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おかえり  作者: 常圓坊
11/11

第11話 恵みとの共存、真の「おかえり」

ユイが紀美野町に来て初めての冬が訪れた。畑は静まり返り、土は休眠期に入った。ユイは、ウェブサイトの運営に力を注ぎながら、ミサキと一緒に保存食の仕込みに精を出していた。


ある日、ユイとミサキが、大根と白菜を漬物にする作業をしていると、リナがユイを訪ねてきた。

「ユイさーん!ちょっとお茶しない?」

リナは、ユイが一人でパソコンに向かっていると思っていたのだろう。台所から聞こえる賑やかな声に、驚いた様子だった。


ユイが「どうぞ」とリナを台所に招き入れると、リナは目を丸くした。

台所には、大根の清々しい香りと、白菜の甘い匂いが満ちていた。ミサキは、ユイと並んで、手際よく大根を切り、塩を振っている。ユイも、その手つきはもうすっかり板についていた。


「すごい!こんなにたくさん、どうするんですか?」

リナが尋ねると、ミサキは笑った。

「冬の間のごちそうや。それに、こうして漬けておくことで、野菜の氣が凝縮されて、体にもええんや」

ユイも頷きながら言った。

「全部、お母さんと畑で育てた大根と白菜なんだよ。なんかね、漬物一つ作るのにも、すごく手間がかかるんだって、初めて知った」


リナは、二人の作業をじっと見ていた。都会では、スーパーでパック詰めされた漬物を買うのが当たり前だった。手間も、時間もかからず、何も考えずに口にしていた。しかし、目の前にあるのは、二人の手で、丁寧に、時間をかけて作られている「食」の営みだった。


「私、初めて見たかも。こうして、日常をこんなに丁寧に暮らしている人」

リナの言葉に、ユイとミサキは顔を見合わせて微笑んだ。

リナは、ユイのウェブサイトで、この町の「智慧」について知っていた。しかし、こうして実際に目の当たりにすると、その重みが全く違った。

「ユイさん、本当にこの町に来てよかったね。私、すごく感動しました」

リナは、心からそう言った。


ユイは、リナの言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。ユイがミサキから教わった「当たり前の奇跡」は、自分だけのものではなかった。それは、都会で疲れた心を持つリナにも、確かに響くものだったのだ。


リナが淹れたてのエキナセアティーをゆっくりと飲んでいると、ミサキは台所で、自家製の味噌を使って味噌玉を作っていた。


「お母さん、それ何ですか?」

リナが尋ねると、ミサキは味噌に刻んだネギや乾燥ワカメを混ぜたものを、ラップで小分けにしているのを見せてくれた。

「味噌玉や。お湯注ぐだけで、すぐに味噌汁できるから便利なんや」

ミサキは、それを一つリナに手渡した。

「リナちゃんは、うちの子と同じで、よう頑張っとる。こういうもんがあるとな、ちゃんと温かいもん食べられるからな」


リナは、ミサキのさりげない優しさに、胸が熱くなった。


「そういえば、さっき、お母さんが『腸と脳は繋がっとる』って言ってましたけど、どういうことなんですか?」

リナがミサキに尋ねた。都会でも「腸活」という言葉は流行っていたが、ミサキの言葉は、それとは全く違う深みがあった。


ミサキは、味噌玉を作る手を止め、ユイとリナを交互に見た。

「人間はな、ストレスを感じると、一番最初に影響が出るんが、胃腸なんや。不安な気持ちになると、胃がキリキリしたり、お腹が痛くなったりするやろ?それはな、腸と脳が、お互いに信号を出し合っとるからなんや。脳が『しんどい』と感じたら、腸も『しんどい』と感じる。逆もまた然りや」

ユイは、都会でストレスが溜まると、食欲がなくなったり、胃がもたれたりしていたことを思い出した。


「都会では、頭で考えることばっかりで、体と向き合う時間がなかった。だから、脳がしんどいのに、腸も無理して働き続けとったんや。そうすると、体はどんどん疲れて、氣も塞いでしまう」

ミサキは、ユイが来たばかりの頃の、むくんだ顔と覇気のない目を思い出した。

「ユイがここに来て、土に触れて、体を動かして、温かいもん食べて、よう眠るようになったら、腸が元気になった。そしたら、脳も『大丈夫や』って安心する。そうやって、腸が元気になると、心も元気になるんや」


ミサキは、味噌玉を丁寧にラップで包みながら続けた。

「だからな、食は命の源や。何を食べるか、どう食べるか。それが、あんたらの心と体を作っとるんやで」


ユイとリナは、その言葉に深く頷いた。ミサキの智慧は、単なる料理の知識ではなく、人間が自然とどう向き合い、どう生きるべきかという、根本的な哲学だったのだ。


リナは、この町に移住してきてから、都会では感じることのなかった充実感を日々感じていた。それは、ユイとミサキの暮らしに触れ、この町の「智慧」を学ぶことで、より確かなものになっていた。


「私、ユイさんと一緒に、この町の魅力をもっと伝えたい」

リナは、ユイにウェブサイトの今後の展望を熱く語った。

「私たちの世代が、この町の智慧をウェブで発信することで、都会で疲れている人たちの心に、きっと届くと思う」


ユイも、その思いに深く共感した。

都会を離れて初めて気づいた、当たり前の日常に隠された豊かさ。それを、かつての自分のように苦しんでいる人たちに伝えたい。それは、ユイがこの町で見つけた、新しい「生きる」目標だった。


ユイが紀美野町に来てから初めての冬。

ユイは、リナと共に運営するウェブサイト『紀美野の智慧』の記事を書いていた。キーボードを打つ指先は、もう都会にいた頃のように震えることはない。窓の外では、雪がちらつき始めている。

ユイの体は、この町の氣にすっかり馴染んでいた。土を耕し、太陽を浴び、新鮮な空気を吸い込む。ミサキの作る薬膳料理で、体の氣の巡りは良くなり、自律神経も安定した。都会では常に感じていた、心臓のざわつきも、漠然とした不安も、もうユイの中には存在しなかった。


ユイは、ふとパソコンから顔を上げた。


都会での人生は、常に誰かと競い合い、何かを「奪い合う」ことだった。仕事の成果、SNSの「いいね」、満たされない承認欲求。しかし、この町での生活は、その真逆だった。


ミサキは、ユイに「分かち合う」ことを教えてくれた。

狸やアライグマと、畑の恵みを分かち合う。

和尚さんは、ユイに「受け流す」ことを教えてくれた。

いらない氣は受け止めず、穏やかに流す。

そして、この町の土は、命を「育む」ことを教えてくれた。


ユイは、この町で、自分が本当に「生きたい」と心から思えるようになった。それは、誰かに認められるためでも、誰かと競うためでもない。この町の豊かな自然と、温かい人々と共に、ただ、自分らしく生きていくこと。


「ユイ、お茶できたで」

台所からミサキの声が聞こえる。

ユイは、椅子から立ち上がると、心からの笑顔で答えた。


「ありがとう、お母さん」


ユイは、この紀美野町で、生きるという、かけがえのない目標を見つけたのだ。


「おかえり」

ユイは、心の中で、もう一人の自分にそう呟いた。


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