シンゴ(3)
「とりあえず、今日は食糧をやろう。……どう見ても限界だからな。ただし、これが最後だ」
シュウジはそう呟いて、歩き出した。ワタルは相変わらずシュウジにすがりつきながら喚いている。
「ワタル」
シンゴは小さな声だったが、それでいてはっきりと言葉にした。今まで黙ったままだったシンゴに呼ばれたことに、ワタルは驚いた。呆けたような顔をして、シンゴを見た。
「もう……いいんだよ。仕方ない。分かってるんだ」
乾いた声だった。心も体も枯れ果ててしまっているような、そんな声だった。
「止めてくれよ、シンゴ。大丈夫だって。シュウジさんも、ちょっと考え直してくださいよ!」
ワタルは悲壮感に満ちた表情でシュウジに訴えかけた。このグループのリーダーであるシュウジの命令に逆らうことは許されない。それはグループのメンバーの中で自ずと出来上がった、暗黙のルールだった。ワタルも、十分それを分かっているのだ。
「シンゴ、こっち来い」
シュウジが尖った声で呼ぶ。
三人が険悪な雰囲気にあることが、公園にいる殆どの者に伝わっていた。十代から二十代の若者が集まっているこの公園だが、中にはまだ子供としか言えない小学生も何人かいる。幼い彼らには、二十歳近い男が三人で揉み合っているところを見るのは、まさに恐怖に値する。小さい子供達は皆で集まって、怯えながら三人の様子を横目でいていた。
シンゴと同じ年ぐらいの者達は、シュウジに逆らうことは許されないというルールに抑圧され、それを言い訳にして、遠くから彼らの様子を見守っているだけだった。そうするしか出来なかった。それが、自分達が生きていく為には必要だったのだ。
「シンゴ、行くな!」
ワタルは必死だった。自分の利益だけを考えて行動するほど、理性的にはなれなかった。仲間達は皆、損得に左右されない確かな絆で繋がれていると信じていた。実際、このグループはリーダーのシュウジがそうやって作り上げ、信頼関係と共に成長してきたのだ。
だからこそ、その信頼関係をずっと大切にしていきたいと、ワタルは常々そう願っていた。シュウジに付き従い、結成当初から絶対的な信頼を置いていたシュウジ。そして、いつも側にいたシンゴ。彼らの関係が崩れてしまうのは、ワタルにとって耐え難いことであった。
「ワタル、いいんだよ。……悪いな」
シンゴは反動をつけてベンチからやっとの思いでゆっくりと立ち上がると、ワタルの肩に軽く手を置いた。そしてそれを軸に少し体重をかけながら、歩き始めた。
「元気でな」
シンゴは小さな声でワタルにそう告げた。最後の言葉として、相応しいものかどうかは分からなかったが、何も言わないわけにはいかない。もはや、いつ死んでしまうか分からない時代だ。相手を案ずる言葉を並べたところできりがない。重い言葉を並べるのは、性に合わない気がした。
それが最後の言葉であることを察したワタルは、下唇を噛んで俯いた。拳には力が入り、白く変色していた。体の中から溢れてくる色んなものを堪えるのに、必死にならなければとても我慢できそうになかった。
「……馬鹿野郎」
ワタルは吐き捨てるように言った。シンゴの耳にその言葉は届いたのか分からない。振り向きもせずシュウジの背中を追って、ただ静かに足を前に進めていた。
二人の距離が、ゆっくりと開いていく。もう、この距離を埋めることは叶わないのだろうと、シンゴは思った。
「ここにお前を連れてくるのは、三度目……かな」
そう呟きながら、シュウジは公園の片隅にある物置の鍵を開けた。シンゴの家の鍵と同様、いや、それ以上に厳重に施錠されていた。
備え付けの鍵では心許ないので、複雑な構造をしたものに改造されている。費用のかかる改造は出来ないので、割りと安価で出来るものだが。シュウジだけがその鍵を所持している。
しかしもちろんそれだけではなく、鎖が何重にもかけられている。これまでに厳重になっていると、開ける気も失せるというものだろう。ところがそれによって部外者にも、何か貴重なものが隠されていると知らせてしまうことになりかねない。しかし、この物置が部外者によって開けられたことは幸い一度もなかった。
この物置の中には、グループの皆で持ち合った非常食等が保管されている。いざという時に必要となるであろう貴重なものばかりである。
「シュウジさん……すいません」
シンゴは何処となく申し訳なく思い、シュウジにそう言った。本当に、申し訳なくて、自分が情けなくて、どうにもならない現実が許せなくて、歯痒くて。たくさんの感情が身体中で渦巻き、自分の中にあるあらゆるものを蝕んでいくように思った。
「謝るなよ。こっちこそ、悪いな……」
シュウジは物置の鍵開け、鎖を外して中に入り、物置の中を漁っている。棚に詰まれた缶詰やペットボトル、麻袋をいくつか手に取って、それを吟味するかのようにじっと見つめていた。
シンゴから見えるシュウジの後ろ姿には、何か大きなものがのしかかっているかのように思えた。
グループのリーダーとして、皆を統率し、全ての責任を負わなければならない。その重圧は、計り知れないものだろう。自分には、とても背負いきれないものなのだろうと、シンゴは思った。
「じゃあこんだけ……な。持っていけ」
シュウジがシンゴに手渡したのは、二リットルのペットボトル、非常食の缶詰が三つと、小さな袋に入ったチョコレート菓子だった。日頃から食糧を目にすることすら少ないシンゴにとって、この量は夢のようにさえ思えた。特にチョコレートなんてものを目にしたのは、本当に久しぶりだ。
「え、こんなにたくさん……駄目ですよ。俺のためにこんな……」
「いいんだよ。遠慮すんな」
シュウジは厳しいところもあるが、やはり根は優しい、本当に心優しい人間なのだ。だからこそ、たくさんの仲間が彼の周りに集まってきた。シンゴもワタルも、彼の優しさやカリスマ性に惹かれ、彼を慕うようになった。
「お前は……仲間だからな」
その言葉は、シンゴの胸に深く突き刺さった。深く、深く。
シンゴはシュウジの言った通り、グループの皆に甘えていたのだ。ここに来れば、食糧が手に入る。どうにもならないときは、必ず助けてくれる。俺達は、仲間だから。少しくらい楽をしたって、誰にも分からないだろう。別に、誰に叱られるわけでもないんだから、構わないだろう。
そんなことを思って怠惰な生活をしていたことを、決して否定することは出来ない。その言い訳に信憑性を持たせる為に、アサカを利用していた。シンゴ自身も、それに気付いていた。
だから、シュウジの言葉が痛くて仕方なかった。胸をえぐられるような痛みが、シンゴを襲った。
「シュウジさん……ありがとうございました……」
シンゴは両手一杯に持った食糧が腕の中から落ちないように気を付けながら、シュウジに向かって深く頭を下げた。そして、頭が地面と平行になった時、一粒の滴がシンゴの目から零れ落ちた。その滴は、砂地に小さな丸い水溜りを作った。
「気にすんなって。俺の罪滅ぼしみたいなもんだからな。悪いな、シンゴ……俺は、このグループのリーダーとして」
シュウジがそこまで言いかけたとき、強い口調でシンゴが言葉を遮った。「分かってます」と。
「シュウジさんには、本当に感謝してます。こんな俺なのに、最後までこんな風に面倒見てくれて……何の役にも立てなくて、迷惑かけてばっかりで、本当に……すいませんでした」
自責の念が、ただただ、シンゴの中に募り続けていった。そしてそれは、シンゴの胸の中から溢れ、涙となって次々と零れ落ちていった。