第47話 天才の慧眼、鬼の背中に刺さった優しさ
稲葉山城の裏手、水の手郭。
織田軍による制圧は完了し、本丸への突入路が確保されていた。
喧騒の片隅で、俺は、井戸の枠に座り込み、脂汗を流していた。
「……いでででで! 優しく! 優しく抜いて!」
俺は情けなく叫んだ。
背中には、味方が放った矢が突き刺さっている。
幸い、具足のお陰で、鏃は皮膚を数ミリ傷つけた程度で止まっていた。だが、痛いものは痛い。
「動かないでくだせえ、若! 今抜きますから!」
三太夫が、ペンチのような工具で矢を掴み、一気に引き抜いた。
ブチッ。
「ぎゃあああああ!」
俺の悲鳴が夜空に木霊する。
周りの兵士たちは次なる戦に備えているが、俺はただ泣いているだけだ。
治療を終えた俺の前を、縄で縛られた三人の捕虜が連行されていくところだった。
「……殺さないでくれよ。彼らは降伏したんだ」
俺が通りがかりの藤吉郎に頼み込むと、彼はキョトンとした顔をした。
「ああ、殺しゃしねえよ。貴重な地元の案内役だ。尋問はするが、命までは取らん。……お前が体を張って守った獲物だからな」
藤吉郎はそう言って、本丸への突入指揮に戻っていった。
俺は、縛られて連行されていくリーダー格の兵士と目が合った。
彼は俺を見て、憎悪ではなく、どこか狐につままれたような、混乱した目をしていた。
俺があの時叫んだ「逃げてくれ」という言葉。そして、身を挺して矢を受けた行動。あれが何だったのか、彼の中で整理がついていないのだろう。
すまない。
俺は心の中で手を合わせた。
せめて生きていてくれれば、いつかまた栗を食える日が来るかもしれない。
「……無茶な方ですね、茂助殿」
背後から、静かな声がかかった。
竹中半兵衛だ。
彼は、戦場の喧騒から切り離されたように、涼しい顔でそこに立っていた。
「……無茶なんてしてませんよ。足が滑って、たまたま射線に入っちゃっただけです」
俺は自嘲気味に笑った。
周囲の兵士たちは、俺を敵を確実に捕らえるために、自ら盾となって制圧したとして称えている。だが、事実は違う。俺はただ、彼らを殺させたくなくて、後先考えずに飛び込んだだけだ。
「いいえ。……貴殿は、刀を抜きませんでしたね」
半兵衛の言葉に、俺はギクリとした。
彼は、俺の隣に並び、遠くで燃え始めた本丸を見上げた。
「あの断崖を登りきり、彼らの前に立った貴殿は叫びました。藤吉郎殿たちはそれを突撃の合図と取りましたが……私の耳には、あれは『警告』に聞こえましたよ」
心臓が跳ね上がった。
バレてる。
「そして、貴殿は真っ先に敵兵に飛びかかった。……ですが、手には武器を持っていなかった。その巨体で敵を押し潰し、覆いかぶさったのは……味方の矢から彼らを『隠す』ためではありませんか?」
半兵衛が、俺の方を向いた。
その瞳は、すべてを見透かすように澄んでいた。
「もし貴殿が本当に『鬼』ならば、あそこで躊躇なく斬り捨てていたはず。それが一番早くて安全ですから。……ですが貴殿は、自分の背中を危険に晒してまで、敵を無傷で捕らえる道を選んだ」
半兵衛は、俺の背中の傷跡に視線を落とした。
「……痛かったでしょう」
その言葉には、労り(いたわり)が込められていた。
俺は、言葉に詰まった。
この人は、全部お見通しだ。
「……茂助殿。貴殿は、やはり戦が嫌いなのでしょう」
その一言が、俺の胸に突き刺さった。
戦が嫌い。
当たり前のことだ。だが、この戦国時代において、武士がそれを口にすることはタブーだ。ましてや鬼と呼ばれている俺がそんなことを言えば、笑い者になるか、臆病者として軽蔑されるかだ。
だが、半兵衛の言葉には、軽蔑の色はなかった。
「……バレましたか」
俺は観念して、肩の力を抜いた。
もう、隠しても無駄だ。この人には勝てない。
「ええ、嫌いです。大っ嫌いです。痛いのも、寒いのも、人が死ぬのも御免です。……本当なら今すぐ家に帰って、布団かぶって寝てたいですよ」
俺が本音を吐露すると、半兵衛は声を上げて笑った。
「ははは! やはりそうだ! あの『紙ヒコウキ』を飛ばしていた時の顔こそが、貴殿の本性でしたか」
半兵衛は楽しそうに笑い、そして真顔に戻った。
「……安心なさい、茂助殿。このことは、私だけの胸に秘めておきましょう」
「え?」
「藤吉郎殿やお館様は、貴殿を『勇猛な武人』と信じて疑わない。……その誤解は、貴殿がこの乱世を生き抜くための鎧になります。剥がす必要はありません」
半兵衛は、俺の泥だらけの手を見た。
「ですが、重たい鎧を着続けていれば、いつか中身が潰れてしまう。……もし、その重みに耐えられなくなった時は、私にだけは弱音を吐いてくださって構いませんよ。……私も、無益な殺生は好みませんのでね」
俺は、目頭が熱くなるのを感じた。
初めてだ。
この世界に来て六年。
俺の行動を変換せずに、ありのままとして受け入れてくれる人が現れたのは。
「……助かります、半兵衛さん」
俺は深々と頭を下げた。
天才軍師・竹中半兵衛。
彼は、俺の鬼という虚像の裏にある、ちっぽけな元ニートの魂を見抜いた上で、味方になってくれたのだ。これほど心強いことはない。
***
夜が明けた。
稲葉山城は完全に制圧された。城主・斎藤龍興は逃亡し、美濃はついに織田家の手に落ちた。
焼け焦げた本丸御殿の前で、勝鬨が上がっている。
「……藤吉郎、半兵衛、茂助。前へ」
信長の声が響いた。
俺たちは並んで平伏した。
信長は、朝日を背に受けて立っていた。その姿は、まさしく覇王。天下を手中に収めんとする男の輝きを放っている。
「美濃を制した。……これより、わしは天下へ号令する」
信長は、城下を見下ろしながら宣言した。
「この稲葉山城を、今日より我が居城とする。……名は、『岐阜』と改める!」
ギフ。岐阜県って信長が名付けたのか。
「古代中国、周の文王が岐山より起こり、天下を平定した伝説になぞらえた名ですね」
半兵衛が頷きながら、俺に話しかけてくる。
そんな事言われてもわかんない。
だけど、信長様の天下布武。そのスローガンが、いよいよ現実のものとなって動き出すことだけは、俺にもわかった。
「藤吉郎、半兵衛。……そして茂助。よくやった」
信長が俺を見た。その目は、期待と信頼に満ちていた。
「特に茂助。……あの断崖を先頭で登りきり、咆哮と共に敵を制圧したその胆力。さらに、味方の矢を背中で受けてまで、生け捕りにこだわった冷徹な判断……。まさに『鬼』の働きであったと聞いているぞ」
信長がニヤリと笑う。
俺は引きつった笑みを返した。
違うんです。
弁解しようとした俺の袖を、隣の半兵衛がクイクイと引いた。
チラリと見ると、半兵衛は悪戯っぽくウインクしていた。
『黙っておきなさい。それが貴殿の鎧です』
そう言われた気がした。
「……ははっ! 勿体なきお言葉!」
俺は、観念して頭を下げた。
こうして、美濃攻略戦は終わった。
織田信長は岐阜を手に入れ、天下統一への道を爆走し始める。
木下藤吉郎は出世街道を駆け上がり、竹中半兵衛という最強の頭脳を手に入れた。
そして俺、堀尾茂助は。
「鬼」としての名声をさらに高めつつ、唯一の理解者・半兵衛を手に入れた。
「……あの部屋に帰りたいなぁ」
新しい城の名前「岐阜」の響きを聞きながら、俺は小さく呟いた。
だが、その声は以前ほど悲痛ではなかった。
隣に、苦笑いしてくれる理解者がいたからだ。
俺の戦国生活は、ここ岐阜を拠点に、さらに激動へと突入していくことになる。
お館様は上洛を目指すらしい。
上洛とは、この時代の中心である京都をめざすということ。まだ東京はないらしい。
修学旅行で行った時は楽しかったけど、今回は八ツ橋を食ってる余裕なんてないんだろうな。




