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ソラリス残党

 地下ハッチが重い金属音と共に閉じる。外界の光と戦闘の気配が遮断された。ガーディアンのコックピットハッチが油圧音を立てて開き、消毒液とオゾンの混じった冷たい空気が流れ込んできた。

 ネプトは父の飛行機オブジェを握りしめ、アルケを支えながら降り立つ。彼女の呼吸は浅く、首のエラ器官が不気味に痙攣していた。地上の大気は彼女のヴァルカリアンの血を蝕んでいる。


「何度見てもヒデェ有様だな~」

 揺れる裸電球の明かりの中から、低く響く声がした。壁の影から二人の男が現れた。一人は筋骨隆々の男で、作業服の上からも分かる古傷が顔や腕を縦横に走っている。もう一人は細身で眼鏡をかけた男、白衣の胸元にかすかに「静かなる太陽の輪」を塗りつぶした跡があった。

 彼らがじっと見つめるのは、オイルと海水を滴らせ、無数の傷痕と歪みを負ったガーディアン・ペリカンユニットだった。


「あれがレオンの息子と、例の娘か」

 筋骨隆々の男、アグリッパが顎をしゃくってガーディアンを指さした。その目には、長く戦ってきた者特有の諦観と、わずかな興味が混ざっていた。


 眼鏡をかけた男、ユンボは静かに近づき、アルケの状態を素早く診察する。

 彼は指を器用に動かした。

「ヴァルカリアン遺伝子の拒絶反応…ソラリウムE3が急務だ。連中に捕まる前に処置しなければ、彼女の内臓は数日で溶解する」

 その言葉は淡々としていたが、緊迫感を帯びている。


「治せるんですか!?」


「まあな、その前に…アグリッパ、彼に教えてやれ。我々の戦う意味を…」


 ネプトはユンボにアルケを預け、アグリッパと対峙した。

「ソラリウムE3というのは?あなた達の戦う意味とは?」


 アグリッパの口元が歪んだ。

「そう焦るな、ガキンチョ。その前に、お前の父さんが本当に反対したもの…そして俺たちが今も戦っている真実を見せてやろう」

 彼は分厚い金属製の隔壁ドアへ歩き出した。ドアには「生体反応管理区画」の文字がかすかに読み取れた。


 ドアが開くと、冷気と共に漂ってきたのは…消毒液の匂いではなかった。鉄と塩、そしてどこか甘ったるい、生命の萌芽のような生臭さが混ざり合った、生理的な嫌悪を催す空気だった。ネプトの足がすくんだ。


 目の前には、巨大な空間が広がっていた。天井まで届く無数の円筒形の培養槽が整然と並び、青白い液体の中で無数の「何か」が漂っている。近づいて見たネプトは、声を失った。


 人間だった。


 年齢も性別もバラバラ。幼子から老人まで。しかしどれもが完璧な複製のように幾つも同じ顔をしていた。目は閉じているが、微かに呼吸しているのが分かる。胸には連合ものとは違う別の識別コードが刻印されている。


「なんと…」

 ネプトの声が震える。


「地球政府の『人工太陽』計画の心臓部、その一部だ」

 アグリッパの声には激しい怒りが渦巻いていた。

「美しい『新たな光』を生み出すための、巨大な臓器だ」


 彼は近くの制御コンソールを叩いた。スクリーンに複雑なエネルギー転送図が表示される。図の中心には「ソーラ・コア」と表示された球体があり、そこから無数のラインが伸びて…培養槽内のクローンたちに繋がっていた。

「見ろ」

 アグリッパが図の一部を拡大した。ライン上で「生体エネルギー」が吸い取られ、ソーラ・コアへと集約されていく様子が克明に映し出される。

 「かつて連合が開発した『生体エネルギー直接転換技術』…これを安定稼働させるための『触媒』兼『バッテリー』それが、こいつらだ」


 ネプトは培養槽に手を当てた。冷たいガラスの向こうで、自分と同じ年頃の少年のクローンが微かに息づいていた。孤独に目を瞑る物悲しいその顔つきは、幼い頃のネプト自身にどこか似ていた。

「…犠牲の数は?」

 ネプトの声はかすれていた。

「数?」

 アグリッパは嗤った。

「数えられるもんか!ここの施設だけでも数千…いや数万だ!この施設は地球の各所に存在する!ソーラ・コアの起動テストのたびに、何百体ものクローンが灰になる。文字通り、生きたまま干からびて、灰になっちまうんだ」


「そんなものを生み出してしまう地球政府とやらは、僕らのような人々をはじめから考えていない。それどころか人を複製し犠牲にしようなどと…」


 スクリーンのデータが切り替わり、一つの警告文が赤く点滅した。

[警告:ソーラ・コア 完成予測 - 79.3%]


「そしてこれが、レオンや俺たちが命を懸けて止めようとした真の理由だ」

 ユンボが静かに口を開いた。彼はアルケに応急処置を施しながら話を続ける。

「人工太陽『ソーラ・コア』…それは完成すれば、確かに地球を照らすだろう。しかしその本質は、この膨大な生体エネルギーを『燃料』とした、制御不能な怪物だ」


 彼はスクリーンを指さす。シミュレーションデータが、ソーラ・コア稼動後の地球の姿を予測していた。大気組成の異常変動。地殻への過剰なエネルギー負荷による超巨大地震の多発。そして最悪のシナリオ…コア自体の熱暴走を利用した惑星破壊規模のエネルギーの放出。


「政府はそれを知っている」

 ユンボの声は冷徹だった。

「それでも彼らは進める。『人類の存続』という大義と、自分たちの利のためなら、クローンという『道具』の犠牲など問題ではない…」


「ソラリウムE3も…な」

 アグリッパがネプトを睨みつける。

「あの酵素を作り出す遺伝子組み換え植物…あれを育てるために必要な特殊な土壌改良剤の原料はな、こいつら『枯渇』したクローンの遺灰から抽出したリン化合物なんだぜ」


「…っ!」

 ネプトの胃が逆流しそうになった。母を救う薬が、無数のクローンの死の上に成り立っているという衝撃。父がソラリスの過激な思想を嫌いながらも、この現実を前にして戦い続けた理由が、骨の髄まで理解できた。


「母が……母さんが生きるためには人口太陽のことには目を瞑りその恩恵だけ受けろと…これだけの罪のない彼らを、彼らの命を奪っていい道理なんて.......」

 その時、頭上で鈍い衝撃音が響いた。天井の埃が舞い落ちる。警報がけたたましく鳴り始めた。


[警告:上部区画 武装勢力侵入確認]

[識別:連合軍特殊部隊 / アウリアン監視兵]


「早かったな!連中(奴ら)鋭い!」アグリッパが拳を握りしめる。

 ユンボは素早くアルケの処置を終え、ネプトに小瓶を渡した。

「これがソラリウムE3濃縮剤だ。すぐに彼女に投与しろ。効果が出るまでには時間がかかる」

 彼はネプトの目を真っ直ぐに見つめた。

「そして、決断の時だ、ネプト・アンビション」


「決断…?」

 ネプトは小瓶を握りしめた。父の飛行機オブジェがポケットで重く感じる。

 ユンボは、クローン培養槽の奥にある巨大な制御装置群を指さした。ソーラ・コアの起動テストを制御する中枢コンソールだ。

「レオンは、この施設に潜みながら、二つの道を用意していた」ユンボの声は静かだが、鋼の意志を宿していた。

「一つは、ソーラ・コアを完全に破壊し、この非道を止める道…」


「もう一つは?」

 ネプトが問う。喉がカラカラだった。


「諦めて死ぬかだ」

 ユンボの目が鋭くなる。

「どちらを選ぶ?父が遺した選択を、今、お前が下すのだ」


「初めから選択させる気のない!」

 ネプトは苛立ちを見せたが、存外不満そうではなかった。


「そういう男でもあったのさ」

 ユンボは疲れたように苦笑いをした。


 頭上で激しい銃撃戦の音が炸裂した。壁が震える。アウリアンの特殊部隊が地下へ迫っている。

 ネプトはアルケの苦しげな横顔を見た。ソラリウムE3の小瓶を握る手に力が入る。

 そして、無数のクローンが漂う青白い培養槽を見渡した。父が守ろうとしたもの、母を救うために必要なもの、そして無数の無言の犠牲…その全てが彼の肩にのしかかる。


「僕達は…『罪』など犯していない。お前たちのほうがよほど罪深いじゃないか!僕らはただ、生きようとしただけだけなのに」

 しかし声だけは悲痛で歯を食いしばりようだった

 彼はコックピットへと走り出した。

「ガーディアンで行くが構わないな!!」


 ネプトの決断が下される瞬間、アグリッパの口元に、長い戦いの果てに見いだした答えへの、荒々しい笑みが浮かんだ。

「了解だぜ。ネプト」


「ユンボさん。あなたは退避の準備を!奴らがどう出るかわからない」

 ネプトは落ち着いていた。焦っていても何も変わらないと自分に言い聞かせていた。

「ネプト!中に来る!」

 アルケの必死の声。彼女はソラリウムE3の注射を打ったばかりで、地上の大気に苛まれるヴァルカリアンの血と戦いながら、ネプトに状況を知らせに駆け付けたのだ。

「ここにきてしまう…!」


 ドガーーーン!


 壁を破って巨大なアウリアン戦闘艇が突入。羽耳を煌めかせた監視兵たちが降下し、光る矢をネプトとアルケへ向けた。


「『罪人』ネプト・アンビション。ソラリス残党アルケ。」

 リーダーの声は冷徹だった。

「天翔の裁きが下る。」


 アウリアンの弓が完璧な弧を描く。矢先に刻まれた光の紋章が不気味な低音を発し、周囲の空気さえ歪んだ。それはアウリアン精鋭のみが許される対HI用破壊兵器「堕天の羽根(フォールン・フェザー)」だった。

「なるほど、ここはクローンの…一度接続されればもう、救い出すことはできないというのに。あなたたちが何を目的としているかはわかりませんが、ここで活動することは許しがたきこと。堕ちよ!罪の重さかみしめながら!」


 ネプトの視界が鋭く収縮する。アルケは投与直後のソラリウムE3で身動きできない。

 距離、速度、回避可能率──神経接続が危機を数学的絶望に変換する。0%。通常機動では間に合わない。


「動け…動けよ!!」


 思考より先に、脊髄を焼くような命令が神経接続ケーブルを駆け抜けた。

「全関節ロック解除! 左舷スラスター逆噴射! 右膝油圧100%解放!」

 ガーディアンの旧式OSが悲鳴を上げた。設計限界を超えた無茶な指令。機体の左半身の油圧パイプが内部で破裂し、警告音が狂ったように合唱する。


[警告:左股関節油圧圧力 限界突破]

[警告:機体構造安定性喪失]


 それでもガーディアンは動いた。 旧式フレームが捻じれる金属音が水圧音のように重く響く。ハッチ後方にいたアルケに向けられた攻撃からかばったのだ。

 するとその時、コックピット内のケーブルがネプトの足に偶然絡みつき、ネプトは外へと滑り落ちた。ガーディアンはまるで意思を持つかのように、主人を護るために自らを盾として自重で倒れこんだ。


 ちょうどその時──


 ドガァァンッ!!!


「堕天の羽根」が、ガーディアンの左肩装甲を無慈悲に貫き、内部で炸裂した。衝撃でコックピットブロックは大きく歪み、操縦席のハッチが吹き飛ぶ。油圧オイルが青黒い血液のように噴き出し、ネプトの全身を濡らした。モニターは一瞬で真っ赤に染まり、警告音は断末魔のように途切れた。攻撃の衝撃でネプトは吹き飛ばされたが、幸いにも命中はしなかった。ガーディアンの機体が大部分の破片を遮ったのだ。

 しかし、ネプトも無事なわけではなかった、焼けるように熱い爆風の中で彼は自分の死すら感じ取っていた。


[コアユニット:致命損傷]

[機体機能:完全停止]


 ネプトは飛ばされたその場で座りこみ、おぼつかないの視界で機体の損傷を見た。左腕はもぎ取られ、胸部には巨大な穴が開いている。ガーディアンは文字通り、彼を守るために自らを盾とし、その身を貫かれたのだ。


「ガ…ガーディアンが……」


 ネプトは瓦礫の中から必死に這い出た。全身に油と自分の血が混じり、左腕は不自然に垂れ下がっている。視界は揺れ、耳鳴りが頭蓋を貫く。

 それでも彼の目は、倒壊したガーディアンの残骸に釘付けだった。コントロールパネルは「堕天の羽根」の爆発でえぐり取られ、黒く炭化している。


「ネプト…!」

 アルケがよろめきながら駆け寄ろうとしたが、アウリアン兵が俊敏に動き、光る矢を彼女の足元に放つ。

 地面は炸裂し、アルケは吹き飛ばされた。彼女はうずくまり、ソラリウムE3の投与直後の体が激しい痙攣を起こしていた。ヴァルカリアンの血が地上環境に激しく暴走している。


「動くな、残党共!」

 アウリアンのリーダーが冷たく言い放つ。


 リーダーの視線がネプトに向く。完璧な美貌に、非情な光が宿る。

「ネプト・アンビション。ソラリスの残滓であり、シーフォークらのザーン監視官殺害した罪人。裁きは即座に下る。我らの手によって」

 弓が再び構えられる。矢先の紋章が低く唸る。


その時であった──


「てめえら…俺の客人に手を出しやがったな? ちっとばかし調子に乗りすぎじゃねえのかぁ!!」


 轟音と共に地下区画の奥壁が吹き飛んだ。飛散するコンクリートと鉄骨の塵の中から、鈍く鈍色に輝く巨影が突進してくる。アグリッパのHI「ブレイクハンマー」。旧式陸戦型の巨体を、無数の継ぎ接ぎと追加装甲でごてごてに改造した怪物だ。両腕は文字通りの破城槌ハンマーに換装され、背部からは対空用の多連装ロケットポッドがせり出している。


「連中のケツの穴を、このハンマーでズタズタにしてやるさ!」

アグリッパの怒声が外部スピーカーを歪ませる。

 ブレイクハンマーが巨体を捻じり、右腕の破城槌を振り回す。風圧だけですべてが吹き飛ぶのではないかと思うほど空気が揺れた。ターゲットはネプトを狙うアウリアンリーダー機だ。


「愚かな!」

 リーダー機が軽やかに後退。アウリアン機特有の優雅な跳躍で攻撃を回避すると、瞬時に反転し、三本の「堕天の羽根」をブレイクハンマーのコックピットに向けて放った。


「そんなモン、当たらないんだなぁ!」

 アグリッパが叫ぶ。ブレイクハンマーの分厚い正面装甲が、無数のスクラップ鋼板を溶接した即席のシールドのようにせり出した。堕天の羽根が命中──ドゴォン! 炸裂する光。シールドは粉砕され、ブレイクハンマーの装甲にも深い傷跡を刻むが、コックピットは守り切った。


「ハッ! 連合の新兵器も、俺の相棒と俺のマッスルには歯が立たねえようだな!」

 アグリッパの哄笑が響く。


 だが、それは無理を承知の挑発だった。ブレイクハンマーのモニターには、機体各部に赤い警告が点滅している。油圧漏れ、関節部の疲労損傷…特に左足の可動域が限界を超えていた。


「ネプト!」

 アグリッパの声が内部通信でネプトの端末に飛び込む。

「お前のガーディアン…まだコアユニットは生きてるか!?」


 ネプトはよろめきながらガーディアンの残骸に手を伸ばした。えぐれた胸部の奥、火花を散らす配線の向こうに、かすかに脈打つ青い光が見える。バッテリーは尽きかけていたが、コアユニットの信号は微かに点滅している。


「…おそらくだが!」

 ネプトが必死に叫ぶ。


「よし!なら最後の仕事だ!」

 アグリッパの言葉は荒々しく、しかし確信に満ちていた。

「レオンが愛したおまえは、お前を守る最後の力だ!だから、その意志を…最後まで震え!そのガーディアンで!!!」

 アグリッパの言葉が脳裏で閃光のように走しる。

「無茶をいってくれる!」

 ネプトは父の飛行機オブジェを握りしめ、瓦礫の中に埋もれたガーディアンの操縦桿に飛びついた。神経接続ケーブルは切断されていたが、手動操縦系統は辛うじて生きている。


「アルケ!ガーディアンの外部コントロールを…君に渡す!いざというときはガーディアン(こいつ)が僕らを守る盾だ。」ネプトが叫ぶ。


「…わかった!」

 アルケが応える。彼女は苦しみながらも携帯端末を起動し、ガーディアンの残存システムにアクセスした。


 その間、アグリッパとブレイクハンマーはその巨体をアウリアン機の攻撃路に押し立て、重厚な装甲とハンマーで必死に防戦していた。だが、アウリアンの機動は速すぎる。軽快な戦闘艇が翻弄し、堕天の羽根がブレイクハンマーの脚部、肩部を次々と貫いていく。


[警告:左下肢機能停止]

[右肩関節 油圧完全喪失]


「ちっ…!動けるだろう、俺たちはぁ!」アグリッパの歯軋りが通信を揺らす。


 リーダー機が優雅に旋回し、ブレイクハンマーの背後の死角へ回り込んだ。コックピット狙いの完璧な狙撃体勢だ。


「さらばだ、旧時代の亡霊」

 堕天の羽根が放たれる。


「まだ…終わらねえぞォッ!!」 

 アグリッパの絶叫と共に、ブレイクハンマーが信じられない動きを見せた。限界を超えた左足への負荷を強制し、機体全体を無理やり反転させたのだ。正面装甲が狙いを外れた堕天の羽根を受け止める──ドガァン! 爆発が起きる。


 しかしそれは囮だった。リーダー機の真の狙いは、ユンボと、ガーディアンの残骸に必死の修理を施すネプトたちだった。もう一本の堕天の羽根が、ネプトの背後のハッチへと放たれている!


「ネプト!後ろだ!」

 アルケの悲鳴。


 間に合わない。ネプトは振り返り、迫る破滅の光を見つめた。


 その時、地響きがした。


 ゴオオオオッ!


 倒壊したガーディアンの残骸が、信じられない力で持ち上がった。機能停止した筈の右腕が、アルケの外部制御で無理やり稼働し、機体全体を盾のようにネプトたちの前に押し立てたのだ。コアユニットの最後の灯が、限界を超えた出力で燃え上がる。


 堕天の羽根が直撃する──!


 ドゴオオオオーン!!!


 青白い閃光が地下区画を飲み込んだ。ガーディアンの残骸はさらに粉砕され、胸部コックピットブロックが無惨に吹き飛ぶ。しかし、その犠牲の盾が、ネプトとアルケ、そしてユンボの制御コンソールへの直撃を防いだ。


「よく持ってくれた…」

 ネプトの声が詰まった。震えるこぶしをふるいだたせ、叫んだ。

「できたぞ!アグリッパ!!」


「てめえの相棒もやるじゃねえか…!ならこっちも頑張んなきゃなぁ!」

 アグリッパの声にも、わずかな驚愕と敬意が混じる。

 ブレイクハンマーは青白い閃光によって動きを止めたリーダー機へ、すべての残存推力で突進した。重いハンマーを振りかぶる動作は鈍いが、距離は一瞬で詰まる。


「バカな!そんな鈍重な…!」

 アウリアンリーダーが初めて動揺した声を上げる。


「遅いんだよォ…貴様らはなァ!」

 アグリッパの哄笑が炸裂する。ブレイクハンマーはハンマーを振り下ろすふりをし、代わりに機体の巨体ごと、捨て身の体当たりを敢行した!コックピット装甲が、アウリアン機の優美なフォルムに激突する!


 ドガガガガンッ!!!


 金属が潰れ、砕ける凄まじい音。ブレイクハンマーの正面装甲は完全に崩壊し、コックピットが剥き出しになる。一方、アウリアン機は優美な翼を折られ、機体中央部が大きくへし折れた。両機とも致命傷だ。


「ぐ…ぐおお…!」

 アグリッパの苦悶の声が、ブレイクハンマーの歪んだスピーカーから漏れる。

「愚か…者…!」

 リーダー機のコックピットから、血を流すアウリアンが這い出て絶叫する。


 アグリッパはコックピットのハッチを蹴破り、油まみれの巨体を引きずり出した。彼の顔には深い裂傷から血が流れているが、目は狂気の輝きを放っていた。

「ハッ…!これが…ソラリスの…答えだ…!」アグリッパが、崩れかけたブレイクハンマーの装甲に寄りかかりながら、リーダーに向かって唾を吐いた。

「理想もクソもねえ…!目の前の…仲間を守るためなら…悪魔にもなる…!それが…俺たちの…俺たちが信じた『静かなる太陽』だ…!」


 彼の手に、小型の起爆装置が握られている。ブレイクハンマーのコアユニットを自爆させるためのものだ。


「待て!自爆など…!」

 アウリアンリーダーの声に初めて恐怖が走る。

「ざまあみろ…」

 アグリッパが狂ったようにしかしどこか冷静に笑いながら、スイッチを押し込んだ。


「ああ…あんたはまだなのか…畜生…俺が先…なんだな」

 彼のだれにも聞こえない最期の言葉はとても弱々しく消えた。


 轟発が起きた。ブレイクハンマーのコアが炸裂し、アウリアンリーダー機もろとも灼熱の炎に包まれる。爆風と破片が地下区画を蹂躙し、残るアウリアン兵もろとも吹き飛ばされた。


「アグリッパァア…!」

 ユンボが制御コンソールから絶叫したが、その声は爆音にかき消された。


 ネプトはアルケを庇い、爆風と降り注ぐ破片に耐えた。熱風が頬を焼く。目を開けると、かつてブレイクハンマーとアウリアン機があった場所には、溶けた鉄塊と黒い煙が渦巻くだけだった。アグリッパの哄笑が、耳鳴りのように頭に残る。


「…終わったの?」

 アルケが弱々しく問う。彼女の痙攣は少し収まりつつあった。ソラリウムE3が徐々に効き始めている証だ。


「アグリッパ、あなたという人は」

 ネプトは彼の散る姿に敬意を表すようにアルケを抱きしめながら涙を流した。ただこの目の前に広がる現実を直視し、受け止めた。

「アグリッパが…彼がやってくれたんだ」

 ネプトはアルケに自分の顔を見せないよう強く抱きしめた。今の自分の情けない顔を見られないために…


 アグリッパとアウリアンの戦闘から数時間が経過し、ハッチへ戻ったネプトとアルケはユンボに案内されるまま、この施設の生活臭のする部屋までやってきた。


「ここも一応は居住空間がある。場所が場所だ、安眠はできないがね」

 突き放すようにユンボは言うが彼は無念を顔にしたような状態だった。アグリッパを失ったことの悔しさが、彼にも強くあったのだ。

「あまりいいものではないがシャワーもある。入るといい」


「アルケが…」

 ネプトがそう言いかけると、アルケは眉をひそめネプトをじっと見つめた。

「女性は、男より清潔を優先すべきだ。」

 ネプトはアルケに見つめ返すように言った。

 そのとき、薄暗い部屋に響くラジオの音声がネプトの心音を止めた。


『こちらヴァルカリアン中央評議会。

 本日、ヴァルカリアン軍のムピキウム破壊作戦が遂行され、見事成功した。我が同胞を奪ったソラリスの残党がムピキウムすらその手中に収めていたということは我らヴァルカリアンのみならず、星間連合が注目すべき大きな事柄であり、殲滅しなければならないという我々の判断は非常に急速であったが、適切であったいえる。

 星間連合は海の管理を我々ヴァルカリアンに一任させたが―――』


 わずかに乱れた電子音の後、乾いた機械音はネプトの脳を灼くような衝撃で貫いた。


「……嘘だろ……?」

 膝が崩れた。ラジオの音が遠のいていく。まるで深海に沈むかのように、世界が音を失っていく。ムピキウムの崩壊は母の死を間接的に示していた。


「母さん……」

 手が震え、壁を殴る拳に力が入らない。全身から熱が引き、空気すら重たく、濁っていた。


「ひどいな…きっとこれもソラリスへの当てつけ、ムピキウムにソラリス残党などいない。そんなこと住んでいる彼らを見れば一目瞭然だろうに…まったくの出まかせをよくも平然と…」

 ユンボも怒りで肩が震えた。彼のようなあらゆる世界を見てきた先人がこれほど怒りをあらわにしているのを見て、アルケは今、ラジオ淡々と説明されたことがどれほど人道に反しているかを実感できた。


「何のために…何のために、僕はここまで来たんだ……何を……守ろうとして……」

 ネプトの眼が震える。


 ラジオは何事もなかったかのように、次の放送へと移っていた。音楽が流れ、日常が戻る。

 だが、ネプトの世界は支柱を失ったように崩壊していた。

 母の声も、姿も、温もりも、そのすべてを感じず、今この瞬間、他者の口で母の死を知らされたネプトは必死に過去の母との記憶をさまよった。

 しかし、どれだけ記憶を遡ろうと現実に消えてしまったことに変わりはない。


「やっぱり浴びてくるよ、シャワー。」

 ネプトは一人になりたかった。シャワー室で水が跳ねる音に紛れ悲しんだ。温度調節のできないぬるま湯しか出すことのできないシャワーを浴びても顔だけは冷えることはなかった。


 その夜、ネプトは一言も発さなかった。涙すら流れず。ただ、暗闇の中に座り続けた。やがて、隣に静かに腰を下ろす気配があった。


アルケだった。


 彼女は何も言わず、ただネプトの傍にいた。しばらくして、ネプトがぽつりと呟いた。

「どうして……俺だけ、こんなに奪われるんだ……」

 アルケはゆっくりと彼の手を取り、座るネプトに抱き着くようにして座った。震える手を、彼女の薄青い掌が優しく包み込んだ。

「ネプト…大丈夫。泣いていいの。怒ってもいい。全部、ここに。私に…あなたの全部をぶつけて…」

 彼女の声は微かで、それでも確かに届いた。ネプトの胸の奥、凍えた場所に、温もりが灯るようだった。


 ネプトは顔を伏せ、やっと、涙をこぼした。


「もう、誰にも何も奪わせたくない……」

 アルケはネプトを押し倒し、彼を胸に抱きしめた。

「なら、私がそばにいる。あなたが進むなら、私も共に行く。ネプト、あなただけは、絶対に一人にしない」

 その言葉が、ネプトの封じていた何かを壊した。ネプトはアルケを抱きしめ返した。


「俺は辛かったんだ。ずっと、ずっと誰かに俺は!奪われるのが嫌で…!嫌だったんだ、だって僕は誰かが死ぬなんて考えたくもないし、なのに…」

 ネプトの会話にもならない子供のような話にアルケはずっと相槌を打った。アルケはこの時初めてネプトを年相応の子供なのだと認識したのだった。


 夜明け前、ネプトとアルケは抱きしめあったままその場で寝込んでいた。ネプトはどこか安心そうな顔を浮かべ、アルケもとても穏やかな顔をしていた。

 そんな二人を眺めるのは悲痛の表情をするユンボだった。

「こんな子供がここまで苦しまないといけない世界なんて間違っている…やはり世界というのは人々の思いだけではやはりどうにもならないみたいだよ、ウィル。君たちはそれでもこの世界に本当に希望があるというのか?」

 空に疑問を投げかけた。


「きれいな景色だ…30年前、君たちが守ったこの星から見える輝きは確かに美しい。でも…」


 ユンボが見上げた空には月よりも大きい赤い巨星があった。


「ソーラ・コア…か、地球政府はあれの完成を急いでいる。どうすればいいのだろうな。」


 ユンボが次に目を向けた空には一角獣座が見えていた。


 一晩が経った。

 現在彼らはキャノピー・グロウを抜け、地球上の唯一のヒトが治める町、ニューロンドへと向かっていた。


「見えるだろう?あれがニューロンド、かつては王が治めていた一つの国の首都だった場所だ。」

 ユンボが倒壊したビル群の中層から暗がりの世界を照らす一つの光の集まりを指さした。


「あれが…ニューロンド。あそこに行けば今のソラリスを牛耳る親玉に会えるわけだ」

 ネプトは一日経ち、すっきりとした表情でアルケとユンボに振り向いた。ネプトはアグリッパの最期を見て、ソラリスという組織自体に興味がわいていた。かつて父も所属していたソラリスという組織はいかなるものなのか…ネプトはそれを確かめたかったのだろう。

 目的を失ったネプトを突き動かすのはかつて父の足跡であった。


「私も始めて来た…オーシャノアより…いや、きっとオケアニアスの首都よりも栄えてる…」

 アルケはニューロンドの規模に愕然とした。


「オケアニアス…聞きなれない地名だけど、もしかしてそれがヴァルカリアンの……」


「うん」

 アルケは軽く頷き、光り輝くニューロンドをアルケは見つめた。

 「綺麗ね」

 そう、一言こぼした。


 しかし、ネプトの反応は冷たかった。

「いや、この光は彼らの…人の業さ。あの光は、彼らを醜いものをよく映す。行こう、ここからは地下になる。匂いは我慢しないとな」

 ユンボとアルケは静かに同意し、再び街を目指し歩みを進めた。


 ニューロンドに地上から直接入ることは危険だった。地上では検問所や監視ドローンが常に稼働し、異星種族に対する不審者監視は特に厳重だったからだ。


 そのため、彼らが選んだのは「旧都市網」──戦前に建設された巨大な地下インフラ網だった。地中深くを這うように張り巡らされたこの地下道は、かつて物資輸送や避難路として機能していたが、今や忘れ去られた亡霊の通路と化していた。


 湿ったコンクリートの匂い、崩れた天井から滴る水音、かつての戦火で焼け焦げた壁面。それら全てが、今のネプトの心情と重なっていた。


 その途中、彼らは戦争時代の名残を目撃した。壁に描かれたプロパガンダのポスター、半壊したドローンの残骸、そして道端に眠る旧式のHIパーツを目にした。


 ネプトは黙ってそれを見下ろし、ふと空を仰ぎ見るように、天井を見上げた。

「壁を抜けて、空の向こうには……ソーラ・コアがあるんだよな」

 その言葉に、ユンボが少しだけ声を低めた。


「……ああ、ソーラ・コア。人工太陽計画の全てがそこにある。もうすぐ私たちが使かう全てのエネルギー源になるものだ。しかし、あれを維持するには……多すぎる(犠牲)が必要だ」


「太陽を灯すために命を燃やす……そんな世界を、ソラリスは変えようとしたのか?」


 ユンボは頷いた。

「ソラリスの残党である我々はそうさ。あの巨大な光は、希望じゃない。絶望を照らしてるだけだ」


 ニューロンド。灰とスモッグの都市の下、ネプトはアルケとユンボを伴い、地下網から抜け出してコンクリートを踏みしめていた。


 ソラリスのアジトは、崩れかけた旧地下列車の駅に偽装されていた。駅舎の扉をくぐると、中は静まり返り、壁には人工太陽を否定する反意的な落書きと、金と深緑で描かれた“静かなる太陽の輪”の紋章が光っていた。


 ソラリスの内部には制服や階級章は存在しなかった。誰もがそれぞれの衣服を着ており、古びたコートや作業服、あるいは浮浪者のような装いの者もいた。外見は雑多でまとまりがない。

 しかし、その瞳に宿るものは皆共通していた──決して揺るがない信念と、かつて世界に裏切られた者だけが持つ冷たい怒りだった。


 ネプト達が建物へと入ると、その瞳が一斉にネプトとアルケに向いた。そんな中でもネプトは歩みを止めずアジトの最奥へと歩みを進めた。


 アジト最奥の一室。かつて駅長室だったその空間は、今やソラリス残党の指揮中枢として使われていた。壁際に無数の古地図と作戦図、中央には長机と端末。椅子に座る女性は、無言でネプトを見つめていた。


「君が……レオン・アンビションの息子か…ルミナだ。それ以外に名を持たないから、それでよろしく」

 ルミナの声には、どこか懐かしさが滲んでいた。それは単にネプトの姓を知っていたからではない。彼女は、ネプトの瞳の奥に、かつての戦友──ウィル・トールを見ていたからである。

「君の目は……ウィル・トールと同じだ。これも私が生きていた中の数少ない僥倖といったところだろう。」


 ネプトはわずかに眉を動かした。

「ウィル……トール?」


「私が若かった頃、ソラリスにウィル・トールという男がいた。パイロットとして天才的な腕を持っていた。だが何より、人の痛みに敏感な男だった。」

 沈黙が流れた後、ネプトがゆっくりと語った。

「俺は、母を殺された。連合に。そして……この世界に絶望しかけた。でも、アルケが俺を支えてくれた」

 ルミナは頷いた。

「それで十分だ。憎しみも悲しみも力になる。十分に私たちの役に立ってくれそうだ」


 ネプトはルミナをまっすぐに見た。

「利用するための道具としてか?」

 彼の目には恐れがなかった。痛みを乗り越えた者の、静かで確かな怒りが宿っていた。


 ルミナは微笑んだ。それは厳しくも、どこか安堵した母のような笑みだった。

「違うね、次に来る新たなる変革の象徴と私は考える。我らのソラリスへようこそ。ネプト」


 彼女が差し出した手を、ネプトは迷わず握った。そのとき、ルミナは確信した。この少年は、かつてのウィルに見た希望そのものだ──いや、それ以上の火種かもしれない、と。


 そして、ソラリス残党に新たな炎が灯った瞬間でもあった。

 しかし、ユンボは陰から少し眉を潜ませながら、遠くを見るようにした。


 ルミナは手元の机から、小型の銀色の端末を取り出してネプトに手渡した。それはソラリスの通信・情報端末であり、任務指令や各種記録にアクセスできる貴重なツールだった。


「これがソラリスの端末。今後の任務や状況報告、内部連絡はすべてこれを通して行うことになる。コードネームは……"ドラウグル"。いいね、それでいこう」


「どういう意味なんだ?その"ドラウグル"というのは」

 ネプトは頷き、端末を手に取った。手の中で冷たく光るそれは、まるで彼の新たな運命を告げる鍵のようだった。


「願掛けさ…さあユンボ、新人達の案内を頼むわ。」


 ルミナの声に頷いたユンボが、肩をハッと戻すように立ち上がる

「では行こうか、新人。ソラリスの巣窟ってやつを見せてやる。」

 アジト内は古い地下鉄施設を改造したもので、壁にはひび割れが走り、天井からは鉄筋がむき出しになっていた。ところどころには過去のポスターが乱雑に貼られており、中には女性の裸を描いた大人向けのものも混じっている。作戦図や古びたモニター、即席で組まれた通信装置がひしめく。


 ドッグと呼ばれる格納庫には、修復中のHIが数十体格納され、作業員たちが火花を散らしてメンテナンスに励んでいた。どのHIも傷だらけで、戦火を潜ってきた証が刻まれている。


「HIがこんなに… ソラリスはテロ組織といわれているが、これだけの兵器があるならほぼ軍隊みたいなものじゃないか」

 ネプトがそう指摘すると、ユンボはため息をつくようにして振り向いた。


「これも我々の行動でついてきた…民意のようなものさ。ニューロンドの連中がどう思ってるかは知らないが、それ以外のみんなは変革を求めてる」


 通路を進むたびに、ネプトはさまざまな風貌の人々とすれ違った。ボロをまとった者、鋲付きのジャケットを着た者、無言で通り過ぎる者、それぞれが過去と現在を背負い、生きていた。


 ユンボはさらにアジトの奥へと案内を続けた。

「こっちが食堂だ。といっても、配給品を温めるだけの場所だけどな」

 ユンボが鉄扉を押し開けると、中には金属製の長テーブルと数脚の椅子が並び、片隅には自動加熱調理器が置かれていた。壁には古い劇団ポスターや手書きの献立表が貼られ、炊事当番の名前がチョークで記されていた。


 さらに奥へ進むと、ユンボは重い扉の前で立ち止まった。

「ここが作戦室。ルミナがよく使ってる場所だ」

 中に入ると、円形のホロマップテーブルが中央に据えられ、壁際には過去の作戦記録や惑星の軌道図が貼られていた。複数の端末が稼働しており、年配の構成員たちが静かに作業していた。


「そして、ここが大広間。基本的に集会は大体ここでやる」

 吹き抜け構造の広い空間は、コンクリートの床に簡易椅子が無数に並び、天井には廃材を利用した粗末な照明が灯っていた。かつて駅のプラットフォームだった名残もあり、柱には錆びた標識がそのまま残っていた。


「まあ、案内は大体こんなものだろう。聞きたいことがあったらできる限り私に聞くのだぞ」

 そう言って案内を終えたユンボは誰かを探すようにネプト達から姿を消した。


 ユンボからの案内を終えると、ルミナが再びネプトのもとに姿を現した。彼女は小さな金属製の鍵をネプトに差し出した。

「これは地下にある居住区の鍵、君専用の一室のためのね。番号はC-14。最低限の生活はできるようになってるわ、ウェルカムドリンクはないけれど、食堂に行けば日用品は大体そろうから」


 ネプトは少し、自分の部屋というものにワクワクしていた。その手の中にある鍵は、彼にとって初めて“居場所”と呼べる空間の扉を開けるものだったからだ。


 ルミナはその様子を静かに見つめていた。すると、ネプトが進む道の反対側からユンボがじっとルミナを見つめながら歩みを進めた。

「何のようだい?ユンボ」

 ルミナの声はひどく低く、振り返るとネプトには向けなかったテロリストの表情をユンボに向けた。

「ルミナ…」


 ユンボは久々に向かい合い、わずかに老いた顔を見せ合った。互いに刻まれた皺を見て、時の残酷さを噛み締める。


 ルミナはぽつりと呟いた。

「あの頃は、みんなが信じるモノが漠然としてて、ただ明日を求めて。私はあの頃のソラリスが好き」

 ユンボは渋い声で返した。

「今は……命を守るのに必死な時代だ。だから君の理想とするソラリスはもうない」

 その言葉にルミナは冷ややかに笑う。

「守るだけでは何も変えられない。次に来る変革のために… そしてその変革を求めて戦うものこそがソラリスよ」

 ルミナ断言し、ユンボを睨んだ。


 ユンボの目元とはひどくくたびれ、ルミナを見ているはずなのにその焦点は彼の思うようには合わなかった。

「夢ばかり追いかけて死んだ仲間を忘れたか? 生き残ることも戦いだ。戦場から戻ってこなかった奴も、姿を消したものもみんなソラリスの仲間だ。戦うものをソラリスと定義づけているようでは、いつまで経ってもソラリス残党といわれるのも納得だな」

 二人の声は静かだったが、互いの理想を引き裂く鋭さがにじむ。大人になりすぎたがゆえの諦めと、消えきらない理想が…


「よくもあんたがそんなことをいう。あんたはこの世界の、ソラリスの未来を考えたことはないの?」

 ユンボはルミナの瞳を正面から受け止める。そこにあるのは怒りでもなく、ただ深い痛みだった。

「未来、か……。言葉だけならきれいに聞こえるが…では、その未来とやらのために、また誰かの命を踏みにじるのか?それがお前の言う未来なのか?ソラリスが信じてきた未来なのか?」

 ルミナはわずかに顔をしかめる。

「私は…少なくともあの子たちに選ばせたいのよ。奪われるばかりの未来じゃなく、自分で奪い返す未来を。」

 ユンボは眉を寄せ、低く唸る。

「そのためにまた血を流すのか?お前は変わらないな、ルミナ。おまえは変わらないな。」

「……そうね、変わらない。けれど変わらない私がいるからこそ、あの子たちに立ち向かう術を示せるのよ。」

 ユンボの目がわずかに揺らいだ。

「お前は……本当に相変わらずだな。」

 ルミナは少し笑った。

「あんたもね。やり方は違うけれど、あの頃から結局、背負ったものを捨てられない。」


 二人の間に沈黙が落ちる。遠い昔に交わした理想、そして現実に押し潰されそうになりながらも守り続けた矜持。その全てが、今もなお互いを突き動かしている。


「……ルミナ。お前の目的はなんだ?なぜソラリスを名乗った?」

 ユンボが静かに問うた。


 ルミナはわずかに瞳を潤ませる。

「ソラリスを名乗ったのはそれが一番適していたから。かつての星間連合への反抗勢力の名を受け継ぐ。これはあなたが思っている以上に効果があってね。」

 そう答えた。


 その答えは、ユンボにとって複雑な感情を生んだ。


「しかし、かつてのソラリスと今のソラリス残党は明確に違う。それはあの時…ウィルと共に在ったソラリスを知っているお前が一番感じているはずだ」

 ユンボは強くルミナに言い放った。


 しかし、ルミナは張り合うように強く声を荒げる。

「時代は変わったんだ! あの頃は戻らない。それでもッ」

 打ち捨てられた駅の小部屋に、小さな風の音が鳴った。ルミナは呼吸を乱す。しわの増えたその顔に、若い頃にはなかった深い疲れと、そしてあきらめきれない理想を映し出していた。


 ユンボは苦い顔でソーラ・コアの名を口にした。

「あの忌まわしい人口太陽を止められるなら、どんな犠牲も払うべきだ。しかし、その犠牲とは未来ある子供たちではなく、かつての業を背負った僕らがやることだ。」


 ルミナは同意しながらも語気を強めた。

「でもそのあとが必要なのよ。地球に代わるエネルギー基盤を用意し、ソラリスを真の組織として再興する。そしてウィルの帰還に備える。人は受け継げば受け継いでいくほどその本来の目的を忘れ、それは文化や習わしとして風化していく。それではいけないの。彼が戻ってくる場所は、彼を覚えている私たちが作らないといけないのよ」


 ユンボはそれに首を振る。

「ウィルはもういない。現実を見ろ。俺たちは他星の連中と共存しなければまた滅びる。」

 ルミナは険しく笑った。

「あなたの言うそれも、理想じゃないか。未来を握るのは恐れを超える狂気と覚悟だけよ。」

 二人の間にはかつてにない深い溝が生まれていた。


 ネプトがソラリスに加わってから、ちょうど一週間が過ぎていた。かつての地下駅舎を改造したこのアジトの空気にも、わずかに慣れが生まれていた。

 朝は、まだ薄暗い大広間に並ぶ粗末な椅子を抜け、食堂の金属製の扉を押し開けるところから始まる。ネプトは割り当てられたC-14の部屋を出るとき、小さく伸びをした。地下特有の湿り気と鉄の匂いが鼻を打つが、もうそれを不快だとは思わなくなっていた。


 食堂では、配給用の粗末な自動加熱器からわずかに立ち上る湯気が朝のサインだった。ネプトはトレーを手に取り、味のほとんどしないパンとレトルトスープをよそい、壁際の古い椅子に腰かける。周りには早くから活動するソラリスの仲間たちが、作戦の打ち合わせや端末のチェックをしている。


「ガーディアンの残骸はルミナさんにお願いして回収してもらったが、ガーディアンはもう動かせない。だから新しいHIが欲しいが…」

 そう独り言を呟いた。


「おはよう、ネプト。」

 HI設計の技術者エリナがネプトに声をかけた。褐色の肌に無造作にまとめた髪が、少し寝癖で跳ねている。

「おはよう、エリナ。今日も忙しそうだな。」

 ガーディアンの回収計画が始動し、ソラリスの技術者たちが重機を用意して準備を進める中、ネプトは新たなHIの設計に挑んでいた。


 今回、ネプトの新たなる部隊<トライグル部隊>のフラグシップ機の開発ということもあり、ルミナが莫大な予算を提供したものの、ネプトたちが進める新型HIの設計は大きく難航していた。

 ネプト仕様機O(仮称)と名付けた新型HIの構想は、ネプトの理想とエリナの要望。そして整備班の都合などを織り込むごとに技術的な壁が高くなっていた。


「……で、この“顔”って本当に必要なのか?」

 エリナが図面に描かれた特徴的なマスク部分を指さしてため息をつく。

「これじゃあ機械化した人型の化け物みたいよ。白い一つ目なんて不気味すぎる。軍だって採用したって二つ目だよ?」


「……一つ目でいいんだ。これは僕の中での象徴でなくてはならないからな」

 ネプトは静かに言い切った。

「今までのHIは人の代わりだった。でもこれは、人の怒りや悲しみを象徴してもらう。だからこそ顔がいる。人の顔ではないのはそういうわけなのさ」

 ネプトはパンをちぎってそういった。


「わかるけど……その顔は周囲に威圧感しか与えないわよ?整備班に悪夢を見せるのが目的なの?」

 そこに話を聞きつけた整備班長、ダグラスも渋い顔で加わった。

「おいネプト、運用考えろ。お前の理想ばかり詰め込んでりゃ、整備する身の苦労が増えるだけだ。」


「むぅ、一度場所を変えよう。整備ドックでいいな」

 ネプトは苦笑混じりに、席を離れた。


 整備ドックにネプトが向かおうとするとタブレット端末を持ったユンボと遭遇した。

「おや、冴えない顔をしているな。何かあったのか?」

 ユンボはまるで息子と話すように気さくに話しかけた。


「やあ、ユンボ。何でもないさ、ただ設計がなかなかうまくいかないだけだ」

 ネプトも満更ではなさそうに返す。


「例のガーディアン回収は何とか急がせたが、本当に破壊したアウリアン兵器も同時に回収する必要があったのか?」

 ユンボの疑問はネプトの想定しているうちであった。


「新しいHIのコントロールは旧式の神経接続型から変更して俺の負担を減らすように設計したいんだ。だからガーディアンのデータが沢山ほしい。例えば敵側から見たガーディアンのデータでもな」

 ネプトは言葉を続ける。

「それに、それだけじゃない。俺の作る新しいHIには異星人たちの技術を搭載する予定だ。ヒトの業を背負った象徴としては粋な発想だろ?」

 そう言ってネプトは設計図を整備ドックへ持って走っていった。


 ドックへ着くとネプトよりも先にエリナがデータの分析を始めていた。

「早いな、それでガーディアンのデータを残しつつそのデータをもとに新たなる操縦システムに切り替えることは可能か?」 

 ネプトがそう聞くと、エリナは難しい顔をした。

「不可能ではない気がする?みたいな… 正直旧式のデータからなんてやったことないから今までのノウハウとか吹いて飛んじゃうよ」

「すまない、君には無理をさせてしまっている。」

 ネプトがエリナに謝っていると、ダグラスが足音を立て、ネプトに迫った。

「俺には無しか?作るとなったら整備するこっちの目線に立ってもらわんと困るんだ」


「分かっているつもりだ。だから頼む。新しい時代のために、僕の構想聞いてくれないか」

 ネプトは深々と頭を下げた。ダグラスは意外だったらしく目を丸くした。

「思っていたより、いさぎの良い。ただのわがまま坊ちゃんだと思ってたぜ。よし分かった。聞くだけ聞いてやらんこともない」


「複雑に言っちゃって」

 エリナ諦めたようにつぶやき、今一度ダグラスと共に設計図を覗いた。


「ガーディアンの回収が間に合えば、解析したパーツも流用できる」

「でも現状だとエネルギーフレームの供給量が足りない。あの街の補給網じゃ焼け石に水だ」 

「なら転用できるレール砲のフレームを再利用すればいい。予備兵器は残ってるはずだ」

「でも動力が足りない!」

 三人は息を詰めて図面を覗き込み、時に声を荒げながらも、どうにか理想のHI像を描き出そうとしていた。


 さらに、ネプトは異星人のHIから回収したパーツを一部流用しようとしていた。

「異星パーツを一部でも入れるなら制御系も一新しなくちゃならないわ。下手したら自分で自分を制御できなくなる。」

 エリナが警鐘を鳴らす。


「それでもだ。あの強度は魅力的だ。」


「でかくなりすぎるって言ってるでしょ!」

 エリナとネプトの衝突を割って入るようにダグラスが指摘した。

「腕は従来の足のクレーンを使えばいいとして… 問題は新型の足だな。この設計図通りに作れば全長31メートル級になるぞ。そんな大きい機体は過去を振り返ってみても指で数えられる程度さすがに大きすぎる。クレーンも従来のものではダメかもしれんぞ」


 そう言って話し合う内に、エリナがなんてことない一言を零した。

「そうだね、こんな時でもなきゃ使う機会のない代物だし… そうだ!この際いったん全部載せてみちゃうてのはどう?」

 そのエリナの何気ない一言が、その場にいた全員の頭を一気に刺激した。


「全部……か。」

 ダグラスが片眉を上げて吐き出すように笑う。

「いいや、悪くない。どうせ手探りだ。だったら夢を見るくらい…」

「そうだな。」

 ネプトも小さく頷いた。燃えるような瞳で、視線を設計図へ落とす。


――アウリアン技術のリニア型超伝導アクチュエータ

――アウリアン技術飛行技術エアリアル・オプティマイザ

――ヴァルカリアン兵器の高出力マイクロミサイルポッド

――クリケトス兵器の装甲材質イデアライト

――クリケトス兵器のナノ修復システム

――旧戦争時代の多関節駆動技術

――地球側の可変出力型リアクター

――地球連合で実証だけされて眠っていた電磁投射砲

――ガーディアンの旧式のOSを進化させた進化型フレームワーク


 白紙に近かったネプト仕様機O(仮)の設計メモは、あっという間に殴り書きで埋め尽くされていく。

「これ……どうやってまとめる気だよ。」

 ダグラスが苦笑混じりに言う。


「無茶苦茶ね……でも、やってみる価値はある。」

 エリナは細い指で髪をかき上げながら笑った。


「戦うってのは、こういうことだろ。」

 ネプトはまっすぐに前を見て言い切った。

「最初から無理かもなんて考えてたら、何も変えられない。」


「整備するこっちの身にもなれっての。」

 ダグラスは苦々しい表情で肩をすくめた。

「そこを、なんとか頼みたい。」

 ネプトが再び頭を下げると、ダグラスも不承不承ながら大きくため息をついた。

「まったく……ガキの無茶には慣れたつもりだったが、お前は飛びぬけてる。」


 メモ用紙の端には次々に走り書きが追加されていく。


「異星パーツの流用」「生体インターフェースの廃止、新フレームワークの開発」「関節の強化」──。

 本来なら研究だけで何十年かかるかという夢物語のような要素が、紙の上に当たり前のように並び、どんどん膨れ上がる。

「こりゃ……化け物だな。」

 思わずダグラスがつぶやいた。


 やがてエリナが最後に一言、静かに付け加えた。

「もしこれが形となったとしてもマーキングも塗装も間に合わないわよ。形にするだけで精一杯。」


「構わない。」 

 ネプトは即座に答えた。

「塗装なんて暗闇になればわからないものだ。それに、そのほうが怖いだろ」

 その声に、技術者たちは顔を見合わせた。その顔はわずかに興奮があった。


 金属の冷たい匂いが漂う整備ドックに、微かな風の音が鳴った。

それが始まりを告げる鐘の音のように低く響いていた


《──トライグル。任務だ》


 ルミナの通信が、胸の小型端末から響いた。

ネプトはその声に、すっと顔を引き締める。

「初任務か…」


 ネプトがニューロンドの下町を抜け、大使館の方角を見やった時、その巨大なガラス張りの建物は夜景の中でもひときわ目立っていた。

アウリアン大使館。防衛設備も堅牢で、周囲にはアウリアン式の監視ドローンが巡回している。

 街の光がきらびやかにきらめき、表向きは平和そのものに見える。

 だが、その裏側で顔のないHIが街の一角で暴走しているという報告が無線で伝えられてきた。

人々の悲鳴、遠くで響く破裂音、ビルの壁に映る青い閃光。それは作られた混乱だった。

 ソラリスのが仕込んだ、偽装暴動だ。


「あの騒ぎで一時的に引きつけられるはずだ……。今しかない。」

 胸元の通信端末にルミナの声が響く。

《ネプト。あの代表… カリオストが生きている限り、地球のソーラ・コア計画を加速させ続ける。

そして我々の敵が、さらに強大になる。確実に排除してくれ》

「了解……」

 ネプトは短く答え、震える喉を押さえ込むように深く息を吐いた。


「初任務だというのにいきなり殺しか… いや、そうもいっていられないか」

 この任務でのネプトの役割はかつて星間連合結成時からアウリアンの外交一任していた、つまりアウリアンという種族の代表者であるカリオストの暗殺だった。大使館をHIで攻撃したとなると過剰すぎるHIのパワーで大使館以外の人々の生活が脅かされると考えたルミナは比較的大使館付近に待機していたネプトに単独で遂行することを命じた。


 ネプトはルミナが指定した大使館の裏路地の座標へと向かってた。


ネプトは先ほどと変わらない簡素なグレーのコートに、サングラスで目元を隠しただけの簡易な変装をした。

「君は……自身の顔割れる危険性をわかってるのか?アウリアン大使館に乗り込むというのに、その程度の変装で足りるのか?」


「大丈夫だ。覚悟はしてる。それに顔なんて覚えられるほど特徴的な顔なんてしていないからな」

 ネプトは、諜報部員のクリケトスを見て同じ異星人を殺すのに冷静にしゃべる目の前の彼を見て少し睨みつけた。

 するとクリケトスの彼がまるで心を読んだかのように言葉を紡ぐ。

「君たちもアウリアンを殺すということに抵抗はあっても、もうすでに殺せないこともないだろう?君は異星人で片づけてしまうが、我々からしてみれば君ら地球に住まう者達もヴァルカリアンやアウリアンと同じ異星人だ。そこに同胞以上の情など湧くことのほうが難しいだろう。」

 そうネプトに答える。


 ネプトは少し驚いたが、前にユンボから聞いたクリケトス達の特性を思い出し驚愕の顔から理解できた顔へと変化した。

「確か、地震予知などができる簡易的なテレパシーが使えるんだったな」


「その通りといいたいが、これはテレパシーではない。これは脳に伝わった信号を感知できるというだけだ。実質的にはテレパシーと思われることが多いが、断片的にしか入ってこない情報を私なりに整理して答えているだけに過ぎない」

 淡々とクリケトスの男は返す。

「すごいな、確かに異星人でまとめてしまうのは少し強情だった。すまない。

 僕はアンビション。ネプト・アンビションだ。」

 ネプトは自分の非を認め、心から謝った。


 諜報部員のクリケトスは諦めたように小さく息を吐き、拳銃を渡してきた。

「ゼスだ。アンビションいや、トライグル。予備マガジンは2本しかない。慎重に使え。……戻ってくるのを期待している。」

 ネプトは少しくすっと笑い、マガジンを受け取った。

「そこは信じると言ってくれ」

 

 ニューロンドの夕暮れ。

高層ビル群が赤い光に染まり、都市の喧噪が次第に夜の顔へと移り変わるその時、ネプトは人影の少ない路地裏に立っていた。

 足を一歩進めると、その背に薄く夜風が触れた。

街の雑音が遠くに押し流され、心臓の音だけが耳を叩く。


 大使館の重い扉を抜けると、無機質な白い廊下に響く足音が自分だけのものに思えた。

だがすぐに護衛たちの気配が迫ってくる。


 拳を握り、ネプトはあえて銃を抜かずに踏み込んだ。

 最初の護衛の突進を受け止めた瞬間、世界がゆっくりと歪む。視界の中で相手の腕が引かれる動き、靴底が床を滑る軋む音、そのすべてが粘つくように伸びて見えた。


(右に来る……肩で流す……)


 咄嗟に相手の懐に潜り込み、腹へ肘を叩き込む。湿った鈍い感触が骨に伝わる。

 護衛が呻き声をあげるが、その声すら遅れて響くようだった。


(重い…重いな……)


 押し返そうとする護衛の肩に体重を預け、一瞬バランスを崩れる。

滑りそうになり、血の気が引きそうな顔をすると、とっさに床に手をついて体を支える。


(しまった……油断した……)


 間髪入れずにもう一人が背後から蹴りを繰り出す。振り向きざまに防御したが、腕に鈍い痛みが走る。

 骨が鳴る音がやけに耳に残る。


(今撃てば解決するが……今はダメだ、まだ……)


 敵に「銃を持たない」と思わせる。

 その一瞬を作るために、歯を食いしばって拳を振るい続ける。


 三人目の護衛が懐に飛び込んできた。首筋をかすめる風。

 ネプトは首を傾け、相手の腕を抱えて関節を極める。


 バキッ


 骨の折れる音が粘ついて響いた。護衛が苦鳴をあげる。

 だが、重さに負け、床に一緒に転がり込む。相手の汗と血の混じった生臭さが鼻を突く。


(……! 限界か!撃つ‼)


 銃を抜く。

 世界が一気に加速する。目の前の護衛が恐怖に引きつる。


 引き金を絞った。

 乾いた破裂音。

 弾丸が護衛の胸を裂き、赤黒い血が噴き出して壁にドロッと貼り付いた。厚みのある血が流れ落ちずに壁の塗料に染み込み、そのまま奇妙に垂れていく。


 二人目に向けて素早く銃を振り向ける。引き金を引く瞬間、護衛の目にうっすら涙のような光が見えた。

 時間が止まる。

 その恐怖を映した瞳を見ながら、ネプトは心臓の奥が鈍く痛む。


(……)


 パンッ

 鋭い音。


 弾丸が護衛の頭を砕き、血と脳の塊が壁に当たってドロリとこべりつく。赤黒い粘液のように広がり、乾いた空気に鉄の匂いを満たす。壁の模様に滲んだ血がゆっくりと下へ滴る。


 胸が詰まっていくのはネプト自身にもはっきりと認識できた。吐き気が一気に込み上げる。

 ネプトは一度呼吸を整えようとしたが、すぐに次の相手が迫ってきた。


 撃つ。

 また撃つ。


 弾丸が肉を破り、護衛の体がひしゃげるように崩れた。

 倒れた拍子に吐き出した唾液と血の混じったものが、床にべったり広がる。


(血が……生ぬるい……)


 踏み込んだ足がその血で滑りかける。

 ガクッと体が傾き、必死に壁に手をついて支えた。

 血の感触が手のひらに生温かく残る。

 指先にこべりつく粘り気。

 胃が裏返るような気持ち悪さ。

 

(……それでも。生き延びるしかないんだ。)


 息を切らしながら最後の護衛に銃を向ける。目が合う。

 その恐怖を突き刺すように見据え、ゆっくりと引き金を絞る。

 弾丸が護衛の胸を貫通し、背後の壁に赤黒い噴水のように血を飛ばした。血しぶきが奇妙な花のように壁に咲き、じわりと垂れ落ちていく。


 静寂。


 死体たちが転がり、その血が床の凹凸を埋めるように広がる。

足音が消え、硝煙と血の鉄臭い蒸気だけが重く残った。


(終わった……しかし、まだ任務はまだ完了していない。)


 アウリアン大使館の最奥、堅牢な防弾窓の張られた執務室。

大理石のように白い床に、アウリアン伝統の青いタイル装飾が美しく埋め込まれている。

 カリオスト・イグレシアは背の高い椅子に腰を下ろし、

その隣に立つ護衛隊長と穏やかに言葉を交わしていた。


 ――その時だった。


 廊下の遠くで何かが崩れるような鈍い音が響いた。

 警報はまだ鳴らない。しかし、鋭い嗅覚を持つ護衛隊長はわずかな血のにおいを感じ取っていた。


「閣下、お下がりください。」


「……始まったか。」

 カリオストは一瞬、沈痛な顔を見せた。

 その奥には、すでに覚悟を決めた鋭い光があった。


 やがて廊下の奥から足音が近づいてくる。

 気配はひとつ──異質で、冷たい獣のような、異邦の暗殺者の足取り。


 ネプトだった。


 大使執務室の手前に立ちはだかったのは、アウリアン衛兵隊の隊長だった。漆黒のマントに銀の装飾が縫い込まれ、長身で威圧的な影を作る。手には旧世紀の設計を踏襲した、重く鋭利なスチールナイフとハンドガンの二丁。

「ここを通すわけにはいかん」

 静かに、それでいて不気味なまでに澄んだ声。

 ネプトは奥歯をかみしめる。


 ネプトが現れた扉は、唯一の出入口だった。執務室は安全のため外に向かう窓が飾り物のように作られているだけで、人間が通れるほどの開閉機能はない。さらにここは4階。階下からも避難経路をふさがれている。

 そしてカリオスト自身も、それを理解しており血にまみれたネプトを見て恐怖した。

「ここの護衛を一人でやったのか?!」

 震えた声が奥から漏れる。

 彼は戦いの残酷さを熟知していた。だから逃げ出せなかった。

──この入り口を超えられたら、自分の死は決まると理解していたのだ。

 ネプトは腹の底に鉛のような重みを感じる。


 右手の拳銃を握りしめ、一歩にじり寄る。隊長も合わせるように射線をずらし、構えを低くした。次の瞬間、乾いた破裂音が走る。

──隊長の銃弾が壁を砕き、木片がはぜる。

 ネプトは横に跳び、足場に滑りながらも構えを整えた。照準を合わせる間もなく、隊長が突進してくる。


「──クソッ!」

 ネプトはとっさにカウンターで放った銃弾を避けられ、距離を詰められる。金属音。隊長のナイフが光を裂き、ネプトの肩にかすった。火傷のような痛みが走り、血が噴き出す。

「が……っ!」

 後退しようとする足を蹴られ、姿勢を崩したネプトの顔に、殴打のようにナイフの柄が振り下ろされる。とっさに肘を上げて防御。骨に響く衝撃。


 視界が歪む。

 「隊長」というより殺戮者のような鋭さだ。体の奥から、冷たくも熱い恐怖がわき上がる。


 床を転がりながら、血のついた腕を必死に引きずりつつ再び立ち上がる。

 隊長は再び銃を構えた。


 一瞬の沈黙。

 張り詰めた空気を切り裂き、再び二人の引き金が重なった。


 火花が走る。

 ネプトの弾は隊長の肩を撃ち抜き、隊長の弾はネプトの腰をかすめた。鋭い痛みに足が鈍る。


「っ……!」


 隊長はわずかにバランスを崩し、その隙をネプトは逃さなかった。

 銃を構えながら一歩踏み込む。

 だが、ナイフが閃き、紙一重で避ける。滑る。血で滑る。


 肘で隊長の顔面を殴る。

 衝撃。骨と骨がぶつかる嫌な感触。隊長の目がにぶく揺れた。

 ネプトは距離を詰め、強引に銃を押し当てた。


 引き金を絞る。

 至近距離。

 炸裂する銃声。

 隊長の体が大きく震え、吐血しながら崩れ落ちる。

 赤黒い血が壁にまで飛び散り、重たく、粘つくように流れ落ちていく。


「──はぁ……はぁ……」

 ネプトは震える手で銃を握りしめた。

後ろの金属製の扉の向こうに、代表カリオストが震えた声をあげる。

「助け──だれか──!」

 もう逃げ道はなかった。

 唯一の出入口を封じた今、ネプトが進めばそれで終わる。恐怖に支配されたカリオストはその場に縋りつき、まるで檻に閉じ込められた獣のように目を見開いていた。


 その光景にネプトはぞっとするほど冷たさを感じる。


 深く息を吸い、血と硝煙の匂いに満ちた床を踏みしめていく。

 ネプトは壁に貼り付いた血を避けるようにして歩く。足元がズルリと滑りそうになるたびに、血が靴底に絡むのを感じた。

 怯えたカリオストは何か震えた声で何かを訴えた。煌びやかな羽根飾りのついた外套が、大使の威厳を装う。

 だが、ネプトはもう聞き取る気もなかった。


 銃を構え、撃つ。


 大使の胸に弾がめり込み、後ろの壁に赤黒い飛沫がべったりと広がる。壁紙が濡れて膨れ、まるで血が生き物のように蠢く錯覚がした。


 足元に横たわる隊長の遺体から、最後の呼吸のような音がした。

 ネプトは迷わず頭に向けて撃った。

 脳が破れ、床に粘ついた肉片が飛び散る。腐臭に似た生温い匂いが鼻腔に残る。


 呼吸が荒い。

 汗と血が入り交じり、服に張り付いて息苦しい。


 ゼスとの会話も頭の片隅で思い出し、ネプトはまだ温もりの残る銃を構え直した。

足を引きずりながらも、ゆっくりと退路を確認する。


(終わった……)


 自分の足が血で滑る。

 咄嗟に壁に手をついたが、その壁すら赤黒い液体で濡れていた。指先から伝わる生ぬるい感触に、背筋が寒くなる。


「……嫌な感覚だ」


 割れた窓から飛び出し、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。それでも血の匂いは自分から離れてくれなかった。

 夜の街を赤い警告灯が走り、悲鳴と砕けるコンクリの音が交錯する。


(あれが……陽動か。)


 その時だ。

 遠くで轟音。

 街を震わす砲声が響く。


《トライグル!市街南区の無人HI部隊がすべて壊滅した!》


「なに……?」

《連合のエインヘリャル隊が出た。無人HIが歯が立たない。お前のルートが塞がれるぞ!》


 ゼスの声は先ほどにはない焦りを見せていた。その緊迫に、ネプトの呼吸も浅くなる。


 名前すらろくに知らない。

 だが、見下ろす街路には、一瞬でわかる破壊の痕跡。重装HIの脚部で踏み潰された無人機の残骸が幾重にも折り重なり、なお砲弾が止む気配もない。


 白く、金に縁どられた装甲の巨体が、一撃でHIのコアをえぐる。

 鮮やかすぎる、絶望の強さ。


「……っ」


 喉がひゅっと狭まる。自分でもわかるほど震えていた。


《トライグル!退避しろ!繰り返す、即座に退避だ!》


「わかってる!」


 足元を蹴る。まだ煙と炎に包まれた市街の隙間へと身を投じた。


《ルートCへ!下水路から離脱しろ!》


「了解ッ!」


 鼓動が速い。

 血の匂いと汗が混ざり合い、ひどく気持ちが悪い。

 それでも走るしかなかった。崩れかけた非常階段を駆け下り、隙間だらけの下水の鉄格子を潜り抜ける。

 背後ではなおも重装HIの砲撃が地を割り、人々の悲鳴をかき消していた。目を閉じたくなる惨状。

 だが、閉じたら最後だった。


彼は暗い下水道の奥へと姿を消した。

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