第29話 台所奉行の使いっ走り、庭先の薙刀少女
清洲城下の木々は色づき始め、空は高く澄み渡っていた。絶好の行楽日和だ。現代なら、弁当を持って紅葉狩りにでも行きたいところだ。
だが、俺がいるのは、相変わらず薄暗い城の裏手、台所の詰所だった。
「……計算が合わん。米が三俵、どこへ消えた?」
俺は机の上で頭を抱えていた。台所奉行補佐としての仕事は、激務の一言に尽きる。冬支度の備蓄に加え、領内の検地データの整理など、物資の出入りが激化しているのだ。俺も、そろそろオーバーヒートしそうだ。
「おい茂助! 休憩してる暇はねえぞ!」
上司の木下藤吉郎が、顔面蒼白で飛び込んできた。
「一大事だ! 津田様のお屋敷からクレームが来た!」
「はあ? 津田様って、誰ですか?」
「誰って、お館様の親族筋の方だよ! 昨日、お館様の名代として、季節の挨拶に『三年味噌』を一樽贈っただろう? あれが、ひび割れて中身が漏れていたそうだ!」
俺は天を仰いだ。
津田家は織田信長様の遠縁にあたる家らしい。その津田家に対し、主君からの贈答品が破損していたとなれば、それはただの不良品交換では済まない。
織田家の顔に泥を塗ったことになり、藤吉郎の管理責任が問われる大問題だ。こういう贈答品となると話の重さが違う。
「すぐに新しいのを持って謝りに行ってこい! 極上のやつを選べ! 絶対に粗相をするなよ!」
「えー……藤吉郎様が行ってくださいよ。俺、コミュ障なんで」
「俺は今からお館様と打ち合わせだ! ここで俺が抜けたら、お館様の機嫌まで損ねる! 頼む茂助、俺とお前の首がかかってるんだ!」
なんでいつも一蓮托生なんだよ。
藤吉郎は拝み倒すように言って、逃げるように去っていった。
「……はぁ。行くか」
俺はよろよろと立ち上がった。護衛の三太夫を呼ぼうとしたが、あいつの顔は怖すぎて、謝罪に行ったら逆に脅しに来たあと勘違いされかねない。俺は一人で味噌樽を担ぎ、津田屋敷へと向かった。
***
津田家の屋敷は、清洲城下の武家屋敷街にあった。立派な門構え。手入れされた庭木。俺の実家とは格が違う。
「ごめんください……。台所奉行の使いで参りました……」
出てきたのは、年配の女性だった。侍女ってやつかな。
「あらまあ、早かったこと。……代わりの品ですか?」
侍女は俺の巨体を見ても動じず、テキパキと指示を出した。俺は言われるがままに樽を置き、古い樽を回収する。これで任務完了だ。さっさと帰ろう。
「あ、ちょっとお待ちになって。『素早い対応への労いとして白湯でも』と仰せつかっているの」
「えっ、いえ、そんな……」
「いいからお待ちなさい。すぐにお持ちしますから」
侍女は奥へ引っ込んでしまった。断りきれない。
俺は手持ち無沙汰になり、土間から繋がる庭の方へふらふらと歩いた。
広い庭だった。枯山水のような石組みがあり、紅葉が美しく植えられている。静かだ。戦国の世であることを忘れさせるような静寂。
――ビュッ。
――ビュンッ。
その静寂を切り裂くような、鋭い風切り音が聞こえた。誰かいる。俺は音のする方、庭の奥にある開けた場所へと近づいた。
そこに、一人の女性がいた。
歳は二十前後だろうか。長い黒髪を後ろで束ね、動きやすい稽古着に身を包んでいる。手には、身の丈ほどもある長柄の薙刀。
「せえええいッ!」
気合一閃。彼女が薙刀を振るうと、空気が裂けるような音がした。
美しい。舞を舞うような優雅さと、人を殺めるための鋭さが同居している。俺は思わず見とれてしまった。
その時、彼女がくるりと振り返り、俺の方を向いた。
「……誰じゃ!」
鋭い眼光。俺はビクリと震え上がった。
その顔を見て、記憶がフラッシュバックする。
正月の城下町。俺がぶつかって、巾着袋を落とさせてしまった、あの美女だ。
「あ……」
彼女も俺を見て、目を丸くした。
「そなた……正月の、無礼な大男か?」
覚えられていた。まあ、こんな巨漢なんて、そうそういないからな。
「い、いえ、無礼というか……その節は大変失礼いたしました! 俺は台所奉行の下で働いております、茂助と申します!」
俺は慌てて平伏した。彼女は薙刀の石突きを地面にドンと突き、じっと俺を見下ろした。
「茂助……? どこかで聞いた名じゃな」
「よくある名前ですよ。佐藤とか鈴木みたいなもんです」
俺は誤魔化した。「鬼の茂助」だとバレたら、手合わせを申し込まれそうで怖い。この人は強そうだ。
「ふん。……して、なぜこのような所にいる。勝手に入ると斬り捨てるぞ」
物騒すぎるだろ。
「み、味噌を届けに来たんです! 白湯をいただけると言うので待っていたら、迷い込んでしまって……」
俺は必死に弁明した。彼女はふっと息を吐き、構えを解いた。
「そうか。……驚かせてすまなかったな」
彼女は手ぬぐいで汗を拭った。その仕草が、妙に色っぽくて、俺はドギマギしてしまった。
「……見事な薙刀ですね」
俺がお世辞を言うと、彼女は自嘲気味に笑った。
「女の武芸など、所詮はままごとじゃ。……いざ戦となれば、男たちの後ろで震えていることしかできぬ」
「そんなことないですよ。さっきの鋭さなら、俺なんて一撃で真っ二つです」
「お世辞はよい。……私は、悔しいのじゃ」
彼女は薙刀の柄を強く握りしめた。
「男に生まれていれば、槍を持って戦場を駆けることもできた。……だが、女ゆえに、政略の道具として家に縛られる。……私の人生は、誰かの所有物になるためにあるのではない」
重い。現代フェミニズム的な悩みだ。戦国時代の女性にとって、それは逃れられない宿命なのだろう。だが、俺の口から出た言葉は、軽かった。
「まあ、男も似たようなもんですよ」
「……なに?」
彼女が眉をひそめる。
「俺だって、本当は家で寝てたいんです。でも、『男なんだから働け』『出世しろ』『家を継げ』って言われて、嫌々戦場に放り出されてます。……性別関係なく、この時代はみんな何かに縛られてるんじゃないですかね」
俺はニートの本音を漏らした。「男らしさ」という呪縛。それは現代でも戦国でも変わらない。
彼女は、ポカンとして俺を見た。そして、クスクスと笑い出した。
「……ふふっ。そなた、変わった男じゃな」
彼女の笑顔を、初めて見た気がした。キツイ顔立ちが崩れると、年相応の可愛らしさがある。
「武士たるもの、功名を夢見るのが常だろうに。『寝てたい』とはな。……だが、不思議と気が楽になったわ」
「そりゃあ良かったです」
その時。庭の隅にある、巨大な庭石の方から、うめき声が聞こえた。
「うう……重い……あがらねえ……」
見ると、二人の下男が、庭石を動かそうとして悪戦苦闘していた。模様替えか何かだろうか。
「……見ておれぬな」
彼女がため息をつき、助けに行こうとする。だが、あの石は数十キロ以上ありそうだ。女性の手には負えない。
「あー、ちょっと待ってください。俺がやりますよ」
俺は彼女を制して、下男たちの元へ歩み寄った。
「代われ。腰を痛めるぞ」
俺は下男たちを下がらせ、石の前に立った。デカい。そして重そうだ。
「ふんッ!!」
俺は息を吐き出しながら、一気に立ち上がった。
ズズズ……。
巨大な石が、宙に浮く。
「おおおっ!?」
「持ち上げたぞ!」
下男たちが驚愕の声を上げる。俺は顔を真っ赤にしながら、数メートル横の指定された場所へ石を移動させ、静かに下ろした。
ドスン。
「……ふぅ。こんなもんですか」
俺は腰をトントンと叩いた。振り返ると、彼女が信じられないものを見る目で俺を見ていた。
「……そなた、何者じゃ」
彼女の声が震えている。
「その巨石を、一人で、軽々と……。ただの使い走りとは思えぬ」
「い、いえ、ただの力持ちです。……普段は米俵を運んでるんで、慣れてるだけですよ」
あまりなも美人でカッコつけてしまった。
実際は腕も腰もバキバキになっている。
「あ、俺、もう行きますね」
俺の窮状がバレないよう、そそくさとその場を離れようとした。だが、背後から彼女の声が追いかけてきた。
「待て! 名を、もう一度申せ!」
「……茂助です。堀尾家の」
俺は振り返らずに答えた。その瞬間、背後の空気が変わった気がした。
「堀尾……茂助……?」
彼女の呟きが聞こえた。
「噂の……『鬼の茂助』か!?」
バレた。やっぱりバレた。
俺は冷や汗をかきながら、小走りで勝手口へ向かった。
女性から白湯を受け取り、一気飲みして屋敷を飛び出す。心臓がバクバクしていた。あんな綺麗な、でも怖そうな人と関わってしまった。しかも、俺の正体まで知られてしまった。
「……厄介なことにならなきゃいいけど」
俺は帰り道を急いだ。
一方、津田家の庭にて。
彼女――名は桔梗といった――は、茂助が去っていった方向をじっと見つめていた。
「……堀尾茂助」
彼女は、自分の胸に手を当てた。心臓が、早鐘を打っている。
「鬼と聞いていたが……。話が通じる、妙な男じゃったな」
彼女の脳裏に、茂助の言葉が蘇る。『性別関係なく、この時代はみんな何かに縛られてる』。そして、庭石を持ち上げた時の、圧倒的な力強さと、その後に見せた気さくな笑顔。
「……父上が言っていた縁談の相手か。……あれならば、悪くないかもしれぬ」
桔梗は頬を染め、小さく笑った。その笑顔は、薙刀を振るっていた時の険しいものとは違う、年頃の娘のものだった。
***
清洲城の台所詰所。
俺は、戻ってくるなり藤吉郎に詰め寄られた。
「おい茂助! 遅いぞ! 津田様は怒ってなかったか?」
「い、いえ。大丈夫でしたよ。……たぶん」
俺は曖昧に答えた。庭で娘さんと遭遇して、力自慢を見せつけてきたなんて言えない。
「そうか。ならいい。……それより、また計算だ! 今度は芋がらの在庫が合わねえ!」
藤吉郎が帳簿を突きつけてくる。俺は溜息をつき、計算を始めた。
日常が戻ってきた。俺の頭の片隅には、あの紅葉の庭に立つ、凛とした女性の姿が焼き付いて離れなかったが、今はそれを考えている暇はない。
でも、なぜか考えてしまう。
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