ワタル 2(12)
話が一段落したところでワタルの頭の中には、少し前に麻生が言っていた言葉が小さなしこりを形成していた。
麻生が口にした、『自分の仲間が本当に信頼に値するのか否か』という問い。ワタル自身もその問いに対する答えを今一度冷静に考えてみる。そうしてみようとして、かぶりを振った。
何故なら、そんなことはワタルの中では考えるまでもないことだからだ。仲間達と何年もの間助け合いながら生活して生きてきた。仲間になって日の浅い者も、中にはいる。しかしそれでも勿論ワタルは、彼らに多大な信頼を寄せてはいる。万が一裏切られるようなことがあったとしても、そこまで精神的なダメージを負うことはないだろう。仕方がなったとあっさりと諦めがつくかもしれない。裏切った相手を後から幾らでも疑うことだって容易い。そういう奴だったんだなと、自分に言い聞かせることも簡単だろう。
問題は、グループ結成当初からのメンバーだ。彼らとの関係は長年に渡るため、その分彼等に対し信頼もあれば情もある。そう簡単に忘れ去ったり、関係を断ったりすることは出来ない。シンゴの場合のように、その行方をいつまでも捜し続けることだろう。
そして、シュウジ。彼を疑うなど、ワタルは考えてもみなかったことだ。それほどまでに、彼を信頼していた。その信頼がもし、裏切られたとしたら――?
「なぁ、麻生さん。さっき言ってたことだけど」
心なしか疲れたような顔をしているリサと、驚くほど顔を無表情に固めたままの麻生がワタルを見る。
「さっき言ってたことって?」
そう言ったのは麻生ではなくリサの方だった。どちらが聞こうが、この三人しかいない空間では大差はない。結果的には全ての情報を全員が知ることになるのだから。そうとは分かっていても、言葉を発する人間が違うだけで、その言葉の印象そのものが変わってしまう。ワタルは僅かに俯いて、言葉を次いだ。
「俺達の仲間が……信頼に足るのか、って言ってたことだよ。何か根拠があってそう言ったんじゃないのか」
「へぇ、よく分かったな」麻生がにやりと笑った。
「まだ、俺達に言ってないことあるんだろ」
全てを見透かそうとする鋭い目で、ワタルが麻生を見た。その目に感応するかのように。麻生もその細い目を更に細めて鋭くした。
「これが最後通告だ。さっき似たようなことをいってたかもしれんが……本当にこれが最後だ。……覚悟は、いいんだろうな?」
「当たり前だ」間髪入れることなく、ワタルが強い口振りで言い放った。その傍らで、リサが表情を曇らせていることにも気付かずに。しかし一方の麻生は彼女のその表情の変化に気付いていた。
「リサもいいのか? お前も、ワタルと同じグループにいるんだろ。なら、リサにも無関係な話じゃあないぞ。いいのか? リサ」
リサは俯いたまま、麻生の声を受け入れていた。
――聞きたいわけ……ないじゃない。
その思いまでは受け入れることが出来ず、心中では必死にその言葉と思いを拒絶していた。
ワタルの考えとは正反対に、リサの中では未だ覚悟が定まっていはいなかった。シンゴやグループの仲間達に対する思いは、同一であった。けれど、ワタルのその思いが友情に由来するものならば、リサのそれは愛情に由来するといっても過言ではない。リサは、グループの仲間を家族のように思い、愛していた。弟や妹、兄や姉。それらを愛するように、リサはグループを愛していたのだ。
友情は、裏切られればそこで終焉を迎える。しかし、家族に対する愛情は裏切りを被ろうとも、終わることがない。寧ろ、なお一層その思いが深まったとしてもおかしくはない。だからこそ、リサは決断を下すことが出来なかった。
グループの者の中から裏切り者と称するべき者が現れたとしても、それは嫌悪する対象にはならない。勿論、拒絶の対象にもなりえない。それなのに、それを強要されたら、自分はどうすればいいのか。それが分からなかった。
「私は……」
何度も拒絶の言葉を吐き出そうとした。けれど、どうしてもその思いを最後まで言い切ることが出来ない。言葉の変わりに溢れ出そうとする涙を堪えることで精一杯だった。
「もういい。聞きたくないなら、リサだけ少しの間外で待ってろ」
何も言おうとしないリサに痺れを切らしたワタルが冷たい声で言った。余程、焦りを感じていたのだろう。ようやくシンゴとアサカを助けられそうだというのに、リサがなかなか覚悟を決めない矛盾に耐えられなかったのだ。
覚悟を決めないということは、二人を助けたい思いが弱いのだと、すでに覚悟を決めたワタルには思えた。だからこそ、苛立った。
リサの気持ちを気遣う余裕など今の彼にはない。それゆえの発言だった。いつもならば思いを通じ合わせることの容易い二人であるにも関わらず、よりによって、そうすることが出来ないのが、まさに今だった。
「おい、いいのか? まだそんなに遅い時間じゃないし、治安はいいらしいけど、さすがに危ないんじゃないか? 女一人で外に行かせるなんて」
険悪な雰囲気になりつつある二人を見かねて、珍しく麻生が助け舟を出す。
リサは何も言わずにワタルを悲しげな目で睨みつけると、リサは大袈裟に足音をたてて部屋を出て行った。
強い力でドアを閉める音が部屋の中に響き渡った。部屋の中に残された二人の間には、ただ沈黙だけが走る。
「おい、本当に大丈夫なのか? 心配じゃないのかよ」
麻生がそう尋ねると、ワタルは大きく溜め息を吐いた。もううんざりだという言葉がその吐息の中に孕まれているようだった。
「大丈夫だよ。これでもリサだってグループの中ではリーダー格のうちの一人だ。それなりに護身術的な訓練だってしてるから、ある程度のことには対応出来るさ」
ワタルは本当に何も気にしていないようで、何気なく言葉を吐き出していたようだ。リサを気遣うことなど忘れて。そんなワタルとは裏腹に、麻生の第六感は何か不吉なものを感じ取っていた。胸の中では、それがざわざわと音を立てて、それでいて不気味なほど静かに蠢き、這い回っているようだった。
「本当に、何もなければいいんだがな」独り言のように、そう呟いた。
「何だよ、そうやって人の不安を煽るようなことばっか言わないでくれよ」
「別にそんなつもりじゃねぇよ。能天気なお前らを心配して、親切にも警鐘を鳴らしてやってるんだよ」
決して茶化すようにではなく、皮肉でもなく、素直な気持ちと共に言ったように思える言い草だった。本当に気遣っているような、厳しさの中に確かな優しさを秘めた響き。
「でもまぁ……大丈夫だろ。本当に一人で危険を冒しにいく程、リサは馬鹿じゃないよ。ちゃんと自分の身を守る方法は知ってる。そんな心配しなくても大丈夫だって」
そんなワタルの言い分を聞いたところで、麻生の表情は晴れなかった。何か考え事をしているかのように、口元に手をやって顔をしかめたままだ。
――何だよ、麻生さんまで煮え切らない顔して……俺が何かおかしいみたいじゃねえかよ……。
ワタルの苛立ちは徐々に膨らんでいき、その矛先はついに麻生にまで向こうとしていた。はっと、ワタル自身も自分の中で燻る黒い感情に気が付いた。
「じゃあ、さっさと話済ませて、早くリサを呼びに行こうぜ。それならいいだろ?」
だからこそ、ワタルは意識的に声色を明るくしようと努めた。何処となく投げ槍になっているような印象を受けないでもないが、麻生自身もここでワタルといざこざを起こすのは間違いであり、早々に自分の中に残されている情報を彼に伝えてしまうのが得策だと思っていた。ワタルの言葉に素直に従うことにする。
「ああ、そうするか」と独り言のように小さな声でぼそぼそと呟くと、麻生はしばらく足元を見つめていた。何も考えていないようにも見えたが、恐らく、これからワタルに伝えようとしている情報の整理をしているのだろう。もしくは、ワタルに時間を与えるためか。
そして、ゆっくりと顔を上げると、薄い唇を開き声を発した。
「俺がお前に伝えたいのは、シュウジのことだ」