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第32話 破産の悪夢と、ヤンキーと飢えた狼たち

 初夏の風が吹き抜ける清洲城下。季節は爽やかだが、俺の懐事情は、真冬のように冷え込んでいた。


 今日は、待ちに待った給金の支給日だった。

 俺は台所奉行所の前で、米俵を受け取った。組頭に昇進して、給料は数倍になった。はずだった。

 だが、俺の手元には、米粒はほぼ残らなかった。受け取った米の全てが、そのまま部下たちの食い扶持として消えていくからだ。


「……おかしい」

 俺は空っぽの米袋を見つめて呟いた。いくらなんでも、カツカツすぎる。俺の食い分がないじゃないか。

「あの、茂助様」

 この場に同行していた事務担当の勘兵衛かんべえが、帳簿を見ながら、恐る恐る声をかけてきた。

「申し上げにくいのですが……流石に、家臣が多すぎではございませんか?」

「え?」

 俺はきょとんとした。


「だって、俺は組頭だぞ? 一組はだいたい十人から二十人だろ? だから十人雇ったんだけど……」

「え?」

 勘兵衛もきょとんとした。二人の間に、冷たい秋風が吹いた。

「……茂助様。まさかとは思いますが」

 勘兵衛が、信じられないものを見る目で俺を見た。

「組頭が指揮する『組子くみこ』と、茂助様個人が養う『家来けらい』を、混同されておりませんか?」

「……え? 違うの?」

「違いますッ!」

 勘兵衛が叫んだ。


「『組子』は、織田家が雇った足軽を、戦の時だけ預けられるものです! 給料は織田家から出ます! ですが、我々のような『家来』は、茂助様の私費で養う、いわば家族同然の存在……!」

 勘兵衛は、指を一本立てた。

「茂助様は組頭と言えども、今の扶持であれば、自前で抱える家来など、槍持ちと草履取りの精々一、二名が相場!多くても三人! それを十名も、しかも全員を『家来』として抱え込むなど……組頭の中でも上位の方でなければ破産しますぞ!」

「はあ? だって、あの猿野郎を見てみろよ。あいつ、桶狭間の前、足軽長屋に二十人くらい部下を住まわせてただろ? 俺は十人だぞ? 半分の人数なのに、なんで俺だけこんなに苦しいんだよ」

 俺の素朴な疑問に、勘兵衛は呆れたような顔をした。そして、決定的な事実を告げた。 


「それは、戦の臨時雇いだったからですよ。彼らの給金は、お館様から出ております。藤吉郎殿は、それを管理していたに過ぎません」

 勘兵衛は、自分の懐をポンと叩いた。

「ですが、我々は違います。我々は茂助様個人に仕える『家臣』。……つまり、我々の給金はすべて茂助様の財布から出るのです」


 俺は顔面蒼白になった。

 やってしまった。

 俺は「藤吉郎もやってるから」と真似をしたつもりだったが、派遣社員と正社員の違いどころか、経費の出処すら勘違いしていた。

「……詰んだ」

 俺は頭を抱えた。

 このままでは、数カ月後には全員で首を吊るか、野垂れ死ぬかだ。


「ど、どうすれば……」

「解雇するしかありません。……ですが」

 勘兵衛が、チラリと後ろを見た。

 そこには、護衛としてついてきた人斬り三太夫と、従兄弟の但馬が立っている。

 三太夫は新しい槍を愛おしそうに撫でており、但馬は「吉晴殿の護衛こそ我が務め」と胸を張っている。

 あいつらに「クビ(お前らの給料払えません)」なんて言ったら、俺の首が物理的に飛びそうだ。  


「……無理だ」

 俺は涙目で叫んだ。

「……」

「わ、分かってるよ! なんとかするよ! どっかに金が落ちてないかなあ!」

 その時だった。城下町の方が、急に騒がしくなった。


「おい、聞いたか! 美濃みのマムシの息子が死んだらしいぞ!」

斎藤義龍さいとうよしたつが急死したってよ!」

「織田様が動くぞ! 出陣だ!」

 噂話が風に乗って聞こえてくる。

 斎藤義龍。信長様の宿敵であり、美濃を治める強力な大名だ。そいつが死んだ? 


「……吉晴様。これは好機ですぞ!」

 いつの間にか近くに寄ってきていた、但馬がカッと目を見開いて進言してきた。

「敵国の主が代わった混乱に乗じ、武功を挙げる絶好の機会。……戦に出れば、恩賞が出ますぞ!」

「そうでさあ! 良い機会だ!」

 こちらも、いつの間にか近くに寄って来ていた、目を輝かせる三太夫は刀の柄を叩いた。

「貧乏暮らしはもう結構! どうせ死ぬなら、派手に暴れて金を稼ぎましょうや! 俺の刀が血を吸いたがってるんでさぁ!」

 武闘派の二人はやる気満々だ。

 だが、俺と勘兵衛は顔を見合わせた。


「い、いや待て。危険すぎる」

 俺は首を横に振った。

「まだ命令も出てないのに動くなんて軍律違反だ。それに、遠征費はどうするんだ? 弁当代もないぞ」

「左様でございます!」

 勘兵衛も必死に止める。

「戦は金がかかるのです! 勝てば官軍ですが、負ければ借金だけが残る運を天に任せるような投資! 今の我が家の台所事情では、遠征など不可能です!」


 俺たちは「行きたくない派」だ。

 だが、武闘派二人の熱気は収まらない。板挟みだ。

 俺が拒否しようとした、その瞬間。

 目の前に、派手な着物を着崩した、巨大な影が立ちはだかった。

「よう。……いい話をしてるじゃねえか、茂助」

 ドスの利いた声。


 顔を上げると、そこには朱色のさやに入った長槍を担ぎ、虎柄の腰巻きをした男が立っていた。

 前田犬千代だ。

 本当の名前は又左衛門利家またざえもんとしいえと言うらしい、最近知った。

 そしてその背後には、荷物を背負った従者の長八が、死んだような顔で立っている。

「……い、犬千代様?」

 俺は後ずさりした。

 彼はまだ織田家を勘当クビされたままだ。

 だが、今日の彼は殺気が違う。目が血走っている。


「聞いたな。 義龍が死んだ。……織田は動くぞ」

 犬千代は、城の方角を睨みつけた。

「お館様のことだ。この機を逃さず、木曽川を越えて美濃へ攻め込むおつもりだ。……おそらく、数日後には出陣する」

「俺は、この戦で必ず復帰する。そのためには、誰よりも早く敵地に乗り込み、デカイ手柄を立てなきゃならねえ」

 犬千代が俺の肩をガシッと掴んだ。痛い。骨が軋む。


「だが、長八と二人じゃ心細くてな。……ついて来い、茂助」

「はあ!? 嫌ですよ! 俺は命令がないと動きません! それに俺、金欠で……」

「うるせえ! 陣触れなんか待ってたら、手柄を他の奴らに取られちまうだろうが! 先行して、一番槍を入れるんだよ!」

 無茶苦茶だ。軍律違反もいいところだ。俺は必死に抵抗した。

「無理です! 勘兵衛、言ってやれ! 俺たちには金がないって!」

 俺は勘兵衛に助けを求めた。

 勘兵衛は青ざめた顔で頷いた。


「そ、そうです! 我々には遠征の兵糧も……」

「金? それなら、敵の大将を討ち取ればいい。そうすりゃ一生遊んで暮らせるぞ」

 犬千代の悪魔の囁きに、反応した奴らがいた。

 三太夫と但馬だ。

 二人の目が「金」と「名誉」の字になった。


「若! この方の言う通りです!」

 三太夫が叫ぶ。

「行きましょう! 俺たちがいれば、敵陣突破なんて容易いことです!」

「そうです吉晴殿! 前田殿と共に先駆けとなれば、汚名返上どころか、大出世間違いなし!」

 但馬まで裏切った。

 完全に包囲された。


 前には暴走族の総長の犬千代、横にはやる気満々の筋肉ダルマの三太夫と但馬。

「ほう、威勢のいい部下を持ったな茂助」

 犬千代がニカっと笑った。

「よし、話はまとまったな! 他の部下どももまとめて連れて来い! 多勢のほうがおとりに使える!」

 犬千代が俺の襟首を掴んだ。


「行くぞ、野郎ども! 目指すは美濃! 敵の首を土産に、凱旋だ!」

「「オオーッ!!!」」

 勝手ニ盛り上がる三太夫と但馬。

 俺はズルズルと引きずられていった。

 長八が「ああ、また無茶を……」と頭を抱え、勘兵衛が「経費が……」と呟きながらついてくる。

 俺の悲鳴は、初夏の風にかき消された。

 こんな出陣ありなのか。

 

 長屋で待つ残りの七人も、この勢いで巻き込まれるに違いない。

 目指す場所の名前すら知らない。

 ただ、そこが「森部もりべ」と呼ばれる激戦地となり、俺がまたしても伝説を作ってしまうことになろうとは、この時の俺は知る由もなかった。 


「……帰りたい」

 俺の呟きは、誰にも届かなかった。

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― 新着の感想 ―
勘兵衛がハイリスクなんてハイカラな言葉使ってるけど、良いのかなぁ
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