ツヨシ(11)
父は、私を道具としてしか扱わなかった。
母は、いつも嘆いていた。
父は無力だ。何一つ、自分の力で、自分の手の内に納めておくことの出来ない、無力な人間だった。
それを自覚しているが故に、母に対して醜い嫉妬を燃やしていた。
母は研究室を与えられた父以上に、研究を成功させ、誰からも認められていた。どんなに父が巧みに自分の研究成果だと語っても、周りには分かっていた。それは、母の研究成果だろう、と。お前は無力だ、何も出来やしないと、何度となく言われてきたのだろう。父は母が疎ましかったのだ。逆恨み、とも言えるんじゃないだろうか。
しかし母は、そんな父に文句の一つも言わなかった。母は本当に立派な人だと思う。
そんな母が亡くなったのは、本当に突然のことだった。急性の心筋梗塞だった。
私には分かっていた。それが父の仕業だと。本当に、卑怯な真似をすることにだけは長けている人だ。
母を殺したのは自分の癖に、母が亡くなってからというものの、父は荒れに荒れた。今まで生き甲斐であったはずの研究もしない。暴れ回り、喚き散らすばかり。その標的は、いつも私だった。
当時、私は十五歳。その頃から、いや、それ以前から私は研究を手伝っていた。
両親に褒められたい、自慢の娘になりたい、研究の邪魔になりたくない。私はその一心で勉強した。私のアイデンティティーはそこにあった。
事実、私の努力は様々な人に評価された。両親は私をとても褒めてくれた。
かつての父も、私を誇りとしてくれていた。しかし、母が亡くなってからは、私のことでさえ、母のように疎ましく思うようになった。
そして父はついに、私を潰しにかかった。
私は、監禁された。今も、それは続いている。
私は死んだものとされた。母の後を追って死んだと、周囲の人にそう触れ回った。
それからの私の人生は家畜同然。寝ることも許されず、父のための研究をやらされた。それをサボれば、殺されてしまう。私にはそれが分かった。父の放つ雰囲気には、いつも殺気があった。寧ろ、父は私が全て放り出すときを待っていたのかもしれない。そして、私を殺すときを待ち望んでいるのかもしれない。今、このときもそう思っているはずだ。
父の醜い行いは、それだけに留まらない。
あろうことか、娘の私で性欲処理をするのだ。思い出すだけで、死にたくなる。 父は狂っている。あんなもの、人間じゃない。それなのに、人の皮を被り、まともな人間を演じているのだ。吐き気がする。
だから、私は父を殺したい。殺さなければならない。父を、人間に戻してやる義務と権利が、私にはある。
そしてそれと同時に、父のように狂った人間を生み出さないよう、生み出すことのない社会を作らなければならない。私には、それが出来る。今、この国でそれが出来るのは私しかいない。だから私は、この研究と計画を完遂しなければならない。
そのためには、手段は選ばない。
私の研究の進行を脅かす父は、早急に消し去らなければならないのだ。
「分かってくれた?」
一通り語り終えた彼女は、俺に尋ねた。
分かるはずがない。他人の気持ちなど。同じ過去を共有していたわけではないのだから。
分かったとして、それは類似品でしかない。齟齬が生じて当たり前だ。
しかし、彼女の過去は同情に値するものがある。町田ユウコも、俺と同じだ。自分を、身近な存在によって殺されたのだ。
憎悪による殺意に対抗しようとする気持ちは、十分に理解出来る。
「忘れたのか?」
「え?」
拍子抜けした声と顔が、俺に向けられる。
「協力させてくれって、言っただろ。後には引かせない、そう言ったのはお前だ」
俺が言った途端、町田ユウコはまた、美しく妖しく微笑む――そう思った。しかし、現実はそうではなかった。
彼女は目に涙を浮かべていた。眉を潜め、耐え難い胸の痛みに耐えるような苦しげな表情で。
嬉しい……のか? いや、そう思う他ない。愚かな父親に対する悲しみや哀れみは、話を聞く限り町田ユウコの中に生じそうにない。何故、そんな顔をする?
「ありがとう。本当に感謝するわ。やっぱり見込んだだけのことはある。あなたがこの家に忍び込んで、私に見つかったのは何かしら縁があったのかもね」
そこでようやく、町田ユウコは口元を綻ばせた。
「世間ではこういうのを運命、なんて言うのかしらね。もっとも、私はそんなの信じないけど。この世にあるのは奇跡や運命なんていう偶然じゃなく、必然だけだと思うから」
いかにも科学者らしい発言だ。町田ユウコは若くして、立派な科学者だ。その立ち振舞いも思想も全て、科学者としてのそれだ。
――なんて、悲しいんだろう。