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ワタル 2(11)

「向精神薬ってのは、簡単に言えば柔い興奮剤のようなもんだ。興奮剤を服用すれば、確かに憂鬱な感情を払拭することは出来る。けれど、その分感情の触れ幅が大きくなり、不安定になることも否めない。

 そこでだ。その感情の触れ幅を少なくするための工夫がM135にはなされている」

「それが、服従……忠誠心」一歩先に麻生の言わんとしていることを理解したリサが独り言のように呟く。

「そうだ。憂鬱な気持ちの根拠となりうる、自信の欠如。それをも、その絶対的な忠誠心によってカバーしようってな。

 お前らにもいるだろう。心の支えとなる絶対的な存在が。その人、もしくは物事のためなら、何があっても頑張れる。実際にそうではなくても、そういう心理が人間の中に生じることはある。その人に褒めてもらえれば、もっと頑張れる。自信が湧いてくる。その人が喜んでくれれば、もっと頑張れる。自分はちゃんと出来るんだと分かる。その人の役に立てるなら、何だってする。例え死んでも、その人が喜んでくれるなら。

 恋愛感情なら、それは美しい思想だ。お前らの中にあるのは、恐らくそれだろうな。羨ましいねぇ……。しかし、その感情の対象が組織だとどうだ」

 そのとき、麻生の話に耳を傾けていた二人に、稲妻のような戦慄が走った。脳内に地獄絵図のように恐ろしい想像が繰り広げられる。それを麻生に消し去って欲しいと心の何処かで願いながら、ワタルは答えを口にした。それを口にした途端、それが現実となる可能性を持つということを知らないままに。

「まさか……軍隊とか武装組織の中で利用するとかじゃないだろうな」

 麻生はワタルの言葉を受けて、にやりと卑屈な笑みを浮かべた。自分の想像を楽しんでいるようでいながら、その想像が実現することを恐れているようだった。

「ご名答」麻生は指をパチンと鳴らし、おどけた仕草を以って答えてみせた。

「まぁそういう想像に行き着いても仕方ないし、寧ろそう考えるのは当然ってもんだ。そういう考えの方がしっくりくる。国家が全力を尽くすのにも納得できる。それに、上手く波に乗れるかどうかも分からない博打を打って、経済悪化を防ごうっていうより……よその国に薬を売って金にした方が簡単な上に確実だ。それに、この借金まみれの国がそんな大規模な研究をすることが出来る理由も、他の国からの援助があるからだと考えることも出来る」

 顎に手を当てながら思案するリサの脳裏で、思考の筋が新たな疑問にぶち当たる。全ての謎の答えが明らかになったと思われたにも関わらず。

「でも、おかしくない? こうして、ほんの少しの情報を得ただけで簡単に推測出来るのに、ベースの中にいる人は何も気付かないの?」

 悪魔のような天使が微笑む。玩具にふさわしい面白い人間を見つけた悪魔のように。

「いいとこに目をつけるよな、お前。そういう思考が出来る人間、好きだぜ」

 褒め言葉とも取れる言葉を吐き出した麻生に対し、リサはほんの少し顔を赤らめてぐっと身構えるようにして黙り込んでしまった。その様子を見て麻生は更に愉快だと言わんばかりにくくっと笑った。

「おい、そんなことはどうでもいいんだよ。リサも真に受けてるんじゃねえよ。早く続きを話せ」

 凄むワタルを横目に見ながら、麻生は再びゆっくりと話し始めた。

「勿論、俺もそれは疑問だった。ふと立ち止まって考え直してみれば、誰でも気付きそうなもんなんだよな。だが……普通ならば、なんだよ。その大前提が侵されてる可能性がある。

 一番考えやすいのは、ベースにいる全員がM135を知らず知らずのうちに服用していたということだ。何だかんだ言って、あれはもうほとんど完成していたからな」

「でも、あんたもベースにいたんだろ? だったらどうして今……」

「それについては、いくつかの仮説で説明が出来ないでもない。まず一つ目は、俺が考えているような事実は存在しなかった。つまり、初めからM135の作用なんかじゃなく、全員が何も考えることなくただ献身的に働いていただけということ。二つ目は、M135の効果が見られる期間が限られているということ。もしくは、効果が発動することに何らかの条件があり、それがベースを出たことでなくなったということ。

 まぁ考え出すときりがないんだけどな……。でも、ベースにいた人間がM135を服用していたという可能性を否定するのは寧ろ難しい。

 俺は今こうしてまともな思考が出来ている。NSOの尊厳なんか知ったこっちゃねえよってな具合にな。ま、元々俺の思考はまともじゃなかったのかもしれないが、それはひとまず置いておくとしよう」

 ふう、と大きく一息つき、体勢を変える。微妙な沈黙が三人を包みこむ。その沈黙はじわじわと首を絞められる恐怖に耐えるかのような苦痛を、ワタルとリサの二人に与えた。当の麻生は、死刑執行を告げる者といったところか。

「更に、ベースの情報は絶対に外部に漏出しないよう、完全に管理されていた。情報だけじゃなく、その情報を持つ人間もな。情報が漏れ出す恐れがあれば、容赦はない。俺が今こうして無事でいられるのも不思議なくらいだよ。まぁ、俺が仲良くしていた研究者の奴は、結構な権力者だったからな……俺の情報を改ざんしてもみ消してくれたのかもしれないな」

 そこで麻生は語気を強め、決意に満ちた口振りで言い放った。

「だからこそ、俺は自分の思いをやり遂げたい。アサカや俺の思う人を救い出す、これが最初で最後の機会だ。あの人が俺にチャンスをくれたんだ。そのチャンスを捨てるようなことは絶対にしない」

 麻生の固い意志は、目に見えるようだった。実際にその思いを知れることはなくとも、彼のその時の眼差し、声、仕草、それら全てを観察していれば、容易にその思いを感じることが出来た。

「大丈夫だよ、麻生さん。ちゃんと協力する。絶対、助け出そう」

 今の麻生にとって、これ程までに心強い言葉はなかった。そして意外にもその言葉を放ったのは、ワタルではなく、リサの方だった。その事実に驚いた二人は目を丸くしてリサを見つめた。「リサ……」

 はっと自分の発言を立ち返ったリサは、頬を赤く染めた。自分らしくない発言をしたと、麻生とワタルの二人の視線を以ってしてようやく気付いたのだ。咄嗟に口元を押さえ、余計なことを言わぬようにする。また麻生さんに軽口でからかわれる――。

 耳に届いたのは、柔らかな吐息だった。ふっと、綿毛を飛ばすように吐き出された吐息は、笑い声だった。

「ありがとうな、リサ。心強いよ」

 麻生はそう言って微笑んだ。卑屈さなど微塵も感じさせぬ、柔らかな優しい笑顔で。


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