第44話 西美濃三人衆、ブラック企業からの転職勧奨
実家での休暇を終えた俺は、その後、敵地・美濃の山中を歩いていた。
「……なんで俺、また敵地を歩いてるんだろう」
俺は深い溜息をついた。
隣には、いつもの木下藤吉郎。そして、今回は天才軍師・竹中半兵衛がいる。
今回のミッションは、美濃の有力者「西美濃三人衆」の調略。
その第一歩として、半兵衛の舅である安藤守就を説得しに向かっているのだ。
「気を引き締めてください、茂助殿」
半兵衛が、涼しい顔で言った。
「舅殿は、義理堅く、そして頑固です。半端な説得では斬られますよ」
「斬られる前提で連れて行かないでくださいよ……」
俺は泣き言を言った。
だが、藤吉郎はやる気満々だ。新しい羽織を身につけ、髪も整えている。
「へへっ、ここが正念場だぞ茂助! 安藤殿さえ落とせば、美濃攻略の王手だ! 俺の舌先三寸で、頑固親父を丸め込んでやる!」
出世欲の塊である藤吉郎にとって、これはビッグチャンスなのだ。俺にとってはデスマーチだが。
***
美濃国、北方城。
安藤守就の居城だ。
俺たちは、竹中半兵衛の供として、裏口から城内に招き入れられた。
通された密室には、張り詰めた空気が漂っていた。
上座に座る男。
五十がらみの、岩のような古武士。
安藤守就。
「西美濃三人衆」の一角にして、美濃の重鎮だ。その目は、複雑な感情で揺れている。
「……よくもまあ、ぬけぬけと顔を出せたものだ、半兵衛」
守就の低い声が響く。
「かつて私を巻き込んで稲葉山城を乗っ取り、あまつさえ城を返して出奔した大馬鹿者が。……今さら何の用だ」
「ご無沙汰しております、舅殿」
半兵衛は平然と頭を下げた。
「本日は、織田信長公の使者として参りました。……美濃の未来について、お話ししとうございます」
「織田の使者だと? ……そこの猿とか」
守就の鋭い視線が、藤吉郎に向けられた。
藤吉郎は、ビクリと肩を震わせたが、すぐに居住まいを正し、声を張り上げた。
「いかにも! 某、織田家家臣、木下藤吉郎秀吉(きのした とうきちろう ひでよし)と申す!」
……ん?
俺は耳を疑った。
今、なんて言った?
ヒデヨシ?
秀吉!!?
(……秀吉って、あの「豊臣秀吉」の秀吉か?)
俺の脳内検索がヒットした。歴史の授業で習った、日本一の出世男。サルと呼ばれ、信長の草履を温めて、最後は天下を取った?男。
俺は藤吉郎の顔をまじまじと見た。猿みたいな顔。小さい体。そして、やたらと高いテンション。
(まさか……こいつが、あの豊臣秀吉なのか!?)
心臓がバクバクしてきた。もしそうだとしたら、俺はとんでもない超大物の下で働いていたことになる。
……いや、待てよ。名字が違う。こいつは「木下」だ。「豊臣」じゃない。
しかも、こんなクソ野郎が豊臣秀吉なわけがない。ただの偶然だ。そうだ、偶然に違いない。
「帰れ」
俺が混乱している間に、守就が冷たく言い放った。
「私は斎藤家の家臣だ。龍興様がどれほど暗愚であろうと、主家を裏切るつもりはない。……これ以上喋れば、娘婿だろうと斬る」
殺気。本物だ。刀の鯉口を切る音がした。
藤吉郎が「ひぃっ!」と悲鳴を上げて縮こまる。さっきの名乗りの威勢はどこへやら、完全にビビっている。
(……やっぱり違うか)
俺は冷静になった。天下人の秀吉なら、こんなところでおっさんに怒鳴られて縮こまったりしないだろう。もっとこう、カリスマ性とか、覇気とかがあるはずだ。こいつはただの、声がデカイだけのパワハラ野郎だ。偶然名前が似てるだけだろう。
だが、このままでは交渉決裂、そして斬り捨て御免だ。
半兵衛は動じず、横にいる俺を見た。
『出番ですよ』という目だ。
(……俺かよ! リーダーがビビってるから俺かよ!)
俺は覚悟を決めた。
ここで黙っていても斬られる。なら、言いたいことを言ってやる。
俺は、現代のブラック企業から逃げ出した元ニートとしての本音をぶつけることにした。
いや、働いてすらないけど。
「……あの、安藤様」
俺が口を開くと、守就の鋭い視線が俺に向いた。
「なんだ、その巨漢は。貴様の護衛か?」
「いえ、織田家家臣の堀尾茂助と申します」
俺は、あえて姿勢を崩し、胡座をかいた。礼儀知らず? 知るか。どうせ殺されるなら楽な姿勢で死にたい。
「単刀直入に言いますけど。……今の職場、辛くないですか?」
「……は?」
守就が呆気にとられた。
「ボスは遊んでばかりで現場を見ない。周りにはイエスマンの佞臣ばかり。真面目に働いてる古株のあんたたちは、意見も聞いてもらえず、責任だけ押し付けられる」
俺は、かつてネット掲示板で見たブラック企業の特徴を並べ立てた。
「働いても評価されない。将来性もない。それなのに『義理』とか『忠義』とかいう社訓だけで縛り付けられている。……それって、ただの搾取じゃないですか?」
「き、貴様……! 武士の忠義を侮辱するか!」
守就が激昂して立ち上がる。だが、俺は動じずに続けた。
「侮辱じゃありません。同情してるんです。……沈むと分かっている船に、家族や部下まで道連れにして乗り続けるのが、本当に『忠義』なんですか?」
俺は、自分の部下たちのことを思った。俺が判断を間違えれば、三太夫も勘兵衛も但馬も死ぬ。
リーダーの仕事は、一緒に死ぬことじゃない。みんなを食わせることだ。
「俺なら逃げますね。……だって、死んだら終わりじゃないですか。こっちのボスの方が、怖いですけど、少なくとも『働けば報われる』だけマシです」
俺は本音を吐き出した。部屋に沈黙が落ちる。
守就の顔が歪む。痛いところを突かれた顔だ。
「……論より証拠です。こいつを見てください」
俺は、隣で縮こまっている藤吉郎を指差した。
「この猿みたいな男、俺の上司なんですけど……元はただの貧乏な農民なんですよ」
「……農民?」
守就が怪訝な顔をする。藤吉郎が「猿は余計だ!」と小声で抗議するが無視する。
「ええ。泥水すすって生きてたような男が、今じゃ『墨俣城代』です。代理とはいえ、一城の主ですよ。……働けば、農民だって城持ちになれる。あのボスは、成果さえ出せば身分なんて気にしないんです」
俺は力説した。
「生まれた家柄とボスのお気に入りで出世が決まる斎藤家と、農民でも実力があれば引き上げる織田家。……どっちが『夢』があるか、一目瞭然でしょう」
藤吉郎が、急に背筋を伸ばした。
そうだ。俺は農民上がりだが、ここまで来たんだ、と言わんばかりに。その姿は、どんな雄弁よりも雄弁な「証拠」だった。
「……農民が、城代、か」
守就が、ドサリと座り込んだ。
その顔からは、殺気が消え、老人のような疲れが滲み出ていた。
「……半兵衛。お前の連れてきたこの男、口が減らんな」
「ええ。ですが、真理を突く男です」
半兵衛が静かに言った。
「舅殿。……もはや、斎藤家に未来はありません。家と民を守るために、決断すべき時です」
守就は、長い長い沈黙の後、天井を仰いだ。
「……条件がある」
守就が、絞り出すように言った。
「私だけではない。稲葉一鉄、氏家卜全。……我ら三人衆、一蓮托生だ。全員の所領安堵と、家臣たちの安全を保証せよ。……それができれば、織田に降ろう」
落ちた。
西美濃の重鎮が、ついに動いた。
「承知いたしました!!」
藤吉郎が、ここぞとばかりに復活して平伏した。さっきまで震えてたくせに、今は「私が交渉をまとめました」みたいな顔をしている。
「お館様には、必ずや約束させます! ……これで、美濃は救われますぞ!」
***
城を出た帰り道。
秋風が、汗ばんだ体に心地よかった。
「……やったな、茂助! 大手柄だ!」
藤吉郎が、俺の背中をバシバシ叩く。
「お前のあの無礼な物言い、ヒヤヒヤしたが……結果オーライだ! これで俺たちも大出世だぜ!」
藤吉郎は上機嫌だ。俺は、ふと思い出して聞いてみた。
「……あの、藤吉郎様」
「ん? なんだ?」
「さっき、『秀吉』って名乗ってましたけど……」
「おう。最近、名前を変えたんだ。藤吉郎だけじゃ箔がつかねえからな」
やっぱり、名前を変えたのか。
「ひょっとして……『豊臣』っていう名字、知ってます?」
俺は核心を突いた。もし彼が「ああ、俺の実家の……」とか言い出したら、確定だ。俺は全力で媚びを売らなきゃいけない。
だが、藤吉郎はキョトンとした顔をした。
「トヨトミ? なんだそりゃ。美味いのか?」
「え? いや、家柄というか、そういう……」
「聞いたこともねえな。どこの田舎大名だ?」
藤吉郎は鼻をほじった。演技には見えない。本気で知らない顔だ。
「……なんだ、知らないんですか」
俺は脱力した。
そうか。やっぱり違うのか。「秀吉」なんて名前、ありふれてるもんな。「豊臣秀吉」は天下人だけど、「木下秀吉」はただのパクリ……いや、偶然の一致か。
「なんだよ、変なこと聞きやがって。……それより急ぐぞ! 次は稲葉一鉄のところだ!」
藤吉郎が走り出す。俺はその後ろ姿を見ながら、ホッと胸を撫で下ろした。
「……よかった。あんな落ち着きのないサルが天下人なわけないよな」
俺は、自分の歴史知識の浅さを再確認しつつ、藤吉郎の後を追った。
俺の勘違いが、将来的にどれほどの驚きをもたらすことになるのか、今の俺は知る由もなかった。




