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第28話 台所奉行と、究極の物々交換


 岩倉の実家での短い休暇を終え、俺は清洲へと戻ってきた。

 背後には、今回の昇進に伴って新しく雇った部下たちが付き従っている。人斬り三太夫さんだゆう、計算係の勘兵衛かんべえ、そして真面目すぎる従兄弟の但馬たじまら計11名だ。彼らは初めて見る清洲の賑わいと、遠くにそびえる城の威容に圧倒され、緊張した面持ちで歩いている。

「……ここが、織田家の本城ですか」

 但馬がゴクリと喉を鳴らした。

「立派な構えだ。吉晴殿、我々はまず登城して、お館様にご挨拶を?」

「いや、しない。めんどうだから」

 俺は部下たちを引き連れ、居住区へと向かった。


「……遅えぞ、茂助」

 長屋の戸の影から、ぬらりと男が現れた。

 木下藤吉郎だ。

 桶狭間で見せた神がかった指揮能力はどこへやら、今の彼の目の下には真っ黒な隈ができている。

「と、藤吉郎様? なんで俺の長屋に……」

「てめえが帰ってくるのを、朝からずっとここで張ってたんだよ……! 来いッ!」

 藤吉郎は俺の襟首を掴んだ。

「えっ? ちょっ、俺これから寝るとこで……」

「寝る暇なんかあるか! てめえの職場はこっちだ!」

 俺は抵抗する間もなく引きずられ、城下町から城内へと連行された。向かった先は、城の裏手。巨大な兵糧庫や炭小屋が立ち並ぶ「台所だいどころ」エリアだ。

 織田家の財布と胃袋を握る超重要な心臓部であり、現在の俺のボスの新たな戦場である。

 藤吉郎が詰所の戸を開けると、そこには地獄があった。


「あーっ! 合わねえ! なんで足りねえんだ!」

「奉行様! 味噌の納入商家が、支払いがまだだと怒鳴り込んでおります!」

 怒号と悲鳴が飛び交う中、役人たちが書類の山に埋もれて髪を振り乱していた。

「も、茂助ぇぇぇ!!」

 藤吉郎は俺を部屋の真ん中に放り投げ、すがりついてきた。

「遅い! 遅いぞ! 俺はもう死ぬ! 切腹だ!」

「落ち着いてください。何があったんですか」

「数字だ! 数字が俺を殺しに来るんだ!」

 藤吉郎は泣きながら説明した。

 台所奉行に任命された彼は、張り切って城内の在庫チェックを始めた。だが、前任の奉行が異常なほどズボラだったらしく、帳簿の数字と実際の在庫が全く合わないらしい。もはや何が何だか分からないカオス状態になっているという。 


「俺は一時期、商人の真似事をやってたから、多少自信があったが、こんなに多岐にわたる計算は無理だ! 算木さんぎを使っても追いつかねえ!」

 当時の計算は、算木という木の棒を盤面に並べるのが主流だったらしい。まだ算盤そろばんもないようだ。

「助けてくれ茂助。……てめえ、賢そうな顔してるだろ。なんとかしろ」

 無茶振りだ。だが、ここで断れば共倒れだ。藤吉郎が失脚すれば、俺が雇った11人の部下たちも路頭に迷うことになる。

「……分かりました。ちょっと見るだけ見てみます」

 俺は溜息をつき、机の上の帳簿を手に取った。

 漢数字がびっしりと並んでいる。


『米、参百四拾弐俵。単価は参拾五文。前回払いすぎた弐拾参俵分を引く事……』

 縦書きで、しかも崩し字だ。読みにくいことこの上ないが、俺は現代人だ。義務教育で九九と筆算を叩き込まれ、高校まで数学をやった男だ。赤点だったが。

「勘兵衛、お前も手伝え」

「は、はい!」

 新入りの勘兵衛が懐から算木を取り出し、カチャカチャと並べ始めた。


「ええと……米が三百四十二俵で、一俵が三十五文。……盤面で先に三十を掛けて、次に五を掛けて足し合わせ……そこから前回払いすぎた二十三俵分、すなわち八百五文を引きまして……」

 見ていてイライラしてきた俺は、白紙と筆を引き寄せた。

 こんなの筆算でやれば簡単だろ。俺は無意識に、数字を書き殴った。

「なっ、なんだそのミミズが這ったような文字は!?」

 藤吉郎が目を剥いた。

「え、数字ですけど。知らないんですが? 千文で一貫だから……はい、答えは十一貫と、百六十五文ですね」

 俺が筆算で秒殺し、答えを書き込むと、勘兵衛の手が止まった。


「しばし、しばしお待ちを! ……合ってる! 私が算木で出した答えと全く同じ! ……し、しかし、なぜ紙に妙な線を引いただけで瞬時に答えが!?」

「え? 数字と筆算知らないの?」

「これが数字? それで、ひっさんとは??」

 藤吉郎と勘兵衛、そして後ろで見守っていた但馬が、化け物を見る目で俺を見ている。

 そうか。この時代、アラビア数字も筆算という概念も存在しないのか。

「……吉晴殿。あなたは、武芸だけでなく、異国の算術を操る天才でもあったのですか……?」

 但馬が震える声で言った。

 違う。これは現代日本の義務教育の勝利だ。

 だが、訂正している暇はない。


「……茂助。てめえ、やっぱり天才だ!!」

 藤吉郎が、俺の手を両手でガシッと握りしめた。手汗がすごい。

「決まりだ! 今日からてめえは『台所奉行補佐』だ! 俺の代わりに、その奇妙な数字でこの城の数字を全部管理しろ!」

 やっぱりそうなった。

 俺は天を仰いだ。長屋で寝るはずが、面倒くさがって計算スキルを披露してしまったばかりに、人間エクセル扱いだ。俺のバカ。


 ***


 その日から、俺の新たな日々が始まった。

 詰所の奥に専用の席を与えられ、朝から晩まで帳簿と睨めっこだ。俺が筆算で秒速で計算を終わらせるため、事務処理の渋滞はあっという間に解消された。

 だが、問題は数字だけではなかった。


「よし、これで帳簿はどうにかなる。問題は『まき』だ」

 ある日、藤吉郎が腕を組み、深刻な顔でため息をついた。

「実はな、俺、お館様に大見得を切っちまったんだ。『前任の無駄遣いを正し、これからは銭を節約して薪を集めてみせまする!』ってな」

「はあ? タダ同然で薪を手に入れるってことですか?」

「そうだ。問屋から買うから予算が足りねえんだよ」

 藤吉郎は俺の背後に立つ三太夫をビシッと指差した。  

「というわけだ。お前ら、今から城下町に行って、問屋の奴らを脅してタダで薪を分捕ってこい! そこの顔の怖えデカブツ、お前のそのデカい金棒を見せれば一発だろ!」

「へい。若、やっちまいましょうか。膝の骨を砕けば、薪の百や二百、泣いて差し出しますぜ」

 三太夫がニチャリと凶悪な笑みを浮かべ、巨大な金棒を肩に担いだ。


「ふざけんな! ストップだストップ!」

 俺は全力で三太夫を止め、藤吉郎に抗議した。

 冗談じゃない。なんで俺が、ヤクザみたいな武力交渉なんて、やったら後で絶対に良いことにならない。

「商人を脅せば後で絶対揉めますって。だいたい、間に立ってる問屋を挟むから高いんですよ」

「じゃあどうすんだよ! 金がねえんだぞ!」

「だったら藤吉郎様、金が無いならなんか、物々交換とか?」

「あん? 物々交換?」

「ええ。金がないなら適当な物と交換するしかないでしょ」

 俺はただ、適当な思いつきを口にしただけだった。

 だが、その言葉を聞いた藤吉郎の動きがピタッと止まった。


「……待てよ。物々交換……金を使わずに、品と品を交換する……」

 藤吉郎はブツブツと呟きながら周囲を見渡し、やがて台所の裏手に目を留めた。

 そこには、毎日数千人分の米を炊くために出た灰が、山のように積まれていた。

「……そうだ、灰だ。農民は畑の肥料にするため、上質な灰を欲しがっている。」

 藤吉郎の目が、カッ、と見開かれた。

「それだァァァッ!!」

 藤吉郎がバンッと手を叩き、奇声を上げた。

「近隣の村々に城に不要な木の枝や薪を持ってくれば、上質な灰と交換してやるとお触れを出すんだ! いつも灰を二束三文で買い叩いていく商人と、法外な高値で薪を売りつけてくる問屋。両方の中抜きを完全に排除できる! 直接農民と物々交換すれば、俺たちは一文も銭を使うことなく、良質な薪を手に入れられるじゃねえか!」

 俺はハッとし、内心で感嘆した。


 藤吉郎の行動力は凄まじかった。

 即座に近隣の村々へお触れを出すと、翌朝には台所の裏口に、荷車や背負子にたっぷりの割木や木の枝を積んだ農民たちが列を作っていた。

「本当に城の灰と交換してくれるんだな!?」

「ああ、商人に売るより気前よく渡すから、どんどん持ってきてくれ」

 農民たちはホクホク顔で薪を置いていき、代わりに台所の灰を袋に詰めて帰っていく。勘兵衛が天秤ばかりを使って重さを量り、三太夫が睨みを利かせているため、不正をする者もいない。

 台所の蔵には、金を使わずに薪が山のように積み上がっていった。


「なるほど……問屋を通さず、灰で直接品を集めるとは。理にかなったやり方ですな」

 横で見ていた但馬が、感心したように頷いた。

「茂助! おかげで助かったぜ!」

 そこへ、藤吉郎がホクホク顔で歩いてきた。

「お館様に『灰と薪の交換』を報告したら、大層お喜びだったぞ。これで台所の予算問題は解決だ」

「それは良かったです」

「おう! で、だ。明日からもお前がここに座って、この『物々交換』の現場監督を頼むぞ!」

「……はい?」

「計量が正確で、帳簿の処理も早いんだから、てめえが一番適任だろ。頼んだぜ!」

 藤吉郎は俺の肩をバンバンと叩き、足早に台所へと戻っていった。

 俺は積まれた薪と、まだ並んでいる農民たちの列を見てため息をついた。


 問屋とのトラブルを避けるために適当なことを言った結果、今度は地味な窓口業務を任されることになってしまったのだ。


 ***


 一ヶ月後。

 台所の混乱は収束し、物資の管理は驚くほどスムーズに回るようになっていた。

 藤吉郎は上機嫌で、俺に酒を注いだ。

「お前のおかげで助かった。これからも俺を支えてくれ」

 俺は酒を飲み干し、静かに頷いた。

 給料は増え、部下も食わせられるようになったが、俺の手元には全く金が残らない。なんでだ。

 その時、外から涼しい風が入ってきた。

 夏が終わり、秋の気配が近づいている。

 

「……そろそろ、また戦が始まるのかな」

 俺は、手元の帳簿を閉じた。数字は整った。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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エクセルですか〜 導入前の時代を知ってる六十歳以上のかたがは これのお陰で事務や経理処理の効率が爆上がり 人手が減らされ 離れられない道具となったのが御存知かと
2026/03/07 16:48 ファイブスター
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