穴穂の御子、木梨軽王子を殺して皇となる。しかし……
穴穂の御子は、木梨軽王子を殺して皇位についた。
木梨軽王子は同母の妹である軽大郎女と通じた。それが発覚したため、皇太子であった木梨軽王子は非難され、臣下の家に逃げ込んだ。そこで、この王子が兵を挙げようとしたところを反対に穴穂の王子が兵で取り囲んだのである。
木梨軽王子は、ここで死んだとも、流刑にされた先で妹と共に死んだともされる。
ともかく、穴穂の王子が武力を用い、なおかつ社会的に兄を殺したことは間違いない。
穴穂天皇は弟大長谷の王子のための縁談を考えていた。臣下の一人、根の臣を大日下の王のところへ遣わせてこう伝えた。
「あなたの妹の若日下の王を我が弟の大長谷の王の妃にしたい」
それを伝え聞いた大日下の王は喜んだ。
「是非とも、我が妹を娶ってもらおう。こんなこともあろうかと、我が妹を嫁に出さずに手元に置いておいたのだ。そうだ。これを皇に届けてくれ」
そう言って、大日下の王は美しい珠を連ねた首飾りを根の臣に持たせた。
根の臣はその珠の首飾りを己の懐に仕舞った。そして、穴穂皇の元に帰ってこう述べた。
「大日下の王は大変なお怒りです。あんな奴にやるくらいなら、自分の一族出身で我が元に仕えている男の元にやる、と刀を手に握りしめておられました」
「なんだと!」
穴穂皇はそれを聞いて、怒りを爆発させた。そして、軍勢を率いて大日下の王を攻め立てて、殺してしまった。
「この子の命ばかりはお許しを……」
涙ながらに子の命乞いをするのは、大日下の王の妻、長田の大郎女である。怯えて震え、泣きはらして目元は朱に染まり、乱れてほつれた髪が顔にかかる。平素より美しい女だったが、その様は彼女に新たな色気を添えていた。
「我が妻となれ。さすれば命はとらん」
穴穂皇は長田の大郎女を自分の后としたのだった。
その日は神への祈りを捧げる特別な日だった。祈祷を済ませた皇は后と共に休むことにした。
后は皇の表情に憂いがあるように思えた。
「后よ。何か憂いはあるか?」
皇は反対に后に問うてくる。
「皇にこれほどの厚情を賜っているのです。何を憂えることがありましょう」
后はそのように答える。妻とされた当初は皇のことが本当に恐ろしかった。だが、こうして人並の表情を見せられるとその恐ろしさもそろそろと薄れていく。今では、ごく自然に夫婦としていられるようになっていた。
「私には、いつも思い悩んでいることがあるのだ」
「それは、なんです?」
「連れ子の眉輪の王のことだ」
「あの子のことがどうしましたか」
「……あの子はまだ七歳。今はまだ幼い。だが長じて後、私があの子の実の父を殺した男だと知った時、あの子は何を思うだろうか」
「それは……」
「きっと私を恨みに思う……いや、考えても詮のないこととは思うのだが……」
「皇……」
この時、眉輪の王は外で遊んでいた。そして、皇の后へのつぶやきを聞いてしまっていた。
その晩、眉輪の王は皇の寝室へこっそりと忍び入った。皇が寝ていることをしっかりと確認すると、枕元にあった大剣を取り、それで皇の喉元を刺し貫いた。