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ワタル 2(5)

 外に出て、ワタルの後をついて麻生は歩いていた。前方に見えるワタルの後姿は、肩が落ち込み、悲しさが見えた。しかし足取りには、憤怒が見え隠れしているように思えた。ワタルの足跡を踏むようにして歩くと、彼の怒りが熱を持って、足の裏からじんと伝わってくるように思えた。

 そうして観察していると突然、ワタルが足を止めた。つんのめりながら、麻生もそれに倣って立ち止まった。

 ゴッ、という鈍い音が辺りに響き渡った。

 ぽたりと、生温いぬめり気のある液体が麻生の顔の表面を上から下へと滑っていった。地面に赤い円が滲み、ゆっくりと広がっていく。途端、鼻に激痛が走った。思わず呻き声を上げる。こんな風に顔面を殴られることなど、何年振りだろう。頭の芯がぐらぐらと揺れる中、少し興奮している自分がいることに麻生は気付いた。

「今あんた、死にたいって言ったよな?」

 ワタルは拳を握り締め、武者震いのようにぶるぶると震えていた。右手の拳には赤い花が散っている。その手がぐっと麻生に迫る。胸ぐらを掴まれた。

「ふざけんなよ! お前……シンゴのこと……何だと思ってるんだよ!」

 麻生の胸ぐらに掴みかかるワタルの手が小刻みに震えている。その振動は彼の中にある怒りの波動。麻生を睨み付ける彼の目は身の毛がよだつほど鋭い。地獄の淵から這い上がろうとしてくる悪鬼のような執着と激しい怒りに満ちた目だった。さすがの麻生も目を背け、出来る限りその目から離れたくなった。

「あんたがシンゴを殺したんだろう? 強引に奪っておいて……挙句自分で何の罪も償わずに死にたいって何だよ! そんな簡単に捨てら れるなら、今すぐ死んで、シンゴに返してくれよ!」

「それが出来るなら、俺だってそうしてーよ!」

 麻生の声が空気を裂くような鋭さを持って響き渡った。思わぬ麻生の反論に、怒り狂っていたワタルも、その威圧感に思わず冷静さを取り戻さざるを得なかった。二人の鋭い視線がぶつかる。

「俺は……シンゴを助けたかった。これは本当だ。俺は……とんでもない間違いを犯してしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。もう……あいつは帰ってこない。でも、出来ることなら、あいつに報いたい。でも……何も出来ないんだよ。あいつはもういない」

「だからって、本当に何もしないつもりなのかよ」

 ワタルの手に再び怒りがこもる。右手だけでなく、左手もが麻生の襟元を掴んだ。その両手だけでなく、怒りと悲しみによる震えは全身に及んでいる。麻生の爪先は、地を掴もうと必死にもがいている。踵はワタルの力によってすでに浮き上がってしまっている。

「あんた、アサカちゃんを助けたかったんだろ? なら、今あの子はどうしてるんだ。かけがえのない兄貴がいなくなっても、一人で生きていける確信があったのか。教えろ。アサカちゃんは、今何処でどうしてるんだ」

 地を這うような低い声で問い詰める。麻生の鋭く研ぎ澄まされた瞳が、アサカの名前が出た途端にぐにゃりと歪んだ。辛うじてまだワタルの目から視線を逸らしてはいないものの、すぐにでも逃げ出したいという思いが滲み出ているように思える目だ。

 ワタルは再度、アサカの安否を麻生に問い質した。するとようやく、麻生は口を開いた。

「俺は知らない。すまない。俺は……あの場所から逃げ出したんだ」

 ワタルの硬く握り締められた拳が空気を裂き、麻生の顎を左から右へと強引に動かす。顎を殴られたせいで、脳みそがぐらぐらと揺さぶられるような感覚に襲われた。ワタルの顔が幾重にも被さって麻生の視界に映る。焦点が定まらない。そのことに困惑していたせいか、顎を殴られたという事実と実際の衝撃がなかなか繋がらなかった。事実を把握した途端、顎が弾け散るのではないかという痛みに襲われ、麻生はうずくまろうとした。しかしそれはワタルが許さなかった。彼は麻生の襟元を掴む左手の力をこれっぽっちも緩めなかった。うずくまってしまいそうな麻生に対し、まるで鬼のように立てと命令するように襟元を何度もぐっと引っ張り上げる。

「ふざけんなよ!」

 自分の顔の高さにまで強引に引き上げた麻生の顔に、怒号を浴びせる。麻生の目はもはや暗く閉ざされてしまっていた。心さえも、固く閉ざされてしまったように。ワタルはその目に気付き、声色を変えて麻生に語りかける。

「アサカちゃんを救わなくちゃならないのは、俺やリサじゃない。紛れもなく、あんただ。そりゃ、出来ることなら俺達の手であの子を助け出してやりたい。だけどな、俺達がそうしたところで、本当の意味であの子を救い出すことは出来ない。お前自身がアサカちゃんを助け出してこそ、ようやくあの子は色んなことから救われるんだ。

 俺には、詳しいことは分からない。だけど、それだけは分かる。あんたがやらなきゃならないことなんだってな。もちろん、俺達だって何もしないわけじゃない。アサカちゃんが助かるなら、何だってするつもりだ。でも、やっぱり俺達には限界があるんだ。シンゴが姿を消してからの一年間、必死になって情報を集めて、俺なりの方法であいつを探してたんだ。でもやっぱり駄目だった」

 突然、光を失いつつあった麻生の目に再び鈍い光が灯った。力の抜けていた両足に力が入り、麻生は持ち前のしっかりとした骨格を見せ付けるかのように、悠然と立った。そして、ワタルの目をじっと見据えた。思わず、麻生を掴む左手に込められていた力が抜けていく。

「どの程度の情報を集めた?」

 麻生の視線がねっとりとワタルの全身に張り付いている。何か執着を感じざるを得ない視線。その視線の威圧感に圧され、ワタルは得体の知れない焦燥感にかられた。早く、何か答えなければ。

「情報って言ったって、たかが知れてる。シンゴの家の隣に住んでるおばさんが協力して、俺達とは違う方面から情報を集めてくれてて、定期的に情報を交換し合ってたんだ。それによって分かったのは、シンゴやアサカちゃんのみたいな……いや、俺やリサみたいな奴も含まれるな。そういう奴らがここ最近で行方不明になってるってことが分かった。それも少数じゃない。明らかに裏で何かが動いてる。そう思うには十分な数だ。でも、その裏の部分が全く分からない。行方不明になっている奴らの特徴を照らし合わせてみても、その正体は全く見えてこない。そこが、俺達の限界のラインなんだって思わざるを得ない」

 麻生は頷くこともせずに、静かにワタルの話を聞いていた。ワタルを見つめる目にも、何の感情を透けてこない。何も見えない闇が広がっているだけだった。


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