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ワタル 2(10)

 リサが落ち着いたのを見計らって、麻生が再び語り始める。

「……やっぱり、あるようだな。嫌な記憶みたいだから突っ込まないでおくが。まぁ、そんな地獄みたいな世の中だってことだ。その最たる犠牲者のお前らに言うのも何だと思うけど、事実としてそういう事態が認められてるんだってことを言いたかったんだ。それを勿論のこと、国家としても憂えてるわけだ」

「それと薬の話が、どう繋がるんだ? まさかそれが魔法の薬で、皆を元気にしてあげましょうとか、そんな御伽噺みたいなこと言うんじゃないだろうな」

「残念ながら、そのまさかだよ」

 ワタルが目を見開いて、麻生を見つめる。「まさか、冗談だろ?」

「冗談じゃない。NSOが研究してる新薬は、通称M135。その効能はまだ試作段階だが、徐々に完成に近付いてきてはいる。まぁ俺がベース……ああ、研究施設の通称だ。そこにいたときの、二、三ヵ月前の話だから、今はどうなってるか正直分からん。

 M135には、精神状態を安定させる効能がある。言わば、向精神薬みたいなもんだ。憂鬱な気分や無気力状態を改善させる。従来のそういった薬と違って、強力なものだ。最終的には、一度服用しただけで、その効果が三年は持続するような代物を作ろうとしている」

「そんな……三年も? たかが薬でそれだけの効果が望めるなんて、ありえるの?」

「そのありえないような話を実現させようってんだから、国家が総力をあげて取り組んでるんだよ。一介の企業がそんなことを思い立つはずがない。現に、もう実現しようとしてる。着実に成果をあげてな」

 さっきとは違った意味を持った仕草として、リサは再び口元に手を当てた。いわゆる驚愕を示す仕草として。

「でも、そんな薬を開発して皆に配って、国家政府はどうするつもりなんだ?」

「名目上は経済状況の改善が目下の目標だな」

「何で薬を配ることで経済を?」

 リサが訊くと、麻生は少しだけ肩をすくめた。面倒くさいと言わんばかりの表情ではあったが、文句を言うことなく説明を始めた。

「さっきも言ったが、開発中のM135は人の精神に働きかけるものだ。今、日本の経済状況が悪化してお前らがこんな風に苦しい生活を強いられてるのも、元をたどれば社会の人間の心の問題なんだ。まぁ勿論、本当の元は不況のせいだけどな。

 でも、どんなに不況が続いてたとしても、日本の経済が這い上がっていけるだけの要素は揃えられていたんだ。それを棒に振ったのが、俺達の親の世代だ。その世代の連中は恵まれた環境で何の苦労もせずに育ってきたせいで、努力というものをろくに知らなかった。だから、不況の中に放り込まれた時、労働者層にいる例の世代の人間は諦めたんだよ。不況から努力で這い上がることをな。

 一人、また一人と、あらゆる企業から徐々に人が姿を消していった。でも、会社を辞めたところで生活は楽になるどころか苦しくなる一方だ。メンタルの弱い奴等は、そんな中でどうするか。簡単な問題だ。また諦める。それだけだ」

「諦めるって……」

「ジ・エンドだよ。生きることを諦める……それだけだ」麻生は、声を低くして神妙な面持ちで言う。

「でも、そんな簡単に自殺なんかするのか? いくら苦しいからって……」

「人間が死ぬ時なんて、ワタルが思ってる以上に簡単で単純なものよ。傍から見れば大したことじゃないってことでも、そういう人には大問題なのよ。それこそ、生きるか死ぬかの、ね」

 麻生の肩を持つように、リサが唐突に口を開いた。その口振りは絶望を味わった人間のみが備えている価値観を漂わせているようだった。その目は、ワタルが余り見ることのない色をしていた。暗く、冷たい色。やはり彼女の中にはまだ、その色の原因となるものが消失してはしなかったのだとタルは再確認させられ、不意に悲しくなった。

「リサの言うとおりだ。人間の心理なんて意外と脆いものなんだよ。ていうか、集団真理に近いな。少数派が多数派になるとき、少数派だった奴らは他人が自分に賛同してくれるだけで、自信を得るんだよ。自分はやっぱり間違ってないんだってな。

 ちなみに十年前からの調査によると、自殺は自殺でも、心中が圧倒的に多い。何だかんだ言って、誰しも死ぬことを恐れてたんだ。本当、軟弱な奴らばかりだよな……死ぬなら、一人で死ねばいいのに」

 語尾が震えていた。兄の姿が再び麻生の中に現れ、彼を苦しめた。

 彼の兄もやはり、一人で死ぬのは怖かったのかもしれない。もしかすると、麻生を憎み手をかけた後に自分も死ぬつもりだったのかもしれない。もっとも、一番死ぬことを恐れていたのは、幼い麻生に違いないのだが。

 過去の出来事と、それとも見ず知らずの人間の愚かさを鼻で笑い、麻生は再び話を切り出した。

「それでだ。そんな軟弱な心を薬で補強してやろうって話だよ。そうしたら、諦めて仕事を辞めることもないし、企業も労働者を獲得できて、更に利益を生み出すことが可能になる。社会全体がそういった循環の波に乗ることができれば、言うまでもなく経済状況は改善されるはずだから、薬の開発をしよう! っていうのが政府の表向きの狙いだ」

「表向き? じゃあ、他にも何か狙いがあるの?」

 麻生はそこで渋い顔をした。眉根を寄せ、些かその身を強張らせているようにも見えた。

あの麻生でさえ身を固くするような事実――。何かとんでもないことなのだろうと、その様子から想像することが出来る。ワタルとリサの二人は息を呑んで、麻生が口を開くのを待った。

「これは俺の予想でしかないから、それを念頭に置いて話を聞いて欲しい。

 新薬の研究の中心となっていたのは、個人的に俺と交友を持っていた人だ。彼女は……彼女の父親がしていた薬の研究を引き継いでいた。かれこれ一五年近くも研究されていたらしい。

 彼女は純粋に薬の開発に全てを賭けていた。研究を完成させることが自分の目標であり、存在意義でもあったんだ。正直、その薬がどんな作用をもたらすのかは、研究成果を吟味するためのデータの一つでしかなかったんじゃないかと思う。だから、その人間がどうなってしまうか、なんてことは考えてなかったんだ。幼い頃から研究に携わって育ち、人と触れ合うことが少なかったようだからな……そういう思考回路になってしまうのも、無理はないだろう。だからこそ、彼女は利用されていた」

「利用されていたって? 誰に?」疑問に感じたワタルが即座にそう口にする。

 麻生は溜め息を吐いた。

「だから、これは俺の推測でしかないんだってば。誰に、とか誰が、ってのも俺の推測でしかないし、事実ではないかもしれない。簡単に口に出すことは出来ない」

「現段階でそうなのは仕方ないし、ちゃんと分かってる。でも、麻生さんが何を考えているのか、参考までに私達に教えて」

リサは凛とした瞳で訴えた。感情の触れ幅が大きいものの、冷静さを保っているときの彼女の芯の強さは目を見張るものがある。

――まぁ、ユウコさんとアサカには劣るかもしれないが……。女ってもんはやっぱり侮れないよな。

「分かった。正直なところ、俺が助けたいのは彼女でもある。難しいとは思うがな……。

 それはさておき、誰が何のために薬を開発しているのかという、裏の真実についてだな。何らかの確証があるわけじゃない。断片的に見聞きしたことを繋げて推測したまでだ。それに、俺がベースの中にいた六年間での話だ。

 さっきも言ったように、M135は精神に働きかける薬だ。その詳しい内容については、俺がその研究者から聞いたことによると、M135はそれを服用した者に対し、服従を強いるものだ」

「服従?」

 疑問に満ちた声で、ワタルとリサがそれぞれの声で小さく復唱する。

「そんなものを強要したところで一体何になるの? さっきの話は……」

「さっきの話も事実だ。精神状態を向上させ、活発にさせる。けれど、それだけじゃないその精神状態を活発にさせる根拠は、その『服従』によるものなんだ」

「ちょっと待て。全く理解出来ないんだが……」

 混乱に頭をもたげるワタルが頭を抱えながら訊ねる。その様子を見かねた麻生が、出来る限り分かりやすいよう説明し始める。


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