第48話 論功行賞と、新たなる戦の気配
稲葉山城改め、岐阜城。
その大広間は、かつてない熱気に包まれていた。美濃攻略という一大事業を成し遂げた織田家の家臣団が、一堂に会しているのだ。
俺は、末席の方で背中を丸めていた。
今日は論功行賞。つまり、ボーナス査定と人事異動の発表日だ。
普通ならウキウキするところだが、俺の胃はキリキリと痛んでいた。広間に充満する空気が、単なる祝いムードだけではない、ドロドロとした嫉妬や敵意を含んでいたからだ。
「……なぁ、茂助」
隣に座る木下藤吉郎が、小声で話しかけてきた。新しい羽織袴に身を包んでいるが、その膝は小刻みに震えている。
「いよいよだ。……墨俣の城代として働いてきたが、今日で俺の運命が変わるかもしれん」
「そうですね。……でも、あまり期待しすぎると、周りの目が怖いですよ」
俺は忠告した。
藤吉郎の出世は早すぎる。農民から足軽、組頭、そして足軽大将へと、異例のスピードで駆け上がってきた。これ以上目立てば、古参の重臣たちから本格的に潰しにかかられるかもしれない。
「お館様のお成り!」
小姓の声で、広間が静まり返った。
上座に織田信長が現れる。その姿は、美濃という大国を手に入れ、天下布武への足場を固めた覇気に満ち溢れていた。
「皆の者、大儀であった」
信長の声が響く。論功行賞が始まった。
まずは、柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛といった重臣たちに、広大な知行と黄金が与えられる。彼らは誇らしげに平伏し、周囲も「流石は筆頭家老」「織田家の柱石」と称賛の眼差しを向ける。ここまでは予定調和だ。
そして、ついにその時が来た。
「……木下藤吉郎」
信長が名を呼んだ。
「はっ!」
藤吉郎が平伏する。広間の空気が、ピリリと変わった。
「貴様の働き、見事であった。墨俣への築城、西美濃三人衆の調略、そして稲葉山城攻略の先駆け……。足軽大将の身でありながら、並み居る譜代の者たちを凌ぐ功績だ」
信長は、手元の書状を広げた。
「褒美を取らす。……知行五千貫を加増する」
ざわっ。
広間が波打った。
五千貫。破格の待遇だ。何より、今まで数百貫程度だった藤吉郎にとっては、桁違いの栄転である。
「さらに。……貴様には、より大きな軍を率いてもらう」
信長は扇子で、ある人物たちを指し示した。
藤吉郎の後ろに控えていた、竹中半兵衛。そして、先に降伏していた美濃の地侍数名だ。
「竹中半兵衛重治、並びに美濃勢から数名。……藤吉郎の『与力』とする」
「……は?」
藤吉郎が顔を上げた。
「半兵衛殿が、俺の部下に……?」
「不服か? 貴様一人の手勢では、戦をするには足りぬだろう。……彼らを使いこなし、これからの戦で先陣を務めよ」
与力とは、正規の指揮系統に組み込まれた部下のことだ。あの天才軍師・竹中半兵衛や、地元の有力者たちを自分の駒として使えるようになる。
これは、藤吉郎が単なる便利な使いっ走り部隊から、一角の武将として認められたことを意味していた。
「は、ははーーっ!! この藤吉郎、命に代えてもご期待に添えまする!!」
藤吉郎が床に突っ伏して号泣している。
だが、俺は背中に刺さるような視線を感じていた。
柴田勝家や佐久間信盛ら、重臣たちの席からだ。
「……フン。猿ごときが」
「たまたま運が良かっただけの成り上がり者が……」
「譜代の我らを差し置いて、新参者に手柄を独占させるとは……」
聞こえるか聞こえないかの声で、嫉妬と侮蔑の言葉が漏れている。
怖い。
中途採用の平社員がいきなり部長クラスに抜擢され、優秀な部下までつけられたようなものだ。生え抜きの役員たちが面白く思うわけがない。
まぁ、俺は働いたことないから例え話が合ってるかわかんないけど。
そんなことを考えていたら……。
「……そして」
信長の視線が、針のむしろに座る俺に向けられた。
ギクリとする。
「茂助。前へ」
俺は観念して前に出た。
「はっ……」
「貴様も藤吉郎の補佐として、よく働いた。……特に、水の手への奇襲。あれがなければ、簡単に城は落ちていなかったであろう」
信長はニヤリと笑った。
「貴様には、二五〇貫を加増する。あと屋敷もくれてやる」
「二五〇……?」
俺は首を傾げそうになるのを堪えた。
数字だけ聞くと藤吉郎の五千貫に比べてショボく感じるが、果たしてこれは多いのか少ないのか。
俺の現代人脳では年収500万円なのか5億円なのかサッパリ分からない。
俺がポカンとしていると、隣に居た藤吉郎が興奮した声で囁いた。
「(茂助! 凄いぞ! 何人も雇えるぞ!)」
マジか。
今の俺の家来は、三太夫、勘兵衛、但馬の三人だけだ。それなら、借金を返してもかなり余るんじゃないか?
高級な布団が買えるかもしれない。肉も食えるかもしれない。
「加えて、藤吉郎の与力として、引き続きその怪力と知恵を貸してやれ。……猿の手綱を握れるのは、貴様と半兵衛くらいだろうからな」
信長は楽しそうに言った。
俺は、重い溜息を飲み込んだ。
金は増えた。だが、それは同時に藤吉郎一派として、あの重臣たちの嫉妬の矢面に立つことを意味していた。
二五〇貫の加増。それは、俺をこのブラック企業に繋ぎ止める、重たい鎖のようにも感じられた。
「……ありがたき幸せにございます」
俺は頭を下げた。断る勇気なんてない。
***
論功行賞の後、俺たちは城で風に当たっていた。
藤吉郎は、眼下に広がる濃尾平野を見下ろし、震えていた。
「……見たか、茂助。俺は、大領主になったぞ」
「ええ。すごいですね。……でも、柴田様たちの目が怖かったですよ」
「分かってる!」
藤吉郎は、強がって笑ったが、その額には汗が滲んでいた。
「嫉妬されるのは出世した証拠だ。……だが、これからは失敗できねえ。一度でも躓けば、あいつらは寄ってたかって俺を引きずり下ろしに来るぞ」
そこへ、半兵衛が静かに近づいてきた。
「……おめでとうございます、木下殿。いや、これからは木下様とお呼びせねばなりませんかね」
「よ、よしてくれ半兵衛殿! 俺とお前の仲じゃないか!」
藤吉郎が慌てる。半兵衛はクスリと笑った。
「しかし、これからが正念場ですよ。……与力として付けられた美濃の者たちも、心から服従しているわけではありません。貴殿の手腕を値踏みしている段階です」
半兵衛の言葉は鋭い。
上からは嫉妬され、下からは値踏みされる。中間管理職の悲哀が、スケールアップして襲ってくるわけだ。
「分かってる。……だからこそ、お前たちが必要なんだ」
藤吉郎は、俺と半兵衛を見た。
「半兵衛と茂助。……この二人がいれば、俺はどんな逆風でも進んでいける」
やめてくれ。俺をその両輪にカウントしないでくれ。
俺は、半兵衛と目が合った。
半兵衛は、困ったような、でもどこか楽しげな顔でウインクしてきた。
『諦めなさい、茂助殿。もう一蓮托生ですよ』
そう言われた気がした。
「……はぁ。給料分は働きますよ」
俺は、懐に入れた辞令の感触を確かめた。
これで、実家の借金も返せるし、念願の高級マイ枕も買えるだろう。
金はあるに越したことはない。だが、その対価として差し出す平穏の量が、割に合わなくなってきている気がしてならない。
「次は京だ! 上洛だ!」
藤吉郎が、西の空を指差して叫んだ。
「美濃を取ったからには、次は都だ! 天下の中心へ行くぞ! 忙しくなるぞォ!」
俺は、そのテンションについていけず、ただ遠い目をした。
岐阜城の天守から見る絶景も、今の俺には逃げ場のない檻からの眺めにしか見えなかった。




