第31話 戦国の教習所、求む「オートマ限定」
清洲城の台所詰所での激務の合間、俺は、上司の木下藤吉郎に呼び出された。
「おい茂助。てめえ、いつまで徒歩で移動してるんだ?」
藤吉郎が、呆れたように俺の泥だらけの草鞋を見た。
「え? 免許持ってないんで、歩きしか無理です。自転車ないですか?」
「馬鹿野郎! てめえは武士だぞ! 部下の管理に、岩倉と清洲の往復、資材の調達……。歩いてたら日が暮れちまうだろうが!」
藤吉郎は懐から、永楽銭の入った袋を投げ渡した。
「馬を買え。そして乗れるようになれ。これは業務命令だ」
馬。その響きに、俺は顔を引きつらせた。
現代人の俺にとって、馬は動物園で見るものか競馬で走るものだ。乗り物じゃない。
たぶん揺れるだろうし、生き物だから言うことを聞かないだろう。バイクのほうが百倍マシだ。乗れないけど。
「でも、免許持ってないんですよ? 俺。親からもらった教習所代もゲームの課金で使っちゃって」
「ああん? 何を訳の分からんことを……! いいから行ってこい! 城下の馬場に行って、手頃な駄馬を見繕って練習してくるんだ!」
強制命令だ。
俺は渋々、銭袋を持って城を出た。
馬か……。俺の希望スペックは決まっている。『座高が低い』『走るのが遅い』『燃費がいい』。つまり、軽トラみたいな馬が欲しい。
***
清洲の城下外れにある馬場は、獣臭と熱気に包まれていた。ここでは馬の売買だけでなく、簡単な試乗や稽古も行われている。
「さあ見てくれ! 木曽の銘馬だ!」
「この脚を見ろ! 風より速いぞ!」
馬喰と言うらしい商人たちの威勢のいい声が飛び交う。だが、俺の目当てはそんなスポーツカー級の馬ではない。俺は市場の隅っこの、比較的安価なコーナーへと向かった。
そこに、一人の少年がいた。
まだ十五、六歳だろうか。元服したてといった風情だ。
着物は継ぎ接ぎだらけで貧相だが、腰の刀だけは手入れされており、背筋がピンと伸びている。武士としての矜持と、苦労人の陰りが同居している。
彼は、柵の中の立派な黒毛の馬を、食い入るように見つめていた。
「……いい馬だ」
少年がため息をつく。その横顔には、憧れと、どうしようもない諦めが混ざっていた。
「欲しいのか?」
俺が声をかけると、少年はビクリとして振り返った。俺の巨体を見上げ、警戒の色を浮かべる。
「……失礼。見ているだけです。某のような身の上では、高嶺の花ですので」
少年は自嘲気味に笑った。礼儀正しい。俺の「陰キャ・センサー」が反応する。こいつは悪いやつじゃない。
「俺は堀尾茂助。……君は?」
「……堀尾?」
俺が名乗った瞬間、少年の目の色が変わった。
彼は俺の顔をまじまじと見つめ、次にその巨体を見上げ、首を傾げた。
「堀尾……茂助殿、でございますか? 岩倉の、堀尾泰晴殿のご嫡男の?」
「え、ああ。そうだけど……」
なんで知ってんだ? 有名人なのか、俺の親父。
「なんと! 某は山内伊右衛門。諱は一豊と申す者!」
「イエモン?」
俺は思わず聞き返した。
イエモン。その響きに、俺の現代脳が激しく反応する。
渋くて美味いペットボトルのお茶か?それともバンドのパクリか?
こいつ、真面目そうな顔して、カラオケで熱唱するタイプなのか?
「……どうかされましたか?」
「あ、いや。いい名前だなと思って。渋みがあるというか、ロックというか」
「ろっく? ……はあ」
少年は不思議そうな顔をした後、居住まいを正した。
「私の父、山内盛豊は、岩倉織田家の家老を務めておりました。……貴殿の父上とは、かつて同僚として共に働いた仲にございます」
「へぇ……そうなんだ」
俺は適当に相槌を打った。
実家の親父の同僚の息子? 知らんがな。
俺は岩倉織田家のことなんて何も知らないし、興味もない。過去の話をされても「はあ」としか言いようがない。
「しかし、茂助殿?」
一豊は、困惑したように眉を寄せた。
「幼い頃、何度かお見かけしたことがありますが……失礼ながら、姿形が随分と異なられませんか? 以前はもっと、小柄で大人しい方だったと記憶しておりますが……」
ギクリとした。
バレた。昔の知り合いだ。
俺は冷や汗をかきながら、いつもの言い訳を繰り出した。
「あー……まあな。戦場の空気を吸って、一気に育ったんだよ。成長期が遅れて来たんだ」
「成長期……? なるほど、修羅場をくぐり抜け、肉体も魂も作り変えられたというわけですか。さすがは『鬼の茂助』と噂されるお方だ」
一豊は素直に納得した。純粋なやつだ。
「して、茂助殿。折り入ってお願いがございます!」
一豊がいきなり頭を下げた。
「私は今、織田家家臣・浅井新八郎殿の元に身を寄せておりますが、やはり槍働きがしたいのです! 聞けば茂助殿は、木下様の与力として組頭に出世されたとか。……どうか、私を推挙していただけないでしょうか! 父の縁に免じて!」
コネ入社の依頼だ。
浅井新八郎? 誰だそれ。織田家の家臣らしいが、俺は知らない。
というか、俺自身の雇用だって不安定な「なんちゃって組頭」なのだ。これ以上、責任を背負い込みたくない。
「いやあ……俺なんてただの下っ端だし、人事権はないんだよ。ごめんな」
俺がやんわり断ると、一豊はガックリと肩を落とした。
「そうですか……。やはり、馬の一頭も持たぬ貧乏浪人では、相手にされませぬか」
一豊は、柵の中の黒毛の馬を未練がましく見た。
値段の木札を見ると『三十貫文』とある。高すぎる。俺の手持ちの倍だ。
「……まあ、無理して高いのを買う必要はないさ。維持費も馬鹿にならないしな」
俺は慰めた。そして、自分の相棒選びを再開した。
俺が求めているのは「安全性」と「快適性」だ。速さなんていらない。
俺は柵の中を吟味し、一頭の馬に目をつけた。
茶色くて、毛並みはボサボサ。足が短く、胴が太い。そして何より、周りの馬が嘶いている中で、一頭だけ地面に寝そべって欠伸をしている。
「……こいつだ」
俺はビビッと来た。このやる気のなさ。動きたくないという強い意志。俺と同じ匂いがする。こいつなら、勝手に暴走することもないだろうし、落馬しても地面が近い。まさに生きた軽トラだ。
「おい、馬喰。あの寝てるやつ、いくらだ?」
俺が聞くと、馬喰は嫌な顔をした。
「へぇ? あいつですか? あいつはダメですよ。農耕馬の雑種で、鈍足だし、すぐに座り込むし……肉にする予定でして」
「いいから。いくらだ」
「……二貫文でいいですけど」
激安だ。俺は即決し、銭を払った。
馬喰が「マジかよ」という顔で、寝ている馬を蹴り起こす。馬は「チッ」と言いたげな顔で、のっそりと立ち上がった。
「茂助殿……正気ですか?」
一豊が、信じられないものを見る目で俺を見た。
「あんな鈍そうな馬……いざという時、役に立ちませんぞ」
「いやいや、伊右衛門。よく見てみろ」
俺はもっともらしい顔で解説した。
「あの太い胴体。あれは重心が低い証拠だ。つまり、揺れない。乗り心地がいい」
「なるほど……?」
「それに、あの落ち着き払った態度。周りが騒いでも動じない胆力がある。これは名馬の器だぞ」
単に鈍感なだけだが、言い方ひとつだ。一豊の目が、次第に真剣なものに変わっていく。
「……重心の安定と、不動の胆力。……ううむ。速さよりも、人馬一体となって動じぬことこそが、真の強さなのか……」
一豊がブツブツと呟き始めた。なんか勝手に深読みしてくれている。真面目な奴だ。
「よし、乗ってみるか」
俺は「軽トラ(と名付けた)」に跨った。低い。視線があまり変わらない。安心感がすごい。
俺が手綱を引くと、軽トラは「ふぅ」とため息をつき、牛のような速度で歩き出した。パカッ……パカッ……。
「おお……! なんという安定感!」
一豊が感心している。いや、にしても遅いだけだ。
その時だった。馬場の奥で、騒ぎが起きた。
「危ねえ! 逃げろ!」
「馬が暴れたぞォ!」
見ると、調教中の一頭の荒馬が、乗り手を振り落として暴走していた。さっき一豊が見ていた、あの高い黒毛の馬だ。馬喰たちが取り押さえようとするが、蹴り飛ばされている。
ドドドドド!
暴れ馬が、こっちに向かってくる。周りの客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ひぃっ!?」
俺は腰を抜かしそうになった。逃げなきゃ。
俺は軽トラの腹を蹴った。「走れ! 逃げろ!」
だが、軽トラは動じなかった。いや、反応が遅すぎた。
軽トラは、暴走馬が迫ってきているのに無視して、道端の草を食み始めたのだ。俺は手綱を握りしめたまま、恐怖で石のように硬直した。
暴走する黒馬が、俺の目の前まで迫る。死ぬ。衝突事故だ。
ヒヒィン!?
暴走してきた黒馬の方が、逆に驚いた。
避けるスペースがない。
黒馬は急ブレーキをかけ、俺たちの数メートル手前で、前足を上げて立ち止まった。
シーン……。
静寂が訪れる。恐怖で硬直する俺と、我関せずと食事中の軽トラと、その軽トラに困惑する黒馬が対峙する奇妙な構図。
「……今だ! 取り押さえろ!」
追ってきた馬喰たちが、黒馬に飛びつき、綱をかけた。騒ぎは収束した。
「た、助かった……」
俺は馬上でへたり込んだ。寿命が縮んだ。この駄馬が逃げなかったおかげで、逆に助かったのか?
いや、単に鈍すぎて状況を理解していなかっただけだろう。飼い主に似てニート気質な馬だ。
「……す、凄まじい……!」
下から見ていた一豊が、感嘆の声を上げた。
「暴れ馬が迫っても、眉一つ動かさず、馬もまた泰然自若として草を食むとは……! 茂助殿、貴殿の胆力、そしてその馬の据わった性根……見事です!」
一豊の目がキラキラしている。いや、俺はチビりそうだったし、馬はただの食いしん坊だぞ。
「速さや見た目の良さに惑わされず、本質的な『強さ』を見抜く眼力……。勉強になりました」
一豊は俺に深々と頭を下げた。
「某も、見栄を張って高い馬を欲しがっていた自分が恥ずかしい。……身の丈に合った、しかし芯の強い馬を探します」
一豊はそう言うと、先ほど見ていた痩せ馬の方へ歩いていった。そして、なけなしの小銭をはたいて、その老馬を購入した。
「これからは、こいつと共に歩みます。……茂助殿、ツテの件は諦めます。安易に人を頼ろうとした自分が情けない。自分の力で道を切り開いてみせます」
一豊は痩せ馬の手綱を引き、清々しい顔で去っていった。
俺はそれを見送った。
いい奴だ。真面目すぎるけど。
この伊右衛門さんは、出世しないだろうなぁ。ただ、何故か親近感がある奴だった。
俺は「軽トラ」の首をポンと叩いた。
「……まあ、お前でいいや。よろしくな、相棒」
軽トラは、ブルルと鼻を鳴らした。「飯をくれ」と言っているようだった。




