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ワタル 2(6)

「なぁ、麻生さん。あんたはもしかして、そのラインの向こう側にいたんじゃないか? 俺達が超えられなかったライン。その向こう側にいたならまだしも、あんたがそのラインを引いたって可能性だってある。どっちなんだ? 教えてくれ」

 ふっ、という吐息が柔らかく空気を揺らす。――麻生は笑っていた。その顔はワタルに容赦なく殴られたおかげでぼろぼろだったが、その口元の笑みからは何処か満足感に似たようなものが感じられた。

「なるほどな。よくそこまで情報を集めたもんだ。それだけでも上出来だよ。それに併せて、その勘ときた。まぁ俺が話した内容からでも、十分察しがつく範囲か。でもま、上出来だよ、ほんとに」

 皮肉を言うように笑いながら言う。異様な空気が彼から流れ出ている気がして、ワタルは少し気味が悪くなった。自分が何か危ないことに首を突っ込んでしまっていたんだと、ワタルはその麻生のただならぬ雰囲気から改めて感じ、同時に少し後悔した。

麻生が大きく溜め息をついた。それから、悩みこむように低く唸った。けれど、その口元は相手をからかっているかのように、卑しく歪んでいる。奇妙に。不気味に。

「上手くやってたつもりだったんだけどな」

 麻生が唾を吐き出すように、醜い答えを吐き出した。

 こいつが、シンゴとアサカちゃんを俺達の前から消した、張本人――!

「やっぱり、あんたが……」

 これでもかというくらいの憎しみを、喉から絞り出した声に目一杯こめて呟く。

「ああ、そうだ。俺のいた組織の仕業だ。まぁ一応国家機密だからな。詳しいことは言えない……って、俺もう除名されてるか。どっかでのたれ死んだと思われてるだろうから、俺のことなんて、あいつら以外はもう誰も気にしてないだろうしなぁ。国家機密だろうが、もう関係ないか……」

 途中からは、独り言のようにぼそぼそと呟くように話していた。その声を聞きながら、ワタルは自分の鼓動が大きく高鳴るのを聞いていた。

 シンゴが大なり小なり、何かしらの面倒なことに巻き込まれているのだろうということは、前々から察しがついていた。しかし、この男の話を聞くと何だ? 国家機密が何とか言ったよな? そんな大きなことなのかよ。俺が首を突っ込もうとしてたのは。そりゃ何も見えないわけだ。相手はアマチュアじゃなく、プロなのだから。

 麻生の呟いた言葉の節々が、ワタルの頭をショート寸前にまで追い込む。

 ――ちょっと待ってくれ。

そう麻生に言おうとした時だった。

 ワタルと向かい合う麻生の背後から、リサが駆け寄ってくる姿が見えた。足音で気付いたのか、麻生は顔をしかめて溜め息をついた。面倒な奴だと言わんばかりの顔をしながら、背後に近寄るリサの方に顔を向ける。

リサの表情は、それはもう必死と言うにふさわしいものだった。今にもワタルが死にそうになっている。そう思っているような顔だった。嫌な予感がしたので、ワタルは咄嗟にリサに呼びかけた。

「リサ! 大丈夫だ。心配すんな。今から帰ってこいつともう一回しっかり話し合うから、お前もちょっと参加してくれ」

 ワタルの言葉を聞いたリサの顔から不安が消え、再び怒りの色が現れ始めた。

「何言ってんのよ! 何されるか分かんないよ?」

 少し遠くから、叫ぶようにして彼女は言う。その目には涙が浮かんでいるようで、日の光をキラキラと反射させていた。視線や睫毛が揺れる度、その光もゆらゆらと揺れる。

「大丈夫だって。な、麻生さん。こいつのために約束してくれないか。危ないことは一切しないって」

 ワタルの怒りの熱はすっかり冷め切っていた。リサが姿を見せたことで、その熱は一気に収束した。そうならざるを得ない、とも言える。感情的なリサを傍で支えてやるには、ワタルが冷静さを保たなければならない。この関係は間逆であることがほとんどなのだが、リサがこうなっているときは、ワタルは特に気を遣って冷静でいなければならない。

「はいはい、何もしませんよー」

 追い詰められた強盗のように両手を挙げ、ひらひらと動かす。もううんざりだ。見るからにそう言いたげだ。

 リサはリサで、怪訝な顔で麻生のその顔を見つめている。若い女の子であるにも拘らず、彼女の目は人を怯えさせるには十分な殺気が込められていた。

「頼むよ、リサ。シンゴとアサカちゃんを助けるには、麻生さんの力が必要なんだよ。お前だって二人の無事を望んでるんだろ? 落ち着いてよく考えてみろ。落ち着け、な?」

 興奮するリサをなだめるため、ワタルは何度も落ち着けと繰り返す。リサは戸惑いながら、麻生とワタルの間に視線を泳がせる。小さな黒目が忙しなく動き回る。その瞳が彼女の心をそのまま表していた。瞳の端には涙が溜まっている。

「こんな奴のこと信じられるわけないよ!」

「お前が俺を信じようが信じまいが、俺には関係ない」

 麻生が冷たく言い放つ。その冷たい空気に刺され、リサの動きがピタリと止まった。

「お前は何だかんだ言ってシンゴやアサカを思う以上に、自分の身を思ってるんだよ。だからそうやってうだうだ言うしか出来ないんだよ。お前がそう言ってる間に俺はさっさと行動に移すぞ」

 その言葉を聞いた二人は、それぞれの反応を浮かべた。

 ワタルは麻生が自ら協力してくれるという発言を改めて得たことによって純粋に喜びを感じた。思わず口元に小さな笑みが零れた。一方のリサは更に苛立ちを重ねるだけだった。いつもワタルと行動を共にし、その感情さえも常に彼と共にあった。それにも拘らず、彼は今、自分がどうしても信用に値しない男と協力関係を結ぼうとしている。自分がどうすべきなのか、リサは自分の取るべき指針をすっかり見失ってしまっていた。急に一人きりになってしまったように感じ、寒気がした。

 ――もう、一人になるのは嫌。

 ――見捨てられるのは、嫌……!

「ワタル」

 力ない声で、リサがワタルを呼んだ。その声は震え、これ以上ない悲壮感をまとっていた。

「……私も、シンゴとアサカちゃんを助けたい。ちゃんと協力するから……許して、お願い」

 堪えていた涙がリサの目からとうとう零れ落ちた。その滴を目にしたワタルは、咄嗟にリサに駆け寄った。

「おいおい、いちゃつくならよそでやってくれよなぁ」と、不快感を浮かべながら文句を垂れ流しにする麻生に構うことなく、ワタルはリサを腕の中にすっぽりと収めていた。

「大丈夫だ。何も心配要らないから。俺を信じてくれ」

 若い男女にありがちな過保護な愛情のようにも見受けられるが、このワタルの優しさが言葉通りリサの生きる糧となっていた。彼女もまた、過去の経験によって心の奥底に消すことの出来ない大きな傷を持っているのだ。それを知るのはワタルだけであり、それを支えることが出来るのもまた、彼だけだった。

 第三者でしかない麻生だったが、思い詰めたような二人の表情を見て、何かしらの事情でも抱えているのだろうかとふと考えた。しかしそう思った直後には、自分には関係のないことだとして、二人に背を向けていた。

 ――そして、再びシンゴとアサカのことを思った。今はただ、アサカの無事を祈るばかりだった。


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