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静寂な暗闇と、機械歩兵。


 青黒い深海に、血の味が広がっていた。


「チッ…離れろ!」

 少女そう言い操縦桿を握りしめると、旧式 HIヒューマノイド・インターフェース「ガーディアン」の右腕が水中ロケットを発射した。白い気泡の軌跡が暗闇を切り裂き、ヴァルカリアン追跡艇の一つが光る粘液を噴き出しながら爆散する。


[警告:左腕機能停止]

[背部装甲損傷率82%]


 コックピット内で警報が狂ったように鳴り響く。機体が激しく傾き、少女の頭が操縦桿にぶつかった。鉄の味が口に広がる。モニターに映る残り二機がひれを震わせ、獲物を狙うサメのように迫ってくる。


「ここよ…ムピキウム!」

 巨大なドーム都市が闇の中に浮かび上がった。無数の発光藻が絡み合い、巨大なクラゲのように脈動している。損傷した左腕のパーツを強制分離。爆発の煙幕に紛れ、廃棄物投棄ポートへ猛突入した。


 ・・・三時間前・・・


 ネプト・アンビションは水圧ドアの隙間から滴る水滴をじっと見つめていた。深海都市ムピキウム下層区画の時刻表示は「04:30」を示している。起床ベルまであと三十分──彼だけの貴重な時間だ。


「…咳き込んでたな」

 母の寝室から聞こえた苦しげな咳が耳に残る。ネプトはコンクリートの壁に寄りかかり、防水ポーチから小さなオブジェを取り出した。歪んだプラスチック製の飛行機。父が残した数少ない遺品だ。


[端末起動]

[監視回避プロトコル作動中]


 薄暗がりで端末を起動すると、自動的にスカイ・ミラーの中継プログラムが動き出す。スクリーンに映る偽の星空が、ネプトの瞳に微かに映った。


「本物は…きっとこんなものではないはずだ」

 父の記憶は曖昧だった。3歳でムピキウムに連れてこられて以来、ネプトはドームの外を見たことがない。スカイ・ミラーに映る空は常に完璧すぎて、かえって不気味に感じられた。


 ピピピピと端末からアラームが鳴る「いかなければ...」そう呟き作業区画へと歩いた。


 作業開始から二時間経った頃...


「おい、アンビション!」

 ヴァルカリアン海中監視員ザーンが配管の上から覗き込んだ。彼の青い鱗が作業灯で鈍く光るのが目に映る。


「B-7ポンプの修理、遅すぎるぞ」

 ネプトは黙って油まみれのバルブを回す。腐った海藻の臭いが鼻を突く。この水循環システムは三十年以上前の戦争で破壊され、継ぎ接ぎだらけだった。


「隔離区のクズどもは働かないと存在価値がない」

 ザーンが愚痴を吐いた。

「特にソラリスの構成員の血を引くお前はな」

 ネプトの背筋がわずかに硬くなる。ザーンは三年前──父がソラリス残党として処刑された日から、彼を執拗にいじめてきたのだ。


「今日はお前の母さんの検診日だ」

 ザーンが不気味に笑う。

「深海適応症候群が進行してるらしいな。肺が水浸しになる苦しみ、想像できるか?」

 ネプトの手が滑り、スパナが水中に落ちる。濁った水が跳ね上がる。


「ああ、すみません」


「掃除しろ!」

 ザーンの足がネプトの肩を蹴る。

「隔離民は皆、遅かれ早かれああなる。お前の母さんが痙攣しながら死ぬ姿を──」

 轟音が区画全体を揺らした。天井から錆びたパイプが落下し、水たまりにぶつかる。


「なんだ!?」

 ザーンが警戒して配管を上がる。

 ネプトは頭上を見上げた。スカイ・ミラーが異常な閃光を放っている。彼の端末に警告が表示された。


[外部衝突検知:セクターB7]

[廃棄物処理区画 圧力異常]


 廃棄物処理区画の水圧ドアが歪んでいた。黒煙が隙間から噴き出し、腐敗臭と焼ける金属の臭いが混ざっている。


「おい! 誰かいるのか!」

 ザーンの叫び声が警報に消される。

 ネプトが煙の中へ飛び込むと、瓦礫の山が崩れ落ちる音がした。炎上するコンテナの陰で、人間型機械の残骸がくすぶっていた。胸部プレートに「GA-8X ガーディアン」の刻印。その脇で、戦闘服を着た少女が血まみれで倒れている。


「…動かして」

 少女の唇が震えた。

 ネプトの目が少女の脇腹に釘付けになる。裂けた戦闘服の隙間から赤い血が滲んでいた。自分と同じヒトの血だ。しかし、彼女の肌はヴァルカリアンと同じ薄く青い色をしていた。外でザーンの怒声が響く。


「ネプト!近寄るな!!そいつは少し昔に報告があったあのソラリスの一味だ。お前にとってはいろいろ思うところがあるだろうが...」

 ザーンはネプトを制止するため、言葉を続けた。

 しかし、ネプトはザーンの言葉も聞かず無意識に少女のもとへ駆け寄っていた。

「ソラリス…本当にあったのか、あんな頭のおかしい連中が本当に…」


「おい!やはりお前も魂はソラリスなのか!裏切り者なのか!」

 ネプトの不意の行動に、ザーンは不思議と恐怖を覚えた。


 ネプトは廃材を蹴飛ばす。錆びた鉄板が落下し、煙幕が発生する。

「ごめんな、母さん…」

 囁きながら、彼は少女を担ぎ上げた。


 密閉ドックへの暗路で、ネプトは初めて少女の顔をはっきり見た。十代後半だろう。まつ毛に火花の煤がついている。


「…名前は?」

 エアロックを閉めながらネプトが問うた。


「アルケ…」

 少女の目がかすんでいる。

「君は?」


「ネプト。ネプト・アンビションだ」彼はコックピットの緊急医療キットを開ける。「生き残りたければ、痛みに耐えるんだ」

 ネプトのポケットから飛行機が落ちた。


 密閉ドックの赤い緊急灯が回転し、ネプトとアルケを血のような光で照らし出した。アルケの背中で、脊髄プラグが不気味に脈動している。露出した神経接続端子から青い火花が散り、腐ったオゾンの臭いが充満した。


「覚えておいてほしい」

 ネプトが医療キットからバイポーラフォースプを手に取った。

「ここの電源は不安定だ。30秒しか時間がない」


「待って──」

 アルケの声は恐怖で震えていた。

 ネプトの手が動いた。スパークする端子に器具が触れると、アルケの身体が弓なりに反り返った。叫び声がドック内に反響する。脊髄プラグの損傷部から漏れる脳脊髄液が、ネプトの手首を伝った。


[00:23]

[00:22]

[00:21]


 カウントダウンが仮想ディスプレイに映る。ネプトの額に冷や汗がにじむ。父が遺した工具セットから、極細の神経リペアワイヤを取り出した。


「あなた…プロなの?」

 アルケが歯を食いしばりながら問う。


「自己流だ、独学といってもいい」

 ネプトの指が震えずに動く。

「しかし、やはりこんな技術廃れるべきだった。これだからソラリスというのは…」


[00:09]

[00:08]


 突然、ドック外で金属を叩く音が響いた。ザーンの怒声が聞こえる。

「この区画も調べろ!奴らソラリスは必ず──」


「クソッ…」

 ネプトがスピードを上げる。アルケの首筋に光る汗が、彼女の奇妙な傷跡を浮かび上がらせた。神経接続痕が幾何学模様を描いている。ヴァルカリアン軍用規格だ。


[00:01]

[00:00]

[接続完了]


「動け!」

 ネプトが叫んだ。

 アルケの指が痙攣するように動く。ガーディアンのカメラが白く点灯した。コックピット内にクランク音が響き、操縦桿が起動位置に戻る。


「ありがとう…アンビション」

 アルケは囁くように名前を言った。


「ネプトだ。名乗っておいてこんなことをいうのも変だが、アンビションとは呼ばれたくない」


「でもこれで終わりじゃない」

 痛みをこらえるアルケが立ち、ガーディアンへと手を伸ばした。

 ザーンが水圧ドアを蹴破った時、ガーディアンは完全に起動していた。旧式機ながら、その巨体は威圧感に満ちている。


「お前たちを生かして帰すわけにはいかん!」

 ザーンが腰のハーポーンガンを構える。


「待ってくれ!」

 ネプトは前に出た。

「彼女はヴァルカリアンだ!見ればわかるだろう!」


 ザーンは嘲笑った。

「ああ、見ればわかる。地上の穢れた血が混じっているのがなぁ!」


「それで!」

 ネプトは何かを察し、振り向いた

 ハーポーンが発射される。アルケが叫んだ。


 「乗って!」


 ネプトは反射的にガーディアンのコックピットに飛び込んだ。神経接続ケーブルが自動的に彼の首筋を探る。

「信じられない…こんな原始的なOSで…!」

 ネプトが操縦桿を握る。初めての神経接続の感覚が、稲妻のように脊髄を走った。


 ガーディアンが動いた。旧式機ながら、ネプトの操作で驚異的な反応を見せる。ハーポーンをかわし、瓦礫の山を盾にする。


[警告:右膝関節可動域制限]

[バッテリー残量17%]


「ダメだ…重い…!常に漏れているのか!?」

 ネプトは歯を食いしばり何とか動かした。


 するとザーンは、自身の持つ通信機で仲間を呼んだ。

「増援だ!隔離民が反乱を──」

 

 その時、ネプトの目がスカイ・ミラーに映る偽の星空に吸い込まれた。

「待て…あの光のパターン…」

 脊髄が熱くなる。ネプトは突然、操縦桿を思い切り左に切った。ガーディアンが予想外の動きで廃棄シュートへと突進した。


「君…何を!?」

 アルケは驚くようにネプト肩をがっしりと掴んだ。


「監視システムの死角だ!」

 ネプトが叫ぶ。

「スカイ・ミラーの光が変わる0.5秒間だけ生まれる隙間!それが死角となる!」

 ガーディアンが廃棄シュート飛び込む瞬間、ザーンの放った魚雷が背後で爆発した。衝撃でコックピットのハッチが歪み、アルケがネプトの胸に倒れ込む。


「ごめん…」

 アルケの息が頬にかかる。

「君…本当に初めて?」

 ネプトは黙ってうなずいた。眼下に広がる深海の闇を見つめながら、彼はポケットの飛行機オブジェを握りしめ、深海都市ムピキウムの外、その闇の世界と飛び出した。


 ガーディアンが廃棄シュートを高速降下中、背後から三機のヴァルカリアン追跡艇が迫る。ザーンの声が無線で響く。

「逃げられると思うな、地上の汚れども!」


 アルケが警告する。

「魚雷が発射された! 回避できない!」


「やれるさ」

 ネプトは反射的に操縦桿を押し込む。ガーディアンが急旋回し、魚雷は海中岩礁に直撃。衝撃波で機体が激しく揺れる。


[右腕油圧漏洩]

[神経接続率120% - 危険域]


「君…!」

 アルケが機体データを見て驚愕する。

「常人なら脳出血する数値!」


 ネプトの視界が虹色に歪む。神経接続がもたらす感覚拡張で、水流の動きが数学的方程式として見える。追跡艇の動きを予測し、ガーディアンは廃墟の間を縫うように滑走した。


「初めてだ、どうなるかもわからない。しかし!」

 ネプトは歪んだ視界の中で確かな自由を得ていた。今の彼を止められるものはいない。


 死火山のカルデラで追跡艇が包囲する。ザーン機が前面に現れ、ハーポーン砲を構える。

「終わりだ、アンビション!」


 ネプトはガーディアンのコアを限界まで駆動させた。機体の関節が悲鳴を上げる。


「バッテリー切れまであと238秒」

 アルケが歯を食いしばる。


「見えている!!」

 ネプトは稼働限界時間も、ザーン機もしっかりと把握できていた。


 ザーン機が突撃してくる。

 その瞬間、ネプトは父のかつての教えを思い出す。


 『本当のヒトは、殺さずに勝つ方法を探すものだ』

 はっと目が覚めたように父のあの肉声が脳裏に過った。ネプトの目からモニター越しの薄暗い海が広がる。

 ガーディアンは動きを止め、ザーン機を睨むように体を振り向かせた。


「馬鹿め!」

 ザーンが叫ぶ。


「乗ったか!?」

 口元が少し緩んだネプトはその隙に海底の熱水噴出孔を狙撃。沸騰する熱水の柱がザーン機を直撃。コックピットブロックだけが残り、ザーンは海中に放り出された。


「ここまで...だがしかし俺も誇り高きヴァルカリアンの端くれ!!最後は海の硬さに身を投げてでも…」

 ザーンが海中専用のスーツの書くロックを外そうと体をまさぐる。

 しかし、ネプトはガーディアンの手で阻止するようにザーンを掴んだ。


「なぜ…殺させてくれぬ?」

 ザーンが青い血を吐きながら問う。


「父が僕に残したのだ」

 ネプトの声は静かだ。

「人を憎むな、と」


 ガーディアンが緊急用ポッドを放出。ネプトは無線で囁く。

「生きて、誰かにでも真実を伝えるんだな」


 ザーンは屈辱に震えた。

「クッ!!情けのない!」


 だがしかし、ガーディアンも稼働限界が近かった。

「限界だ!これ以上は持たない!」

 アルケが必死にネプトの手に触れた


「分かっている、このままオーシャノアに向かう。きっと君のいた場所だろう?」

 ネプトは残された力を振り絞り、海中都市オーシャノアへと向かった。


「ようやく…」

 アルケが弱々しく笑う。目の前にはオーシャノアの天蓋が見える。


 彼女のつぶやきに、ネプトが複雑な表情で応えた。

「そう願いたかった」

 ガーディアンは稼働限界を迎えており、もはやオーシャノアを眺めるだけで精一杯だった。


「嘘...こんなところで」

 アルケの顔は少しずつ暗くなっていった。


 その時だった――


 一機の緑の中型HIがガーディアンへと向かってきた。ネプトもアルケもここで死を覚悟していた。しかし緑のHIからの通信は意外なものであった。


「よかった...まだ生きていますね。直ちに救助します」

 男の声が聞こえたところで、ネプトの意識はなくなった。


 「...脈拍は弱いが安定。酸素飽和度、回復傾向」

 聞き覚えがある男の声がぼんやりと聞こえる。ネプトは横たわり、全身に走る神経接続の残留痛に顔をしかめた。視界がかすむ中、どこかくたびれた男がモニターを確認している。


「目を覚ましたか?」

 男は地球人だった。40代半ばか。頬に古い火傷の痕があり、HIの操縦スーツには「T-09 ストームガード」の記章がかすかに見える。


「アルケは...?」

 ネプトがかすれた声で問う。


「輸血中です。君の迅速な処置が彼女を救った」

 それから1時間ほど、ネプトは精密な検査を受け自身体がほぼ無傷なことに驚いた。


「驚きましたか? それも元をたどればソラリスの…あなたのお父君が所属していたソラリスの技術だったんです」


「ソラリスの…? あなたはソラリスのことをどれだけ知ってるんだ? 僕は父の軌跡をたどるつもりはないが、知りたいという欲望はある。」

 ネプトは男に迫った。それが父を知れる唯一のチャンスだと考えたからだ。

 男は自らを「カイ」と名乗った。


「いいでしょう。では、どこから話したものか…人口太陽反対の件は知っていますか?」


「もちろんだ。というより、それ以外は知らないさ。30年前の地球は太陽の消滅を恐れていた──だから太陽の寿命の前に、新たな人工太陽を作り出そうとしたんだ」


「あなたの見方は正しい。そもそも太陽は、地球よりずっと長生きするはずだったんです」


「地球の人間たちが寿命を縮めたと?」


「その通りです。地球上に存在していたエネルギーが枯渇し、太陽のエネルギーを直接回収し始めたことで地球の技術開発は飛躍的に進歩しました。あなたの持つその飛行機は、エネルギー枯渇前の地球で作られたものだ」


「ソラリスの反対運動とは、いったい…」


「ソラリスはソラリス・インクイジティオは…『太陽の自然な終焉こそ宇宙の摂理だ』という特異な思想を信じていました。特に星間連合の人工太陽プロジェクトを『自然への冒涜』と断じていた。

 彼らの主張はこうだ──『星には寿命があり、静かに消えゆく運命を人間が歪めるべきではない』と。人工太陽の研究者を『異端者』と呼び、文字通り『審問』にかけるほど過激だった。科学を信仰で裁く…皮肉な逆説が組織名に込められてる」

 そんなものに父が…とネプトが顔をしかめると、

男はつぶやいた。

「でも、あなたのお父上は違った。」

 カイの目が遠くなる。

「彼はソラリスの過激思想を次第に嫌い、技術で人を救う道を選んだ。だがムピキウム強制移住の際、『反逆』の罪で軟禁。最後には粛清されました」


「愚かだと僕は思います。一度決めたことに最後まで責任を持たないなんて…」

 ネプトは吐き捨てるようにつぶやいた


 アルケは目を覚ました。ふとそばを見ると彼女の横で、ネプトは彼女の脇腹の包帯を替えていた。

「...君は何故?」

 アルケがネプトの手首を掴む。

「どうしてヴァルカリアンの軍用神経接続プラグを完璧に修理できるの?」


「母さんが...深海適応症候群なんだ」

 ネプトは俯く。

「つまりはヴァルカリアンの医療技術が必要だった。軍の廃棄部品を闇市で調達して、自分で勉強したんだ」


「そっか、お母さんが…ごめんねつらいこと言わせちゃって」

 と、アルケは謝る。

「でもすごいな~私はそんなことできないから」


「人は必要にならなければ覚えることもない。所詮はそんなものさ」

 ネプトは悲しげに言った。


 その時、緊急警報が鳴り響く。

[警告:軍検問艇 セクター3接近]

[識別信号:監視官ザーンを確認]


 モニターに映るザーンは、包帯だらけだが生きていた。熱水噴出孔での一件を「ソラリス残党のテロ」と報告し、ネプトを「主犯」と断定していた。


「ザーン...もう来たというのか」

ネプトの声が硬くなる。


「彼の報告で、君の母親が危険に晒される可能性があります。」

 カイがコントロールパネルを見て厳しい表情を浮かべた。「彼らヴァルカリアンの力でムピキウムの隔離区は、今や監視の檻となっているでしょう」


 カイは暗く輝くユニットを指さした。流線型で、深海用に改造された痕跡。

「レオンが密かに改造していたHI強化ユニット。名を『ペリカン』と言います。医療搬送と...脱出用に開発されました。」


「それを?...」


「選択はあなた次第です。」

 カイはキーを差し出した。

「もはやこの監視下であなたは海にはいられない。あなたはどうしたいのですか?」


 カイは別のスクリーンを起動する。そこには、ネプトがガーディアンでザーン機を翻弄した戦闘データが流れていた。特に「スカイ・ミラーの光の変化を利用した死角突破」と「熱水噴出孔利用」に赤丸が付く。


「行ってください、あなたの考えも思いも察せますから」


「やれるのか?いや、やって見せるさ」

 彼はコクピットへ歩き出す。

「母さん僕は行く。そして...」

 ネプトの目がカイとアルケを捉えた。

「あの『天蓋』を破ってやる。本物の空を見るために…世界が変わるために」

 

 カイの口元が緩んだ。

「では、ペリカンユニット接続…出撃どうぞ。」

 格納庫のハッチが開く。その先には、監視艇の探照灯が乱舞する深海の闇と、遠くに微かに輝くムピキウムの巨大ドームが待っていた。ネプトは操縦桿を握りしめ、父の飛行機オブジェをコントロールパネルに嵌め込んだ。


「ネプト、ガーディアン、ユニットPで出撃します!」

 水深2500メートル。太陽光は上方で消え果て、水圧が岩盤を軋ませる世界。堆積物の絨毯に半分埋もれたドックの上で、巨影が微かに蠢いた。装甲に埋め込まれた深度計が、不気味な青白光を放つ。

 キーン… と超低周波の起動音が水を伝い、近くを漂う発光クラゲが一瞬で闇に消えた。


 背部メインスラスターの排出口が、深海の闇に突然、深紅の眼のように開いた。高圧水流噴射が始まる――周囲の海水が沸騰するように激しく泡立ち、白い蒸気の渦が舞う。補助スラスターも青白い光を迸らせ、機体をゆっくりと持ち上げていた。

 コックピットは、神経接続の残留熱でむせ返るほど蒸し暑かった。深度計は2,150mを示し、外殻が軋む重低音が操縦席の骨まで震わせる。

 そんな時、前方で廃棄物投棄路の巨大な入り口を塞ぐように、ザーンの指揮する二機のヴァルカリアン追跡艇「レイザーフィン級」 が待ち構えていた。装甲に刻まれたザーンの個人マーク――歪んだ三本爪――が、艇体の青白いバイオライトで浮かび上がる。


「ついに囲んだぞ、裏切り者め!」

 ザーンの声は無線越しに歪み、憎悪で沸騰していた。

「お前の母さんはもう隔離区の捕虜ブロックに護送中だ!あの苦しむ姿を、お前にじっくり見せてやる」


ピピピッ!

警告音が甲高く鳴った。

[ソナーロックオン:魚雷発射管起動確認]

[目標:コックピット直撃コース]


「くっ…!ザーンめッ」

 ネプトの指が操縦桿を握りしめる。ペリカンの背部メインスラスターが轟音と共に噴射。機体は急上昇し、廃棄物路の天井ぎりぎりをかすめた。ザーン機の放った魚雷二発が、直下の堆積物の山を吹き飛ばす。衝撃波でペリカンは横転し、コックピット内の仮想ディスプレイが一瞬、真っ暗になる。


「動きが読めるぞ、隔離民の癖はな!」

 もう一機の追跡艇が死角から現れ、HI用ハーポーン砲の砲口を光らせた。

ネプトは反射的に左腕の補助アームを展開。医療用に設計された細いアームが、漂流する廃棄コンテナを掴み、盾として前方に投げつけた。


 ドガン!


 ハーポーンはコンテナを貫通したが、軌道が狂う。ガーディアンはその隙に、海底火山の噴出孔が林立する「煙突の森」へと滑り込んだ。沸騰する熱水の柱が無数のカーテンのように立ちはだかる。


「逃げる!?いや、誘っているのか!」

 ザーン機が追撃してくる。熱水の乱流で艇体が激しく揺れる。

「母さんの肺はもう水浸しだ!苦しんで溺れ死ぬその時、お前の顔を思い浮かべて――」


「黙っててくれ…!」

 ネプトの怒声が、初めて無線を割った。

 ペリカンユニットの右膝関節が悲鳴を上げる。限界を超えた旋回で、熱水噴出孔の直近をかすめる。ザーン機が回避した瞬間、ネプトは操縦桿を思い切り前方に倒した。緊急バラストタンク開放!


 ゴオォン…!


 ペリカンユニット下方から海水と共に重いバラスト水が噴出。予想外の水流がザーン機の艇首を押し下げた。

「なんだというのだっ!?」

 ザーンの叫び。艇体が熱水噴出孔へと向かう!


 ネプトは咄嗟に医療用高出力レーザー(患部の焼灼用)を起動。細い赤い光線がザーン機の右舷スラスターをかすめる。


 バキッ! スラスター基部が白熱し、わずかに軌道が修正される。ザーン機は熱水柱の直撃を辛くも免れ、岩礁に不時着した。


「ふっ…ふぅ…」

 ネプトは息を整え、ペリカンを岩陰に潜ませた。

ふとそこに剣のような細長いものが岩肌に突き刺さっているのが見えた。ネプトはその剣を拾いあげると、剣は薄い蛍光灯をまとっているかのように光った。

 奴は動けないはずだ…母さんの件は脅しだったかもしれない…そう考えていた。

 

 だが、その考えは甘かった。


「クソが…クソったれがぁぁっ!!」

 岩礁に半埋もれたザーン機のハッチが吹き飛ぶ。パイロットスーツを着たザーンが這い出て、携帯式の対HI磁気機雷を掲げていた。彼の目は血走り、口元には泡混じりの青い血がにじむ。

「隔離民の分際が…! 俺を…ヴァルカリアンの誇りを…愚弄しおって!」

 機雷の起動スイッチが光る。ザーンは狂気の笑みを浮かべて叫ぶ。

「これで一緒に逝くぞ、アンビション!お前の母さんも、後からなぁ!」


 その言葉が、ネプトの内なる何かを決定的に断ち切った。


 母さんを…本当に狙うつもりだ…!その確信がネプトに決断をさせた。


 思考よりも先に、身体が動いた。

「ユニットP、緊急医療搬送モード解除! 全出力、前腕部へ集中!」

 コックピット内の警告ランプが一斉に赤く染まる。


[警告:機体構造限界超過]

[神経接続負荷 危険域突破 - 142%]


 ペリカンの左前腕部装甲が外れ、内部から分厚い医療用防護シールドが展開する

ザーンが機雷のスイッチを押し込もうとする刹那。

ガーディアンは海底を蹴り、手に持ったビームソードというべき剣で突進した。


「遅いわァッ!」

 ザーンが叫び、機雷を構え直す。

 間に合わない。


ドッガァーン!!!


 鈍く重たい衝撃が、深海に響いた。

ネプトの持つ、ガーディアンの持つ剣が、ザーンの胴体を――パイロットスーツごと、その場に立つザーン自身を貫いた。

 機雷はザーンの手から零れ落ち、海底の砂泥に沈んでいった。


「……ぐ……あ……」

 ザーンの目が虚ろに大きく見開かれる。ビームソードの先端が彼の背中から突き出し、青い血が周囲の海水に細かい糸を引いて漂った。彼は剣に串刺しにされたまま、微かに痙攣し、ネプトを見つめていた。憎悪と、信じられないという驚きが、まだ瞳に残っている。


 コックピット内は死んだように静かだった。警報音さえ、遠くに霞んで聞こえる。ネプトの手が操縦桿から滑り落ちた。彼は自分の手のひらを見つめた。震えていた。視界の端がチカチカと歪む。神経接続の過負荷か。それとも…。


「…やった…の?」

 アルケの声が、内部通信でかすれた。彼女もスクリーン越しに光景を見ていた。


 ネプトは答えられなかった。口の中がカラカラに渇き、鉄の味がした。父の言葉が脳裏をよぎる。


『本当のヒトは、殺さずに勝つ方法を探すものだ』


 ――自分は、父の教えを守れなかった。守れなかったばかりか…。


「…母さん…」

 ネプトの呟きは、吐息のように消えた。

ザーンは既に動かない。剣に刺さった彼の身体は、深海の闇に浮かぶ不気味な標本のようだった。青い血が、ゆっくりと、ゆっくりと周囲に広がっていく。先ほど、アルケのガーディアンが撒いた「血の味」を、より濃く、より冷たく更新していた。


 ネプトは操縦桿を握り直した。指先に力が入らない。ガーディアンの剣を…ザーンから剣を引き抜く指令を出す手が、鉛のように重かった。

「ここで倒れるわけには…いかない。母さんのためにも…」

 彼は歯を食いしばり、ペリカンのスラスターをかすかに噴射させた。ザーンの遺体が剣先から静かに離れ、ゆっくりと深淵へ沈み始めるのを見送りながら。

その背中には、重すぎる選択の代償が、もう永遠に刻まれていた。


 ガーディアンのコックピットは、ザーンの血の記憶とエンジンの唸りで重かった。ネプトは操縦桿を握る手を震わせながら、モニターに映るムピキウムの巨大ドームを見つめていた。その下層区画のどこかで、母が苦しんでいる——

「直行する!今すぐにでも!」

 ネプトの声はコックピット内を切り裂いた。ペリカンのスラスター噴射口が起動準備の青白い光を帯びる。神経接続ケーブルが彼の首筋で微かに震え、過負荷の危険信号を無視していた。


「待ってください、ネプト君!」

 カイの声が内部通信で割り込んだ。スクリーンに彼の焦りの滲んだ顔が映る。

「直行は自殺行為だ!ザーンの一件で、ムピキウムの警戒は史上最高レベルなっています!君が近づけば、間違いなく母親こそが『人質』として利用されてしまいます!」


「ならどうしろというのだ!?」

 ネプトは拳でコックピットを叩いた。

「見殺しにしろと!? ザーンを…彼を殺したのは母を守るためだ!その母を今になって!?」

 激しい怒りと自責がネプトの声を歪ませた。ザーンの青い血が視界にちらつく。


「違います!」

 カイの声が強く響いた。

「守るためにこそ、地上へ行けと言っているんです!」


「地上…?」

 ネプトの目が疑いに曇る。

「母の病は深海適応症候群だぞ?地上に行けば症状は悪化するだけだ!何を言っている!?」

 スクリーンが切り替わる。複雑な遺伝子螺旋図と、ヴァルカリアンの青い鱗を持つ細胞の顕微鏡画像が映し出された。カイの説明は冷静で、重みがあった。


「聞いてくだい、ネプト君。あなたの母の病状の根本原因は、単なる環境不適合ではない。彼女の体内で、ヴァルカリアンの遺伝子治療『アクア・アドプテーション』が拒絶反応を起こしているのです」


「…拒絶反応?」


「そう。ヴァルカリアンが隔離区の人間に施した『適応措置』と称する遺伝子操作…あれは、深海環境への適応を促す一方で、特定のタンパク質の生成を不可逆的に阻害する副作用があります。特に、地上由来のある植物から抽出される『ソラリウムE3』という酵素の合成を妨げる」


 図が拡大され、欠損した分子構造が赤くハイライトされる。


「この酵素こそが、深海高圧下での肺胞の異常な水分吸収を防ぐ天然のバリアとなります。君の母親の肺が水浸しになるのは、この酵素が欠如しているからで…そしてこの酵素を安定供給できる環境は、今の地球で唯一、地上の保護区『キャノピー・グロウ』だけなのです。」


「…!」

 ネプトは息を呑んだ。カイの言葉が、冷たい水のように頭から流れ落ちる。


「ムピキウムやオーシャノアでは、この酵素は大気組成と重力の関係で安定生成できない。ヴァルカリアンはその事実を隠蔽し、代わりに依存性の高い対症療法の薬剤を隔離区に供給している。これが『管理』の手段の実態です。」

 カイの口調に怒りがにじむ。


「君の父、レオンはその真相を突き止めていた。だからこそ彼はソラリスの過激思想から距離を置き、この酵素を精製する地上施設へのルート確保に命を賭けた…!それが彼の『反逆』の真の理由だ!」

 ネプトは崩れ落ちるように座席に沈んだ。父が残したプラスチックの飛行機が、コントロールパネルに埋め込まれたまま微かに揺れている。父は…母を救う道を探していたのか? ソラリスの理想ではなく、目の前の家族のために?

「…地上に行き、それを手に入れれば母は治るのか?」

 ネプトの声は怒りが消え、代わりに深い疲労と切なさが滲んでいた。


「保証はできない」

 カイは率直に言った。

「が、可能性があるのは地上だけです。ここにいては、ヴァルカリアンの管理下で症状を抑えられるだけ…いや、ザーンの一件で、君の母親への『治療』は最早人質としての価値を維持するための最低限の措置にしかならないでしょう」


 カイのスクリーンが再び切り替わり、キャノピー・グロウの映像が映る。緑の木々が育ち、土の匂いさえ伝わってきそうな光景だった。それは、スカイ・ミラーに映る無機質な星空とは全く異なる「空」の下だった。


「ここへ行けばソラリウムE3を手にできるでしょう」

 カイの指が地表を指す。

「ここには、君の父が命をかけて繋いだ同志もいます。ソラリウムE3を精製する施設も、隠されている。見つけられるかは運次第ということになります」


 ネプトはモニターの緑豊かな光景を見つめ、そして自分の手のひらを見た。ザーンの血はもう見えない。だが、その重みは消えない。


「母さん…ごめんなさい。もっと早く…父の意志に気づくべきだった」

 彼は深く息を吸い込み、操縦桿を握り直した。震えは止まっていた。


「…ガーディアン・ユニットP、航路を変更する」

 ネプトの声は静かだが、決意に満ちていた。

「地上拠点『キャノピー・グロウ』へ再発進します!!」


「了解です。」

 カイの声にも安堵が混じる。

「アルケの輸血も終わりました。彼女も同行させます。」


 ペリカンユニットのスラスターが深紅に輝き、機体はゆっくりと方向を変えた。進路の先は、頭上遥か――暗い海面を突き破り、未知なる地上へと続く上昇路だった。父が遺した飛行機オブジェは、そのコースを指し示すように微かに光って見えた。


「行けるか、アルケ。」

「ええ、私も準備はできている」


「ネプト・アンビション、アルケと共にガーディアン・ペリカンユニット装備で発進します!!」

 水の中は静かに誰かの血を混ぜたまま流れる。


 ペリカンユニットを装備したガーディアンは、暗黒の水底から光へ向かって上昇していた。深度計の数字が刻一刻と減少するにつれ、機体の外殻が軋む音は高く鋭くなっていった。神経接続ケーブルから流れる過負荷の警告がネプトの視界を歪ませる。ザーンを貫いた剣の感触が、操縦桿を握る掌に蘇る。


「深度800メートル。減圧シーケンス開始」

 アルケの声がわずかに震えていた。彼女は輸血後の虚脱感と戦いながら、生命維持システムを監視している。

「…大丈夫か?」

 ネプトが問うと、

「心配するより前を」

 とアルケはモニターを指さした。

「連合の境界監視網(シーフェンス)が起動している」

 スクリーンに無数の青い光点が浮かび上がる。ヴァルカリアン正規軍の自動哨戒ドローン群だ。深度600メートル地点に張られた生体電流ネットが、侵入者を感知すると蜘蛛の巣のように収縮を始めた。


「強行突破だ」

 断層を抜けるネプトは即座に決断した。


[警告:左腕機能停止]

[背部装甲損傷率82%]

 

 警報の断末魔がコックピットを歪ませる。深度計は600mを示し、下降する水圧で外殻が呻く。ネプトの視界は神経接続の過負荷で歪み、虹色のノイズが踊る。スクリーン一面に無数の青い光点が蜘蛛の巣状に収縮する──ヴァルカリアン正規軍の自動哨戒ドローン群「シーフェンス」だ。生体電流ネットが獲物を感知し、光点は瞬く間に密集した殺意の壁へと変貌した。


「アルケ!左腕の残存油圧、全量バラストタンクへ注入!」ネプトの声は渇いていたが震えていない。

「了解!でもこれで姿勢制御は──」

「いいから!」

 

 ガーディアンの損傷した左肩部から油圧オイルが黒い煙幕のように噴出。深海の闇に濃密な墨の雲が炸裂する。同時にネプトは操縦桿を思い切り右に倒し、ペリカンユニットの背部スラスターを逆噴射。機体は急減速し、ほぼ停止した。


「動きを止めた!?自殺行為だ!」

 アルケが叫ぶ。


 その刹那、先陣のドローン群が煙幕に突入。生体電流センサーが油煙に惑わされ、青い光点が乱舞する。彼らは動く標的に反応するようプログラムされていた。静止したガーディアンは、網の目をすり抜ける塵となった。


「今だ!全速前進!」

 ペリカンのメインスラスターが深紅の炎を噴く。機体が重い水の壁を押し分け突進する。神経接続率は危険域の138%に達し、ネプトの頭蓋に釘を打ち込まれるような痛みが走る。視界がさらに歪む──代わりに水流の圧力変化が数式として脳裏に浮かぶ。ドローンの動きを予測する軌跡計算だ。


「右から三機、クロスファイア!」

 アルケが警告する。

「分かっている!」

 ネプトは操縦桿を微速で前後に揺らす。ガーディアンが奇妙な小刻みなジグザグ運動を開始。ドローンが放つ生体電流ビームが、機体の数メートル後方の水を沸騰させる。


[被弾予測軌道 計算完了]

 仮想ディスプレイに無数の赤い線が走る。ネプトはその中で唯一の「隙間」を見つけた。海底から突き出た熱水噴出孔の列──煙突の森だ。


「アルケ!医療レーザー出力最大!噴出孔の基部を狙え!もう一度やってやる」

「何を──!?」

 疑問はあれど、アルケの指は即座にキーを叩いた。ペリカン右腕の患部焼灼用レーザーが発射される。細い赤い光線が熱水噴出孔の根元を掠める。


ズドォオォンッ!!


 地盤が揺れる。レーザーの熱刺激で噴出孔の活動が暴走、沸騰する熱水とガスの大噴流がドローン群を飲み込んだ。生体電流ネットが熱擾乱で乱れ、青い光点の網が一瞬痙攣する。


「突破口!」

 ネプトが歯を食いしばる。


 ガーディアンは噴煙の中へ突入。視界は真っ白な湯気に遮られる。モニターはノイズまみれだ。ここではセンサーよりネプトの拡張された感覚が頼りだった。機体の外殻が高温で軋む音、水流の微妙な圧力変化、それらが目となる。


「深度400m!減圧シーケンス最終段階!」

 アルケの声が緊張で鋭い。

「外殻の歪み限界を超えてる!」

「黙って数えてくれ!」

 ネプトの額から冷や汗が操縦桿に滴る。


 白い熱煙のカーテンを抜けた瞬間、待ち構えていた第二波のドローン群が放つ生体電流ビームの豪雨が襲いかかる。回避不可能──ネプトは直感で操縦桿を押し込み、ガーディアンを急降下させる。ビームが頭上を掠め、代わりに機体の背部装甲が水圧に押し潰される鈍い音が響いた。


[警告:背部装甲損傷率97%]

[コックピット隔壁 圧力異常]


「くっ…!」

 アルケの頭が座席に叩きつけられる。


 ネプトは視界の歪みを利用した。虹色のノイズの中に、ドローン群の生体電流ネットの「節点」──指揮系統を司る大型制御ドローンが浮かび上がる。ペリカンのコアを限界まで駆動させる。神経接続ケーブルが過熱し、肉焼ける臭いがコックピットに充満する。


「アルケ!最後の医療用ナノパッチ!外殻の亀裂に貼ってくれ!」

「そんなことしたら──!」

「やれ!」


 アルケが緊急ハッチを開け、命綱で機体に縋りながら、ペリカンの背中に輝く医療用接着パッチを叩きつける。ナノマシンが瞬時に亀裂を塞ぐが、それは一時的な止血のようなものに過ぎない。

 その隙にネプトは動いた。ペリカンの残存した右腕で、海底の沈没船の残骸を掴み、巨大な鉄の塊を制御ドローン目掛けて投擲する。

 ドローン群が反応、ビームを残骸に集中させる。その0.5秒の隙。

「行くぞ…!」

 ガーディアンは自らも残骸の影に潜み、ビームの集中と同時にスラスター全開! 投げた残骸を「盾」にしつつ、その真後ろに密着して突進する。制御ドローンが眼前に迫る──!


「これで終わりだ!」

 ネプトの叫びと共にペリカンの右腕が医療用高周波メスを展開し、制御ドローンの生体センサー群を無惨に掻き切った!

 青い光点の網が一瞬で消滅。残存ドローンは統制を失い、互いに衝突し火花を散らす。

「突破…!」 

 アルケの声は安堵と疲労で震えていた。


 頭上には、深い藍色から薄い群青色へと変わりゆく水の光が差し始めていた。深度300m。ガーディアンの外殻は限界を超えた減圧で無数の歪みを生じ、ペリカンユニットからはオイルと冷媒液が細い糸を引いていた。しかし、機体はなおも光を目指し、血と油と深海の闇を混ぜた航跡を残して上昇を続ける。ネプトの掌には、操縦桿の握りしめた感触と、消えぬザーンの血の重みが、同時に刻まれていた。


「…っ!?」

 ネプトの視界に、海底断層の詳細な3Dマップが重なり、所々に「×」印が点滅する。父が密かに記録した危険区域だった。

「こんなものが…!」

 アルケが息を飲む。

「あの人は…いや父さんか…この脱出路を既に用意していたのか」


 コックピットの隅で、アルケが微かに身震いした。深度200m──減圧による水の青さが、彼女の顔に柔らかな陰影を落としている。ネプトがバックアップシステムのチェックを終え、振り返った時、彼女は無防備にも気を失っていた。軍用規格の神経接続痕が首筋で微かに光る。その傷跡は、ネプトが修理したプラグよりも深く、複雑に枝分かれしている。

 ヴァルカリアン軍の養成課程でしか使われない「第2世代直結型プラグ」の痕


 ネプトの指が、コントロールパネルに埋めた父の飛行機オブジェに触れた。アルケの吐息が浅い。輸血の影響か、それとも──


「私の母はヒトだった」

 アルケは意識を取り戻したかと思えば目は閉じたまま、唇だけが動かした。


 ネプトは黙った。スクリーンに映る深度計の数字が、ゆっくりと190mへと変わる。


 アルケの声は、深海の水のように冷たく澄んでいる。

 「ヴァルカリアン軍情報部の諜報員…任務で地上に潜入し、父と出会った」

 彼女の指が、首の傷跡を撫でる。その動きは、忌々しい記憶を押さえつけるようだった。


「生まれは『希望』だった。混血児として、軍の広報塔に祭り上げられた」口元が歪む。「…でも『希望』なんて、所詮は実験材料に過ぎなかった」


 深度180m。機体の外殻が軋む音が鋭くなる。


「軍は私の身体を調べた。ヒトの遺伝子がヴァルカリアンの深海適応能力を阻害する『欠陥』を探すために」

 アルケのまつげが微かに震えた。

「15歳の時、純血派の上層部がクーデターを起こした。『混血は穢れ』と…」

 彼女はゆっくりと目を開けた。深海の光が、彼女の瞳の縦長の瞳孔を青く染める。


「追放されただけならまだしも…」

 アルケの手が左肩を押さえる。戦闘服の下に、くっきりとした三本爪の傷痕がある。ザーンのマークと同じだ。

「軍の『資産』である私の身体から、軍用プラグを『回収』しようとした連中がいた」

 ネプトの息が止まった。剥ぎ取られたプラグの痕──あの複雑な傷跡の意味を、ようやく理解した。


「その時助けてくれたのが、ソラリスだった」

 アルケの目がネプトを真っ直ぐに見つめる。

「君が嫌悪する組織に、私は命を救われた」


 コックピット内が重い沈黙に包まれる。深度計は170mを示し、水面の光がモニターを青白く照らす。


「……なぜ…今?」

 ネプトの声は渇いていた。


「ザーンを殺した時、君の声が震えていた」

 アルケの指が、ネプトの操縦桿を握った手の甲にかすかに触れる。

「私も初めて人を殺めた時、同じ震えが止まらなかった…君に、嘘は似合わないよ」

 ネプトは己の掌を見つめた。鉄の味と、青い血の記憶が蘇る。


「ソラリスは過激だ」

 アルケの声に苦みが滲む。

「私も…君の父レオンのように、彼らの思想には賛同できない」

 彼女の目が、ネプトの飛行機オブジェを見た。

「でも、私を人間扱いしない連合にも、混血児を穢れ扱いするヴァルカリアンの中にも、居場所はなかった」


 深度150m。ペリカンのスラスター音が変化する。間もなく水上だ。


「君の母を助けるためなら…」

 アルケの背筋が伸びた。軍人時代の名残が、その姿勢に滲む。

「この命は使って。それが私なりの恩返しだ」


 ネプトは深く息を吸い込んだ。スクリーンに、薄く光る水面が映っている。父の飛行機オブジェが、その光を受けて微かに輝いた。

「一緒に地上へ行こう。母を助けるために」

 ネプトが静かに言った。

「それが僕にとっての恩返しなる」

 アルケはきょとんとする。

「私何もしてないよ?」

「そんなことないさ」

 と、ネプトは落ち着いて呟いた。


 彼は操縦桿を握りしめ、上昇スロットルを押し込んだ。ペリカンが最後の深い水を切り裂き、青い光へと突き進む。アルケの頬を、一粒の水滴が伝った。それが海水か、それとも別のものか──ネプトは敢えて問わなかった。


 深度0メートル。

 ガーディアンが海面を破った瞬間、ネプトは初めて本物の太陽光を浴びた。スカイ・ミラーが映す偽りの星空とは比べ物にならない、肌を灼くような光と熱だった。モニターには荒れ果てた地上の風景が映る──崩れたビル群、錆びた構造物、そして遠くに微かに緑をたたえる「キャノピー・グロウ」保護区。

「…これが、父さんが命をかけて守ろうとしたものか」

 ネプトの目に涙がにじむ。視界の端で、アルケが無言で彼の震える手を握り返した。


「まずい…」

 アルケの顔色が青ざめる。

 「私の体が地上環境に耐えられない。ヴァルカリアンの血が拒絶反応を…」

 彼女の首元のエラ器官が痙攣し始める。カイの警告はここにもあった。ヴァルカリアン混血の弱点だ。


 地平線に軍用VTOLの影が迫る。連合の追跡部隊だ。

「アルケ、しっかりしろ!」

 ネプトはペリカンユニットの医療モジュールを起動する。

「ソラリウムE3は君の体にも必要だ。ここで倒れてはいけない…!」

 機体は瓦礫の街を跳ぶように進んだ。父の航路図は地上でも点滅を続けている。

 その先には──巨大な風車群が回る緑の谷間。そこが「キャノピー・グロウ」だった。


 しかし入り口には、羽耳を煌めかせたアウリアンの監視兵が待ち構えている。彼らは優雅に弓を構え、先端に光る特殊な矢をネプトの機体に向けた。


「侵入者よ。ここは連合管理下私たちの聖域だ」

 アウリアンの声は音楽のように美しく、そして冷たい。

「お前たちの『罪』、天翔人(アウリアン)の裁きを受けるがいい」


 ネプトはコックピットの父の飛行機オブジェを見つめる。


 父さん…あなたはこんな時、どうした? そう心の中で呟いた。


 すると、オブジェの翼が微かに震え、一筋の光がキャノピー・グロウの奥深く──風車の陰に隠れたソラリスの「静かなる太陽の輪」が刻まれた地下ハッチへと指し示した。

 ネプトはアルケのため息のような呼吸を背に、操縦桿を握りしめた。

「…僕たちは“罪”など犯していない。通る!」

 ガーディアンはアウリアンの矢をかわし、緑の園へと突入する。その機体を包むのは、レオンが夢見た本物の太陽の光だった。父の意志は、今、確かに息子の手の中で鼓動している──


「ヒデェ有様だな~あれが海中支部から報告のあったやつか」


「大切なお客様だ、馬鹿な真似はするなよ」


「この大地に誓ってそれはしないね」

 そう言って二人の男はボロボロのガーディアンを見上げた。



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