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ワタル 2(3) 

 麻生の声色に圧倒された二人は、両の目を彼に奪われた。目を離すことが出来ないほどの緊張感。こんな緊張は、滅多に味わうことがない。――一体、彼は何者なんだろうか。普通の人間が、目だけでこんなにも他人の行動を制限することなど出来ない。

「今、シンゴって……シンゴって、言ったか?」

「ああ。シンゴは俺達の仲間だ。一年前、突然行方が分からなくなって、それからずっと探してるんだよ」

 瞬間、麻生の顔が苦しげに歪んだかと思うと、彼はすぐに頭を抱えて俯いてしまった。

「もしかして……麻生さん、シンゴのこと、知ってるのか?」

 堪らず、ワタルは麻生の腕を掴んだ。痩せ細っているにも関わらず、たくましさはしっかりと残されている。薄い筋肉の下に、がっちりとした骨格が備わっていることが、掌から伝わる感触で把握できた。頼りがいのある、勇ましい腕。

 俯く麻生の呼吸が荒々しいものに変わっていく。いや、これは苦しんでいる呼吸だ。やがて、麻生が唸るように言った。

「……念のために確認する。そのシンゴって奴の苗字は櫻田で、アサカという名前の妹がいないか?」

「ああ、その通りだよ! 麻生さん、どうしてシンゴのこと知ってるんだ?」

 興奮気味にワタルは言った。麻生の腕を強く握りながら揺さぶる。ワタルの顔は歓喜に満ちている。無理もない。一年近くも探し続けてきた親友の所在を掴めるときが来ようとしているのだから。

 一方のリサは、不安そうな色を濃くしていた。嫌な予感が彼女の全身を駆け巡っているようだった。

麻生はゆっくりと頭を上げ、天を仰いだ。精神に異常があるのではないかと思わせるような、異様な動作と雰囲気を彼は放っていた。それを見たリサは、まるで異臭が鼻をついたかのように顔を歪ませた。

「なんてこった……はは、こんなことがあるもんなんだな。やっぱり、運命ってあるのかもな。いや、世の中にあるのは必然だけ、か」

「何……言ってるんだ?」

 ワタルは呆然としていた。彼が言っていることが何を意味しているのか、本当にまるで理解できないのだ。それに併せて、さっきリサが言っていた嫌な予感という言葉が不安を煽る。

呆然と麻生にすがりつくワタルの傍らで、リサが突然立ち上がった。その手には白く光を放つ何かが握られていた。それが、麻生に突き付けられる。

「あんた、シンゴに何したんだ?」

 リサは恐怖を押し込め、震える声で必死に問うた。右手に握った刃物の切っ先が震える。その声に反応したかのように、さっきまでは口元に薄ら笑いを浮かべていた麻生の表情が、一瞬で消え失せた。無表情なんてものではない。今の彼の中にあるものを、その周りの者達は何一つ見出すことが出来ない程だ。麻生は再び、深淵へと招かれようとしている。

「嘘だろ……」

「答えろ! シンゴに何をしたんだ!」

 カタカタと、硬い音が小さく聞こえる。まるで、耳の中で小石が震えてぶつかりあっているような。それは、リサが恐怖故に震え、歯と刃を鳴らす音。それは、麻生が悲しみと後悔と絶望故にむせび泣く、音。

「俺は……こんなことがしたかったわけじゃないんだ……」

 長い沈黙の後、麻生がうわ言のように力なく呟いた。

 質問に答えようとしない麻生に苛立ちを隠せずに怒声をあげようとした。しかし、その声は発せられることなく飲み込まれた。ワタルが彼女を再び制したのだ。

「麻生さん、シンゴは俺達にとって、本当に大切な仲間だったんだ。だから、もし麻生さんが俺達のまだ知らないシンゴの情報を知ってるなら、教えて欲しいんだ。俺達には、あいつに何があったのかを知る権利がある。そして、もしあいつに危険が迫っているなら、何が何でも助けに行く。絶対に。シンゴだけじゃない。アサカちゃんも助けなきゃ」

 麻生は相変わらず天を仰ぎ、リサに突き付けられた刃物の切っ先の一点を見つめている。まるで何も感じていないようだ。その様子が余りにも不気味で、リサは更に震え上がった。――やっぱり、この人普通じゃない!

「頼むよ、麻生さん」

「あいつは……」がさがさとかすれた声で麻生がようやく言葉を発した。言葉を語る、ぼろ人形のように。

「あいつは、俺のこと、麻生って呼び捨てにしてやがった」

「麻生さん、シンゴと面識があるのか?」

 ワタルは驚きを隠せなかった。あのシンゴが、グループ以外の人間と関わり合いを持つことなど、今まで一切なかった。ワタルが他の友好的なグループの連中と話しているときでも、シンゴは頑ななまでに彼等と言葉を交わそうとはしなかった。それなのに。

「一体、何処でシンゴと知り合ったんだ?」

「ホームだよ。……いや、俺があいつと初めて会ったのは、あいつの家だったな。活きのいい奴が入るって聞いて、わざわざ現場まで行ったんだった。案の定、血の気の多い厄介な奴だった。それだけ俺はあいつのこと気に入ってたんだ」

 麻生の頬に、ナイフの光が映った。それが筋となって、顎先へと流れていく。――涙。麻生は涙を流した。

 その涙が、ワタルとリサの胸の中を騒がせた。ざわざわとして、落ち着かない。頭ががんがんする。何も考えられなくなるくらい。目や耳に入る全てが、スローモーションに加工されている。この世の全てが重みを増し、二人の身体と心にのしかかっている。

「俺は……あいつを、殺しちまったんだ……」




「え……?」




「馬鹿に……しないでよ」

「俺は……あいつを助けたかったんだ。アサカを助けなきゃならなかった。あいつが……シンゴに殺されそうになってて……首を絞めてたんだ。俺があいつらの部屋に入った時……シンゴがアサカの上にのしかかって首を絞めてた」

「嘘……シンゴはアサカちゃんのことを本当に大切に思ってた! 殺そうとするはずなんてない」

「本当なんだよ! あいつはもう……手遅れだったんだ。不適合者だったのに、無理矢理実験を続けさせられて……俺には分かってた。もうあいつは駄目だって。だから、俺は本当は……あいつを、シンゴを助けてやらなきゃいけなかったのに……俺は何も出来なかった。

でも、アサカが殺されそうになってるとき、咄嗟に助けないといけないって思ったのは、アサカの方だったんだ。俺と、同じだったから。でも、あいつは俺と違うって言いやがった。まだ子供の癖に、俺に言い返してきたんだ。兄貴が目の前で死んでるってのに……いやに冷静にな。

 俺には分かるんだ。どんなにシンゴがアサカを愛してたとしても、その存在はやっぱり重荷なんだよ。邪魔なんだよ。だからいなくなった方が本当はいいんだ。いない方がいいんだ。俺達みたいな、人に頼らなきゃ生きていけないような弱い人間は……だけど俺は生き延びた。兄貴を殺して生き延びた。生きたかったんだ……。頭ではもちろん分かってるよ。俺みたいな奴はいない方がいいって。でもさ、生きたいって……まだ生きていたいってそう思った時には……もう遅かったんだよ。

 本当はシンゴを助けたかった。俺は心底、あいつが好きだったんだ。面倒見てやりたかったんだよ。でも、そう思えば思う程、アサカにどう接したらいいか分からなくなった。シンゴはアサカを重荷に感じてたからな……。だから、俺がアサカをいなくしてやれば、あいつは幸せになれたのに。俺がいなければ、兄貴は幸せになれたのに!」


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