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恐怖!不協和音が耳を切り裂くハーピィリサイタル

作者: さば缶

 霧の降りしきる魔境の最奥、そこには半ば崩れかかった石造りの円形劇場がひっそりと佇んでいる。

古代の闘技場を思わせるような円形のステージだが、いまやここで行われるのは恐怖の合唱ではなく、とあるハーピィの「地獄のリサイタル」だった。

ハーピィというのは、上半身が人間の若い女性に近く、腕の部分が大きな翼になっている魔獣だ。

それなりに美しい顔立ちをしているが、肉食の鳥のように鋭い爪をもつ足は、ごつごつした岩場を渡り歩くのに適しているらしい。

彼女は自分の姿を誇りに思っているらしく、首から下げた羽飾りがやたらときらびやかなのが特徴だ。


 いつも通りにハーピィは、翼をバサバサと鳴らしながらステージ中央に降り立った。

彼女の名はセレス。

しかし、その姿がなかなかにカッコいいのと裏腹に、歌声だけは信じられないほどの音痴であった。


「今日もみんな集まってる?

誰かいなかったら大変だから、ちゃんと点呼するわよ。」


 セレスはくちばしのように尖った口ではなく、人間のような唇から声を出す。

ただ、その声は高くなったり低くなったり、とにかく不安定なメロディを刻む。

周囲で集められた魔獣たちは、どこか逃げ腰になりながらも視線をそらせない。


「いるよ、いる。

だから早く始めてくれないかな。

ここで長引くと、ちょっと頭が痛くなりそうで……。」


 そう答えたのは蛇の下半身をもつナーガだった。

冷ややかな目つきだが、セレスに逆らう気力はないらしい。


「ふん、それにしても寒い場所ね。

まったく、こんな霧ばかりのところに呼び出されるなんて。

ちょっと肌が乾燥しちゃうわ。

セレスはもうちょっと場所を選んでほしいんだけど。」


 艶やかな笑みを浮かべてぼやくのは、サキュバスのヴァニラ。

彼女はコウモリのような翼を背に持ち、誘惑的な雰囲気を纏っているが、その視線はあきらかにうんざりしていた。


「なんか、その、みんなやる気なさそうだね。

いや、セレスのために来てるんだけどさ……。

耳を塞いでもどうにもならなくて。」


 巨大な爬虫類の姿をしているエキドナが、ぼそぼそと口を開いた。

普段は気味悪いぐらい低い唸り声しかあげないのに、ここでは弱々しい調子だ。


「この声量だけは……本当に破壊的だものね。」


 横でひそひそと話しているのは、リリスと呼ばれる魔獣。

どこか女王のような風格を漂わせつつも、今は眉間にしわを寄せている。


「ええ、でもセレスを怒らせると面倒だし。

あの子、すぐヒステリックになるじゃない。

もう前に断ろうとした子なんて、大騒ぎされて大変だったらしいわよ。

しかも泣きながら暴れて、あの鋭い爪で会場の天井ごと引き裂いちゃったって……。」


 リリスの言葉に、まわりの魔獣たちはこぞって頷いた。

セレスはひとたび気分を損ねると、つんざくような鳴き声で抗議し、翼を振り回して猛威を振るう。

これにはナーガもサキュバスもエキドナも、誰も逆らえない。

地獄の音痴リサイタルを回避するより、暴走したハーピィをなだめる方が何倍も恐ろしいからだ。


「よし、みんなちゃんといるわね。

じゃあ、恒例のリサイタルを始めるわよ。

今回は新曲も用意したんだから、しっかり聴きなさいよ!」


 セレスは大きく翼を広げ、誇らしげに胸を張る。

その動作だけ見れば、確かに優雅で、美しさすら感じさせる。

だが、始まった瞬間にすべてが台無しになるのは、ここにいる誰もが知っていた。


「それじゃあ……。聴いて、私の歌を――!」


 弾けるような声が響くと同時に、まるで調子はずれな金切り音が場内を支配する。

メロディどころか、音階の概念すらどこかに飛んでいったようなその歌声は、聞き手にとって苦痛以外の何物でもない。

ナーガは青い顔をして、しっぽで床をバタバタ叩き始めた。

サキュバスは一瞬、中空に逃げようかと思ったが、セレスの視線を感じて怯んだ。

エキドナはひたすら自分の耳を手で押さえ、リリスは薄目を開けつつ耐えている。


「いい感じでしょ?まだ続くわよ!」


 セレスは気持ちよさそうに歌う。

本人はまるで自分の歌が絶世の芸術だと信じているかのようだ。

しかし、周囲には地獄が広がっている。

さながらドラえもんの世界のジャイアンリサイタルよろしく、誰もが真剣に逃げ道を探していた。


 奥の方でひっそりとふるえているのは、ラミアだ。

彼女はナーガに似ているが、体の表面が虹色がかった鱗で覆われ、細長い尻尾をくねらせている。

そのラミアの隣にはケルベロスがいて、三つの頭が同時に「うぐぐ……」とうめき声をあげていた。


「ここまで強烈だと、むしろ寝落ちしそうな気もするわね……。

ああ……、でも眠れない。

声が脳を直撃してくる感じ……。」


 サキュバスのヴァニラは、苦笑すら浮かべる余裕がないらしく、呆れたようにぼそっとつぶやく。

その言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、セレスはまた新たな曲を始める。

やたらと伸ばす高音部分が耳に刺さり、弱った魔獣たちの体力を削り取っていく。


「ねえ、こんなにたくさんの魔獣が集まるなんて、私ってすごいわよね。

そう思わない?」


 セレスは歌の合間にそう言い放ち、誇らしげな笑みを見せる。

困り果てたナーガは、蛇の目を細めてそっと返事をする。


「もちろん、セレスは特別だよ。

これだけのメンバーを定期的に集められるなんて、なかなかできることじゃないし……。

ほら、みんな全員がちゃんと来てるんだもの。

すごいよ、ほんとに……。」


 その声は震えていたが、セレスは満足そうに頷く。

すると、さらに勢いづいたのか、彼女は腕……というより翼を目一杯広げて、また一節歌い始めた。

奇怪なビブラートが空間を揺らし、エキドナはひっくり返る。

リリスは耐えかねて小さく叫び声をあげる。


「お願いだから少し休憩を……。

ね、セレス……。

このままだと、みんな倒れちゃうよ。」


 そう懇願するのは、ミノタウロスのローランだ。

巨大な牛頭と屈強な体躯を誇る彼でさえ、この音痴の攻撃には立っているのが精一杯らしい。

ローランは大きな斧を置いて耳を塞ぎ、必死に声を振り払おうとする。


「ふん、まだまだ。

今日は気合い入ってるんだから、もう二曲くらいは歌うわよ。」


 セレスが目を輝かせると、周囲の魔獣たちから小さなため息が漏れる。

そもそもリサイタルを断ることすら叶わない。

勇敢にも欠席を試みたオルトロスが、前回のリサイタルをサボったとき、セレスの怒りを買って危うく鳥の爪で刻まれそうになった。

あまりにも怖ろしい経験談が知れ渡った結果、誰も欠席しようとは思わなくなったのだ。


「……セレスのご機嫌をそこねるのは、さすがに嫌だな。

たまには普通の歌声が聴きたいものだけど……。

彼女にそれを伝えた瞬間、私たちは命の保証がなくなるわね。」


 リリスが息を吐き出すように言い、サキュバスのヴァニラもこくこくと頷く。

みな諦め顔だが、少しでも気を紛らせようとこっそり耳栓を用意している者もいる。

ところが、セレスはその辺の感覚がやたらに鋭い。

耳栓など見つかったら最後、怒りの翼の乱舞で容赦なく粉々にされる。


「じゃあ、次は超ロングバージョンでいくわね。

わたしの熱い思い、全部届けるから!」


 セレスは高らかに宣言し、限界を超える声量で歌い始める。

音程はずれまくり、歌詞も途中でおかしくなるが、本人は至福の表情だ。

こうなっては誰も止められない。


 絶望に打ちひしがれながらも、魔獣たちはセレスのヒステリックな大暴走を恐れて、じっと耐え続ける。

この地獄のようなリサイタルがいつまで続くのか、はたまたいつか救いの日がやってくるのか。

みなが遠い目をしていると、突然、大きな地鳴りが響いた。


「な、なに?地震?」


 ナーガがあわてて床に這いつくばる。

すると、石造りの舞台の下から古の呪われし魔王が蘇ったかのように、黒い瘴気が吹き上がった。

地面が裂け、そこからドゥルガスという巨大な悪魔が姿を現した。

三つ首の龍に似た体を持ち、その咆哮は雷のよう。

あまりの禍々しさに、さしもの魔獣たちも息を飲む。


「なんなのよ、こんなときに。

って、うわあ、まずいじゃない。

あれ、ドゥルガスよ!

世界を滅ぼす力を秘めているって言われてるやつ!」


 サキュバスのヴァニラが叫ぶ。

リリスも目を見開き、すぐさま攻撃態勢を取ろうとするが、そのドゥルガスの恐怖のオーラは半端ではない。

魔力が渦巻き、観客席の石柱が次々と崩れ落ちる。


「みんなで力を合わせなきゃ。

こんなところで……。

って、セレスは?

セレス、一緒に戦って!」


 ナーガが振り返ったとき、セレスはちょうど絶頂の音程はずれ高音を放っていた。

その凄まじいノイズがドゥルガスの頭上に炸裂する。

すると、まさかのことに、ドゥルガスが悲鳴をあげてのたうち回った。


「ぐおおおっ!な、なんだこの耳障りな音は……!」


 その反応に、魔獣たちは思わず硬直する。

しかし、見れば見るほどドゥルガスは苦悶の表情を浮かべている。

あの最強の悪魔が、セレスの音痴攻撃でまさかのダメージを負っているようだった。


「これってもしかして……。

セレスの歌が、魔王ですら耐えられないほど強烈ってこと?」


 サキュバスのヴァニラが、信じられないといった面持ちで呟く。

確かにセレスの歌声は、単なる音痴の域をはるかに超越している。

人や魔獣が精神的に参るレベルを超え、どうやら魔王クラスの存在にも直接効くようだ。


「ちょ、ちょっと……。あの子、一体何者なのよ……。」


 リリスが顔を強張らせるが、セレス本人は状況がさっぱりわからないらしい。

いまだにノリノリで歌い続けている。

ドゥルガスは頭を抱え、どうにか空中へ逃げようとするが、その耳障りな振動に動きを乱されて墜落してしまう。


「う、うわあ……。

意外なところでヒーローになっちゃった?

でも本人は全然気づいてなさそうだけど……。」


 ナーガが呆けた顔でセレスを見つめる。

周囲の魔獣たちも、思わず唖然として立ち尽くす。

まさかの展開に声も出ない。


「やったわ、あの魔王が逃げていく。

す、すごい……。

これで世界の滅亡が防がれたのかも……。」


 サキュバスのヴァニラが震える声で言い、リリスもうなずく。

ドゥルガスは足元の亀裂から大きく飛び退き、そのまま瘴気を巻き込んで地下へ逃げ去った。

最後に聞こえたのは、耳を抑えての叫び声だった。


「……え、何?

どうしたの?

もしかして私の歌、すごく気に入ってもらえた?」


 セレスは何も知らずに羽根をぱたぱたさせている。

明らかに魔王が逃げ出したことにすら気づいていないようだ。


「ええ、まあ……。

ある意味、ものすごく効果的だったわ。

……セレス、あなたこそ最強の歌姫ね。」


 リリスが微妙な笑みを浮かべたままそう言うと、他の魔獣たちも気まずそうに頷いた。

どうやらセレスの音痴ぶりは、魔王すら退ける絶大な破壊力を秘めていたのだ。

誰もが想像だにしなかった結末だが、結果的に世界は救われたらしい。


 その夜、魔境の円形劇場は再びいつも通りの静けさを取り戻した。

しかし、散々な時間を強いられた魔獣たちは、疲れ果てて動けない。

みんながぐったりしている中、セレスだけは上機嫌にステージ上を飛び回っていた。


「今日はいいリサイタルができた気がする!

絶対にまたやるから、楽しみにしててね!」


 その言葉に、魔獣たちは震え上がった。

誰も逃げることは許されない。

だが、一方でこの破壊的な歌声がいざというとき、世界を救う力になるのかもしれないと考えると、複雑な気持ちに襲われる。


 だが、それでもやはり、次のリサイタルは地獄以外のなにものでもないだろう。

そう覚悟を決めつつ、ナーガはそっとつぶやく。


「……ま、まさかこの歌声が、災いを退ける最終兵器になるとはね……。

なんだかいろいろと報われない気がするけど……。

まあ、世界が滅びるよりはいいのかな……。」


 そして翌朝、まだ霧の残る劇場の一角で、こっそりリハーサルを始めるセレスの姿があった。


 こうして今日も、ハーピィのセレスは高らかに歌い続ける。

そのかん高い声は、相変わらず狂気のメロディを刻んでいる。

その姿はいつも楽しそうで、ほとんど無敵に見える。

もっとも、周囲の魔獣たちは、地獄のリサイタルに泣かされながら、生きた心地のしない時間を過ごすことになるのだが。

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