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第45話 三日間の遭難、敵城でのティータイム

 安藤守就の調略に成功した俺たちは、勢いに乗って残る二人、稲葉一鉄と氏家卜全の説得にも奔走……していたはずだった。


「……ここ、どこだ?」

 美濃の深い山奥。

 俺は、絶望的な顔で空を見上げていた。


 ことの発端は三日前。安藤守就への説得に続き、今度は稲葉一鉄だという。木下藤吉郎と竹中半兵衛とと共に安藤守就の元へと向かったが、俺のサボり癖が顔を覗かしてしまい、「ちょっと腹の調子が悪いんで」と言い訳して輪を抜け出し、こっそり先に帰るがてらショートカットすることにした。

 スマホの地図アプリがない世界で、方向音痴が知らない土地でショートカットを試みる。それがどれほど愚かな行為か、俺は身を持って知ることになった。


【遭難一日目】

 道が消えた。獣道だと思っていたものは、文字どおり、本当に獣の足跡だったらしい。日は暮れ、気温が下がる。俺は木の根元で震えながら一夜を明かした。「まあ、明日になれば誰か通るだろう」。まだ楽観視していた。


【遭難二日目】

 誰も通らない。飲み水が尽きた。腹が減った。俺はパニックになり、山の中を走り回った。それが悪手だった。体力を消耗し、さらに深い山奥へと迷い込んでしまったのだ。

 

【遭難三日目】

 限界だった。着物は泥と落ち葉でボロボロ。顔は無精髭と垢で真っ黒。足は豆が潰れて血が滲んでいる。

 俺は、沢の水を啜りながら、現代にいた頃に見たネット掲示板の書き込みを思い出していた。

『遭難した時は、沢に降りるな。尾根に登れ』

 そうだ。水のある沢沿いは歩きやすいが、滝や崖に行き当たって詰むことが多い。逆に、高いところに登れば、現在地が分かるし、見つけてもらえる可能性も高くなるはずだ。

 でも、ヘリコプターは飛んでこないけど、本当に大丈夫だろうか。


「……登るしか、ない」

 俺は覚悟を決めた。

 目の前にあるのは、見上げるような急斜面だ。一見すると断崖絶壁に見える。

 だが、よく見ると、岩の出っ張りや、太い木の根が階段状に続いている場所があった。道とは言えないが、人間が手足を使えば登れなくはない。


「……ここなら、行けるか?」

 俺は震える手足に鞭を打ち、斜面に取り付いた。

 爪が割れ、指先から血が出る。岩にしがみつき、木の根を掴み、這い上がる。

 意識が朦朧とする。自分が何をしているのか分からなくなる。

 ただ、上へ。上へ行けば助かる。その合ってるかどうかもわからない、ただのネット知識だけが、俺の唯一の希望だった。

 何時間登っただろうか。

 日没が迫り、辺りが薄暗くなり始めた頃。俺の手が、崖の上の平らな岩を掴んだ。


「……う、うぅ……」

 俺は最後の力を振り絞って、上に這い上がった。

 そこは、少し開けた平地になっていた。助かった。とりあえず、転がり落ちる心配はない。俺は地面に大の字になり、荒い息をついた。

「……ん?」

 風に乗って、何かの匂いがした。煙の匂いだ。

 俺は弾かれたように顔を上げた。目の前に、古びた井戸があった。そして、その奥には掘っ立て小屋があり、焚き火の煙が立ち上っている。


「人だ……! 人がいる!」

 俺は感動に打ち震えた。きっと木こりか炭焼き小屋だろう。助けを求めれば、水くらいは貰えるかもしれない。

 俺はゾンビのようにフラフラと立ち上がり、小屋に近づいた。

「す、すいませーん……。遭難しました……。水、ありませんか……」

 俺のか細い声に反応して、小屋の中から数人の男たちが飛び出してきた。


「誰だ!」

「何奴!」

 男たちは槍を構えていた。見ると、彼らは具足を着けている。

 胸には、波が二つ重なったような家紋が描かれていた。

 なんだあれ? 地元の警備団か?

 まあいい。人ならなんでもいい。助けてくれ。


「……怪しいものではありません、ただの迷子のデブです……」

 俺が情けなく自己紹介すると、リーダー格の兵士が槍を下げ、呆れたように笑った。

「なんだ、この汚い男は。平家の落ち武者か? いや、武器を持ってないぞ」

「こんな所まで登ってくるとは、運がいいのか悪いのか」

 彼らは顔を見合わせた。

 無理もない。今の俺は、侍には見えない。着物は裂け、泥でコーティングされ、目は虚ろ。どう見ても山で死にかけた可哀想な遭難者だ。

 男は、手元の竹筒を投げて寄越した。


「飲め。ここはお前みたいなもんがウロチョロする場所じゃねえぞ」

「あ、ありがとうございます……!」

 俺は水を一気飲みした。生き返る。涙が出るほど美味い。

 敵意はなさそうだ。兵士たちは、焚き火の周りに俺を座らせてくれた。

「腹、減ってんだろ? これ食うか?」

 焼き栗と、干し肉をくれた。

 優しい。なんていい人たちなんだ。俺は感動しながら栗を頬張った。


「あの、ここは、何なんですか? 炭焼き小屋ですか?」

 俺が何気なく聞くと、兵士は焚き火をつつきながら答えた。

「炭焼き? 馬鹿言え。ここは稲葉山城の裏手、『水の手』の監視所だよ」

「……ぶふぉっ!?」

 俺は栗を盛大に吹き出した。

「い、稲葉山城!?」

 その名前は知っている。

 現在進行系で俺たちが攻略しようとしている、斎藤家の本拠地。難攻不落の山城だ。

 

「え、じゃあ、あなたたちは……」

「俺たちは斎藤家の足軽だ。……お前、どこの人間だ?」

 終わった。

 敵陣のど真ん中、しかも一番奥深くに迷い込んでしまった。

 俺は冷や汗をダラダラと流した。

 ここで「織田家の家臣です」なんて言ったら、即座に首を刎ねられる。


「あ、えーっと……。俺は、その辺の……通りすがりの旅人です!」

「旅人? こんな獣道もない崖を登ってか? 物好きな奴だな」

 兵士は笑った。疑われていない。

 彼らにとって、この場所は絶対に人が来るはずがない断崖絶壁なのだ。そこを登ってきたボロボロの男を、敵兵だとは思わないらしい。


「まあ、俺たちもここでノンビリさせてもらってるよ。……本丸の方は、殿が酒盛りしててうるせえからな」

 兵士が愚痴をこぼす。

「やってられねえよな。上は遊んでばかりで、俺たちはこんな寒い場所で見張りだ。給金も遅れてるしよ」

「……分かります。俺も、上司が無茶振りばかりするんで、逃げ出したかったんです」

 俺は心から同調した。ブラック企業の社員同士、敵味方を超えたシンパシーが生まれた。


「苦労するな、アンタも」

「そっちこそ。……お互い、早く平和になるといいですね」

 俺は兵士たちが敵であることを忘れて、焚き火を囲んで語り合った。

 日が暮れかけた頃、兵士が立ち上がった。


「そろそろ行け。暗くなると降りられなくなるぞ」

「はい。……本当に、ありがとうございました」

 俺は深々と頭を下げた。

 彼らは、帰り道を教えてくれた。


「こっちの沢沿いに降りれば、麓の村に出る。獣道だが、登ってきた崖よりはマシだ。……間違っても、正面の大手門の方に行くなよ? 殺されるぞ」

 親切すぎる。てか、沢を下ればよかったのかよ……。

 俺は涙を堪えて、教えてもらった裏道を下山した。


 ***


 翌日。墨俣城。

 俺はボロボロの姿で帰還し、藤吉郎と半兵衛に報告をしていた。


「……というわけで、遭難して死にかけながら崖を登ったら、親切な人たちに助けられました」

 俺が貰った焼き栗の残りを食べながら話すと、藤吉郎は「何日もどこ行ってたんだ! 死んだかと思ったぞ!」と怒鳴ったが、横で聞いていた半兵衛の目の色は違っていた。


「茂助殿。……その『裏手』の井戸というのは、『水の手郭くるわ』のことですね」

 半兵衛が、さも当然のように言った。

「あ、そっか。半兵衛様は詳しかったですよねあの城。」

「ええ。城内の構造はすべて把握しています。あそこは水汲み場として重要な反面、城の裏口にあたります」

 そういえばこいつ、以前クーデターを起こして稲葉山城を占拠したことがあるんだった。城のレイアウトなんて知り尽くしているに決まっている。


「ですが……」

 半兵衛は地図を取り出し、その一点を指差して、信じられないものを見る目で俺を凝視した。

「あそこに至る外側の斜面は、人間が登れるような傾斜ではない断崖絶壁です。だからこそ、私が城を乗っ取った時も、現在の斎藤軍も、『誰も登ってくるはずがない』と高を括って、数人しか見張りを置いていないのです」

 半兵衛の声が、微かに震えていた。


「……貴殿は、そこを外から登ったのですか? 徒手空拳としゅくうけんで?」

「ええ。まあ、死ぬかと思いましたけど、手足を使えば登れなくはなかったですよ。ネットの……いや、遭難の心得があったんで」

 俺はあっさり言った。

 火事場の馬鹿力と、「登らないと死ぬ」という極限状態があれば、人間なんとかなるもんだ。


「……信じられん」

 半兵衛が絶句した。

「誰もが『軍の通行は不可能』と切り捨てる難攻不落の絶壁を、己の肉体のみで踏破するとは……。しかも、三日間も山に潜伏し、敵に怪しまれることなく、内部の警備状況まで探ってくるとは」

「いや、栗食ってお茶飲んでただけです」

「これが無の境地による潜入工作か……! 茂助殿、貴殿は天性の忍びかもしれん!」

 違います。ただの迷子のデブです。

 だが、藤吉郎の目はギラギラと猛禽類のように輝き始めた。


「でかした茂助! これは使えるぞ! 半兵衛が内側から知る城の弱点と、お前が見つけた外からの侵入路! この二つが合わされば、あの難攻不落の城を裏から落とせる!」

「えっ」

「次の軍議でお館様に提案する! お前が案内役だ!」

 俺は栗を喉に詰まらせそうになった。

 またか。

 また俺が、一番危険な先頭に立たされるのか。

 しかも今度は、あの断崖絶壁を、武装して登れって言うのか?


「……でも、あそこの見張りの人たち、いい人でした。俺、斬りたくないです」

「甘いこと言うな! 戦だぞ!」

 藤吉郎が一喝する。

 俺は天を仰いだ。

 せっかく助けてもらった恩を、仇で返すようなマネをしなきゃいけないのか。


 戦国時代、やっぱりクソだ。

 俺は、懐に残った焼き栗を握りしめた。

 あの時、焚き火を囲んで愚痴を言い合った兵士たちの顔が浮かぶ。

 ごめんな。

 次に会うときは、敵同士だ。

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茂助「山の中で3日遭難した後に崖を攀じ登る」 ↑現代で引きニートだったのに、戦国時代6年で随分立派に育ったなー
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