第34話 大量リストラと、残された三人の狂信者
美濃・森部での泥沼の激戦は、織田軍本隊の到着によって終わりを告げた。
戦場には血の匂いと泥の匂いが立ち込め、夕陽が木曽川の水面を赤く染めている。
俺の心は、文字通り沈んでいた。
「……で、どうなんだ勘兵衛。今回の収支は」
川原の石に座り込み、泥だらけの足を投げ出しながら、俺は事務担当の勘兵衛に尋ねた。
勘兵衛は、墨壺と帳面を取り出し、死刑宣告のような声を上げた。
「……大赤字でございます」
勘兵衛が暗い顔で帳面をめくった。
「本日の戦いで得た敵の具足や太刀を、いずれ商人に売ったとしても、得られる銭は知れています。対して、今回の出陣にかかった経費、亡くなった一名の遺族への見舞金、そして生き残った者たちへ約束した今月分の扶持を支払えば……」
勘兵衛はパタンと帳面を閉じた。
「我々の手持ちは、完全に底をつきます。明日以降、これ以上彼らを家臣として養っていくことは不可能です」
俺は頭を抱えた。
犬千代の「稼げるぞ!」という甘い言葉に乗せられ、勢いで突っ込んできてしまったが、所詮は正規の命令ではない私戦。織田家からの恩賞も補給もない。俺たちは、ただ命を削って、赤字を拡大させただけだった。
「……どうするよ。借金なんてできないぞ」
実家の親父殿に泣きついても無駄だ。俺よりかつかつだろう。
俺が絶望の淵に立たされていると、向こうから部下たちがやってくるのが見えた。
生き残った六名の若党たちだ。
彼らの顔色は悪い。激戦の興奮は冷め、あるのは泥まみれの疲労と、俺への不信感だろうか。
「……茂助様。お話がございます」
六人を代表して、年かさの男が前に出た。
その目は、少し物悲しいものだった。
「なんだ? 腹が減ったのか? もう少し待てば、犬千代様が何か恵んでくれるかも……」
俺が力なく笑うと、男は首を横に振った。
「いいえ。……お暇を頂きたいのです」
俺は、ポカンとした。
暇? つまり、休み?
「ああ、いいよ。今日はよく頑張ったしな。明日はゆっくり休んで……」
「違います! 我々は、御家から去りたいのです!」
男が叫び、その場に土下座した。
後ろの五人も、それに続いてドサドサと泥の中に膝をつく。
「えっ……辞めるってこと?」
「はい。……もう、限界でございます」
男は顔を上げずに訴えた。
「我々は、食い扶持欲しさに茂助様の家臣として仕官いたしました。戦場ゆえ、多少の危険は覚悟の上でした。……ですが、茂助様のなさりようは、あまりにも常軌を逸しております!」
男の声が震えている。
「先ほどの戦……。あのような豪傑の足元に、槍も構えず身一つで斜面を滑り落ちて飛び込むなど、正気の沙汰ではありません! あれは勇気ではない、狂気です!」
他の男たちも口々に叫び始めた。
「そうです! 我々は人です! 捨て駒じゃありません!」
「あんな無茶な戦いをさせられたら、命がいくつあっても足りません!」
「その上、手柄を立てても私戦ゆえに恩賞の望みは薄い……。こんな狂った主、もう見限らせてもらいます!」
彼らの主張は、至極もっともだった。
現代なら、労基に駆け込まれても文句も言えないか。
俺は、彼らの切実な訴えを聞きながら、心の中で叫んだ。
(……やったぁぁぁぁぁ!!)
俺は内心でガッツポーズをした。小躍りしたいくらいだった。
リストラ成功だ!
俺が手を下すまでもなく、向こうから辞めてくれると言っている!
これで明日からの人件費が一気に六人分カットだ! 経営再建の目処が立った!
だが、ここで顔を緩めてはいけない。
「……そうか。……すまない」
俺は、俳優顔負けの演技力で、沈痛な表情を作った。
「俺の力が至らぬばかりに、お前たちに辛い思いをさせたな。……命を預かる主として、失格だな」
俺は立ち上がり、懐を探った。こっそり持ち出していた、俺のへそくりだ。
「……これを持っていけ」
俺は、今月分の給金を誤魔化すために銭袋を彼らに投げ渡した。
「路銀の足しくらいにはなるだろう。……どこへ行っても、達者で暮らせよ」
俺が言うと、男たちは顔を見合わせ、やがて涙を流した。
「も、茂助様……! 我らのような半端者に……!」
「なんと慈悲深い……!」
「一生のご恩は忘れません!」
彼らは何度も頭を下げ、解放された喜びに足取りを軽くして、夕闇の迫る戦場を去っていった。
残されたのは、血と泥に塗れた広い河原と、俺。
そして、後ろに立っている三人の男たちだけだった。
人斬り三太夫。
従兄弟の但馬。
事務方の勘兵衛。
俺は恐る恐る振り返った。
こいつらも辞めるって言うかな? 勘兵衛あたりは計算高いから、サクッと見限るかもしれないな。
流石に全員辞められたら、少し悲しいが。
「……お前らは、行かないのか?」
俺が聞くと、三太夫が鼻で笑った。
「へっ。行くわけねえでしょう」
三太夫は、血のついた槍を布で拭いながら言った。
「俺は、あの瞬間の若の目を見ましたぜ。……六兵衛の足元に滑り込む時の、あの目」
えっ? あの時、俺、パニックで目つぶってたと思うけど。
「『恐怖』も『躊躇』も一切ない。ただ、獲物を狩るための最適解を導き出す、冷徹な獣の目でした。……ゾクゾクしましたよ。あんな狂った戦い方をする大将、他にはいねえ」
三太夫の目が危ない。こいつ、俺の自爆事故を特攻と誤解している。戦闘狂には、俺のドジが魅力的に見えてしまうらしい。
「私が去るわけにはいかないでしょう。一門衆ですぞ、吉晴殿」
但馬が一歩前に出た。真面目な顔だ。
「ただ、去る者は追わず、己の私財を投じて路銀を与える。……その潔さと慈悲深さ。まさに将器。……不肖、堀尾但馬、この命尽きるまでお供いたします」
但馬は武士の情けに弱いらしい。むしろ給金をちょろまかした厄介払いなのに、勝手に美談に変換されている。
そして、最後の一人。勘兵衛だ。
彼は頭の中で素早く計算を終えると、満足そうに頷いた。
「……明日以降、六名分の家臣の扶持が丸々浮いたことで、当家の台所事情は劇的に持ち直しました」
勘兵衛はニヤリと笑った。
「これで当面は破綻を免れます。……茂助様は、情に流されず、無駄を省かれた。その非情かつ的確な御決断、この勘兵衛、感服いたしました」
お前もか。
「……はぁ」
俺は深いため息をついた。
いなくなると思ったら寂しいと思ったが、いるならいるで少し面倒くさい奴等だ。
残ったのは、戦闘狂と、堅物と、守銭奴。
俺の直属の家臣団は、少数精鋭の変人集団になってしまったようだ。
***
その時、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。
「おーい! 茂助ェ!」
前田犬千代が、満面の笑みで手を振りながら歩いてくる。
その手には、奪い取った酒瓶と、布に包まれた丸いものが……三つもぶら下がっている。
後ろには、従者の長八が、山のような戦利品を背負ってよろめきながらついてきている。
「聞いたぞ! 部下が逃げたんだってな?」
犬千代は俺の隣にドカッと座り込んだ。
「ガハハ! 気にするな! 戦場の空気に耐えられねえ腰抜けは、早めに消えた方がお互いのためだ!」
犬千代は豪快に笑い、酒の栓を抜いた。
「それより見ろ、この首! 足立六兵衛だけじゃねえ、合わせて三つも取ってやったぜ! これでお館様への手土産は十分だ!」
犬千代は上機嫌だ。
俺は、泥だらけの盃を受け取った。
「……復帰、できそうですか?」
「おうよ! 信長公は成果主義だ。謹慎中だろうが、これだけの大物を討ち取れば文句はねえはずだ」
犬千代は自信満々だ。
俺は、彼の後ろで死にそうな顔をしている長八に、目線で合図を送った。
『お疲れさん』
長八も、疲れ切った目で『お互い様です』と返してきた。
「さあ飲め! 今日は俺の奢りだ!」
犬千代とのささやかな酒盛り。
周りには、俺の狂信的な部下たち。
夕闇が迫る中、俺は酒をあおった。
喉が焼けるように熱い。
この戦は、俺にとって大きな転換点となった。
財政破綻の危機は回避され、組織はスリム化された。
そして、前田犬千代というヤンキー武将との腐れ縁が完全に固まってしまった。
こいつ有名な武将になってくれねえかな。
ヤンキーこそ大人になったら金持ちになるって法則があったりするからな。
「……悪くはない、か」
俺は、誰にも聞こえない声で呟いた。
少なくとも、今日はもう走らなくていい。戦わなくていい。
それだけで、十分幸せだ。
だが、美濃攻略はまだ始まったばかりだ。
俺は歴史なんて欠片も知らないが、あの理不尽な信長のことだ。美濃を落とすために、またとんでもない無茶振りを現場に押し付けてくるに決まっている。そして、便利屋扱いされている俺と藤吉郎は、確実にその矢面に立たされるだろう。
俺の戦国での生活は、リストラという痛みを伴う改革を経て、次のステージへと進んでいく。
次はどんな地獄が待っているのか。
今はまだ、考えたくもなかった。
(第一部・完)
第一部・完です。
今日の夜に幕間を1話投稿し、明日から引き続き第二部を投稿します。
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