ワタル 2(4)
麻生はその後、意識を失った。暴れることもなく、静かに眠りに落ちるようにぱったりと倒れこんでしまった。
麻生が眠る一方で、ワタルとリサは眠れそうになかった。もう深夜になっていたが、二人は壁と互いの肩にもたれかかって座り込んでいた。
「ねえ、この人、本当のこと言ってると思う?」
「わかんねえ」
「シンゴ……本当に死んじゃったのかな」
リサが涙を堪えながら言った。きつく瞼を閉じ、溢れ出てこようとする涙を必死にせき止めていた。
「わかんねえって。でも、麻生さんがシンゴのことを知ってるのは間違いないと思う」
「私もそう思う。ワタル、これからどうするの?」
リサは不安げな顔をしてワタルの顔を覗き込んだ。顔にかかる長いストレートの前髪の隙間から、涙で潤んだ瞳がじっとワタルの目を見つめている。
――お願いだから、ワタルは何処にも行かないで――。
そんな声が聞こえてくるようだった。ワタルはリサの肩を抱き寄せた。
「心配しなくていい。俺はいつでもリサと一緒にいるから。これからどうするかは、二人で考えよう」
リサはそれでも、少し不安そうだった。何がどうなるとかではない。ただ、漠然とした大きな不安が雷雲のように頭上に立ち込めているように感じられるのだ。
「とにかく、麻生さんが目を覚ますのを待とう。起きた途端に出て行く可能性もあるからな。おちおち寝てられないぞ、今夜は」
「構わないよ。それで、シンゴとアサカちゃんの行方が分かるなら」
思いの外、心強いリサの言葉を聞いて、今度はシンゴが安心させられた。
「ああ、そうだな。シンゴとアサカを助けてやらなきゃな」
ワタルは父親のような優しい微笑と声で応えた。
「この人が嘘ついてくれてたらいいのにね。信じられないよ、全部……。本当だなんて思えないもん」
「そうだな」
――しかし、ワタルには麻生の言うことが真実のように思えた。この得体の知れない謎の男性には、自分達には計り知れない、想像を絶する過去があるようなそんな気がしてならないのだ。麻生から放たれる雰囲気は、周りの者を包み込めるような脆い優しさと、その全てを破滅させる悲しい残虐さがある。その危うげな雰囲気に魅了される人間は、決して少なくはないだろう。もしかすると、ワタル自身もその魅力に中てられていたのかもしれない。
一目見た時から、麻生は何か特別なオーラを放っていた。麻生がうわ言のように呟いていた『運命』というものが、ワタルに彼を助けさせるという行動を起こさせたのかもしれない。ワタルは目の前に横たわった麻生を見ながら、そんなことを考えた。
結局、麻生が目を覚ましたのは翌日の昼過ぎだった。その頃には、リサは余りの緊張感に疲れていたのか、ワタルに寄りかかったまま眠ってしまっていた。彼女を起こさないよう、小さな声で、目を覚ました麻生に声をかけた。
「麻生さん、気分はどう?」
麻生は一瞬、自分が何処にいるのか分からなくなっていたのか、寝転んだままで首をきょろきょろと動かした。
「ああ……そうか。昨日、お前に助けられたんだった。まさかお前みたいなガキに助けられることになるとは思わなかったよ。情けねえ……。悪かったな、色々と。迷惑家かけちまって」
「いいよ。リサが少し神経質なもんだから……こっちこそ迷惑かけて申し訳ない。その……嫌なことまで思い出せちゃったみたいだし」
ワタルは躊躇いながら言った。こんなことを言うと、また麻生がシンゴのことを思い出して錯乱してしまうのではないかと、一瞬不安になった。しかし、そんなことは心配無用だった。思った以上に、麻生は落ち着き払っていた。昨夜の狂乱ぶりがまるで嘘のようだった。
「ん、シンゴのことか。そうだな。あいつ、今でも俺の夢に出てきて、俺を苦しめやがる。夢枕に立って、恨めしそうにずーっと俺のこと見下ろしてるんだ。まあ、俺があいつを殺したんだから、恨まれても無理もないよな」
「なぁ、麻生さん。本当に、あんたがシンゴを……その……殺した、のか?」
冗談だと言って笑い飛ばしてくれないだろうかという期待が、ワタルの中にはあった。そうだったら、どんなに幸せだろうかと。またいつか、シンゴがグループの皆と笑い合っている。そんな光景が再び目の前で繰り広げられたら、もう何も言うことはない。麻生と同様、ワタルの夢の中にはそんなシンゴが現れては消えるのだった。
「そうじゃなかったら……お前も幸せだったろうにな」
その言葉が、全ての答えだった。今のこの冷静な麻生が、悲しそうな表情を浮かべた麻生が嘘をついているとは思えない。昨日の麻生の話はやはり嘘ではなかったのだ。余りにも残酷な現実がワタルに突きつけられた。受け止めがたい、現実。それを飲み込むのは、高温に熱せられて解けた鉄の塊を飲み込むのと、同じようなものに思えた。
「そうだ。俺があいつを殺した。自分の過去を清算するために……あいつを殺したようなもんだ。いや、清算したわけじゃない。ただ自分の過去をあいつとアサカの情況に重ねてしまっただけだ。これはその結果に過ぎない。俺は、また罪を重ねて、それを背負う羽目になった」
ワタルはきつく目を閉じて、麻生の懺悔に耳を傾けていた。麻生の言葉の一言一句を拒絶したい思いでいっぱいなのに、彼の声は否応なしにワタルの耳に飛び込んでくる。――嫌だ。もう聞きたくない。いくらそう叫んだところで、どうにもならない。
シンゴの親友として、今自分が出来ることといえば、麻生がどういう状況と心情で彼を殺めてしまったのか、その真実をしっかりと理解することぐらいだ。それが、シンゴにとってせめてもの救いになればいいと、そう思った。だから、耐えるしかない。
「シンゴを手にかけてしまってから……俺は一人になった。精神がもたなかった。何もかも壊れて、何も手につかなくなって……死にたくなった。それぐらい、後悔した。悔しくて、悲しかった。でも、どれだけ悲しみにくれようと、俺があいつに出来ることは何一つないんだってことを思い知らされるだけだったんだ。もう、本当に死んでしまおうと思った。だから、飲まず食わずでのたくってたんだ」
ワタルが立ち上がり、麻生の名を呼んだ。
「動けそうか?」
麻生は少し身体を動かしてみてから頷いた。まるで身体を手に入れたロボットが、その動作を確認しているかのようだった。
「なら、ちょっと外に出よう。リサが起きちまう。疲れてるみたいだったから、寝かせておいてやりたいんだ。いいかな」
ワタルの口調は切羽詰っているようでもあったが、落ち着いてもいた。恐らく、彼の心情がそのまま声色になって表れていたのだろう。他人の心情を敏感に受け止めることに長けている麻生には、それが分かった。麻生は黙ったまま出て行くワタルの背中を追ってゆっくりと立ち上がった。