば、息子さんも『抜く時は抜く』って覚えるかもしれませんよ。……ずっと張り詰めてたら、いつか折れちゃいますから」
俺が言うと、可成はハッとした顔をした。
「……そうかもしれんな。わし自身が、槍一辺倒で余裕がなかった」
可成は、残りの酒を一気に飲み干した。
そして、満足げに腹をさすった。
「茂助殿。……貴殿の屋敷、気に入ったぞ」
「えっ」
「ここは良い。……格式ばった作法も、出世競争もない。ただ美味いものを食って、楽な服を着て、寝転がる。……これぞ、武士の隠れ家よ」
可成は立ち上がり、縁側から外を眺めて、満足そうに頷きいた。
そして、幾分か時間が経過したところで、ジャージから元の着物に着替えた。
その顔つきは、来た時よりも晴れやかで、精気が満ちていた。
「また来る。……今度は、猪肉を持ってくるゆえ、また揚げてくれ」
「俺も来るぜ! 次は酒を持ってくる!」
二人の武将は、笑いながら帰っていった。
俺は、油で汚れた鍋を洗いながら、ため息をついた。
「……隠れ家って。ここは俺の家なんだけどなぁ」
だが、悪い気はしなかった。
犬千代に続き、森可成という重鎮とも繋がってしまった。
俺の人脈図が、どんどん武闘派で埋まっていくのが不安だが、彼らが味方でいてくれるなら、これからの激動も何とか乗り越えられるかもしれない。
俺は、残ったかき揚げを口に放り込んだ。
冷めても美味い。
こうして、俺のスローライフは、猛将たちの隠れ家という新たな役割を帯びつつ、過ぎていった。
だが、この平穏な日々も、もう長くは続かない予感がしていた。
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